第48話 『ユルとの約束』
「!?」
「っつぅ」
辺りに響くほどの音がして、直後舞翔の体が地面に投げ出された。
ユルの手加減無しでくり出された拳が、舞翔の米神をちょうど打ったのだ。
それを見た途端に周囲を囲んでいた男達は震え上がって、まるで蜘蛛の子を散らすように「やべぇ!」「俺達は関係ないぞ!」と逃げて行ってしまった。
「お、まえはっ」
ユルの眉は先程までとは真逆で情けなくハの字を描く。
打ち所が悪かったのか、舞翔は倒れ込んだままくらくらと目が回り、すぐに立ち上がることが出来なかった。
それでも何とかユルを見やれば、泣きそうな顔が視界に入り、無理矢理にへらりと笑ってみせる。
「だ、じょうぶ」
では無かった。
どうにも意識が混濁し、それを言うだけで精いっぱいで、後はもう、何が起こったのか、自分がどうなっているのかもよく分からない。
けれどぼんやりとした意識の中で誰かが体を抱え上げたのが分かった。
次に何処かに寝かされて、誰かが自分を呼び掛けているような声がする。
すると少しずつだが意識が輪郭を帯びて来て、数分後、舞翔は自分が港のベンチで誰かの膝を枕に寝かされているのだと気が付いた。
「あ、私」
「舞翔さん! 良かっただぁ」
膝枕をしてくれていたのは、どうやらガンゾリクだったらしい。
手を伸ばせば届くほど近いところで、ガンゾリクの顔が心配そうに舞翔の顔を覗き込んでいた。
「! ご、ごめんなさい、すぐどくから」
「あぁ、無理をしたらだめだぁよ!」
慌てて立ち上がろうとした舞翔だったが、ふたたび頭がくらりとして、倒れそうになったのをガンゾリクに支えられる。
「うちのユルが本当に悪いことをしただぁ。本当に、本当に申し訳ない」
それから優しくベンチに座らされたかと思えば、目の前でガンゾリクがユルの頭を手で無理矢理に下げさせながら、自分自身も深く深く、頭を下げた。
「や、やめて下さい! 私が勝手に馬鹿なことをしただけで」
「いんや! 狙ってやったことではないにしても、貴方を殴ってしまった事は絶対に許されないことだぁ」
ガンゾリクはとても低い声で今までになく真剣に言った。
舞翔は戸惑いながらユルをちらりと見やる。
その姿は気の毒なほどに委縮してしまっていた。
「――でも、一般の人を殴らなくて良かった」
舞翔が零した言葉に、ユルが弾かれたように顔を上げる。
「世界大会、まだ諦めた訳じゃないんでしょう?」
舞翔は微笑む。
それはまるで、花が綻ぶような優しい笑みだった。
ユルは小さな目をこれでもかというほど見開いて、眉間にもギュッと力を入れる。
への字にきつく閉じられていた口は、気付けば何かを云わんと開かれていた。
「本当に、すまない!」
叫び、直後膝を突いたかと思えば、ユルは地面にめり込むのではないかという勢いで頭を打ち付ける。
いわゆる土下座である。
「っ!? や、やめ」
「いんや、これでも足りないくらいだぁよ!」
慌てて止めようとした舞翔だったが、それをガンゾリクに止められてしまう。
ユルは険しい顔をして、強く瞑った瞳からぼろぼろと大粒の涙を流している。
「う、うーん。そうだ!」
こういうところはまだ幼いなと思いつつ、舞翔は居た堪れなくなって、ユルに向かって小指を差し出した。
「泣くくらいなら、もう絶対に怒っても手は出さないって約束して!」
それからふんと鼻を鳴らしてみせた舞翔に、ユルとガンゾリクは口をぽかんと開ける。
しばらくして、急にガンゾリクが大きな声を上げて笑い出した。
その姿を恨めしそうに睨みつつ、頬を赤く染めたユルは、おずおずと自分の小指を差し出して、舞翔の小指にそっと絡めた。
「約束、する」
「うん。よろしい」
舞翔が歯を見せて笑えば、そこでようやくユルは気が抜けたように、ふっと口角を上げた。
その後二人からホテルまで送るとの申し出があったが、舞翔は一人で寄りたいところがあるからと丁重にお断りした。
寄りたいところというのは真っ赤な嘘だが、一人になりたいのは本当だった。
「舞翔さん、体調に異変があったら遠慮なく言ってほしいだぁ」
「うん、ちゃんと言うよ。大丈夫だから心配しないで」
「んでもなぁ」
「空宮、さん」
別れ際、ガンゾリクにしつこく体調を心配されていると、ユルに突然ぐいと手を引かれた。
驚いて見れば、とても真剣な瞳で舞翔を見つめている。
「アナタは優しい人だ。もしアナタが困った時、必ず助けに行く。おいらは恩は必ず返す」
ユルのその言葉に舞翔だけでなく、ガンゾリクも驚いたように目を瞬かせた。
舞翔は少しだけ擽ったそうに笑って、それを受け入れ、二人と別れた。
「はぁ」
ようやく一人になったところで、舞翔は思わずため息を吐いていた。
勿論ユルやガンゾリクに対してでは無い。
一人になった途端、また色々な事が頭の中でぐるぐると駆け巡って、気が重くなってしまったのだ。
海を眺める。
いつもなら心地よいはずの潮騒が、今はどうしようもなく、舞翔の中の不安を掻き立てる。
「優しい人、なんかじゃない」
唇から零れ落ちた言葉は、誰に拾われる事も無く霧散した。
(武士だったら、きっともっと上手くやれていた)
今回のことも、ましてや、ソゾンのことだって。
けれどその武士に怪我をさせたのは誰でも無い自分自身で、一目で良いからソゾンが見たいなどという邪な気持ちが、大元の引き金だ。
(私じゃ嫌われてばっかりで、全然うまくいかないや)
本当は今のように落ち込む資格だって、舞翔には無い。
そんなことは、痛いほど分かっている。
そこまで考えて、舞翔は大きく息を吸い込むと、思いっきり顔を叩いた。
パンッと乾いた音が響いて、舞翔は前を向く。
「くよくよ終わり! よし、帰ろう!」
とにかく頑張るしかない、やれることは全てやるしかない。
舞翔は気を取り直すと、しっかりとした足取りでホテルへと歩き出した。
その途中で、やけに賑わっている野良バトルフィールドを発見し覗いてみれば、そこには既にその場の全員と友達になっている武士が、楽しそうにバトルドローン談議を繰り広げていた。




