第92話 『いざ、ブラン城! 気まず過ぎる晩餐会』
日中、思う存分ロシアの二人と共に城内を散策した舞翔は、ほくほくと満足げに夕食の会場へと向かっていた。
「場所は三階だよね、秘密の階段で行こうよ!」
「いいですね、そうしましょうか」
「舞翔、足元気を付けてね」
散策で城の構造をだいたい把握した舞翔は、意気揚々と岩壁の中に造られた、細く陰気な階段を先頭になって登り始める。
ブラン城の目玉のひとつ、本棚で隠されていた階段である。
そこから三階にある、城の中で一番広い、元は音楽サロンと図書室だったらしい部屋へと入る。
そこでは既に夕食の支度が済んでおり、特別に置かれた大きなテーブルには、ルーマニア料理であろう様々なメニューが並んでいた。
そのテーブルを取り囲む背もたれの高いゴシック調の椅子が、不気味なドラキュラ城の雰囲気を醸し出している。
日中は気にならなかったが、夜になって城の中はぐっと暗くなった。シャンデリアや要所のライトはあるが、昔の再現なのか蝋燭型のライトになっていて、それだけではどうにも心もとない。
それもまた中世の城の追体験ということなのだろうが、舞翔は先程までの浮かれっぷりが急転直下、急に心細くなってしまった。
(思ってたのと違う、かも。夜ってこんなに怖いもの!?)
思わず隣のキリルに少しだけ近付いてしまった。
するとキリルが思った以上にビクリと反応し、それに舞翔もびっくりして肩を跳ね上げる。
見ればキリルは耳まで真っ赤で、舞翔はまたしても混乱してしまった。
(キリルも怖かったのかな? それとも私が何かした!?)
考えた末、舞翔はアレクセイの方に近寄ることにした。しかし一歩動いた瞬間、がしりと手を掴まれる。
誰かと思えばそれはキリルで、何やら焦ったような顔で舞翔を見つめていた。
「キリル?」
「あ、その。こっちに、座ろう」
そのまま手を引かれ、窓際の席にキリルとアレクセイに挟まれる形で舞翔は着席した。
そこへ残るアフリカチームとヨーロッパチームも舞翔たちが入って来たのとは、逆の扉から姿を現す。
ベンにサイモン、ペトラ、そしてその後ろから。
(ソゾンだ!)
思わず見つめてしまった舞翔だったが、目が合いそうになり慌てて視線を外した。
心臓が何故だか勝手にドキドキと音を立てている。
(うぅ、吸血鬼のお城で見る推し、格好良すぎる!)
横でキリルとソゾンの目が合い睨み合っているのには気付かずに、気を取り直して次に舞翔はサイモンへと視線を向ける。
サイモンはちょうど舞翔の目の前に着席した。心なしか、前に見た時よりも顔色は良いように見える。しばらくバトルが無かったからだろうか。
と、ふと視線を感じ目線を上げれば、ベンと目が合ってしまった。
げっと思わず顔を顰めてしまった舞翔とは真逆に、ベンはにっこりと爽やかな笑顔を浮かべてみせる。
それに気付いたアレクセイは意味深げに目を細め、キリルは明らかに警戒したようにベンを睨み付けた。
ソゾンは既に我関せずと言った風に素知らぬ顔でペトラと共に席に着き、そこでようやく主催者であろうスタッフがやって来て、食事会は始まった。
「説明だけして、スタッフさんは出て行っちゃうんだね」
「選手だけの様子が見たいのでしょうね。この食事会は世界中に配信されているようですし」
「食事の風景なんか見て、楽しいのかな?」
言いながら舞翔は取り分けた料理を口に運んだ。
「ん、美味しい!」
思わず声が出て、食卓中の視線を集めてしまい赤くなって俯く。
食べたのはロールキャベツの横にあった黄色いペースト状のものだ。
前世でブラン城を尋ねた時も一度食べたことがあるが、その時の物よりも美味しく感じられた。
前世では一人きりで食べたからだろうか。今は曲がりなりにも大勢で食卓を囲んで食べられることが何故だか少し嬉しい舞翔である。
空気はやや緊迫しているが。
「えっと、これはたしか」
「ママリーガだぜ、お嬢さん」
舞翔とは対角線上の席から声がかかり、見ればペトラが相も変わらず眠そうな目で舞翔を見ていた。
口元だけは笑顔を浮かべており、恐らくメディア用の姿なのだろうと舞翔は思わず渋い顔をする。
「そうですか、教えて頂いてどうも」
「なーんか棘があるんだよなぁ、な、ソゾン」
ペトラは隣に座っていたソゾンにわざとらしく声を掛けた。思わずドキっとしたのは舞翔で、ソゾンはと言えば全く無反応のまま黙々と食事を口に運んでいる。
ソゾンはとても姿勢が良い、食事の作法も丁寧で綺麗だ。
