第142話 『舞翔とソゾン、二人きりの病室』
「んん、このネジエレキストに似合いそう……むにゃ」
ぼんやりと目を開けた舞翔は、見知らぬ天井に寝ぼけていた意識を急速に覚醒させた。
「え!? あれ!?」
夢の中でパーツショップを物色してウハウハしていたものだから、その突然の現実、しかも全く日常からかけ離れた環境に舞翔は跳ね起きる。
それからきょろきょろと辺りを見渡した。
どうやらそこは病院の個室のようで、備え付けのテレビから「ファントム社から発売されたPシリーズは現在販売停止されており」「BD社の初期シリーズが再販もすぐに売り切れ」「今日も子どもから大人まで各地のバトルフィールドでは熱いバトルが」などと言う、非常にタイムリーな情報が流れて来る。
「そっか、私バトル後に倒れ、て……」
そこまで言って、舞翔は固まった。
テレビとは真反対のすぐ横に、ソゾンが椅子に座って寝息を立てていたのである。
「っっ!!」
叫びそうになるのを起こしてはいけないという鉄の意志で完封し、舞翔の鼓動はその反動で異様な早鐘を打ち始めた。
ソゾンは器用にも足を組んで椅子に座ったまま、姿勢も殆ど崩さずに腕を組み、少し俯き加減で眠っている。
そしてよく見れば、ソゾンは普段着では無く簡素な病院服を着ていた。
(お見舞い、というよりこれはソゾンも入院してる?)
辺りを再度見渡した舞翔は、ソゾン以外に誰も居ないことに改めて「うっ、二人きり」と胸を詰まらせた。
彼が寝ていたのは幸いである。これで起きていたら刺激が強すぎてもっと気が動転していた事だろう。
(それにしても、よく寝てるな)
舞翔はソゾンが寝ているのを良いことに、まじまじと寝顔を見つめた。
だってすぐ横に座っているのだ。
髪と同じ色の睫毛が頬にかかるくらい長いのも、寝息のたびに少し揺れるさらりとした髪も、男の子らしく骨ばった大きな手も、間近で見放題である。
(やっぱり、綺麗だなぁ)
その端正な顔立ちに舞翔が見惚れていると。
「そんなに見られたら穴が開く」
ソゾンの唇が動き、声が聞こえて、舞翔は硬直した。
聞き違えるはずが無い。男の子にしては少し高い大好きな声。
激しく動揺する舞翔をよそに、目の前のソゾンの瞳がゆっくりと開いて行く。
瞼の奥から現れたのは、シアン色の瞳。
「ようやく目覚めたか」
そう言ってふっと緩められた口元に、舞翔の顔は爆発した。
「あ、わた、わたし」
これでもかと顔を真っ赤に染めて、舞翔はあからさまに視線を泳がせる。
何せ希少なソゾンの微笑みを見てしまったのだ。平常で居られるはずが無い。
しかし同時に、悲しくも無いのに急に舞翔の両目からぽろりと涙が飛び出した。
それは止めようにも次から次へとぽろぽろと流れ落ち、舞翔は自分で自分に困惑する。
「あ、ご、ごめん! これは、違くてっ」
焦って涙を止めようとする舞翔の頬に、不意にソゾンの掌が触れた。
「構わない」
それはとても穏やかで、まるで胸の奥まで撫ぜるような優しい声。
それからソゾンの親指がついと舞翔の涙を拭った。
舞翔が驚きで見つめれば、ソゾンもまた、舞翔を見つめている。
「舞翔」
シアン色の瞳。頬に触れる温もり。
目の前にソゾンが居ることに、舞翔の胸はどうしたって締め付けられる。
不意にソゾンの瞳が穏やかに細められ、柔らかな眼差しが舞翔を捉えた。
そして徐に唇が開き――
「必ず勝つと、信じていた」
紡がれた言葉に、舞翔は目をこれでもかというくらいに見開いた。
