第58話 悲壮なる決意 #1
女王陛下から討伐令を課された謁見から五日が経った日の、正午。
酒場『サブリナの台所』の大テーブルには、謁見のあとの約束通りに、探索者パーティがついていた。ただし、その時よりもパーティは一組多い。
ロイドのパーティに、ラティアのパーティ。加えて、ベルハルトのパーティだ。
そして大テーブルを遠巻きに、取り巻くようにして何人かの探索者たちが眺めている。彼らの視線は、一様に不安げだ。
と、いうのも。進捗の報告を始めようとした矢先だった。本来ロイドのパーティの前衛であるファルクがベルハルトの隣に座り、聞き捨てならないことを言ったからだった。そのおかげで、全員が――特にマイルズだが――ぴりぴりと痺れるような空気を発散させている。
エルスウェンはただ黙って、場を眺めていた。
「もう一度言ってみな、ファルク」
低い声で、マイルズが言った。
「お前は、どうするって?」
その凄まじい圧に押されて、ファルクは身を縮めた。が、視線だけはしっかりとマイルズを見返して言う。
「俺は……ベルハルトさんのパーティに、ついて行きます。ひとまず、黒燿の剣士と戦って……通用するのか、試してみたいんです」
「馬鹿を言うんじゃねぇ! 通用なんかしねえってんだ!」
だん! とマイルズはテーブルに拳を打ち付けた。
そこまでは冷静な発言に努めていたマイルズだが、一気に火がついた。
「お前のそれは、勇気でもなんでもねえ! ただの手の込んだ自殺だ! 何度だって言うぞ。お前じゃ無理だ。死ぬだけだ。ベルハルトと組んでもだ。それはお前が弱いからじゃねえ。誰がやっても無理だから、お前でも無理なんだ」
「じゃあ、ここで指をくわえて見てろって言うんですか!?」
ファルクは、意外にも声を張り上げてマイルズに抗弁した。
「俺は弱いです。マイルズさんよりも、ジェイさんよりも、ベルハルトさんよりも。でも……だからってこんなところに置いて行かれたくない! 俺も、できないなりに役に立ちたいんです!」
「それが迷惑だってんだ!」
マイルズはさらに大声で言い返してから、一度大きく深呼吸をして、言い直した。
「いいか、ファルク。お前はまだ若い。置いて行かれるくらいでちょうどいい。はっきりと言うぞ。お前なんか前衛においたところで、肉の壁にもなりゃあしねえ」
本当にはっきりと言われて、ファルクは多少、ショックを受けたようだったが、マイルズは一切構わず、続けた。
「探索者にとってもっとも大事なことはなにか分かるか? 生きて帰ることだ。迷宮内の敵と戦って倒すなんてことじゃねえ。迷宮を踏破することが、俺たち本来の目的だ。魔物なんてそもそも戦う相手じゃねえ。俺たちに課せられた命題ってのは、迷宮の奥にあるらしい、とんでもねえ秘宝を見つけて無事に王宮へ持ち帰ることだ。……それくらいは、分かってるよな?」
「……はい」
ファルクは、しぶしぶ頷いた。
「生きてさえいりゃあ、それはお前になるかもしれないんだ。何年後か、何十年後か知らねえがな。お前が無理なら、お前のガキがそうなるかもしれねえ。いいか、別に逃げたって構わねえんだ。泥にまみれて、恥をおっかぶってもいい。俺たちは、まだお前がついてこられないからって、お前を侮ったりはしてねえさ。生きてさえいりゃあ、お前には、まだ先があるんだよ」
最後は、諭すような調子だった。エルスウェンにとっては、いつも自分が言われているようなことをファルクが言われているので、それを見るのは新鮮な気分ではあった。が、笑いごとではない。
しばらく黙ったファルクだったが、顔を上げて、首を振った。
「……マイルズさんの言うこと、分かります。でも……俺、ここで逃げたら――」
