第64話 祈り #3
と、フラウムが、小走りにこちらへやってきた。ドゥエルメを押しのけて、隣に並んでくる。
「ね、アレ、ベルハルトたちだよね」
「うん。そうだね」
「……大丈夫かな。大丈夫だよね」
いつも底抜けに明るいはずのフラウムの声は沈み、どうしようもないほどの不安が滲んでいた。
それはそうだろう。探索には死の危険が付き物だとはいえ、これほどまで死が確実視される探索行など、ない。
自分が行くのであれば、考えることもあるだろうが。他人が向かうのを見送ることほど、歯痒いこともない。無事を祈るしかできることがないからだ。
やがて、馬車はこちらの手前までやってくると、停まった。そしてベルハルト、ファルク、アガサ、カレンが降りてくる。
「よう、諸君。壮観だな。出迎えご苦労。ドゥエルメの旦那までセットで迎えてくれるなんて、よくも雨が降らなかったもんだ」
一番に、ベルハルトが大きな声で言ってくる。ファルクは特になにも言わず、頭を下げただけだった。ふたりは装備、荷物を積んであるもう一台の馬車の方へ行くと、剣や鎧などを下ろし始める。
その間に、アガサとカレンのふたりが、こちらへやってきた。
「おはよう、エルス君。フラウムも」
「はい、おはようございます」
「けっ、もう昼なんだよ。年寄りは時間感覚が狂ってるなー」
わざとらしく憎まれ口を叩くフラウム。カレンは笑うと、それに乗った。
「言葉のアヤよ。一日の始まりの挨拶はおはようって決まってるでしょうが!」
「年寄りの自分ルールなんて知らねーよ!」
言い返すフラウムだが、あまり普段のキレがない。
カレンとフラウムはしばし見つめ合うと、どちらともなく抱きしめ合った。
「ちゃんと帰ってこいよ、ババア」
「もちろん。ケンカ相手がいなくなって寂しがるヤツがいるからね」
こうして見ていると、容姿の特徴が似ていてカレンの方が背が高いというのは、そのまま姉妹に思える。カレンはぽんぽんとフラウムの背中をあやすように撫でると、名残惜しそうに身体を離した。
エルスウェンは、アガサに話しかけた。
「アガサさん。ラークには、あなたを最優先で守るようにお願いしてあります」
「え……。あ……うん、ありがとう、ございます」
消え入るような、か細い声だった。アガサはカレンとは対照的に暗めの性格で、声も小さい。それでも魔法の使用時は、想像もできないほど通る声でもって詠唱をしてみせる。
アガサは、パーティの生命線だ。防御魔法に、回復、治療の魔法を使いこなせる。魔力の量も多い。その彼女が倒れてしまったら、すべてが終わってしまうのだ。
ラークは彼女に微笑みかけた。
「遠慮せず、頼みがあればなんでも言ってくれ。君はパーティの命綱……つまり、パーティがどんな苦境に陥っても最後まで逃げられないってことだからね」
ラークの言う通りだ。回復を担当する魔法使いは、たとえ他の三人が戦闘不能になっても、逆転の手を探し続けなければならない。最後まで諦めてはいけないのだ。もっとも非力なものが、もっとも過酷な役回りを担わねばならない。
この気弱そうなアガサが、どうしてその重圧に耐えつつ探索者を続けているのか、最初に会ったときは不思議に思った。が、何度か話している内に、彼女は魔法について独自の強いこだわりを持っていて、それを試すために探索者をやっていると教えてもらえたことがあった。あとは、カレンとは子供の頃からの付き合いがあり、彼女を守るためであるとも聞いている。
学者気質というか、そういうところがある彼女は、顔を合わせると、エルスウェンに古代の魔法について質問をしてくる。彼女との魔法議論は勉強になるし、有意義かつ、楽しい娯楽の時間でもあった。
そういうアガサなので、ひょっとするとカレンの言った魔法消去を無視する方法は、彼女が最初に気づいたのかもしれないな、とエルスウェンは見ていた。
「アガサさん」
