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第68話 『あの時の借り、今返してもらってもいいかな?』




 舞翔はカランに支えられながら展望台«アウトルックタラップ»を降りた。

 そこでヨーロッパチームのベンチにソゾンがまだ残っていることを目視すると、考えるよりも先に足が動く。


「舞翔!?」


 後ろから動揺したカランの声が聞こえたが、舞翔の意識は完全にソゾンだけに集中していた。

 よろめきながらも駆け寄って、震える瞳をソゾンに向ける。


「ソゾン!」


 違和感を確認したい、その一心だった。 

 けれどもソゾンはやはりちらりとも視線をくれることはなく、無反応のまま舞翔に背を向ける。


「あ、ソゾン!」


 舞翔が手を伸ばしたのも虚しく、ソゾンはそのまま去って行ってしまった。

 誰もいなくなった空間に名残を惜しみながら、舞翔は少しだけ目を伏せて、伸ばしていた手を下げる。


(本当に、嫌われてるんだ)


 バトルの時に感じた殺気、それは今までのソゾンとは明確に違っていた。


 視線すら向けてもらえない事に胸が痛む。


 覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると――舞翔はそこまで考えてふるふると首を振る。


 今まで構ってくれていた事の方が特別で、ありがたいことだったのだ。

 この程度でファンとしての気持ちは変わらない。

 舞翔はまた何も考えず駆け寄ってしまったことを反省しつつ、気を取り直して顔を上げた。


「舞翔くん!」


 と、そこへ士騎が湖から救出されたエレキストを、自身の服が濡れる事も厭わず、その懐に大切そうに抱いて現れた。

 舞翔の表情が泣きそうな、それでいて歓喜にえるような表情に変わる。


「エレキスト!」


 気付けば士騎に飛びつくようにして、舞翔はエレキストを抱き締めていた。 

 水没だけではない、あれだけの連撃を受け続けたエレキストの機体はどこもかしこもボロボロに傷付いている。


 それでもまだ、無事でいてくれた。


「これなら、まだ直せる!」

「今回は、本当に二人ともよく頑張ったね」


 エレキストを本当に大切そうに抱きしめる舞翔に、士騎の眼差しは優しかった。

 けれどその瞳はすぐに悔しげに細められる。


「けれどまさかBDFでもまだ試作段階にある、完全耐水耐塵の新型を出して来るとは」

「! まさか、アイブリードが無事だったのは」


 舞翔の隣に居たカランは神妙な面持ちで士騎に問いかけた。


「称賛に値する完璧な耐水だったよ」


 それを聞いた舞翔は目を爛々と輝かせ、興奮した様子で武士を振り返った。

 武士もまた舞翔と同じ顔をしている。


 そんな二人を見て、士騎は少しだけ驚いた顔をした。


「すごかったねぇ!」「すっげーなぁ!」


 次の瞬間、二人の元気な声が同時に響く。

 舞翔は単純に、生で耐水耐塵のアイブリードが見れた事への興奮。

 武士は更なる強い相手への好奇心。


 そのまま本当に楽しそうに論議に入ったドローンバカ二人を、カランと士騎は何とも言えない表情で見つめてから、顔を見合わせた。


「どうやら思ったより心配はいらないみたいだね」

「これでこそ舞翔だな」


 始めに士騎が言って小さく息を吐き、次にカランが言いながら腕を組んで少し困ったように微笑む。


 今回のバトルは完敗に近かった。少しは落ち込んでいるかもと士騎は心配していたのだが、どうやら杞憂だったようである。


 控室へ向かって歩く間も、舞翔と武士、それにカランも加わって議論は白熱している。

 そんな賑やかな背中を見守りつつ、士騎は一人、その表情を曇らせた。


(舞翔くんは気付いていないが、今回あの子が見せたトライコプターへの転身、あれは正真正銘“神業”の域に達している。ソゾンとて、耐水性の違いが無ければ勝てていたかどうか)


 言葉には出さず、士騎は心の中で呟くと舞翔の背中をこっそりと盗み見る。


(けれどだからこそ、舞翔くんの強さは危険だ。現にベルガに目をつけられている)


 神妙な面持ちで士騎は舞翔の怪我を見やる。

 顔の痣、全身の切り傷擦り傷、捻挫した足。


(これ以上、この子を危険な目に合わせる訳にはいかない)


