第72話 底無しの絶望 #1
いささか長めの雑談を終えた後、ラークたちは行軍を再開し、道なりに進んで広場に到達していた。
「これはすごいな。ぽっかりと、綺麗に広場になっている」
ラークは感嘆しながら呟いた。
なにしろ、広場というには広すぎるほどだった。
魔法の照明の外は、無辺の闇でしかない。ラークの目にもそう見えている。つまり、向こう側が遠すぎて見えないのだ。
「王都の中央広場より広いんだ、第一階層のこの空間はな。玄室も十以上ある。そのそれぞれに、魔物が巣食ってるって考えておいた方がいい」
「ふうん」
頭の中に第一階層の地図を思い浮かべて、また闇の向こうを見回す。
ここに至る通路を抜けてきて真っ直ぐに、壁が聳えているのが分かった。それは天井まで届いていて、ぱっと見では壁にしか見えない。が、これが要するに玄室の一辺なのだろう。
よく見ると、他にも所々、闇のように見えて壁になっているところがある。頭の中の地図とも照らし合わせると、これらは全て、ベルハルトの言う玄室らしい。
迷宮の各階層はどれも、天井の高さが十メートル弱はある、という。かなり高くできているが、岩山の中身が丸ごと迷宮になっているとして、最終的に第何階層まであるのだろうか?
本当に第十階層が終点なんだろうか?
他にも疑問に思うこと、不思議に思うことはそれこそ山ほどあったが――
「さあ、行こう、ラーク。なにかいたら教えてくれよ」
「ああ、分かってる。出発だ」
ベルハルトに促されて、ラークは歩き出した。
ベルハルトたちにとっては第一階層は珍しくもなんともないのだろう。ただの通過点であり、現在ラークが思う疑問も、それこそ探索者になりたての頃にぶつかったきりで、すでに忘れているか、折り合いをつけているかのどちらかなのだろう。
「左手を壁にして、そのままずっと直進する。扉を三つ通過して、しばらく歩けば壁に行き当たる。その壁を左手に、また進む。今度は扉を四つ過ぎたら、通路の入口が左の壁に見える。いいか?」
「ああ、覚えているから、大丈夫だよ」
「扉は玄室の扉だ。大抵が、魔物の縄張りだからな。そろそろ、気を引き締めておいてくれよ」
親切にもベルハルトは、こうしてこまめにルートを教えてくれる。全て諳記してあるため必要はなかったが、親切心で教えてくれているのは分かるため、嬉しく思う。
左手側の壁からは二メートルほど離れて、ラークは半身を右側――広場になっている方へ向けて、注意を払っていた。魔物はなにもいない。最初に殺した小鬼二匹から、どんな魔物とも遭遇していなかった。
それを、ベルハルトを始め、ラーク以外の探索慣れしている仲間たちもおかしいと思い始めているようだった。
五十メートルほど進んで、左の壁にひとつ目の扉が見えた。そこで、ベルハルトが立ち止まる。ラークも、カレンたちも合わせて立ち止まった。
「さすがに妙だな? 魔物がいない。ラーク、どこにもいないんだよな?」
ラークは頷いた。広場のある右側を重点的に見ていたが、正面を注意していなかったわけはない。眼には、動くものひとつ映らなかった。
「ああ。やっぱりこれは、妙なんだね。ぼくら以外の物音ひとつしないし」
「なんか……気味が悪いわね……」
カレンが、落ち着きなく周りを見回している。
その隣りに立つアガサが、小さな声で言った。
「……黒燿の剣士に、怯えているのかもしれません……」
「なに? どうして?」
「知恵を持つ高位の魔物を、私たちは……魔族と呼んでいます。悪魔や、夢魔、淫魔などですが……。それらは下位の魔物たちからも、畏怖される存在であるはずです」
「ああ、そうだろうな。魔物も窮屈な階級社会らしいから」
若干茶化したように言うベルハルトに、アガサはくすりともせずに続けた。
「黒燿の剣士が……エルス君のお父さんであるかもしれない、という話はみなさんで伺いました……よね? 魔族に使役されているその下僕としての黒燿の剣士……これも下位の魔物にとっては畏怖の象徴でしょう……。だから……」
