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薄明の魔法使い #0 竜骸迷宮と黒燿の剣士  作者: 式見 汀花
Ⅱ 死闘、絶望

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第74話 底無しの絶望 #3

 そのときだった。帰還の巻物とは別の、なにか妙な魔力の流れを感じた。


 そう感じた次の瞬間、ラークは我が目を疑った。


 アガサのすぐ背後に、真っ黒な剣士が音もなく、立っていたのだ。


「なっ――」


 ベルハルト、ファルクが困惑の声を上げる。


 それよりも早く、ラークはいち早くアガサの腕を掴み、思い切り引っ張っていた。


 追いかけるようにして、黒い剣士の剣が閃いた。


 生温かいものが、ラークの顔にしぶいた。どっ、という、なにか重いものが石畳に落ちた音が響く。


 ラークが引き寄せたのは、アガサの身体だけだった。首から上がない。


 首があった場所は生々しい切断面になっていた。間を置いて、断面から鮮血が弱めの噴水のように噴き出る。それはラークの肩口を大きく濡らした。


 ――なんてやつだ。


 ラークはその剣技に舌を巻いた。これは評判以上だ。


 動体視力を含めた視力には自信があったが、近距離では剣がほとんど見えなかった。剣術を知らないものに回避は不可能だ。この剣士の刃圏に入れば、間違いなく殺されるだろう。


 抱えていたアガサの身体を、そっと横たえつつ、呆然とするカレンの腕を引いた。彼女は震えながら、ラークの方へほとんど倒れ込んでくる。


 それはギリギリで間に合っていた。黒い剣士――これこそが、間違いなく黒燿の剣士だ――の二の太刀は、浅くカレンのローブを掠めただけで空を切った。


 すぐにラークはもう三歩分、カレンを抱えて後ろへ跳ぶ。


「く――」


 ベルハルトが、ひゅうと息を吸い込んだ。


「くそったれがぁぁああ!」


 大剣を掲げ、叫びながら斬り込んでいく。


 ラークは驚嘆していた。


 いきなり現れ、いきなり命綱であるアガサの命を絶たれ――カレンのように戦意喪失しても仕方がないと思った。ラーク自身、もはや散開して逃げの一手しかないと思った。


 だが、ベルハルトは可能な限りの早さで回復してみせた。混乱していただろうが、それは見事な立て直しと攻撃に見えた。


 黒燿の剣士は造作も無く、それを受け止める。剣と剣の交わりに、火花が散った。


 しかしベルハルトの一撃は、まさに剥き出しの命をそのままぶつけるような、渾身の一撃だった。余裕で受けたはずの黒燿の剣士の剣を弾き飛ばし、立て続けに二度、三度とその甲冑へと斬り込む。


 肩口、胴、膝へと斬撃を叩き込まれ、黒燿の剣士が怯んだ。


「ふっ――!」


 ベルハルトは力を溜め、大剣を振りかぶった。狙いは首だ。跳ね飛ばす気だ。


 その剣は、あっさりと黒燿の剣士の首に食い込んだ。


 が、跳ね飛ばない。鎧と兜の隙間を見事に捕えているのに。人であれば生身の首を捕えているのに、ベルハルトの大剣ががっちりと止まった。


 黒燿の剣士が、ゆっくりにも見える動きで、身体を曲げる。


「くっ……!」


 ベルハルトが剣を戻そうとする。そこでラークは悟った。黒燿の剣士は、ベルハルトの剣で怯んだのではない。


 身を屈めて、反撃の一撃を加えるためだ。


 怯んだように見えたその動きの流れで、黒燿の剣士は身を屈め、ベルハルトの腹部を真一文字に、鎧ごと切り裂いた。一瞬遅れて鎧が壊れ、露出したインナーに血が滲む。切断面から腸が腹圧に押されて、こぼれ出てくる。


「がっ……ふっ……!」


 信じられない、という目で、ベルハルトは膝をついた。なにかを言おうとした口から、ばしゃ、と滝のような血反吐が溢れ出た。彼は必死に、剣を手放して腹からこぼれ出る臓物を抑えようとしていた。


 ひざまずいた彼は、ちょうど、死刑執行を待つ罪人のような姿勢だった。


 静かに歩み寄り剣を振り上げる黒燿の剣士は、死刑執行人にしか見えなかった。


 苦痛に喘ぐベルハルトに、音もなく、剣が振り下ろされた。


 刹那の後、石畳に頭が転がる。頭をなくした彼の身体は、血溜まりの中に水っぽい音と共に倒れた。頭をなくした身体が、びく、びくと痙攣している。


 ここまで、黒燿の剣士が現れて、十秒と経っていない。たったそれだけの時間で、パーティは半壊した。


 二歩、三歩とカレンを引きずり、後退りをしながら。ラークの背を、冷や汗が濡らしていた。どうやって……コイツを倒せばいいんだ? 手はあるのか? 未熟な剣士と、通用しない魔法使いと、弓矢が取り柄の半魔族で勝てるのか?


