第4話 『慌てるバトラーは当然木から落ちる』
「よぉ、空宮! おはよう!」
木曜日、玄関を開けたそこに立っていた人物に、舞翔は思わずパタリと扉を閉めた。
「お母さん、今日具合悪いからちょっとお休みとか……?」
しかし舞翔の主張は受け入れられず、呆気なく三都子によって家の外へと放り出された。
武士に満面の笑みで見つめられ、舞翔は胃をきりきりさせながら、仕方なく歩き出す。
「なぁ空宮! あのドローンってさ!」
「ごめんね、今日ちょっと先を急いでるから」
こうなれば無視するしかない。
舞翔はその日、徹底的に武士を避け、無視し、逃げ続けた。
しかし図書室に隠れれば図書室に、女子の輪に潜めば女子の輪に、武士はどこに逃げてもお構いなしに突っ込んで来た。何としてでも舞翔から“エレキスト”について聞き出そうという気概である。
「わぁん! 絵美、なんとかしてよぉ!」
「アンタ何したの? ストーカーよりヤバイじゃん、武士」
放課後、舞翔は帰りの会が終わったと同時に女子トイレに逃げ込んだ。
「浦風くんどうなってる!?」
「女子トイレの前で待ち構えてるわよ?」
「いやぁ! 出れないじゃん!」
舞翔は頭を抱えた。
このままでは絶対に武士に拉致られる。
武士の爛々と輝く瞳を見たら、それくらいやりかねない勢いである。
「絵美、私のランドセルあんたに任せても良い!?」
「え、いいけど……あんたはどうするの?」
舞翔は顔を上げると、ごくりと一度つばを飲み込んでから、覚悟を決めてじっとトイレの窓を見つめる。
「舞翔? あんたまさか!?」
舞翔は窓を開けた。
ここは三階である。しかしこの女子トイレの窓の外には、大きなクスノキが一本、校舎に沿うように植えられている。
舞翔は窓枠に足を掛け、あろうことかそのクスノキに向かって足を踏み出した。
「ちょっ、やめなさいよ舞翔!」
「止めないで絵美! これは私のプライドを守る闘いなのよ!」
プレッシャーに手が震えそうになるのを堪え、慎重に幹に向かって枝を伝う。
あと少しで幹に辿り着く、と思ったその時。
舞翔は微かにプロペラ音が響いた気がして、顔を上げた。
「え?」
目の前に、黒の機体に桃色の模様が描かれたドローンが現れる。
「……っ“スプリングス”!?」
突然の登場に動揺しつつも、舞翔の瞳が一瞬にして煌めいた。
アニメで何度も見た“スプリングス”が目の前にある喜びに、思わず一緒にエレキストを飛ばしたい衝動に駆られる。でも本編をぶち壊す訳には……! というか、そもそもエレキストは封印中である。
思わず葛藤したせいで、舞翔はバランスを崩し枝から足を踏み外してしまった。
「舞翔!?」
絵美の悲鳴が頭上から響く中、舞翔の体は枝を折りながら地面へと落下していく。
舞翔は咄嗟に衝撃を覚悟し目をぎゅっと瞑ったが、おかしなことに、代わりに背中と足に柔らかな感触が触れた。
嫌な予感がして、舞翔は恐る恐る目を開く。
「これはこれは、とんだお転婆娘だな」
目の前には、意志の強い金色の瞳、マルベリー色の尻尾のような長い髪。
「カランっ、さん!?」
「カランでいいぞ、舞翔」
分かってはいた。 “スプリングス”はカランのドローンなのだから。
けれども落ちたところを抱きとめられることまではさすがに予想していなかった。
最悪の事態に舞翔は頭が真っ白になる。
(武士どころか、やっぱりカランまで来ちゃったじゃん!)
