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第59話 『キリルの決断!? ベルガの罠』




 早朝、一晩中ひとばんじゅう山の中を走り回っていたキリルは祈るような気持ちで舞翔の部屋の前に立っていた。


 無意識のうちに親指の爪を噛みそうになって、はっとして手を戻す。


 それから扉を押せば、何と開いた。


 そのことにまだ帰っていないのかも、当然だ自分が山へ置き去りにしたのだからと嫌な考えばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消える。


 それでも恐る恐る扉を開き、そっと足を踏み入れたそこに。


「! い、た」


 舞翔はベッドですやすやと寝ていた。


 それはもう気持ちよさそうに、布団もかぶらずぐっすりと。


 キリルはおずおずと舞翔に近付くと、片方履いたままの靴を脱がしてやり、掛け布団もかけてやった。いつもこの児童養護センターで幼い子達にしてあげているように。


 その時、舞翔の手当てされた足が目に入り、驚愕し目を瞠る。


「ケガ、して? 誰が手当を、まさか、ソゾン?」


 昨夜、舞翔を置き去りにした場所まで案内すると、ソゾンはそこから一人で駆けて行ってしまった。

 キリルもソゾンとは逆方向を必死に捜索して回った。


 それでも見つけることが出来ず頭を抱え込んだのだが、ソゾンもまた見当たらなくなったことに疑問を覚えた。


 暫く探しても見つけられず、まさかと思ってソゾンの部屋を尋ねれば何と不機嫌そうにソゾンが部屋から出て来たではないか!


