第80話 母と娘 #2
なにも言えずにいると、母はそっと続けた。
「たとえ腹を痛めて産んだ子でなくとも。シャーロット。そなたのことは、実の娘として、大切に思っておるよ。スペアなどと、そんなふうには考えておらぬ。シャーロットはシャーロット。シャルロッテは、シャルロッテだ。……そうだな、結局のところ、そういうことなのだ。どちらも代わりにはなれぬし、代わりはおらぬ」
母の言葉の最後は、自分に聞かせるような調子だったが。
シャーロットの実の父と母は、すでにこの世にいない。祖父母も、親戚も。
この世には、自分と血の繋がった人がもう、ひとりもいないということだ。
そんな中で、マルガレータは母、シャルロッテは姉として、血は繋がっていなくとも本物の家族だと思って、今日までを生きてきた。
知らないうちに、頬を濡らすものがあった。母の言葉を聞いて、シャーロットは、いつの間にか泣いていた。
そっと、母がハンカチをテーブルに置く。それに手を伸ばして、涙を拭いた。
「そなたの父と母も、残念であった。そなたの父と母に恥じることなきよう、私はそなたを実の娘として見てきたつもりだ」
「……はい」
「だからこそ、探索者という道に、進んでほしくはない。シャルロッテのことを思ってくれているのは分かる。だが、そなたが責任を感じることではない。ましてや、命を賭けるなどとは……仮に母という立場でなかったとしても、許すことはできぬ」
「……でも!」
シャーロットは、そこで声が出た。
「迷宮になら……! シャルロッテの身体を治すためのものがあるかもしれない!」
「もう一度言うが。そなたが命を賭けることではない。探索者に任せればよいのだ」
「でも……! 私には……私にだってなにかできるかもしれないのに、黙って見ていることなんて、できない!」
「そなたになにかあれば、シャルロッテも心を痛めるのだぞ」
また、刺すような言葉だった。
言われて初めて、シャーロットはそれを意図的に考えずにいたことを思い知った。
――私になにかあれば、シャルロッテはどう思うだろうか。
こちらの心の裡を見透かしたように、母は続けた。
「シャーロット。そなたは、優しい子だ。シャルロッテを正当の王女として譲らず、常にその影に徹してきた。この頃においては、シャルロッテとしての身代わりを自ら申し出る……そなたは、自分を犠牲にしすぎだ」
「そんなつもりは」
言い返そうとすると、母はやんわりとかぶりを振って遮ってきた。
「そなたは、自分を低く設定している。王女シャーロットとしての存在を確かにしようとせず、あくまでも王女シャルロッテの影として生きようとしてきた。そうすることで、私にも、シャルロッテにも、王宮の者どもにも……もしシャーロットという存在になにかあったとしても、それはただ身代わりがなくなるだけだと思わせたかったのだろう? 自分が、いつかいなくなるときのために」
「それは……」
そんなことを考えていたわけではない。純粋に、シャルロッテが元気になったときを考えての行動だった。いつか来るそのときに、王女シャルロッテが滞りなく表に出られるように、と。
が、母の指摘通りなのかもしれなかった。
自分が取るに足らないものであり続ければ。単なる影でしかないのなら、誰にも気にかけられないで済む。王宮を後にしても、誰も傷つけることはない。
「それは、そなたの勝手な思い込みに過ぎぬよ」
母は、諭すような口調で言った。
「心を痛めるのは、シャルロッテだけではない。私も、アミディエルも、ドゥエルメも。侍女たちも。王宮に携わるものすべてが、そなたを大切に思っている。袂を分かつことになれば寂しいし、悲しい。そしてその身になにかあったとしたら……想像するだけで、我が身が張り裂ける思いだ」
そこまで喋り、母は吐息を漏らした。
「……私は、そなたの意思を尊重したいと思っている」
「え……?」
ここまでの論調と、正反対の言葉が飛び出してきたことに、シャーロットは呆然とした。
こちらの反応を見てか、母は苦笑している。
「最初に反対だと言ってしまっていたな。これも許せ。まず反対材料を並べるというのは、親のすることなのだからな」
