第63話 祈り #2
「不安はあるんだ? すごく落ち着いているように見えるよ。まるで、歴戦の探索者みたいにね」
それとなく指摘すると、ラークは視線を戻して笑った。
「そう見えるのは、君たちの言葉で言うところの年の功ってやつだろうな。でも、不安はあるよ。ここまで平穏な人生を歩んできて……そして、力を捧げてあげたい、そう思える人との出会いがあって……その矢先に死ぬなんて、とんでもないだろう」
でも、とラークは言葉を続けた。
「なんと言えばいいかな……ここには入ったこともないのに、懐かしい感じがする」
「懐かしい?」
「ああ。ぼくの身体の中に流れている半分の血が、そう思わせるのかもしれないね。なにせここは、言うなればぼくの母の実家なわけだから」
「実家か……」
言われてみれば、そういうことだ。ラークはまだ笑顔のまま、頷く。
「ああ。できれば、挨拶には君を連れていきたかったけれどね。まぁ、母が住み処にしていた階層は、もっとずっと、上のほうだからな。いずれ君とそこへ行くことを、楽しみにしていよう」
「うん。僕らには、もっと先がある。だから、ラーク。生きて帰ってきてくれ」
エルスウェンは、ラークを見つめた。彼は力強く頷く。
「もちろんだ。だが、エルス。君も大概だよな」
「なにが?」
「初対面の頃から、よくも、こんな意味不明な生き物――半魔族であるぼくをここまで信じてくれるものだって言ったのさ。もしかして、迷宮内の瘴気とやらを吸ったりしたら、邪悪な魔族に目覚めてしまうかもしれないだろう?」
言われて、エルスウェンは初めてその可能性に気づいた。ラークの人となりを見てからというもの、そんなことを疑うなんて考えもしなかったのだ。
言われたこちらは、相当間抜けな顔をしていたのか。ラークはぷっと吹き出した。
「考えもしなかった、って顔だな」
「うん。考えもしなかったよ」
言って、エルスウェンは彼の心の中にあることに思い当たり、聞き返した。
「ラークは……考えたんだ? もしかして、って」
「……まあね」
そこで少し、彼は笑みを暗くした。
「考えないってことはないよ。実家に帰るのは初めてなんだからね。どういう出迎えが待っているやら。そして、ぼく自身、どうなるのか……」
「ラーク……」
飄々としてはいるが、彼も彼なりに色々考えているのだと、思い知った。
彼を眺めていると、こちらに目を合わせて、また涼しい笑みを浮かべる。
「なんか失礼なことを考えているだろう。ぼくだってね、色々考えているよ。長生きしているぶん、君たちよりよっぽどね」
「ごめん」
素直に謝ると、ラークは我慢しきれず、くつくつと笑い声を漏らした。
「本当に面白いな、エルスは。でも、ありがとう。そんなふうに、無垢に、無条件にぼくを信じてくれているのは……言葉にできないほど、嬉しいよ」
ラークは胸に手を当てて、頷いた。
「だから、大丈夫だと思う。『あっち』側には行かないだろうと思えるんだ」
「うん。ラークは、仲間だ。ラークのお母さんだって、魔族でありながら『こっち』に来た人なんだから。僕は、心配はしていないよ。ラークは、ラークだからね」
「ああ、ありがとう。……君にそう言われると、力が湧いてくる」
ラークは小さく、だがはっきり頷いた。それから、背後を振り返る。
遠く荒野を進んでくる、豆粒ほどの大きさの、二台の馬車が見えた。
王都グラレアと、この竜骸迷宮を繋ぐ街道――とはとても言えない、舗装も満足にされていない荒れ道――をやってくるあの馬車に乗っているのは、ベルハルトたちのパーティだろう。
「来たな。いよいよか」
ラークが小さく呟いた。エルスウェンも頷く。
詰め所の方からも、馬車の音を聞きつけてか次々に人が出てくる。
みんな積極的にエルスウェンの横に並んでくるわけではなかったが、ひとり、ゆっくりと近づいて来る人がいた。
ドゥエルメだ。彼は万が一の事態に備える救助パーティの大将を買って出てくれた。現在、兵士と探索者を含めたすべての戦士の頂点である彼が一緒に戦ってくれるというのは、これ以上ない心強さだ。