 けれどもキリルが声を掛けるより先に無言で扉を閉められてしまい、仕方なく舞翔の部屋まで確認しに訪れたのである。


「とにかく、無事で良かった」


 キリルは胸を撫で下ろし、舞翔に背を向け部屋を出て行こうとした。


「キリル?」


 その背中に掛けられた声に、キリルの顔色がさっと青くなる。


 振り返るのが怖い。


 だからキリルはそのまま返事もせずに逃げ出そうと走り出す。


「待って、キリル! っつう!」


 けれども次の瞬間、舞翔がベッドから落ちた音と、苦痛に歪んだ声がして、キリルは反射的に振り返った。


 舞翔がベッドからずり落ちている。


 思った通りの光景に、急いで駆け寄って舞翔を抱き起こそうと手を伸ばした瞬間、キリルは舞翔に両腕で思い切りしがみ付かれてしまったのである。


「逃がさないよ、キリル!」




※・※・※・※




「お願い、教えて。どうしてあんなことをしたの?」


 がっしりと腕を掴まれたまま、舞翔に問い詰められたキリルはだらだらと冷や汗をかいていた。

 掌にまで汗が滲んで気持ちが悪い。

 それは彼女に詰問されているからだけが原因ではなかった。


 逃がさないためとはいえ、舞翔は床に倒れ込んだまま、半ばキリルに覆いかぶさるようにして掴みかかっている。


 その密着した状態に、キリルは焦っていたのである。


「に、逃げないから、離れて! ほし、い」

「え? あ、ご、ごめんっ」


 勇気を出してキリルが叫んだ途端、舞翔は今まで気付いていなかったのか、顔を真っ赤にして跳ねるように身を引いた。

 それからキリルは舞翔がベッドに座るのを優しい手付きで手伝ってから、自分は彼女の前に立つ。


「キリルも座っていいよ?」

「え、遠慮、します」

「? そう?」


 俯いたキリルの表情は(元々目元しか見えていなかったこともあり)分からなかったが、少なくとも怒ってはいないのが口調で分かる。


 舞翔は仕方なくそのまま話す事にした。


「あのね、正直とても怖かったの。これはとても酷いことだと思うの。でもそうと分かってあなたはこんなことをしたんだよね?」

「っ、そう、です」

「それは、どうして?」


 まるで子供に言い聞かせる様な穏やかな口調でありながら、絶対に逃がさないという強い意志を感じるハッキリとした話し方だった。


 キリルは寄る辺なさに自分の二の腕を片手で握り、舞翔からふいと顔を背ける。


 言える訳が無い、そうやって脅されている。


 これはあくまでキリルが自分からしでかしたことにしなくては、何をされるか分かったものではない。


「大丈夫、あなたが望むなら誰にも言わないし問題にもしない」


 けれどもそれを見透かしたように舞翔が言った。


 驚いて顔を上げれば、キリルの瞳に強く自分を見つめる舞翔の顔が映り込む。


 その眼差しは真っ直ぐにキリルを貫き、微塵も迷いは無いように思われた。


「だから、教えて」


 キリルの心が揺れる。


 言ってもいいのだろうか、この人に。


 言って楽になりたい、逃げて逃げて、それでも怯え縛られ続け、本当はもう疲れ果てていたから。


 それでもキリルは何も言えずに黙り込む。


 そう簡単に人を信じられるなら、今まで苦労などしていない。

 キリルの親指が口元に添えられる。


「オレが、君に勝つために、やった」


 キリルはどこか諦めたように呟いた。

 そう言うしかないのだ。

 誰に何と罵られようと、臆病者だと馬鹿にされようと。


「嘘だよね」


 けれども舞翔はそれを許してはくれなかった。

 キリルの眉間に皴が寄る。

 そうだ、昨日ペトラが居た時点でこんな嘘を吐きとおせる訳が無い。


「オレが自分からやったって、言ってるじゃないか!」


 それでもキリルはそう言うしか無くて、もどかしさと焦燥感から思わずそう叫んでいた。

 舞翔がびくりと怯えた表情をしたのが見える。


 その顔を見て、キリルもまた眉尻を下げた。


 直後。


「私を信じて、キリル!」


 舞翔の手が、力なく垂れ下げていたキリルの手を強く掴んだ。

 それからぎゅっと握られて、舞翔の瞳が食い入るようにキリルを見やる。

 キリルは思わず息を呑んだ。


 それからすぐに顔を逸らす。


「あなたの力になりたいんだよ、ねぇ、キリル!」


 握られた手は、馬鹿みたいに温かかった。

 自分を見つめる視線が痛い。

 それでもキリルはその瞳を見る事が出来なかった。


「キリル!」


 胸がじくじくする。


 訴えられても、この心は何も変わらないのに。


 踏み出す勇気何て無い、信じたいとも思わない。

 ただ逃げるだけ、どこまでも、世界の果てでも、逃げ続けるだけ。

 捕まったら、そこで終わりだから。


「っ、とにかく全てオレが自分の意志でやったことだ、あとは好きにすればいい!」

「っキリル!」


 舞翔の手を振り払い、キリルは駆け出した。

 バタリと扉を後ろ手に締め、舞翔が転落した音が聞こえないのを確認してから、逃げるように走り去る。


 握りしめられた手はまだ温かいのに、指先だけが、ひどく冷たい気がした。


 キリルはとても疲れていた。


 一晩中寝ていないし、山の中を駆けずり回ったのだから当然だろう。


 部屋に戻っても起床時間で起こされてしまう。

 だから今日は誰にも見つからない場所で少し寝ようと、そう思って宿舎の外に出た。

 ロシア代表に選ばれてから、多少の自由は許されていたからだ。


 けれどもそれが、間違いだった。


「キリル」


 宿舎を出たところで、ベルガは穏やかな微笑を称えて立っていた。


「っベル、ガ?」

「やあ、おはよう」


 キリルは全身を強張らせ、思わず一歩後退あとずさった。

 ベルガは変わらず、顔に笑顔を貼り付けたままだ。


「な、んでっ、あなたが、直接……っ」

「昨夜は人に任せた所為で、言伝ことづてが正しく伝わらなかったようなのでね」


 立ち止まったキリルに歩み寄りながら、ベルガは何かをキリルに差し出した。

 命令と言わず言伝と表現するあたりが姑息こそくである。


 そうと分かっていながら、キリルは差し出されたものを受け取るしかない。


 するとつんと独特な火薬の香りが漂って、キリルは動揺する。


「これは……っ?」

「なあに、ちょっとした餞別せんべつさ。是非とも空宮舞翔さんとの試合で使って欲しい。あぁ、ただ使い方を間違えると大変だからそれだけは気を付けるんだよ」

「は……?」

「一定以上の衝撃があるとバーストする可能性があるんだ。相手も自分も、タダでは済まないからね」

「なっ、そ、れは!」


 ベルガの顔を思わず仰ぎ見るが、寒気がするほど平静な顔だった。


 遠回しな言い方だが、何度もそれを聞かされてきたキリルには分かる。


 舞翔のエレキストを、これを使って破壊しろと、そう言っているのだ。

 けれどもいったいなぜ、この男は彼女に執拗にこだわるのか。


 喉元まで出かかっても、キリルはその言葉を吐き出すことは出来ない。


「そうそう、お前の母親だが、性懲りもなくまたエフォートへ来ていたよ」

「!」

「なあに、追い返しておいたよ。心配はいらない」


 ベルガは言って、キリルの肩に手を置くと颯爽と去っていった。

 キリルは直後ぶるぶると震えたかと思えば、ぎりりと強く親指の爪を噛み締める。


「やるしか、ない」


 渡された部品を握り締め、キリルは顔を上げた。


 陽は昇り東の空から朝日が差している。

 白々しく白日に晒された顔は、どこか思い詰めたように暗かった。






時間とお金が許すなら、世界中行ってみたいところがたくさんあります。


ホビーアニメの世界って、日本語が共通言語だから最高だよなっていつも思いながら見ていました…笑



25/1/18 キリルの一人称表記、訂正しました

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