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第31話 『ソゾンの真意、混乱と絶望の狭間!』




 ソゾンに連れて来られたのは室内階段の踊り場だった。


 ほとんどの客がエレベーターを使用する高層階だからか、人気の無いそこは、夜ということもあってか不気味なほどに静まり返っていた。


 舞翔は、立ち止まったものの振り返りもしないソゾンに、怪訝な表情を浮かべ様子を伺っている。

 気まずいことこの上ない。


 そもそも彼とはあの港での口論以来会っていない。


 つまり最後が最悪な別れ方をしている。


 更に舞翔は個人的に彼の試合を観に行ったりもしたが、本人に直接会うことは敢えて避けていた。


 それは気まずさもあったかもしれないし、これ以上近付くべきではないと、無意識のうちに線を引いていたところもあるのだろう。


 だというのに飛んで火にいる夏の虫、とは少し違うが、あちらから来てしまうのは想定外のそのまた向こう側である。


「あ、あの、何か用、だった?」


 これ以上の沈黙は耐えられないと、舞翔はついに自分から声をかけた。


 しかし返事はない。


 “しーん”とでも効果音が聞こえてきそうな程に無反応である。


「――」

「え?」


 けれどもしばらくして、ぼそりとソゾンは何かつぶやいた。


 それは全く聞き取れないほどに小さな声で、舞翔は思わずソゾンの前方へと回り込み、よく聞こうと顔を覗き込む。


 その行動に驚愕きょうがくでもしたのか、ソゾンの鋭い目が思い切り見開かれ、今度は舞翔が心臓が止まるかと思うくらいに驚きおののいた。


「な、何?」


 驚かれたことに驚く、というまさに何をやっているのかという間抜けな状況である。


「……人のバトルを呑気のんきに観戦とは、随分ずいぶんと余裕だな?」


 先に気を取り直したのはソゾンだった。

 ハッキリと聞こえる声でそう言うと、平静を取り戻したようで、ぎろりといつもの調子で舞翔を睨み付ける。


「あ、あれは」


 舞翔はしどろもどろと口籠ると、耳まで真っ赤にして俯いてしまった。


 まさか、やっぱり目が合っていたのか!?


 そうとしか考えられないソゾンの台詞に、舞翔は明らかに動揺していた。


 そんな舞翔をソゾンは冷たく見やる。


 やがて舞翔はぱっと顔を上げ、ソゾンをじっと見つめた。

 つぶらな瞳の中には、ソゾンの姿が映っている。


――舞翔が、自分を見ている。


 直後、ソゾンの心臓が意志に反してどくりと高鳴った。


「私、あなたが憧れなんだ。恥ずかしいけど、ファンだったの」


 けれども次の瞬間、ソゾンの鼓動は急転直下で奈落へと突き落とされる。

 照れたように微笑みながら、どこか遠くを見るような舞翔の瞳。


「あなたのバトルを見てると、昔から不思議と元気が出るの、だから」


 自分を羨望せんぼうしているという眼差しは輝いて見えるのに、遥か遠くを見ているような視線で、舞翔は語る。

 線を引かれたのだと、その時ソゾンは本能的に理解した。


 彼女は自分を見ていない。

 彼女が見ているのは自分では無い。


 そう気付いてしまったら、彼女の言葉を聞くほどに、ソゾンの腹の底にドロドロとしたおりが溜まっていく。


(なんだ、これは)


 それは自分を通して違うものを見ている、彼女への苛立ちなのか?


 心臓がうずき出し、やがてズキリと痛む。


 答えはどうであれ、これは不快でしかない感情だ。

 ソゾンの瞳から光が消える。


 けれども舞翔はそんなことに気付きもせずに、話を続けた。


「あなたから見たら、私なんてきっと相当ふざけた存在なんだろうね」


 伏せた瞳に、睫毛まつげがかかる。

 舞翔の小さな唇が紡ぐ言葉を、ソゾンは聞きたくもないのに聞いてしまう。


 これは自分の意志ではない、命令に従っているだけ、時間を稼がなければいけない、そうでなければこんな女と会話などしてたまるものか。


 そう言い聞かせながらも、視線を舞翔から離せない。


「こんな奴が世界大会に出るなんて、本当……場違いも良いところだよ」


 舞翔は力なく笑う。それは紛れも無く自嘲だ。

 情けの無い、下らない論調。不必要な自己卑下。

 本当はそんなこと、ひとつも思っていないだろうに。


 その苦笑も、穏やかな口調も、こちらをなだめる様な声色も。


 何もかもがソゾンを遠ざけるための壁のようで。


(面白く、ない)