それは彼が孤児だったことを考えれば、恐らく自ら努力して身に着けた所作なのだろう。
しばらく見惚れていた舞翔だったが、キリルに「これも美味しいよ、舞翔」と声を掛けられハっとして照れながらソゾンから視線を外した。
「そう言えば、この城には伝説があるみたいだねぇ」
と、今まで黙って食事をしていたベンが急にフォークを行儀悪く振りながら言う。
皿の上も乱雑で、いかにも食い散らかしたように汚い。
目が合えばウインクをされたので、舞翔は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「吸血鬼伝説のことでしょうか?」
「そうそう、それ」
アレクセイの返事にベンはわざとらしく大仰な仕草で頷いた。
絶対全て分かっていて話題にしたに違いない。舞翔はじとりとベンを見やる。
けれどもそんな疑いの視線も意に介さず、ベンは続けた。
「吸血鬼と言えば、そこにいるソゾンくんの異名と同じだよなぁ?」
無作法にもフォークで指し示して来たベンに対し、ソゾンはしれっとしていた。
隣のペトラの方が顰め面で反応していて、面倒なことになりそうだと顔に書いてある。
舞翔は何をいまさらそんな話題を、と思わず眉を上げ下げして首を傾げてしまった。
キリルは警戒したようにベンを睨み付ける。
アレクセイだけは、何故だかベンの隣で黙々と食事をするサイモンを観察するように見つめていた。
「ソゾンくんは肌も白いしその血みたいな髪の色も、本物の吸血鬼みたいだねぇ」
ベンはうすら寒い笑顔を浮かべていた。
ソゾンの眉山がほんの僅かにぴくりと動いた気がしたが、すぐに無反応を決め込んで淡々と食事を続ける。
代わりのように、ペトラがベンを珍しく真面目な顔で睨み付けた。
けれど、ベンは少しも臆さない。
「さぁて。たったひとり女性の舞翔さんが、伝説の吸血鬼に襲われないといいけどねぇ」
「!?」
舞翔は食べようとしたロールキャベツを思わず皿に落としてしまった。
にっこりと自分を見ているベンに、目をまんまるくして視線を向ける。
よく見れば、ベン以外も全員舞翔に視線を向けていた。
そこで舞翔はようやく気が付く。
(スタッフさんも城の外の建物にいるから何かあったら呼びに来てねって言ってたよね)
つまり、この城で過ごす夜、女性は舞翔たった一人ということである。
(自意識過剰だとは思うけど、やっぱりちょっと怖いかも)
舞翔は愛想笑いを浮かべながら、こっそりと溜息を吐いた。
と、一人会話にも混じらず淡々と食事をしていた為か、まず初めに食べ終わったソゾンが空気も読まずに立ち上がる。
「下らんな、そんなちんちくりんを襲う吸血鬼などいない」
そして急にそれだけ言い捨てると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
舞翔はソゾンの捨て台詞に呆然とし、ペトラからはくっくと愉快そうな声が漏れる。
キリルは何やらぷるぷると震えており、アレクセイは何が楽しいのか目を細めてにこやかにしていた。
そしてベンは、「そうかねぇ?」と相変わらずお道化ている。
「そ、そうですよ。吸血鬼にだって選ぶ権利はありますし」
「舞翔、それ自分で言う?」
しどろもどろとりあえず発言した舞翔に、間髪入れずキリルが突っ込んだ。
そこからは特に雑談も無く食事が終わり、一人、また一人と部屋へと戻って行く。
結局口が小さい為か食べ終わるのが遅かった舞翔は、待ってくれていたキリルとアレクセイと一番最後に部屋を出て、寝室へと向かった。
舞翔の部屋はロシアチームと同じ四階の、屋上テラスがあるフロアである。
「何かあったらいつでも声を掛けてくださいね」
「絶対に何があっても鍵を開けちゃ駄目だからね、舞翔!」
「う、うん。ありがとう二人とも」
部屋の前で二人と別れ、入ってすぐに施錠した。
舞翔は改めて薄暗い部屋を見渡す。
壁が白いため少しはマシだが、それでも小さな窓しかない部屋にランプが二つ三つでは心もとない。
「まぁ、これも情緒かな。さて」
それから舞翔は着替えるどころか、何故だか腕まくりをすると外の様子を扉に耳をぴっとりとつけて伺い始めた。
(目指すはサイモンの部屋! 目標は、説得!)
そうなのである。
舞翔がここブラン城への宿泊を強く希望した理由、それは決してヲタク心だけでは無かったのだ。
このまたとない機会に何としてでもサイモンと接触し話し合いに持ち込む。
その為の、ブラン城宿泊だったのだ。
「人の気配なし。よし、行くぞ!」




