第15話 『嫌な予感』
何とも言えない空気を抱えたまま、一行は控室へと到着した。
時計を見れば試合まではあと一時間ほどある。
「よし! とにかくいよいよ本番だ! 気持ちを切り替えていくぞ!」
先ほどからの低迷した空気を何とかしようと、士騎はわざと手を叩きながら声を張り上げた。
「こういう時はしっかりルーティンをこなして挑むこと! 二人ともこの一週間みっちり練習して来ただろう? 自分を信じて!」
士騎の言葉に、まず動いたのはカランだ。
先ほどまでの空気を跳ねのけるように顔を上げ、瞳に力を入れると、両頬を挟む様に思い切り叩いた。
「士騎の言う通りだ、後は全力で挑むだけだ!」
それから「いつも通り、精神統一でヨガをしよう」と控室の一角にマットを敷いて体を伸ばし始める。
「舞翔くんも、メンテナンスなり運動なり、試合まではリラックス出来ることや、いつも通りのことをやってみなさい」
「あ、はい」
カランの様子に少しぽかんとしていた舞翔だったが、言われ慌てたようにエレキストをBOXから取り出した。
いつものルーティン。
試合の前も、仕事の前も、愛機のメンテナンスをして心を落ち着けるのが舞翔のルーティンだった。
事前点検はドローンを飛ばす上で必須の作業でもある。日常的にやり続けて来た行動だからこそ、無心で集中する事が普段ならば出来るのだが。
指先が震えている。
その所為でエレキストに触れた瞬間カチャカチャと小さな音がして、舞翔は反射的にエレキストから手を放す。
音で手の震えがバレてしまう。そうすれば、またみんなに心配をかけてしまうことになる。
舞翔はこれ以上、誰にも迷惑を掛けたくなかった。
これくらいのこと、自分ひとりで乗り越えられなくてどうするのか。
きっとソゾンなら、こんな事にはならないのに。
「私、少し外の空気を吸って来ます!」
「あ、おい舞翔くん!」
舞翔は言うが早いか止める間もなく控室から飛び出して行ってしまった。
士騎とカラン、そして武士までもが心配そうに顔を見合わせる。
「舞翔、すげぇ緊張してるみたいだ」
「やっぱり、急に武士の代役なんて荷が重かったかなぁ」
士騎は大きく溜息を吐いて、テーブルに残されたエレキストを見やった。
使い込まれた、けれどもよくメンテナンスされた良い愛機だ。
それだけで、彼女がバトルドローンをどれだけ好きかが伺える。
と、士騎はふいに自分の目の前にカランが立ったことに気が付いた。
「例え士騎でも、舞翔を愚弄する事は許さない」
士騎は目を見開く。
カランの瞳は確かに鋭く士騎を睨み付けていた。
彼は信じているのだ。彼女の強さと、彼女の瞳に映った輝きを。
舞翔とバトルをしたあの日から、彼女の発する強い輝きにもうずっと魅せられている。
「そうだぜ兄ちゃん。舞翔なら大丈夫さ!」
カランの後ろで武士もまたニカっと笑う。
そんな彼らを見て、士騎は自分が何も見えていなかったことに気が付いた。
即席なんかじゃない、彼らはバトルの中で確かな絆を築いている。
今はまだそれが上手くかみ合っていないだけ。
「そうだな」
二人とも今日まで何を犠牲にしてでも練習を重ねて、必死で努力を積み上げて来たんだ。
それを一番近くで見守っていたのは監督である自分ではないか。
それに、舞翔の秘策だってある。まだ誰にも知られていない、あの改造が!
