第62話 祈り #1
酒場でのベルハルトたちとの会合の翌日。エルスウェンは竜骸迷宮入口前の、詰め所のそばに立っていた。
時刻は、正午よりも一時間は早い。天気はやや雲が目立つが、晴れている。ベルハルトのパーティは、まだ来ていなかった。
迷宮前には、エルスウェンだけでなく、ラティア、フラウム、ジェイ、ラーク、マイルズ、ロイド、キャリス、そしてアミディエル、ドゥエルメがいる。
朝から全員で詰め所に篭もり、ベルハルトたちの探索計画に不備はないか、詰め直していたところだった。万が一の救助のためのパーティも決める必要があった。
その作業も終わり、あとはベルハルトたちを待つだけである。
そして、エルスウェンだけはひとり詰め所から出て、岩山を見上げていた。
かつて世界を破滅に追いやった凶暴な竜の亡骸――それこそが、この岩山の正体だという。
だからこの岩山内部に広がる迷宮は竜骸迷宮と呼ばれているのだが、不思議なことに、この岩山そのものには名前がついていない。
ただ単に、岩山と呼ばれるのが一般的だった。
しかし、あだ名のようなものが、ないわけでもない。
この岩山は、不自然に綺麗な形をしている。卵を横たえてから半分ほどを地面に埋めたような、綺麗な半楕円球形なのだ。だから、『卵山』と呼ばれることがある。
近くからでは分かりにくいが、たとえば、王都そばの丘から眺めると、その形はよく分かる。
他には、屍竜の放つ瘴気が周囲を死の大地に変えた、という伝説の通り、この岩山の肌には一切の植物が生えていない。さらに岩山の半径数キロメートル以内には、石と砂利しかない。綺麗に円を描くように、緑がないのだ。
伝説では、大地を浄化することができたとあるが、まだ屍竜の怨念は根深いのだろうか。それは誰にも分からないが。
ゆえに『禿山』と呼ばれていたこともあるらしい。らしい、というのは、ある探索者が酒場でこの岩山をそのあだ名で呼んでいたときに、身体的特徴を揶揄されたと勘違いした別の探索者が大暴れし、それからあまり使われなくなったと聞いたからだ。実際、酔ったマイルズに教えてもらっただけで、そう呼ばれたところをほとんど聞いたことがない。
そんな、気にかけられているようで気にかけられていない、迷宮を抱くだけの、殺風景な岩山。
ただ、エルスウェンはこの岩山を外から眺めるのが好きだった。
時折、この岩山の周りには強い風が吹く。無骨な山肌をさらに削るような、不気味な唸り声のような音を立てながら吹く風だ。
エルスウェンは、それを待っていた。そして、目を閉じる。
――来る。
感じた瞬間、黒いローブを、すさまじい風がはためかせた。
山肌には、鳥も棲み着かない。突風が吹いても、聞こえてくる生命の気配は、なにもない。ただ、唸るような風の音だけ――
探索者たちは、この風を『死者の呼び声』とか『屍竜の雄叫び』と呼んで不吉がる。まして、好きこのんで浴びようとする輩は絶無だ。
それでも、エルスウェンはこの風が好きだった。
亡霊たちの怨嗟を感じさせるほどのこの冷たさ、酷薄さ、無情さが、迷宮へ潜る前の自分の心を、どこまでも研ぎ澄ませてくれる。
全ての命を突き放すような、冷たい風。
だからこそ信じられる――風を浴びるたび、そんな気持ちになれた。
「エルス」
風が止むと、名を呼ばれた。目を開けて、振り返る。
立っていたのは、ラークだった。戦闘用のインナーの上に、革鎧を身につけている。今朝一番で、ザングの息子の鍛冶師ガルドの店に行って調達したものだ。
ガルドは腕もよく、ラークの突然の訪問と要請にも完璧に応えてくれた。やってくれたことは主に防具のサイズ調整と、弓矢の準備だ。
身につけたばかりの防具姿を示して、彼は言った。
「どうだい? サマになっているかな。初めて身につけるんだよ、鎧なんて」
「うん。いいと思うよ。強そうだし」
「そうかい? ジェイには『馬子にも衣装』と言われたけど、それって褒めてるんだっけ? 違うよな?」
「ううん、褒めてる褒めてる」
エルスウェンは笑いながら頷いた。ラークは防具など身につけずにリラックスしている方が似合うが、迷宮内ではそうもいかない。だから、我慢して装備してもらうほかない。
あとは、もうひとつの彼の初体験だという、二十本の矢の詰まった矢筒がある。
エルスウェンはそれを示して、言った。
「矢は、それで足りる?」
「十分。本当は、四本だけで行きたいんだけどね。他所様のパーティの命が懸かっているとなれば、ぼく個人のジンクスにこだわってもいられない」
「ジンクス?」
「ああ。ジンクスなんだ。手持ちに四本、矢がある状態で射込めれば、確殺できる。でも、矢が三本とか、二本とかだと、失敗することがある。ほら、ジェイ相手にしくじったろう? あの時は、手持ちが三本だった」
「……ああ、そうだったね」
「そういうことさ。まぁ、四と死を掛けた、シャレみたいなものなんだけど」
それを聞いて、エルスウェンはなんだか胸がざわついた。
「破って大丈夫なの?」
「さあ。今までこんなにたくさんの矢を持ち歩いた例はないからな。一応、四の倍数にはしてみたんだけど、どうなるやら」
「そう……。例えば、他の人に矢を持ってもらって、ラークが持ち歩くのは四本だけにするとか、そういうのはどう?」
「ふふ、どうかな。矢は結構重いからな。それに、使いたいときに手元になかったら、というのも不安だ。なにしろ、ぼくも迷宮は初めてなんだからね」
ラークは言いながら、岩山を見上げる。
その顔には、微妙に喜びの色が見えるようでもあった。