「……それは。私が、探索者になっても、よいと……そういうことですか?」
シャーロットが聞き返すと、母は小さく頷いた。慈愛に満ちた、としか言いようのない温かい声音と瞳で、母は言ってくる。
「そなたの、好きにさせてやりたいというのもまた、親心ということよ。確かに、そなたを王女として育てた。が、それとこれとは関係がない。そなたはシャーロットという、個人なのだからな。そなたはそなただ。歳も、十八を数えた。自分の意思で自分がどうするか考え、行動したいというのなら……私には止められぬよ。シャーロット。そなたの人生は、そなたのものなのだからな」
「……おかあさん……!」
母の言葉を聞いて、今度こそ大粒の涙がこぼれ落ちる。口元に手をやり、嗚咽を押し止める。
あなたはあなたで、代わりはいない、という言葉は、いつもシャルロッテに言っていた言葉だった。
だがそれを、こうして母から告げられるとは思わなかった。
しかも、背中を押してくれた。
膨れ上がった感情が涙と嗚咽に変わり、ひたすらに溢れ出ていく。
しばらく、ハンカチに顔を埋めて、涙と嗚咽が止むのを待った。
――と、テラスのドアが開いた音が聞こえた。反射的に、顔を上げる。
テラスへ入ってきたのは、シャルロッテだった。目が合うと、微笑んでくれる。
が、こちらが泣いていると分かると、慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたの、シャーロット。そんなふうに……泣いたりして」
「いえ、ううん、これは……大丈夫だから」
どう説明すればいいかも分からないまま、ひたすらシャーロットは首を振った。
背中を撫でてくれるシャルロッテに、母が質問をする。
「身体は、よいのか?」
「はい。今日は……起きたら、なんだか、とても気分が良くて」
「そうか。良かった」
「はい。ところで、お母さま、シャーロットになにか、意地悪なことをおっしゃったのですか?」
若干、眉間に皺を寄せて言うシャルロッテに、母は笑った。
「ふ、そういうことではないのだが……。そうだな、シャーロットが、やりたいことがあると言うのでな。好きにするといい、と言っただけだよ」
「そうなのですか」
シャルロッテは次に、シャーロットを見てきた。撫でていた手を止めて、顔を覗き込んでくる。
「よかったじゃない、シャーロット。でも、そんな……やりたいことがあるなんて知らなかったけれど」
「……うん。ごめんなさい」
「ううん。いいの。なんだか、最近ずっと思い詰めていたみたいだから、心配していたんだけど……。大丈夫なの? シャーロット」
「ええ、大丈夫」
シャーロットが答えると、シャルロッテは困った顔で言ってくる。
「大丈夫って言うシャーロットは、大抵大丈夫じゃないのよね。シャーロットはいつも私のことを気にかけてくれているけれど、私だって、いつもあなたのことを心配しているのよ? たったひとりの、妹なんだから……」
その言葉に、また涙が溢れた。
たとえ血のつながりが存在しなくとも、マルガレータは母で、シャルロッテは姉なのだ。それを思い知る。
そっと抱きしめてくれるシャルロッテの胸に顔を埋めて、シャーロットはしばらく、泣き止めなかった。
「あなたのやりたいことなら、私も応援するわ。だから、ね。泣いたりしないで」
「うん。ありがとう。……ありがとう、シャルロッテ」
「ねえ、お母さま。シャーロットのやりたいことって、なに?」
「さあなぁ。泣き止んだら、直接聞けばよかろう?」
「それも、そうですね。ねえ、シャーロット。あとで聞かせてくれる?」
母が苦笑しつつ言っている気配と、シャルロッテが頷く気配がした。
シャーロットは、ほとんど泣き止みながら、戦線が移動したことを感じていた。
探索者として活動するために、一番の反対者となるのは母だと思っていた。
が、母は話を聞いたうえで、すべて受け止めて、肯定的な返事をくれた。
一番の障害になるのは、母ではなかったのだ。
姉である、シャルロッテだった。
そして、その予想通り、この休憩時間後に部屋で探索者になりたいということをシャルロッテに打ち明けてみたところ、全力で反対されることになったのだった。




