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第74話 「街角に舞い降りた天使!? 南国の自由な風」




 絵画の天使が出て来てしまったのではないか、と舞翔は思った。

 銀色の長い睫毛が瞳にかかる。細めてもなお大きな目、垂れた眉尻、きゅっと引き結ばれた小振りで整った唇。

 あれだけ隠し続けて来たのに、今目の前に居るキリルは一糸纏わぬ素顔で舞翔を真っ直ぐに見つめていた。


「キリ、ル?」

「やっぱり傷付いていたんでしょう? 監督と、ソゾンの言葉に」

「!」


 問われた言葉に舞翔は戦慄したように目を瞠ると、キリルの手を振り払おうと身を捩った。けれど力が強く、びくともしない。

 逃げられないまま苦し紛れに視線を外す。

 すると「舞翔」と名を呼ばれ、思わず体が強張った。


「知ってるよ、その呪い。オレもずっとかかってた。だけど舞翔、君がオレの呪いをといてくれたんだよ」


 ふいに舞翔をふわりと暖かさが包み込んだ。

 耳元で囁かれた声は心に流れ込む様に優しく穏やかで、舞翔の張り詰めていたものがほんの僅かだか弛緩する。


 キリルは舞翔を優しく抱きしめていた。

 それからまるで怯えた子供に言い聞かせるように背をさする。


「何も言わなくていい、だけどオレは、舞翔の味方だよ」


 舞翔の体が小さく震え出し、ぐしりと水っぽい音が隠した顔から聞こえて来た。

 キリルはわざと気付かないふりをして、黙って背を擦り続ける。


 オセアニア戦、舞翔が負けたのを見て、キリルは気付けばスタジアムの外で舞翔が来るのを待っていた。

 来ないならば良い、けれどもし彼女がまたこの街を走って逃げるのならば、今度こそは追い着こうと決めていた。


 キリルは覚えていた。エフォートに潜入した際、士騎が叫んでいた言葉を。


 あの言葉の真意などキリルには知るよしも無い。

 けれども舞翔もまた言葉のままに受け取るしかなかったのなら、その心労は大変なものだったろう。


 その上、ソゾンの言葉である。

 きっとあの拒絶の言葉に舞翔はひどく傷付いたに違いない。

 こちらも言葉通りに受け取ったならば、きっとそうだ。


 けれどもキリルには分かっていた、ソゾンの言葉に言葉通りの意味など無かったことは。


「ごめんね、舞翔」

「?」


 ぼそりと、舞翔が聞き取れないくらいに小さな声でキリルは言った。


 腕の中の舞翔は強くて優しくて、けれどもこんなにも脆いのだ。


 エフォートから逃げるように去った彼女の背を追いながら、キリルはその事に気が付いた。


 だから言えない。


 ソゾンがきっと、舞翔を守る為に突き放すようなことを言ったということを。


 それを彼女に伝える事は、せっかくエフォートと縁が切れそうな彼女に、再びエフォートとの縁を繋いでしまうことになりかねない。


 それが怖くて、ずっと黙っていた。

 いいや、きっとこの先も伝えることは無い。

 舞翔をエフォートに関わらせてはいけない。


(だから、ごめんね)

「あっれぇ? ミス舞翔! こんなところでどうしたの? 腹痛?」


 突如響いた陽気な声に、舞翔とキリルは二人同時に肩を跳ね上げた。


 キリルが視線を向けた先には、なんとモレアとオリバーが二人並んでこちらを見ているでは無いか!


 そして目が合った瞬間、モレアは無遠慮にもキリル達の下へと駆け寄って来た。


「落ち込んでるの? だーめだめ、ケセラセラだよ舞翔!」


 キリルは思わず大口を開けて呆気に取られてしまったが、直ぐに舞翔を隠すように抱え込んだ。


「オレが居るから大丈夫だから! 向こうへ行って!」


 キリルはモレアを威嚇するように睨み付ける。


「一人より二人、二人より三人いた方が心強いだろ?」


 しかし、モレアは本当によく分かっていない様子で首を傾げると、あっけらかんと言ってのけた。


「大丈夫! 勝負はまだまだこれからだよ、僕達に負けたからって諦めたら駄目さ!」

「なっ、何を言ってるんだ君は!!」


 キリルは思わずカっとなって怒鳴り声を上げてしまった。

 傷口に塩を塗り込むようなことを言って、いったいどういうつもりなのだろうと。


 腹が立つ、しかしやっぱりモレアは分かっていない様子で首を傾げている。


 その暖簾のれん腕押うでおしな様子に、キリルは思わずうっと言葉が詰まり、その横に居たオリバーの方に助けを求め視線を向けた。


「モレアの言う通りだ」


 しかしオリバーはキリルの視線の意味を分かっていながら、憮然ぶぜんと言ってのけた。


 調教師と言われている癖に、ひとつもモレアの手綱を握っていないではないか!