 士騎は何かを決意したように拳を握ると、前を歩く三人に「野暮用があるから先に行っていてくれ」と声を掛け、控室とは別の方向へと歩き出した。

 その背中を、舞翔は首を傾げて見送った。


「トイレでも我慢してたのかな?」




※・※・※・※




「ピロシキ美味しかったねぇ」

「俺はペー、ペリカン?」

「ペリメニ、だな」


 夜、せっかくだからとスタジアム近くのレストランで食事を済ませたBDFチームは、児童養護センターへ戻る前に街を散策していた。

 イルクーツクの街はバトルドローン世界大会へ訪れた観客で夜だというのに賑わっている。


「そういえば、監督またいなくなっちゃったね」

「ファントム社が完全防水防塵を先に完成させちゃったからなぁ、兄ちゃん焦ってるかも」


 食後、士騎は三人にしばらく街の観光でもしていてくれと言い残し、行き先も告げず出掛けてしまった。

 その時の様子を思い出し、舞翔と武士は少し渋面で顔を見合わせる。

 バトル後から、士騎の様子が何やらいつもと違っていたことに二人は気付いていたのだ。


(やっぱり、お腹が痛いとかそういうのじゃなさそう)


 舞翔は目を閉じ眉間に皺を寄せると、思わず唸る。

 ヨーロッパ戦は、ハッキリ言って殆どがシナリオ通りだった。

 ファントム社が耐水耐塵を先んじて完成させていたことも、BDFチームが完敗することも。ただ、ソゾンの強さだけは本編と比べても段違いだったけれど。


(だとしても、監督の様子だけがおかしい)


 何か思いつめたような表情で、自分達に隠して何かこそこそとやっているようなのだ。

 士騎は武士と違って割と腹黒いところがあるし、策士でもある。

 しかし根はお人好しで素直なのだろう、何か隠していることはバレバレである。


「! あれは」

「あ、おい、舞翔!」


 と、人が行き交う雑踏の中、舞翔の瞳は目敏く青く光る黒髪を見つけてしまった。

 反対側の歩道、その横道へと士騎が消える。

 それが本当に士騎だったのか、確かめるべく舞翔は咄嗟に走り出していた。

 丁度青になった信号を渡り、士騎が入って行った横道へと飛び込む。

 すると道の先に士騎の背中が見えた。


「!」


 しかし、舞翔の視界に飛び込んだのは士騎だけではなかった。

 彼の隣に立っていた人物。

 威圧感のある長身と長い手足。鉛色をしたサラサラのロングヘア。

 後ろ姿だけでも分かる。


「ベルガっ?」

「舞翔! 何をしているんだ、危ないだろう!?」


 背後から思い切り腕を引かれ舞翔は強制的に後ろを振り向かされた。

 そこには珍しく怒った顔で息を荒げているカランが立っている。

 どうやら必死で追いかけて来てくれたらしい。

 けれどもその所為で、舞翔は士騎達を見失ってしまった。


「いったいどうしたんだ?」


 カランの後ろから武士も息を切らせて追い着いてきた。

 それを見て、舞翔は口籠る。


 言っていいのか?


 士騎がベルガと一緒に居た、などと。

 舞翔とて一瞬しか、しかも後ろ姿しか見えていなかった。

 直感的にあれは士騎とベルガだと思ったが、顔を見ていない、即ち確証はない。


 それなのに自分達チームの監督に不審を抱くようなことを、伝えていいのだろうか?


 しかも武士にとって、士騎は大切な兄なのに。


「っ、監督が、見えたの。でも、見失っちゃった」


 咄嗟に舞翔はそう口走っていた。

 嘘は言っていない、けれども真実も、伝えていない。


「兄ちゃんが? 何しに行ったんだ?」

「! まぁ、大人には大人の事情があるんだろう」


 カランは何やら気を遣うように取り繕った。

 士騎がお酒でも飲みに行ったと思ったのだろうか?

 確かに思い詰めた様子だったし、自棄酒やけざけしに行ったと考えてもおかしくはない。舞翔もあの光景を見てさえいなければそう考えていたかもしれない。


 けれど、もう見てしまった。


(どうして、ベルガなんかと)


 士騎を信じている。

 けれども嫌な予感が胸にべったりと絡みついて、気持ちが悪い。


 確認したい。


 追いかけたい。


(だけど、二人を連れて行くわけにはいかない!)


 その時だった。


 舞翔の瞳に、特徴的な民族衣料が飛び込んでくる。

 毛皮のついた帽子に、立て襟の丈が長い上着を帯で巻いた服。

 一人は大柄で背が高く、一人は小柄で背が低い。


 舞翔の目がぎらりと光る。

 獲物を狩る獣の如く地を蹴ったかと思えば、二人の背後へと一瞬にして距離を詰めた。


「!?」


 ユルとガンゾリクは突如背後に現れた不穏な気配に肩を跳ね上がらせ振り返る。


「ユル! ガンゾリク!」


 振り返ったそこには、怖いくらいに満面の笑みを浮かべた舞翔が立っていた。

 そう、怖いくらいに、満面の。


「あの時の借り、今返してもらってもいいかな?」


 そして二人にしか聞こえないほどの小声で囁いた舞翔は、とても悪そうな笑顔を、浮かべていた。





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