第34話 『非常階段、カランとソゾン』
「どうしたらいいの? ソゾンっ」
扉が開け放たれたままの、非常階段。
カランは身を隠しながら踊り場を覗き込み、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
カランに背を向ける形で、舞翔は下りの階段にしゃがみ込んでいる。
そしてそのすぐ後ろには、なんとソゾンが立っていたのだ。
舞翔はどうやら、ソゾンの存在には気付いていないようだ。だというのに彼女の口から出た彼の名前に、カランは眉間に皺を寄せる。
ソゾンはソゾンで、その表情は微かに強張っているように見える。
まるでその事に、不快を示しているかのように。
「おい」
「っ!? え、ソゾン!?」
舞翔が振り返る。
その視界に入ることを恐れ、カランは咄嗟に入り口から身を引っ込めていた。
いつものカランならば迷うことなくソゾンと舞翔の間に割って入ったに違いない。
けれど。
(もしかしたら、舞翔の隠している何かが分かるかもしれない)
盗み聞きなど本来のカランならば絶対にやらない、倫理にもとる行為である。
それでも倫理を超える何かが、カランの足を引き留めた。
「な、なんでソゾンが?」
舞翔の息を呑む音の直後、ソゾンの乾いた嘲笑が響く。
「マメが潰れるほど練習しても、使いこなせないのか? ゲイラードを」
「!」
ソゾンが発したその言葉に、カランは唖然として舞翔の手元に視線を投げた。
確かにその手はマメが潰れて血が滲んでいる。
カランは全く気付かなかったのに、ソゾンはそれを一瞬で見抜いてしまった。
「“エレキストを壊されゲイラードを代わりに使用するらしい”、皆が噂しているぞ」
「……その通りだよ」
「ふん、油断した貴様が悪い。この世界はお前達日本人が思っているほど甘くはない。どんな手を使おうと、勝利こそ全てだ」
「っそんなこと」
舞翔はソゾンを睨もうとして、途中でやめたようだった。
俯き、押し黙ってしまった舞翔を、ソゾンはひどく冷たい目で見下ろしている。
冷淡で、冷酷な、ただ舞翔を責めるだけの言葉しかこの男は発していない。
なぜ舞翔はこんな男の名を呼んだのか?
カランは考えるほどに苛立って、頭の中が沸騰してしまいそうだった。
「ううん、そうだね。私だって勝つために心理戦くらいするもの。それにエレキストが壊されたのは守れなかった私の落ち度。証拠も無いのに彼等を非難するつもりはないよ」
心なしか弱々しい舞翔の声に、カランは拳を強く握り締める。
今すぐに飛び出して行って、ソゾンを殴り付けてやりたかった。
彼女は被害者だ、それなのに何故あのような叱責を受けなければならない?
怒るでもなく淡々と語る舞翔が、余計にカランの胸を締め付ける。
「分かってるから、今は放っておいてくれないかな?」
カランはそう言って、ソゾンに背を向けた舞翔にどこかほっとしつつも、湧き上がった違和感に顔を顰める。
彼女は初め、ソゾンに助けを求めるように呟いていた。
それなのに今は、その真逆で距離を置こうとしているように見える。
その違和感にソゾンも気付いているのだろうか、それとも初めから分かっていたのか。
さしたる動揺もせず、けれども視線に微かな熱を帯びさせたソゾンは、一歩たりとも動く事無く、憮然とした様子で口を開いた。
「前回は自分から負けておいて、今更何を悩む必要がある?」
カランは耳を疑った。
何を言っているんだ、この男は。
鼓動が早まる。
カランは舞翔の否定の言葉を待つように、耳を澄ませた。
「それは…!」
けれども聞こえて来たのは、明らかに動揺で震えた舞翔の声だった。
「それは今、関係ないでしょう!?」
「何故だ? 今回も負ければいいだろう。簡単なことだ、棄権すればいい」
「!? ひどいっ」
舞翔の顔が強張る。
「なにが酷い? わざと負けることと、棄権と、何が違う?」
「っ!」
揺るがないソゾンに、舞翔がたじろいだような息遣いが聞こえた。
舞翔は明らかに気が動転している。追い詰められていたところに、更なる叱責を受ければ、誰だってそうなるだろう。
助けに行かなければ。
けれどもカランの足は動かない。
(あぁ、そうか)
舞翔は一言も、ソゾンの言葉を否定していない。
それはつまり、わざと負けたことが真実だということだ。
どんな理由や事情があったのかは分からない、知りようがない。
けれど舞翔にずっと抱えていた違和感が、“自ら負けてしまった”ことなのだとしたら、妙に納得がいくのである。
そしてだとしたら。
(だとしたら、俺は)
カランは拳を握り締める。
「違うっ、違う。私はっ! 私はその方が良かったから、そうすべきだったからっ」
「お前はバトルを愚弄した、お前自身が、一番それを分かっているのではないのか?」
「!!」
二人の口論も佳境に入っているようだった。
ソゾンの言葉に、舞翔がまるで押し負けたように黙り込む。
けれども舞翔はソゾンを再び睨み付けると、まるで咆えるように口を開いた。
「私は間違ってなんかない! 貴方に分かるもんかっつ!」
それはカランも見たことが無い、舞翔の剥き出しの感情だった。
怒りで熱を帯びた舞翔の瞳が、ソゾンを捉える。
その射るような視線を浴びた瞬間、ソゾンの口角が上がったのを、カランは見逃さなかった。
瞳孔の収縮した瞳で、興奮をかみ殺したような獰猛な笑みを、ソゾンは浮かべる。
「ならば勝って証明してみせろ」
それはまるで、舞翔が逆上するのを待っていたかのようだった。
一連の光景に呆然としてしまったカランだったが、ソゾンが踵を返したことでハっとする。
気付いた時には既に、ソゾンは非常階段からカランの待つ通路へと出て来ていた。
そしてカランの目の前で堂々と立ち止まると、涼しい顔でカランを見やる。
その少しも動揺していない様子を見るに、恐らくソゾンはカランの存在に気付いていたのだろう。
いいや。
それどころか、むしろカランを意図してこの場に誘い、わざと会話を聞かせたのではあるまいか?
いいや、そうだ。
カランはそう悟った瞬間、どうしようもない敗北感に全身が打ち震えた。
全てはこの男の謀だった。
そしてそれは、恐らく悩んでいた舞翔のために!
「言われなくても、絶対に勝つ。だってそれが、私の責任なんだもの」
舞翔の張りつめた呟きが聞こえて来た。
直後カランとソゾンの凍てつく視線が絡み合う。
「精々お姫様を守ってやるんだな、ナイト気取りの王子様」
「あぁ、舞翔は俺が守る。だからそちらはご退場願おうか? 悪役の吸血鬼殿」
最後に一度ソゾンを睨み付け、カランは急いで舞翔の下へと向かった。
ソゾンはそのまま歩き去ろうとしたのだが、不意に正面からやって来た人物に少しだけ驚き、目を瞠る。
「貴様は」
「しー」
その人物は少しだけお茶目に、唇の前で人差し指を立ててみせた。
書いていた楽しくて仕方がないシーンです。