 そのままの気持ちと非難を込めてキリルがもう一度オリバーを睨み付けると、オリバーはふっと微笑み口を開いた。


「俺の第一優先はモレアだ。そして俺はこいつの自由を尊重している」


 良い笑顔で良いことを言っているが、状況的には最悪である。


 キリルは唖然とする。

 駄目だ、この場でこの無神経男モレアを、誰も全く止められない。


「舞翔! 僕のパワーは自然のパワー。好きな時に食べて好きな時に寝る、どんな時でも自由でいれば自然と元気が湧いてくる! それに明日は明日の風が吹くものさ、だから元気を出して欲しいな」

 

 モレアはいつの間にか舞翔のすぐ側に来てしゃがみ込み、舞翔を覗き込んでいた。


 キリルの腕の中で俯いていた舞翔だったが、急にモレアの顔が下から覗き込んできたので、びっくりして思わず顔を上げる。


 目の前で、モレアはまるで太陽を思わせるほどの満面の笑みを浮かべていた。


 直後立ち上がり「フッフー」などとステップを踏んで踊り出す。


 その余りに自由奔放じゆうほんぽうな様子に、舞翔は鼻水も引っ込んで、呆気に取られてモレアを見つめた。

 そしてしばらくその姿を見ていたら。


「っふふ」


 急に心が軽くなり、悩んでいたことがどうでも良くなってきてしまったのだ。


「舞翔?」


 キリルが戸惑ったように、抱き締めていた手を舞翔の肩に移す。

 舞翔の目の下は少し赤くなっていたけれど、目を細め笑っている姿は、心の底から笑っているようで、その表情にキリルはほっとする。


「ごめんねキリル」

「! オレは、何も」


 ふいに舞翔はキリルの手を片方取って、それを自分の両手で握り締めた。


「追いかけて来てくれて、一緒に居てくれてありがとう」


 少しだけ赤くなった顔のまま、舞翔は花が咲くように微笑む。


 その笑顔を間近に見てしまったキリルは、顔を耳まで赤くすると思わず顔を背けてしまった。


 握られた手が熱い。何だか胸がそわそわして、落ち着かない。

 いいや、気付けば痛いくらいにドキドキと鼓動が早くなっている。


「モレアもありがとう」

「お礼はいらないよ! 君とのバトルはとっても楽しかったしね」


 モレアとオリバーは、それだけ言うと「じゃあね」とさっさと去って行ってしまった。


 去り際まで自由だな、とキリルは少しだけ呆れ顔で後ろ姿を見送ったが、舞翔は何やらものが落ちたような顔で彼らの背を見つめていた。


「舞翔、もう大丈夫?」

「あ、あはは。心配かけちゃったよね。でも本当に大丈夫だよ」


 舞翔はモレア達から視線を外すと、くるりとキリルに向き合った。


 急に円らな茶色い瞳で見つめられ、キリルの心臓はそれだけでドクリと跳ね上がる。


 自分でも訳が分からなかった。初めての感情に、戸惑って目がぐるぐるしそうなのを必死で耐える。


「私ね、なんだか勝手にああでなきゃとか、こうしなきゃとか、いつのまにか自分で自分を不自由にしていたのかも」


 舞翔の視線はふいと自分のしゃがんだ足元を見る。その足で少しだけ地面を擦ると、舞翔はもう一度キリルをじっと見つめた。


「モレア、本当に自由だったよね。圧倒されちゃった。でも、きっと誰だって自由になろうと思えば自由になれるはずなんだよね」


 舞翔の瞳がきらりひらめく。

 煌々(こうこう)と輝きを増していくその瞳に、キリルは思わず目を奪われた。


 戻って行く、彼女の強さが、その強い光が。


 その姿に、キリルの胸は大きく打ち震えるように脈動した。


「私は、ソゾンを助けたい」


 舞翔の瞳には強い意志が宿っていた。


「本人には嫌われてるし、望まれてないかもしれない。だけど、私はやっぱりベルガが許せない。あいつの言いなりにはならないし、私は私のやり方でソゾンを自由にしてあげたい」


 清々(すがすが)しい程にハッキリと、真っ直ぐに、舞翔は言った。

 キリルは彼女がまた元通りに元気を取り戻したことが嬉しかった。


 けれども何故だか、同時にズキリと胸が痛む。


「舞翔は、どうしてソゾンのことでそんなに一生懸命なの?」


 聞かずにはいられなかった。


 キリルのことでだって一生懸命になってくれた彼女に、何を聞いているのだろうと思いながら。それでも聞かずにはいられなかった。


 愚かで馬鹿な奴だと自分でも思うのに。




ロシア編、佳境です。

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