 いや――不可能だ。もうすべてが終わりなのだと、ラークは認めるほかなかった。リーダーであるベルハルトと、回復魔法を扱えるアガサが死んだのだから、もう、自分たちにできることは、なにもない。


「ファルク!」


 ラークは叫んだ。カレンを抱えたまま、弓に矢をつがえる。


「君は逃げろ! ぼくたちは終わりだ! エルスウェンたちにはこれは罠で、全滅したとだけ伝えろ! 救援ももう無理だ! 絶対に来るなと言え!」


「でも!」


 ファルクは剣を手に、震え上がっている。無理もない。が、誰かが報せなければ、異常を察したエルスウェンたちが救援に来てしまう。


 そうすれば、本当にすべてが終わる。冷静に考えてみろ――もしエルスウェンたちに加えて、ドゥエルメやアミディエルが殺されてしまえば国力の一時的な低下どころの騒ぎではない。


 それはこの黒燿の剣士を倒す術がなくなることを意味するのだ。こいつはあまりにも強すぎる。それでも倒せるかもしれないというエルスウェンたち実力者と、打倒のための頭脳がすべて死ねば、誰にも黒燿の剣士を止められなくなってしまう。


 ならば、すべての希望が断たれることだけは、なんとしても止めなければならない。たとえここで、自分が死ぬことになったとしても。死ぬのは自分たちだけに留めなければならない。


「いいから早く行け! もう無理なんだ!」


「でも、俺は……っ!」


 逡巡したファルクは、もっとも最悪なパニックを起こしたように見えた。


「く、くそっ……! くそぉぉぉぉおおお!」


 彼は咆えた。そして、黒燿の剣士へと斬りかかる。


 ――なんて、馬鹿なことを。勝てるわけがないのに。


 ラークはそう思った。しかし。黒燿の剣士と鍔迫り合いをしながら、ファルクが力の限りに叫んだ。


「ラークさんっ! 俺が引き受けますから! カレンさんを――お願いします!」


 ――ファルク。君ってヤツは……。


 ラークは内心で呟いた。彼が及んだのは、とんでもない愚行だ。だが、その心意気は汲んでやろうと思った。


 ファルクはどうしても逃げられなかった――ここで死んでも構わないという、彼の決意は本物だったのだ。ただ、それを見届けたラーク自身もここで死ぬだろうことだけが、惜しいなと思えた。馬鹿げているがその美しい決意をねぎらってやれないことだけが、残念だった。


 抱き留めていたカレンの身体を離し、ラークはせめてもの手助けをと、四本の矢を速射した。どんな生き物であろうと、四射で必ず殺せる。絶対的な自信以上の確信がある、生涯で唯一、極めたと言える技だ。


 甲冑の隙間を狙う。


 ファルクの剣を片手で受け止めた黒燿の剣士の肘、鼠蹊部、首へ二本。過たず命中するが、どれほどの影響も見られない。動きにわずかな淀みもない。


 攻撃する黒燿の剣士。必死でそれを避け、反撃を試みるファルク。


 それを見送りつつ、ラークも、これにはさすがに苦笑いするしかなかった。


 ――まぁ、こいつは生き物じゃないみたいだし……ノーカンだな。


 自分の技能に疑問を持ったまま逝くのは御免だった。都合よくそう結論づけて、懐から帰還の巻物を出す。これは自分の分の巻物だ。


 それを隣で立ち上がっていたカレンに押しつける。


 血の気が引き、震え上がり、青ざめている彼女へ言う。


「すぐに脱出するんだ。ぼくが今ファルクに言ったことを、エルスたちに伝えてくれ。君はできるね?」


 カレンは巻物を握り締めると、何度も頷いた。


 ラーク自身、自分にも馬鹿がうつったな、と呆れていた。最初は、危ないことが起きたらひとりでも逃げるつもりだったのに。


 だが。ファルクの決意を見せられて逃げるなんてことは、できそうになかった――ぼくは魔族なんかじゃない。この人たちの仲間なんだから。


 そして仲間であれば、こうするはずだ。それは頭ではなく、心で理解していた。


 呆気ない終わりだが、母も父も、きっと許してくれるだろう。そんな気はした。


「君の脱出する時間はぼくとファルクが稼ぐよ。さあ、早く――」


 言っている途中で、カレンの身体ががくっ、と小さく震えた。


 そのまま、ラークに向かって倒れてくる。それを受け止めた。彼女の背中には、小さな矢が生えていた。


 ――馬鹿な、どうして。


 その理由は、すぐに知れた。


 周囲、二十メートルほどの距離に、弓矢で武装した小鬼の群れが音もなく、いつの間にか現れていた。それが矢を射掛けてきたのだ。


 続いて、二、三本目が飛んでくる。ラークを狙ってきたそれを、宙で掴み止めて、射返した。二匹の小鬼がたおれる。


 左右を見回すと、小鬼の群れは、ぐるりとこちらを囲んでいると分かった。



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