第57話 『救出! ヒーローは誰だ?』
『舞翔、起きなさい! もう朝よ、まったくあんたって子は――』
舞翔はハっとして、跳ね上がる様に飛び起きた。
直後ごつごつとした地面の感触と、ざわめく木々の音で、そこが山中であることを思い出し、恐怖に目を閉じる。
「お母さんっ」
どうやら気を失っていたらしい。
けれども先程まで前世に持っていかれていた意識が、いつも自分を起こす母の声で、いっきに“現在”に引き戻された感覚があった。
まだ手は震えているし、恐怖は消えていない。
それでも舞翔は恐る恐る目を開けて、状況を整理しようと思考を動かし始めた。
「私は、空宮舞翔。今はバトルドローンの世界大会でロシアに居る。よし」
縄で腕を縛られているため難儀しながらも、身を捩ったり揺すったりしながら、舞翔は立ち上がった。
「闇雲に動いても迷うだけだよね」
しかし縄を何とかして解き、身の安全だけでも確保したい。
可能であれば方角を割り出して養護センターに戻りたいが、パニックになっていた所為で方向感覚がまるで分からない。
「っふぅ」
心臓は未だ動悸がするし、冷や汗で掌はびっちょりだし、ともすれば恐怖に足が竦んでしまいそうだ。
けれども今の舞翔には、帰りを待っていてくれる人が居る。
「お父さん、お母さん、カラン、武士、監督」
呪文のように繰り返す。
帰らなければ、絶対に。諦めてたまるものか。
「戻ったら覚えてなさいよ、キリル」
そんな強がりで自分を奮い立たせて、舞翔は辺りを見渡した。
固い木の表面を利用すれば、縄が切れるかもしれない。
早速試してみるが、先に木の表皮が剝がれてしまう。だが、少しだけ縄に傷が付いたのも確かだ。
舞翔は何度も何度も場所を移しては縄を擦る。
そうして遂に縄が切れた、直後。
「!?」
遠吠えだ。
野生動物の遠吠え、同時にがさがさと舞翔の居る場所に近付いてくる音が聞こえ、舞翔の顔からさっと血の気が引いた。
「うそ、うそっ」
狼だろうか。
ここはロシアだ、日本とは違うけれど熊もいるのだろうか。
どちらにせよ野生動物に出くわして、無事で居られる訳が無い。
舞翔の中で恐怖が瞬く間に増幅し、気付けば弾かれたように走り出していた。
(怖いっ、怖い! 嫌だ、助けて!)
ぎりぎりのところで保っていた理性を完全に失し、舞翔は再びパニックに陥っていた。
振り返ることも無くただ必死で、山の中の悪路を駆ける。
それが、大きな間違いだった。
「!?」
足がずるりと滑り、次の瞬間木々を折り、葉を揺さぶりながら、けたたましい音を立て舞翔の体は転落する。
滑落だ。
数メートル、谷のようになっていた斜面を転がり落ち、体を打ち付けた衝撃が走る。
水面から顔を出すように、一瞬止まっていた息を吐き出した瞬間、ズキリと足に激しい痛みが走った。
「っ嘘、でしょ」
ズキズキと痛む足。
それ以外にも、意識してしまえば全身の擦り傷や打ち身が痛み出す。
最悪だった。
頭を打って血が流れていない分、前世よりもマシだったが、舞翔は今世でも最悪な状況で滑落事故を起こしてしまったのだ。
目の前に広がる暗闇、木々の不気味なざわめき、遠く響く遠吠え。
恐怖と痛みで舞翔は全身が竦み、動けない。
(嫌だっ、怖い、痛い、苦しい、誰か、誰か助けて!)
――私はまだ、死にたくない!
そうだ、死にたくない。
父も母も亡くし、叔母に世話になりながらも、心はいつも寄る辺なく、孤独だった。
心の支えと言えば、バトルドローンと、推しのソゾンだけ。
だからあの時、舞翔は諦めてしまった。
木々の合間から見える星空、そこで瞬く輝きに手を伸ばしながら。
――あぁ、遠い。
前世でのソゾンは、まるで星のように天高く、手の届かない孤高の光だった。
絶対に掴めないそれに手を伸ばしながら、舞翔は死んだ。
けれど。
けれど!
「た、すけて」
舞翔は目を開ける。
バトルドローンが好きだ。父と母が好き。カランが、武士が、士騎が好きだ。
そして変わらず、今でもずっと――ソゾンが、好きだ。
「たすけ、て!」
――死んでたまるか!
力の限り叫んだ。
届け、届けと願いを込めて。
風が吹き、微かに聞こえる。
木々のさざめきでも、犬の遠吠えでも無い。
「舞翔――!」
確かに自分の名を呼ぶ声が、聞こえる。
「お、お願い、助けて! ここ、私は、ここにいるよ!」
だから舞翔は今までで一番大きな声で叫んだ。
咳き込んで、その反動で体が痛んでも、それでも叫んだ。
「――助けて、ソゾン!」
それが誰だかも、分からなかったのに。
気付けばその名を呼んでいた。
それは祈りだったのかもしれない。
何故なら前世でも、そして今でも、舞翔にとってのヒーローは、ずっと――
「舞翔!」
その少し高いよく通る声は、星降るように降って来た。
同時に枝葉を割り斜面を滑り落ちる音が響いて、舞翔の目の前に誰かが現れる。
「舞翔!」
暗闇にもはっきりと浮かぶ、ラズベリーレッドの髪、シアン色の瞳。
舞翔の瞳が瞬く。
その人は険しい表情で、目を見開き、眉間に皴を寄せ、もう一度舞翔の名を呼んだ。
舞翔は口を開く、けれども言葉が出なかった。
(ソゾン、が、いる)
今目の前に広がる光景が、まるで夢でも見ているようで。
チカチカと視界で光が弾け、時が止まったような感覚だった。
けれども次の瞬間、舞翔の体はぐんと力強く抱き上げられる。
星明りを背にしたソゾンの息は上がっていて、よく見れば服も顔も泥だらけで、表情にも余裕が無くて。
それを見れば舞翔にだって、彼が必死で探してくれたのだと、分かった。
「探しに、来てくれた……の?」
震える声で、舞翔の唇から零れ落ちた言葉。
シアン色の瞳がその声に応えるように舞翔を映し出す。
舞翔の栗色の瞳は揺れていた。
けれどもソゾンは無言のまま、舞翔をしっかりと抱き直し、歩き出す。
(どうしよう、どうしよう! こんなの、私)
舞翔は強く目を瞑ると、高鳴りだした鼓動を抑えるように、手で胸元を強く掴んだ。
心臓が痛い、胸が苦しい、気を抜けば涙が溢れ出しそうで、必死で耐えた。
手の届かない、孤高の光――だった。
だった、のに。
ソゾンは一言もしゃべることは無く、けれども舞翔を抱き締める腕は温かくて、とても優しかった。
だから舞翔は今だけはと、その温もりにそっと頬を寄せる。
触れた耳から、ソゾンの少し早い鼓動が聞こえる。
その音を聞いていたら、舞翔を支配していた恐怖も孤独も、まるで溶かされるように無くなってしまった。
(なんでだろう、なんだか、落ち着く)
そうして気が付けば、舞翔はソゾンに抱き上げられたまま、宿舎へと帰り着いていた。
ピンチに現れるのはヒーロー!




