第76話 絶望を照らす希望 #1
アミディエルの転移魔法で迷宮内に飛ばされたのち、エルスウェンは自身の五感、そのすべてを疑った。
魔法の照明で照らされるベルハルトのパーティ、そのほとんどが、戦闘不能に陥っているのが分かったからだ。可能な限り急いで駆けつけたというのに。
ファルクが黒燿の剣士と斬り結んでいるのが遠目に見えた。そして、彼らのパーティが小鬼の群れに囲まれている。
――いったい、どういうことなんだ。
意味が分からなかった。黒燿の剣士は、魔物と協同して攻撃を仕掛けてきたということなのか? そんな知恵があるのか? いや、知恵があるとすれば、黒燿の剣士を使役する、その主のはずだ。
――そこまでして、探索者を殺す気だったのか……? なぜ?
様々な考えが浮かんでは消える中、エルスウェンたちはファルクたちの元へと走り出していた。先頭を凄まじい速度で駆けるジェイが小鬼の群れに早くも到達し、手刀で二匹同時に首を飛ばす。遅れてドゥエルメが、大剣を振り回してまとめて数匹を挽肉へ変える。
死角から飛び込んで来た刺客に、小鬼たちはたちまち、恐慌に陥った。
そのたった数秒間で、すでにファルクは倒されていた。黒燿の剣士と、何合か斬り結んだが、腕を切断されて、胸に剣を突き立てられて力尽きたのが見えた。
そして黒燿の剣士は、小鬼の群れを射撃していたラークに狙いを定め、その背後から剣を振るう。
ラークはそれをすんでのところで躱した。地面を転がり、だが弓を破壊された。
エルスウェンはもどかしく思いながら走っていた。時間が遅い。身体が重い。悪夢の中でもがくような感覚だった。まるで身体が前に進んでいかないような錯覚を振り払うようにして、足を動かす。
走りながら、隣のキャリスに言う。
「攻撃の魔法を。小鬼を一掃しないと」
「はい、分かっています」
地面に跪いた状態のラークに、黒燿の剣士が剣を振り上げる。
――間に合え……! 死ぬな、ラーク……!
エルスウェンは祈った。そして、それは届いた。
実際に届いたのは祈りではなく、ドゥエルメの大剣だったが。
「ラーク! 無事か!?」
たまらず、叫んだ。
すると、床に跪いていた彼は顔をこちらに向けた。あわや、という命の危機だったというのに、その顔は笑っていた。
おい、なんで笑ってるんだ、と思ったが――無事ならなんでもいい。エルスウェンは気持ちを引き締め直した。
黒燿の剣士の剣を、ドゥエルメはラークの頭上で受け止めていた。力で剣を押し返し、そのまま一騎打ちに入る。
女王守護隊の隊長であり、『慈悲の手』の隊長ドゥエルメの剣は、みるみるうちに黒燿の剣士を押し返していく。ジェイが十分に死体を回収できるだけのスペースを確保したとみると、ドゥエルメは手を緩めた。意図的に膠着状態を作り出す。
これは打ち合わせ通りのプランだった。パーティ壊滅という最悪のシナリオが展開されていた場合は、ドゥエルメが単騎で黒燿の剣士と戦い、足止めをする。その間にジェイが死体を集め、エルスウェンとキャリスのふたりで、帰還の巻物を使用して離脱する。
小鬼の群れという、予想外の状況ではあったが。やることがひとつ増えるだけだ。
小鬼たちは、ドゥエルメを攻撃するか、エルスウェンたちを攻撃するか、混乱しているようだった。知能は元々高くない。瘴気による凶暴化も、ほとんど見られないようだ。畳みかけるなら、今のうちだ。
キャリスが小鬼の群れに目がけて、攻撃魔法を詠唱する。
「行方知れぬ風よ。我が導きに従い、ここに集え! 悪しきものを滅する神罰の刃となれ!」
キャリスが詠唱を結ぶと、激しい風が小鬼の群れの中心に巻き起こった。それは二メートルほどの小型の竜巻に成長し、唸りを上げて小鬼を斬り刻んでいく。
魔力で空気を操り、小型の竜巻を作る空刃魔法だ。完成した竜巻は回転する刃と化し、さらに術者の意のままに動かすことが可能という、高等魔法である。