混乱し、池の鯉のように口をパクパクさせる舞翔に対し、カランは丁寧に舞翔を地面に降ろすと「ケガは無いようだな、よかった」と紳士的に微笑んだ。
「きゃぁ! カラン・シンよ! かっこいい!」
「あ、カランじゃんか! 俺もすぐ行くから待っててくれー!」
三階の窓から絵美らしい黄色い声と、どこから顔を出しているのやら、武士の声が聞こえたが、舞翔はそれどころではない。
しかしお礼も言わずにここを逃げ出すのはいかがなものか、と舞翔は眉間をぐりぐりと押した。悩む、悩むがそれでもお礼は言わなければ。
「ありがとう、助かりました」
「礼には及ばないさ。この後君が、俺達に付き合ってくれるなら」
舞翔はぎょっとしてカランを見た。
カランはいかにも人が悪そうに口角をニヤリと上げている。
やられた、そう思っても後の祭りである。
見ればカランの背後から、武士まで「おーい」と駆け寄ってきているでは無いか。
「えぇっとぉ……」
舞翔は焦る。このままでは武士もここに到着してしまう。
そうなれば二対一だ。強制的に連れて行かれる予感しかしない。
だが瞬間、舞翔に名案が閃く。迷っている暇はない。
「あーーーーー!! こんなところにカラン・シンがいるーーーーーー!!」
「!?」
有りっ丈の大声で、叫んだ。
今は放課後、皆が帰っている時間。
そしてここは校舎の横、昇降口のすぐ近くである。
案の定声を聞きつけた生徒たち、特に女子達がものすごい勢いで集まり始めた。
「なっ、君たち、すまないがどいてくれないか!?」
「本物だぁ! かっこいい~!」
「本当に王子様みたい~!」
あっという間にカランは女子たちに取り囲まれた。
その隙に舞翔は人ごみをこっそりと抜け出し、最後にカランをチラリと見やれば、見開かれた金色の瞳と思い切り目が合った。あれは絶対に諦めていない目である。
舞翔は一目散に逃げ出した。
さすがの武士もカランを助ける方に回ったようで、追っては来ないようだ。
こうして舞翔は無事、絵美からランドセルを受け取って、家へと辿り着くことが出来たのだった。
そして迎えた、金曜日。
昨日の失敗をバネに、朝から準備万端の舞翔は、勝手口からこっそりと家を出た。
通学路を歩く舞翔の額からは、夏とはいえ尋常でない量の汗が流れ落ちていく。
途中、絵美がぎょっとした顔で恐る恐る舞翔に近付いて来た。
「舞翔? なんでそんなクソ暑そうなパーカー着てるの?」
「変装だよ! フードで顔隠してズボンも大き目の履いたんだよ!」
「一発でバレると思うけどなぁ。あんたって本当、ドローン以外のことは抜けてるよねぇ」
絵美の言葉は、舞翔には届いていなかった。
パーカーの下で汗が滝のように流れ、意識が朦朧とし始める。
砂漠に遭難した気分になりながら、なんとか下駄箱まで辿り着いた、直後。
舞翔はついに、がくりと倒れ込んだ。
「だ、だめ。み、み、水ぅ」
「ちょっと舞翔!? 大丈夫!?」
絵美の慌てた声を聞きながら、舞翔の意識は消失した。
※・※・※・※
保健室に担ぎ込まれた舞翔は、熱中症で早退する事となり、三都子が迎えに来るまで保健室のベッドで休む事になった。
「げっ! 窓の外にカランいるんですけど!?」
舞翔は慌ててカーテンを閉め、溜息をひとつ。
「お母さん、早く迎えに来てくれないかな」
短期間に二度も熱中症で倒れたので怒られるのは確実だが、それでも武士とカランから逃げ切れるのならその方が良い。
今は朝の会中だから大丈夫だが、休み時間になれば教室にいない舞翔を探して、武士は保健室へ来てしまうだろう。
校庭をうろついているカランまで合流されたら最悪である。
そろりとカーテンの外を見れば、この暑い中、カランは校庭から校舎の中を凝視しているようだ。
「うそでしょ? あれで見つけるつもりなの?」
一瞬カランと目があった気がして、慌ててカーテンを戻したその時だった。
「よぉ、空宮!」
声と同時にベッドのカーテンが開け放たれ、舞翔の心臓は跳ね上がった。
振り返ったそこに、なんと武士が立っている。
「うっ、浦風くん!?」
もう朝の会が始まっているはずなのに、何故保健室に、と舞翔の顔が引きつる。
同時にハっとカランの金色の瞳が浮かび、慌てて窓の外を窺う。
そんな舞翔をよそに、浦風武士は愛機の“ゲイラード”を掲げてみせると、渾身の笑顔を浮かべる。
「っっだ、だめっ!」
舞翔が慌ててそれを阻止しようと試みたのも、虚しく。
「なぁ、バトルしようぜ!」
武士の決め台詞は、元気よく保健室に響き渡った。
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※2025/5/6 改稿