なので、その傑出した智力を見込んで、ひとつ彼女にお願いをしておく。ドゥエルメも約束してくれたことだ。
「できれば、黒燿の剣士を観察して、その装備がどのようなものなのかを覚えておいてほしいんです。特徴のある装備品はないか、とか。剣はどんなものを使っていたか、とか。正体を探るための戦いをしてほしいんです」
振り返ってみると。悔しいことに、エルスウェンは黒燿の剣士をほとんど観察できていなかった。王都での遭遇時にも、あれだけ凝視したにも関わらず、その装備の詳細が記憶に残っていない。
迷宮内で、黒燿の剣士と一番長い時間を戦っていたジェイですら、その装備を記憶できていなかった。
もし、この探索を終え、アガサが五体無事に帰ってきてくれたら。そしてなにか情報を得られたなら。母からもらったアドバイスと、さっきドゥエルメと交わした言葉を踏まえたうえで、ひとつの結論に辿り着くことができるのではないか――と、エルスウェンは考えていた。
「はい……。分かりました。私も、最初からそのつもりです……」
アガサは静かに、頼もしい言葉を返してくれた。
そこで、全身鎧姿になったベルハルトと、ファルクがやってきた。
鎧は重たく、暑い。だいぶ残暑も和らぎ、秋の気配が近づいてきたとはいえ、ベルハルトはもう、額に汗を浮かべている。
「さぁて。準備はいいか? みんな、見送りありがとうな」
カレンが、ベルハルトから食料などの入った荷袋を受け取る。荷物持ちは男女関係なく、基本的には後衛の仕事だ。
「生きて戻れよ、ベルハルト。ちゃんと、使える情報を掴んでな」
マイルズは言うと、ベルハルトに握り拳を示した。
それにベルハルトも握り拳を作って、合わせる。
「おうよ。バッチリ、ちゃんと戻ってくるぜ。だから、ハナから葬式みたいな雰囲気で送り出してくれるなよな。どうせならロイド、楽器でも持ってきて弾いてくれればよかったのによ。ほら、あれだ、なんだっけ――マンドリル」
「マンドリンでしょ。でも、そうか。しまったなぁ。持ってきてるわけないし。代わりに歌でも歌おうか?」
「おい、やめてくれ。お前の歌を聞いたら、迷宮に入る前にダウンしちまうよ」
それに、全員で笑う。ロイドは小人族特有の見事な器用さで、巧みに様々な楽器を弾きこなしてみせるのだが、歌声は尋常でないオンチなのだ。
ひとしきり笑ってから、ベルハルトは岩山へ続く、なだらかな斜面へ向かって歩き始めた。挨拶はない。
その後をラーク、アガサ、カレンと続いていく。ラークはちらりとエルスウェンを見て、親指を立てて、それから行った。
そして、少し迷ってから足を進めようとしたファルクに、たまらずエルスウェンは声をかけた。
「ファルク!」
そして、駆け寄る。手を差し出した。
「……生きて帰ってね」
ファルクは、目を閉じ、深呼吸をしてから、力強く握手を返してくれた。
「ああ。必ず戻ってくる。ありがとう、エルス。みんな、行ってきます」
それに、全員で頷き返し、ファルクも頷く。
派手な見送りの言葉はない。ここは迷宮の外だが、みんなは心のどこかで、迷宮内でパーティ同士が出会ったときのジンクスを気にしているんだろう。
――これは死出の旅ではないのだから、再会を願って、パーティとの別れは簡潔に済ませるべし。
思えば、あのとき……ザングはジンクスを破った。
エルスウェンは声をかけてしまったが、ファルクは大丈夫だろうか。
所詮はジンクスだ、気にする必要はないんだ――
そう思って意識を振り払おうとしたとき、強い風が吹いた。髪を抑える。
地獄から響く、亡者の怨嗟の声を思わせる風が吹き止んでから、エルスウェンは顔を上げた。
ベルハルトたちは、すでに迷宮内へと消えていた。
ぽっかりと口を開けた、真っ暗な迷宮の入口を遠くから見据えて、エルスウェンは身震いした。
風の音が、亡者ではなく、ベルハルトたちの断末魔の叫びに思えて、エルスウェンはその想像を、必死に頭の中から追い出そうとしていた。