竜巻はキャリスの手に従って動き、散り散りに逃げようとする小鬼も追いかけて、次々に鏖殺していく。
小鬼の血で視界が煙る。が、即座に竜巻がそれを吹き散らしていく。
数秒と掛からず小鬼を全て始末した後、キャリスは竜巻を黒燿の剣士へと向けた。
「ドゥエルメさん! 下がって!」
キャリスの代わりに、エルスウェンが叫ぶ。ドゥエルメは魔法の気配を感じ取っていたのか、黒燿の剣士の斬撃をいなすと、後方へ跳躍する。
その一瞬の隙を突いて、キャリスの操る竜巻が黒燿の剣士に向かう。
が。接触しようとした直前でかき消えた。
魔力で構築され制御される竜巻では、すでに発動していようと魔法消去の対象になってしまうようだ。キャリスが失望の色を覗かせる。
「くっ……やはり、ダメですか」
その時には、エルスウェンたちはもうラークの元に辿り着いていた。ジェイも、ファルクやアガサ、ベルハルトの死体を一ヶ所にかき集め終えている。
エルスウェンは、その惨状に首を振った。やるせない思いが、腹の底から喉元までこみ上げてくる。心拍数が上がる。手のひらに、じっとりと嫌な汗が滲む。
利き腕を落とされ、心臓を貫かれて絶命しているファルク。
首を落とされて絶命しているアガサとベルハルト。ベルハルトに至っては、腹部にも大きな切創があり、内臓がこぼれている。彼の鎧は壊されているが、これがなければザングのように両断されていたかもしれない。途方もない剣技だった。
全員死んでいる。今、この場でできることはない。
切断された首や切創は、脱出後に繋ぐことになる。その上で、聖堂の蘇生の儀式が成功すれば、助かるはずだ。
胸を覆い尽くそうとする悲しみとは裏腹に、冷徹にエルスウェンは心を研ぎ澄ませた。そうでなくてはならない。
怒りや悲しみなどの感情が、魔法使いにとっていい方向に影響することはない。攻撃魔法の使い手であれば、感情の昂ぶりがさらなる攻撃力を生み出す可能性はある。が、回復、補助魔法を扱う魔法使いは、いかなる時も冷静でなければならない。集中の欠如は、魔法の失敗をもたらすからだ。
たとえ友人が、恩人が、仲間が目の前で死んだとしても。回復と補助を担う魔法使いは、常に心を動かさず、戦い続けなければならない――それは、母から何度も言われたことだった。
次に、ラークを見る。
「ラーク、無事?」
エルスウェンが訊くと、ラークは肩をすくめた。
「間一髪だったよ。計ったようなタイミングだった。遅くとも早くともダメだっただろうな。ありがとう、エルス、キャリス、ジェイ。ドゥエルメは……今は忙しいようだから、後でお礼を言っておこう」
「死にかけたっていうのに、ずいぶん余裕だね」
エルスウェンはたまらず、ラークに言った。不満だというわけではなかったが、思い切り心配したこちらの身になってほしい。
彼は苦笑しつつ、肩をすくめた。
「まさか。必死だったさ。必死すぎて、みんなが助けに来てくれたことも分からなかったよ」
言いながら、ラークは自分で立ち上がってみせた。そして、五メートルほどの距離で斬り合うドゥエルメと黒燿の剣士を見る。
ドゥエルメは一歩も退くことなく、真正面から黒燿の剣士と戦っている。傍目には、ほぼ互角だ。信じられないことだった。
だが、ドゥエルメも彼なりの決意でもって、この戦いに臨んでいる。繰り出される剣のひとつひとつに、彼の気持ちがこもっているのは見てとれた。伯仲して当然なのかもしれない。
すぐに似た感想を、ラークが呟いた。
「しかし、アレと互角に戦えるとは。大した戦士がいたものだね」
「いや、互角ではない。もって、あと一分だ」
カレンの身体を引きずってきたジェイが言う。
「ドゥエルメは並外れた集中力でなんとかしているだけだ。操られる死体である黒燿の剣士にはおそらく、疲労がない。いずれ、必ず押し切られる」