「うーん。言いたいことは分かる。分かるが……」
ベルハルトは懐疑的に返した。
「小鬼とか、犬鬼とか、それよりは馬鹿だが豚鬼とか。この辺の、知能が少しでもある魔物なら分かる。でも、迷宮虎とか、殺人兎とか、汚染犬とか……巨大蛙とか。その辺りの、動物的な魔物までいないのは、どうなってるんだ?」
「……動物的であるがゆえに、危険に敏感なのではないでしょうか……?」
「ああ、なるほど。そういう考え方もできるな。なら、魔物は全体、黒燿の剣士に怯えまくってるってわけかな」
ベルハルトは頷くと、歩みを再開させた。パーティ全体も、歩き始める。
ラークは右手の広場をより注意深く見ているが、なにもいない。
アガサの考えは、いい線いっているような気がする。
が、そこまで単純な話でもない――ような気がした。
ラークは警戒を強めつつ、引っかかる部分を洗い直した。
違和感があるのは、魔物が迷宮内に全くいないこと。
いや、全くではなかった。入口から真っ直ぐ進んだ丁字路の分岐点に、計ったように小鬼が二匹立っていた。それはラークが殺した。
――ちょっと待て。なんで、あんなところに小鬼がいたんだ……?
アガサの考えでは、魔族の使役する下僕を怖れて魔物たちが隠れた。動物的な魔物たちも、本能で怖れて表に出てこない。確かに、その可能性はあるはずだ。
小鬼というのは、魔物の中でも、もっともありふれたもののひとつだ。
身の丈は小人族ほど。暗緑色、または暗褐色の肌をしている。耳はやや尖り、大抵、頭髪の類は生えていない。瞳の色は赤く、いかにも魔物らしい不細工な顔――ぎょろりとした目に、乱杙歯が特徴だ。
こちらにはキイキイ鳴いているようにしか聞こえない言語を操り、徒党を組んで迷宮内に生息している。
知恵はそこそこあり、防具や武器を身につけることもしてみせる。が、いかんせん知能そのものが高くないため、どれも探索者たちの遺品などを使った、見よう見まねではある。ぶかぶかの兜を被っていたり、てんでちぐはぐな防具を身につけていたりする。
武器は剣や短剣を扱うこともある。が、剣は扱いが難しい。それを小鬼たちも分かっているのか、大抵は棍棒などを獲物に選んでいる。ときたま、弓矢を扱う小鬼もいる。非力を補うためか、矢じりに毒を塗って使用してくることがあるため、注意が必要である。
性格は様々だ。好戦的であったり、臆病であったりする。が、基本的に自身の命を優先する傾向が強い。いざとなれば、仲間も見捨てて逃走する。しかし性格は個体差が大きく、迷宮で遭遇した場合は、決して油断せずに取り組むこと。
――と、訓練所での講習時に目を通した魔物のマニュアルに書かれていたことを、ラークは正確に思い出していた。
なのに……なんであんなに分かりやすいところまで小鬼は出てきていたんだ? 入口から直進して最初の分岐点だぞ? 近くに玄室もないのに、なぜなんだ? ベルハルトは説明してくれたじゃないか。小鬼などの魔物は、玄室を根城として、その辺りを縄張りとして警戒しているはず――
マニュアルに書かれていたことが正しいのなら、小鬼たちは魔物の階級制とやらには敏感そうである。魔族が関わっているとなれば、どんなことでも言うことを聞くか、触らぬ神に祟りなし、とばかりに尻尾を巻いて逃げるか……そう思える。
そこまで考えてひとつの結論に到達し、ラークは立ち止まった。ベルハルトたちも、なにごとかとそっと立ち止まる。
「まずいことになってるね、たぶん」
「なに? なにがだ?」
「ぼくたちは、迷宮に結界を張ってフタをして……やれ討伐隊だなんて勇んで言っていたけど……その逆だったんだ」
「どういうこと?」
カレンも訊いてくる。ラークは首を振った。
「ドアベルみたいなものだったんだ、あの小鬼は」
「え? だから、どういうこと?」