 それは突然だった。ソゾンの手が乱暴に舞翔の手首を掴む。


 それに驚きすぎて言葉を失った舞翔は、目を真ん丸くしてソゾンを見やった。


 吊り上がった鋭い瞳の中心。

 ビー玉のように透き通った瞳の中に、舞翔の手が映っているのが見える。


 ソゾン自身、自分の行動の意味が分かっていなかった。

 けれども気付けば、引き留めるように彼女の手首を掴み、その瞬間にその手が傷だらけであることに気付いてしまった。


 以前に見た時よりもずっと増えたマメ、傷跡――。


貴様きさまの努力は、無かったことにはならない」

「へ?」


 ソゾンは呟いていた。

 彼女は間違いなく強者きょうしゃで、その手は雄弁ゆうべんに彼女の努力を物語っている。


 だからこそ、ソゾンは彼女の事が理解できない。


 “わざと負ける”ことの意味も、その癖、誰よりも苦しんでいる理由も。


 何も、分からない。


 不意に視界の端で誰かが手を振った。

 通路の奥、金髪碧眼きんぱつへきがんがへらりと笑って通路の奥へと消えていく。


 左目を前髪で隠していたから、マリオンである。


 その事でソゾンはハっとして舞翔を見やった。

 自分に手を掴まれ、おどおどと戸惑っている彼女の瞳は、揺れている。

 そこには戸惑い、困惑、そしておそれが見え隠れしている。


 そのことに気付き、反射的に手を放した。


――()()()()()()()()()()()()()、いったい何をやっているのだろう、と。


「……勝利こそ全てだ、敗者に意味など無い」


 氷のように冷たい声で言い放つと、ソゾンは舞翔に背を向ける。


「精々その砂糖菓子のような考えで、足をすくわれないよう気を付けることだ」


 役割は果たした、もう彼女に用はない。


(そうだ、これでいい)


 ソゾンは足早に去って行った。

 その後ろ姿を舞翔はぽかんと見つめる。

 

「なんだったんだろう」


 先程掴まれた手を思い出し、まだ早鐘を打つ鼓動に思わず深いため息を吐いた。


 それは安堵あんどの溜息だ。


 驚いたし、顔が熱くなっているのも分かる。


 あれ以上彼と二人で居たら、溢れてはいけないものが溢れ出してしまう所だった。


「あの時、やっぱり目が合ってたんだ」

(勢い余ってファン宣言までしちゃったよ)


 舞翔は前世から今世までずっとソゾンが好きな、筋金入りのファンである。


 理性を全力で働かせているものの、彼から受ける行為の全てが嬉しくない筈が無かった。


 逆を言えば、舞翔にとってソゾンの一挙手一投足、一言一句、全てが重い。


 とてもとても、重くて苦しくて、仕方がない。


「“努力は無かったことにはならない”、か」


 気付けば復唱していた。


 そもそもソゾンは誰かを気にかけるような性格ではない。


 ましてや自分のことなんて。


 そんな事は分かっている、分かっているが。


 舞翔は気付けばその場にしゃがみ込み、顔を両手で塞ぎながら、もう一度極大の溜息を吐いていた。


「反則だよ、もう」


 あんな言葉、今まで誰にも掛けられたことは無かった。


 ましてや自分の努力を見ていてくれる人なんて、()()()舞翔にはいなかった。

 だから余計に、彼の言葉が胸に馬鹿みたいに沁みていく。


(こんなの、ずるい)


 掴まれた手が熱い。優しく自分に触れる、少しだけひんやりとした指の感触。


 思い出して、舞翔は声にならない悲鳴を上げる。


 その時確かに舞翔は正気では無かった。

 喜びが勝るのか、恐れ多さが勝るのか、畏怖なのか、歓喜なのか、何も分からない。


 遠くにあった憧れが、空で輝いていた一番星が、急に目の前に落ちて来て、待ってましたと飛びつくことが出来る人間など、この世にいるだろうか?


 触れたいなんて考えた事も無かった。


 いつまでも空で輝いていて欲しい。


 それを見上げているだけでいい。


 そのはずだった、なのに。


 舞翔はどこか呆然とした状態で部屋に戻り、たかぶった神経を何とかしようとシャワーを浴びて、早々にベッドに入った。


 疲れていたのか、思いのほか早く寝付くことが出来て、早朝に目が覚めた。


 そこでようやくエレキストのメンテナンスの途中だったことを思い出し、ボックスに入ったエレキストを取り出そうと、テーブルに座ったところで。


「あれ?」


 自分は昨夜、エレキストをボックスにしまったかしらと思い出した。


「しまった、んだよね、あれ?」


 心臓が高鳴りだす。

 嫌な予感が頭にべっとりと張り付いて、手が震えた。


 呼吸が乱れる。


 恐る恐る舞翔はボックスを開ける。

 そしてそこにあったエレキストの無惨な姿に、舞翔は足元から全てが崩れ落ちる様な音が、聞こえた気がした。





ソゾンと舞翔、果たしてこれからどうなるのか?

楽しんでいただけてたら嬉しいです!


もし良ければいいねや評価、感想お待ちしています!

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