第79話 母と娘 #1
王宮三階の東にあるテラスで、シャーロットとマルガレータは午後の休憩時間を取っていた。
一緒にお茶の時間にしよう、と言ってきたのはマルガレータのほうだ。シャルロッテは、自室のベッドで休んでいる。
シャーロットはそれに応じて、こうしてテラスにいる。
テーブルの上には、焼き菓子と紅茶があった。
焼き菓子は王宮付きの職人が作ったもので、味は申し分ない。
紅茶も、南の商業都市イーゼンから取り寄せた茶葉を使った最高級品だ。
王家の人間として扱われるからこそ楽しめる贅沢品である。
だが今は、菓子の味も紅茶の香りも、どこか上滑りしていくような感覚だった。全てが軽薄に感じられ、やがては自分の存在すらも、そう思えてくる。
消え入りそうな気持ちで、シャーロットはぼんやり、東の空を見つめていた。
すると。マルガレータが声を掛けてきた。
「……不安か、シャーロット」
女王――というよりは、母マルガレータのその声に、シャーロットはびくりと身を震わせた。
顔を向けると、涼しい顔の母がこちらを見つめていた。
「すでに聞こえていると思うが。昨日、討伐隊が迷宮へ挑んだ」
その言葉に、今度は身体が強張る。
「どうなったのですか?」
「ドゥエルメが負傷した。それは、その探索者たちによって癒やされたが。探索に入ったベルハルト、ファルク、アガサ、カレンのパーティの内、カレン以外が黒燿の剣士によって殺害された」
「蘇生は? 成功したんですか?」
「うむ。まだ聖堂の診療所で療養をしているだろうが、命は助かったようだな」
「そうですか……」
シャーロットは安堵のため息を漏らした。
が、母は少し違う意味のため息を漏らす。
それを見て、シャーロットから質問をした。
「あの。黒燿の剣士の討伐というのは……目処は立っているのでしょうか?」
「さあな」
母は紅茶を含んで口を湿らせると、続けた。
「今まで、このようなことが起きたことはなかった。屍竜の骸が岩山となり、その岩山の内に魔物が巣食い始め……これを監視し、万が一があればそれを鎮圧するためにこの王国と王都が生まれた。……やがて、探索者を育成し、あの竜骸迷宮の攻略へと手を伸ばした。その歴史の中で、一度もこんなことは起きなかった。王国千年の歴史の中で一度もだ。よもや、迷宮から王都を攻めてくるものが現れようとはな……。十年前の流行り病といい、どうも、なにかがおかしいと思わざるを得ぬ……」
そこまで聞いて、シャーロットは母が愚痴をこぼしているのだと気づいた。この母が、そんな分かりやすい弱味を見せるなど、あり得ないことだった。
黒燿の剣士の問題は、母の頭を相当に悩ませているようだ。
もしくは、この黒燿の剣士が現れたことが、なにかもっと大きな事件の前触れとなるのではないか、と考えているのかもしれない。
母は、不意にシャーロットの目に、目を合わせてきた。
しばらく見つめ合った後、母は口を開く。
「シャーロット。そなたもどこか、上の空だな。ずっと東の空ばかりを見つめて」
「え?」
「とぼけなくてよい。血は繋がっていなくとも……何年そなたの母親をやっていると思っている?」
母は、シャルロッテやシャーロットと接するときは、女王としてではなく、常に母親として接しようとしてくれる。十年前にシャルロッテの父であるルーベンが亡くなってから、その傾向は特に顕著になったように思う。
母は続けた。
「私は、極力、そなたの……シャーロットの望みに寄り添ってやりたいと思っている。が……探索者になりたいという無謀は、さすがに賛同できん」
――先回りをされてしまった。
シャーロットは、冷や汗で背中が濡れるのを感じていた。
以前から考えていた自分の進みたい道を閉ざされてしまった、という焦りで、口が勝手に動いてしまう。
「……なぜですか? 私は、アミディエルに魔法を教えてもらいました。ドゥエルメから、武芸も習いました。探索者として、不足があるとは思えません」
言ってから踏み込みすぎたことを後悔する。母はなんとも言えない笑みを頬に貼りつけて、じっとシャーロットを見ている。
テーブルの上で指を組んだまま、母は言った。
「やはり、そのつもりだったのか? 王家の娘の習い事にしては……少々、度が過ぎたことまで習いたがるとは思っていた」
母の弄ぶような言葉には、不快感があった。この九月中旬の、晩夏のテラスに吹く生温い風よりも。
「なぜ、私が探索者を目指してはいけないんですか」
もう一度、母へ質問を繰り返す。それだけで終わらせるつもりが、また言葉が口をついて出ていった。
「私が……私が、シャルロッテのスペアだからですか?」
「スペア?」
その言葉を、母は目を丸くして受け止めていた。
そしてしばらく何度か頷いてから、口を開いた。
「そう、思っていたか。自分が王女のスペアだと。代替品だと。予備の品だと」
「……違うんですか」
それは、シャーロットにとって負い目でもなんでもないことのはずだった。たとえ面と向かってスペアだと言われても、なんとも思わないはずだった。
なのに、スペアという言葉を使って、母を非難しようとしている。
胸の内に、痛みに似たものが疼いていた。
その意味を、シャーロットは理解していた。
――私は今、母を攻撃するためだけに、その言葉を持ち出したんだ。
王女のひとりとして育てられておいて、なにひとつ不自由ない生活を保障されておいて、その育ての親に対して言う言葉ではないはずだ。
それとも、自分は――母に愛想を尽かされて、絶縁でもされれば、晴れて自由の身になれる、と打算を働かせて、こんなことを言ったのだろうか。
様々な思いが、一瞬で胸の内を駆け巡る。
が、母は薄い笑みを浮かべているだけだった。それは、自嘲にも見える。
そのままの顔で、彼女は口を開いた。
「そう思わせてしまったのは、まさしく……私の責任であろうな。正直に話をすると、最初はそういった考えがなかったわけではない」
それを聞いて、シャーロットは視線を泳がせた。侍女たちは、全員がテラスの外、王宮内に待機している。誰にも聞かれていないことを確認する。
まさか、母がそんなことを認めるなんて、思っていなかった。
衝撃を受けているシャーロットに、母は続けてきた。
「だが……そんな考えは、そなたを貰い受けてほんの数ヶ月でなくなったよ」
母は、そっと椅子に背を預けると、空を仰いだ。
「シャルロッテ――あれは、見ての通り、産まれた時よりああいう体質だ。原因も分からぬゆえ、いつ……どうなるのか誰にも分からぬ。そして、そなた、シャーロットという、うりふたつの外見を持つ子を見つけ……露ほどもそう考えなかったとは言えぬよ、さすがにな」
シャーロットはなにか言葉を挟むべきかと考えて、口を開きかけた。
でも、なにも言えることはなかった。
黙って母の次の言葉を待っていると、視線を空からこちらへ戻し、言ってきた。
「だが――すぐにそうは思えなくなった。だから、私はそなたを……シャルロッテと双子の王女として育てた。そなたには、窮屈な思いをさせていたと思う。しかし……私にとって、私の子として育てるというのは、王女として育てるということなのだ。許してくれ」
その言葉は、杭かなにかのように胸に刺さり、疼かせた。
――『許してくれ』なんて、言う必要はないのに。