もちろん、エルスウェンも救助パーティに含まれている。今は、それが必要にならないことを祈るばかりなのだが、そうもいかないだろうというのが、現実だ。
ドゥエルメは、エルスウェンの隣りに立ち、一緒に荒野を眺める。
彼はこちらへは目を向けず、虚空に放つように、声を発した。
「……エルスウェン、君には……なんと声をかけていいものか考えていた」
普段からして寡黙なドゥエルメだ。それが卓越した武人たるイメージを加速させるのを手伝ってもいるが。立ち居振る舞いが朴訥なだけで、とても思慮深く優しい人である。
それに、エルスウェンは、笑って首を振る。
「いえ、あの……。僕も、ドゥエルメさんに話を伺おうと思っていたんですけど、ちょっと……聞きづらいところもあって」
というのはもちろん、黒燿の剣士の正体が、父の死体であるだろう――ということだ。ぼやかしてはいるが、ほぼ既定路線として、エルスウェンは考えている。自分では、すでに受け入れていることだ。
だが、生前の父を良く知るというドゥエルメに、作戦会議の前、あるいはその間に詳細を訊くということまでは、できていなかった。やはり、内心のどこかで、聞くことへの怖さがあるのかもしれない。
そのような、なんらかの感情の機微は――きっとドゥエルメにも当てはまることなのだろう。
そもそも、探索者となってから今までも、何度か機会があったにも関わらず、お互いに父の話をしたことがなかったのだから。
低い声で、ドゥエルメは言ってきた。
「……私には、あの剣士の正体は分からない。それが本音だ。ただ――剣技は間違いなく、我が友であり剣の師でもあり、そして君の父である……エストの剣、そのものだった。それだけは、間違えるわけがない」
「それは……」
エルスウェンは、初めて聞いて、驚いたことがあった。
「父が、ドゥエルメさんに剣を教えたんですか?」
「そのようなものだ。年齢では、私のほうが少しばかり上だったがね。彼が現れるまで、王都最強の剣士は私だった――だが、見事に叩きのめされたよ。そうして、彼のすべてを超越した、完全なる剣技を身につけようと、初めて人に頭を下げた。……懐かしいな」
それは彼にとって、屈辱の思い出などではないらしい。いつもほぼ無表情で、厳格な雰囲気を身に纏っているドゥエルメが、遠くを見ながら、くすぐったそうに笑っていた。
「エストは、とんでもない、と手と首を振っていたが。最終的には折れて、色々と教えてくれたものだ。……とは言っても、木剣を手に打ち合い、いつも私が叩きのめされる、そんな稽古だったが。一般的に師事した、というのとはちょっと違うのだろうがね、私は……エストを師と仰いでいるよ。私が強くなれたのは、彼のおかげだ」
「そうだったんですね」
エルスウェンは、静かに相槌を打った。彼と父の間には、並々ならぬ絆があったのだろう。それは、察せられた。
荒涼とした風が、感傷の冷ややかさで、より寂しく、冷たく感じられる。
「君の助けにはなれそうになく、申し訳なく思う。本当に、私にもよく分からんのだ。だが。あの剣士の正体が、エストの死体なのか――分からないが、それならば、もう一度戦いたい……そう思っている」
もう一度あの黒燿の剣士と刃を交えたい――ドゥエルメが救助パーティに参加すると言ったのは、まさにそのためだ。
彼は一度黒燿の剣士と戦い、瀕死にまで追い込まれたらしいが、その瞳には恐怖心は微塵も感じられない。ただ、闘志のみが燃えていた。
「……お願いします。あの、もし戦うことになったら……」
「うむ。その正体を探るための戦いとしよう。そんな余裕があるか分からんが……ともかく、なにか収穫を手にする……そんな戦いにできれば、と思っているよ。あの黒燿の剣士が君の父であろうと、なかろうと……倒さねばならないのだからな」
その通りであり、それで十分だ。エルスウェンは、ドゥエルメに頷き返した。