「君たちを、信じるよ!」
※・※・※・※
舞翔は練習場へやって来ていた。
昨夜舞翔が一人で練習していたそこで、今は多くの選手が調整やら肩慣らしやらをしている。
本来ならば舞翔など来れる筈もない場所だった。
今練習場にいる人物を舞翔は全員知っている。
けれど空宮舞翔なんて人物はいなかった。
存在してはならない存在。
そんな事を考えながらぼうっと練習場を眺めていると、再びソゾンを見つけてしまい、舞翔は慌てて扉の影に隠れた。
そうか、今日もまた欠かさず練習をしているのか。
(ソゾンなら、何て言うだろう)
試合直前、控室から逃げ出して、この期に及んで怖気づいている自分を見て、彼は呆れるだろうか。
それとも、何も思わないだろうか。
拳を握り締めた。
ソゾンが好きだ。
けれど、武士とカランのコンビもずっと好きだった。
我が強すぎて協調なんてしないのに、何故だか噛み合う二人のタッグバトルは観る者全てを魅了した。
だからこそ、『烈風飛電バトルドローン』はあれだけの人気を博したのだ。
けれども自分が相手だと、カランはカランらしくない動き方をする。
この一週間、その原因も分からずにずっとどうすることも出来なかった。
(完全に、即席コンビだなんて弱点を見破られてる)
だから自分がもっと強くなろうと思った。
ソゾンとバトルしたあの感覚、あれを掴めればコンビネーションで劣っても力技で勝てるのではないかと思った。
(アニメでは親友コンビである、フリオとエンリケの完璧なコンビネーションに苦戦しつつも、武士とカランは最後にお互いを信じ抜いて、阿吽の呼吸で二機を同時に撃墜した)
舞翔は震える手を誤魔化すように拳を握り締めた。
(だけど、そんなの、私に出来るの?)
武士のように、主人公達のように。
あんな奇跡のような勝ち方。
(出来る訳、ない)
ただのモブでしかない、私なんかに。
※・※・※・※
ソゾンは昨夜舞翔が使っていた方の練習場で愛機の調整を行っていた。
練習場は午後からの試合に備える者や、ソゾンのように試合は無いが練習したい者などで昨夜よりも混みあっている。
そんな喧騒の中で、それは本当に偶然だった。
ベンチに腰を下ろし何気なく向けた目線の先、何かがキラリと光る。
「?」
鈍く光ったそれはソゾンの場所からは小さ過ぎてよく見えず、立ち上がり近付いた。
摘まみ上げたそれを目線の高さで見てみれば、どうやらネジのようだ。
しかしそれはソゾンの愛機であるアイブリードのネジでは無い。
何故ならそのネジは黄色かったからだ。アイブリードのネジは紫で統一されている。
ソゾンは思い出す。
昨日の夜、確かこの場所で舞翔が練習していたことを。
けれどもソゾンは彼女の愛機をまだ見たことが無い。このネジが彼女のものだという確証などどこにもない。
よしんば彼女のネジだったとしても、それこそどうでもいいことだ。
けれどもソゾンは何故かそのネジを捨て置くことが出来なかった。
自分でもよく分からない、胸のどこかが疼くような感覚。
少し逡巡したのち、ソゾンは結局拾ったネジをポケットに入れた。
「おい、ソゾン。BDF対南アメリカの試合が始まるぜ。ベルガ様が見ておけってさ」
「ああ、今行く」
気付けば他の練習していた選手たちも皆、BDFの試合を見る為かいなくなっていた。
それもそうだろう、まだ何の情報も無い無名の選手にして、ソゾンを倒したということで一躍有名になった舞翔の公式デビュー戦だ。
「お前を倒した女だろ? 楽しみだなぁ」
ペトラは自分の隣までやって来たソゾンに、然も愉快そうにくっくと笑う。
しかしソゾンが眉一つ動かさなかった為つまらなそうに顔を顰めた。
ソゾンが怒るとでも期待していたのだろう。
当の本人はと言えば、ペトラの言葉などまるで聞こえていなかったように平然としている。
そのまま並んで練習場を出れば、扉の影には、勿論誰も居ない。
けれども通路の向こう、控室へと向かう曲がり角を、どこかで見た栗色の癖っ気が駆けていくのが見えた。
その瞬間、ソゾンの平坦だったはずの感情が、ほんの僅か、微かに揺れる。
(何だ、この胸騒ぎは)
嫌な予感がする。
ソゾンは人知れずネジをしまったポケットを握り締めた。
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