第29話 『遠い距離、2人の視線の先』
シアトルへ来て数日、BDF対アメリカ戦を次の日に控えた今日、舞翔は一人自由時間にスタジアムへとやって来ていた。
目的は、ヨーロッパ対アフリカの試合を生で観戦するためである。
(本当はわざわざ会場で観なくてもいいんだけど)
満席に近い会場のかなり後方の席に、舞翔は静かに腰を下ろした。
既に試合は中盤に差し掛かっている。
相も変わらずソゾンのアイブリードは相手のドローンを徹底的に攻撃しており、派手な技と演出に会場中は大盛り上がりだ。
「やっぱり、強い」
無駄の無い動き。磨き抜かれたパフォーマンス。
どこを取っても完璧と言えるコントロール。
自分と闘った時から桁違いに強くなっているように感じられ、舞翔はごくりと息を呑む。
「かっこいい、な」
勝利に対して貪欲で、なんの迷いもない。
それをどんな状況でも貫ける強さに、焦がれるほどに憧れる。
やがてアイブリードが勝利し会場が熱狂に包まれたところで、舞翔は集中していた意識をハっと取り戻した。
悩んでいる時も、悲しい時も、寂しい時も、ソゾンの試合を観ていれば何もかも忘れられた。
そして明日も頑張ろうと、そんな勇気をいつだってもらっていた。
「前世から、何にも変わってないな、私」
ぽそりと零し、舞翔は立ち上がった。
勝利は見届けた。生で彼の強さを改めて実感したことで、もう何も心配はいらないだろうと確信を得ることが出来た。
また物語は順調に進み始めたのだ、そう思えただけでもわざと負けた意味はあったのだと、舞翔はほっとする。
そして何とは無しに最後にソゾンの方へと視線を向けた瞬間だった。
「!?」
目が合った、気がした。
けれどもそれは一瞬で、気付けばソゾンはもうスタジアムに背を向け歩き出している。
(気のせいか)
大勢いる観客の中で、舞翔を見つけ出し、睨んだ、などと思う方がどうかしている。
たまたま舞翔の居る方に視線を投げたのを、目が合ったと勘違いしただけだろう。
目が合うはずが無い、だってそうしたら、ソゾンが自分を見ていたと言う事になる。
そんなこと、あっていい筈が無い。
彼と自分の間には、本来これほどの距離があってしかるべきなのだ。
ソゾンにとってのその他大勢、ただのモブ。
それでいい。
そうでなければ――
「とにかく、明日の試合に備えて練習だ!」
舞翔は少しだけ焦ったように、スタジアムを後にした。
※・※・※・※
「ソゾン」
会場から出て控室へと続く通路。
後ろから呼びかけられソゾンは振り返った。
ベルガである。
「後半、意識がそぞろになっていただろう。この私が気付かないとでも思ったか?」
立ち止まったソゾンの下へと歩み寄りながら、ベルガは不快そうに表情を歪めた。
気付かれていたことに内心舌打ちをしながらも、ソゾンは無言でベルガを見つめる。
「何を見ていた?」
探るようにソゾンの瞳を見つめ返したベルガに、ソゾンはあくまでも平静のまま「何も」とだけ答えた。
それが気に入らなかったのだろう、ベルガは更に眉間に皺を寄せた、かと思った直後、突如笑顔を浮かべてみせた。
その急な態度の変化に今度はソゾンが怪訝そうに眉を寄せる。
「そうそう、明日は我らがファントム社の傘下であるアメリカチームの試合だ。相手はどこだったか? あぁ、そうそう」
わざとらしい大仰な振る舞いにソゾンはただでさえ鋭い瞳を更に細めベルガを睨む。
「BDFとの試合、だったかな?」
ベルガは微笑んでいる。
ソゾンは険しい表情のまま、ベルガの意図を読み取ろうとその瞳をじっと見つめている。
「そう言えばソゾン、お前はBDFの空宮選手と仲が良かったなぁ?」
「! 何を」
「仲の良い選手が出来るのは良いことだ。明日の試合までに、是非激励してあげると良い」
反射的に言い返そうとしたソゾンの肩を誰かが掴んだ。
振り向けばペトラが厳しい表情で何かを訴えるようにソゾンを見つめている。
逆らうなと言っているのだろう。
肩を掴む手の力が強い。
ソゾンは今度は聞こえるようにわざと舌打ちすると、ペトラの手を強く払い除けた。
「いいか、空宮選手の手からエレキストが離れている時に呼び出すんだぞ」
「……心得ています」
ベルガを置いて、ソゾンはその場を後にした。
その後ろをペトラが着いて来ている。
「お前さ、らしくないぜ? そんなに気になるのかよ、あの女のこと」
ペトラがそう発したのと、ソゾンがペトラの首元を掴み上げたのはほぼ同時だった。
「っ、気になってなどいない」
「そうかよ。だったら俺にもベルガ様にも悟られない方がいいんじゃねぇの?」
ペトラは嘲笑するようにわざと口角を上げながらソゾンの手を振り払う。
「キツくなるのはお前だぜ」
それだけ吐き捨てるようにして、ペトラは行ってしまった。
残されたソゾンは一人通路で呆然と立ち尽くす。
(悟られるな? キツくなる? 何を言っているんだ、あいつは)
気になってなどいない。
けれども試合中、不意に視界に入って来た栗色の髪があの女だっただけのこと。
ソゾンはただ苛立っていた。
あの時確かに舞翔はソゾンを見ていた。
そしてその瞳には羨望と喜びと、そして何よりも安堵の色が見えていたから。
あの目が嫌いだ。
初めてバトルをした日から、彼女が向けるあの眼差しはソゾンの心をかき乱す。
自分を見ているようで、彼方を見ているあの瞳が。
(分からない、何も)
先ほども、バトル後自分が彼女に視線を向けた瞬間に、どこか強張ったような表情を浮かべていた。
初めて会ったあの日、勝っておいて逃げたかと思えば、今度は無邪気に近付いてきて、そう思えば今度は怯えたように距離を取る。
瞳の奥にあれほどの勝利への渇望をギラつかせておいて、わざと負けて未練たらたらに苦しんで。
矛盾している、何もかも。
(だからどうだというのだ、俺は俺のやるべきことを果たすのみだ)
ソゾンはそこまで考えて一度息を吐くと、瞑目し意識的に心を殺した。
生きていくため、生き残るため、いつだってそうしてきたように。
その表情は瞬きの間に幕を下ろしたように無に染まる。
それは冷血の吸血鬼の名に相応しい、血の通わない、冷徹な顔だった。
ちょっと不穏?
まだまだ一波乱も二波乱もあるシアトル編です!