「誰も逃げるだなんて言っちゃいない」
「逃げたんです、俺は!」
突然、ファルクは感情を爆発させた。その大きな声に、さすがのマイルズも眉をひそめる。
ファルクは、破裂した風船のように一気にしぼんで、小さい声で続けた。
「俺は……足の怪我を理由に、探索から逃げたんです。前回の探索から」
と、ちらりと、ファルクはエルスウェンを見てきた。
前回の探索――黒燿の剣士と遭遇した探索のことだろう。そこにファルクはいなかった。
ファルクはその前の探索で受けた傷が癒えていなかったから、ロイドたちに帯同しなかった、という話だった。そしてそのファルクの代わりに、ロイドがジェイを勧誘した――そういう事情があったことを覚えている。
それについて迷宮内で聞かされたとき、エルスウェンは確かに、不思議に思ったことを思い出した。その時は、彼の傷自体は完全に治癒したはずだが、少々魔法の効きが甘かっただろうか、くらいにしか思っておらず、聞き流してしまった。回復魔法も、怪我の重さによっては後遺症のようなものを残すことがあるのだ。それは大抵、数日で自然になくなっていくものだが。
あのときのファルクの怪我は重かった。迷宮虎の牙は見事にファルクの腿を穿ち、指が二、三本入るほどの大穴を空けていた。
穴からは噴水のように血が迸り、もう少し遅れていればファルクの命は危なかった。それほどの深手だった。魔法で治しても、後遺症が残るほどには。
でも、そうではなかったのだ。
「エルスの魔法は、ちゃんと足を治してくれていた。痛みもなかった。でも……俺はあの迷宮虎に襲われて、初めて死を意識して……恐くなったんです。潜るのが」
またこちらを見たファルクに、エルスウェンは小さく頷き返した。
この酒場の中に、彼を責めるものはひとりとしていないだろう。探索者であれば、第一に魔物の攻撃に晒される前衛の受けるストレスの大きさについては、よく分かっているからだ。
探索者として第一歩を踏み出した前衛の戦士が、たった一度の探索で二度と迷宮に近づきたくなくなる、というのは、珍しい話ではなかった。
魔法の照明だけを頼りに、瘴気立ちこめる迷宮を歩く。進めば進むほど、その瘴気に身体を蝕まれ、呼吸が苦しくなり、疲労もどんどん重くなる。
それでも、奇襲を防ぐため、前衛はひたすらに気を張って先頭に立ち、暗黒の迷宮を往かねばならない。
自身とパーティの命を守るために、前衛は一秒も気が休まらない。休めるのは、安全を確保して結界を築いた上でキャンプを張ったときだけだ。
それを――たとえば第五階層まで平均的なペースで進むことを考えた場合、三日以上は続けなければならない。
それだけの時間を掛けて迷宮を進むのが、探索者だ。
しかし、それだけの時間を掛けて進んでいながら、一瞬の油断で、隣を任せる前衛の仲間が死ぬ。もしくは、自分が死ぬ。背後を突かれれば、後衛が死ぬ。
普通に考えれば、狂わない方がどうかしている――そんな領域なのだ、迷宮は。
エルスウェン自身、初めて竜骸迷宮へ足を踏み入れて探索をしたときは、途方もないストレスを受けた。魔力が無尽蔵にあっても、精神がすり減るのは止められない。
だからこそ、ラティアたちもエルスウェンの操る生命探知魔法に、全幅の信頼を置いてくれているのだ。
ファルクは、絞り出すような声で続けた。
「俺は逃げたんです。だから……。あそこに俺がいれば、ザングは生きて帰ってこられたのかもしれない。ザングが……ザングさんが死んだのは……俺の、俺のせいでもあるんです」
「んなことはねえ……んなことはねえよ。ファルク、お前のせいじゃねえ」
マイルズはゆっくりと首を振る。が、ファルクは受け入れられない。