舞翔の胸はよく分からない気持ちに満たされていく。
苦しくて、嬉しくて、切なくて、どうしようもなく、ホっとする。
気付けば舞翔はソゾンの手に自分の手を重ねていた。
それから甘えるようにソゾンの掌に頬を摺り寄せると、安心したようにふにゃりと笑う。
「ソゾンが無事で、よかったぁ」
「!」
舞翔の目尻から真珠のような涙がぽろり、零れた。
その表情と触れた温もりに、今度はソゾンの頬が微かに朱色に染まっていく。
「……お前は、本当に」
思わず目を逸らし、ソゾンがぼそりと呟いた、直後。
ガラリと病室の扉が開いた。
「あら? 舞翔! あんた起きたの!? 先生、先生ー!」
舞翔の母、三都子である。
しかし病室に入ってすぐに舞翔が起きている事に気が付くと、舞翔の母は慌てたように病室から飛び出して行ってしまった。
その様子を呆然と見ていた舞翔とソゾンだったが、しばらくして触れていた手をどちらからともなくゆっくりと離す。
それから互いに顔を見合わせた瞬間、舞翔は耐え切れず思わずぷっと吹き出してしまった。
「お母さんってば、慌てん坊だなぁ。あ、そういえばソゾンはどうしてここに居るの?」
それから舞翔は無邪気な様子でソゾンに問うた。
どうして、とは中々野暮な質問である。
そんな鈍感な舞翔にソゾンは少しだけムっと眉間に皺を寄せたかと思うと、ふいに意地悪い笑みを浮かべた。
「言っただろう、絶対に逃がさないと」
「!?」
ぎしりとベットの軋む音がして、ソゾンの手がいつの間にかベッドに置いていた舞翔の手に重ねられている。
「ソ、ソソソソソソソゾン!?」
声を上擦らせパニックを起こしている舞翔をよそに、ソゾンの顔はみるみる内に舞翔に近付いて来て――
「悪いがもう、お前だけは離してやれそうもない」
――耳元で、囁かれた。
直後舞翔の顔は人類の限界を超えた赤に染め上がる。
しかしその間もソゾンの指は容赦なく舞翔の指に絡められ、まるで恋人かのように握られる。更にその手はソゾンの顔近くまで持っていかれた。
そして次の瞬間、まるで希うようにソゾンの唇が舞翔の手の甲に触れる。
「っっっっっ!!!!!!!!!!」
限界である。
舞翔の頭は既にオーバーヒートで停止し、プスプスと煙が出ている。
一体この状況はなんなのか。
マカレナとのバトルに勝利し、気絶して、目が覚めたら何故かどちらかと言えば塩対応だったはずの推しが、物凄く甘えん坊になっている。
(夢!? 幻!? 何!?)
舞翔は心の中で神に向かって叫んだ。
それはそうだ、こんな状況、おいそれと「はいそうですか」と受け入れられるはずがない。舞翔にとってソゾンは憧れの存在で推しなのだ。
それがなんだ、どういうことか。
心も頭も体も何もかもが、この状況に追い着いていかない。
けれど。
「どうか俺を置いていなくならないでくれ、舞翔」
どこか切実に呟かれたその言葉を聞いた途端、舞翔はハっとしたように彼の手を自分から両手で握り返していた。
「そんなの、当たり前だよ!」
大きな声でハッキリと舞翔は言った。
どこか必死な舞翔のその様子に、今度はソゾンの方が驚いたように目を瞠る。
舞翔の顔は自然とソゾンの鼻先へと近づいて来た。
そのくりっとした茶色い瞳は、穴が開きそうなほどにソゾンだけを真っ直ぐに見つめている。
ソゾンは内心、少しだけ驚いた。
先程まであんなにも狼狽していたのに、自分がつい零した本音を聞いた途端、こんなにも一生懸命に応えてくれる舞翔に。
そしてそんな舞翔にソゾンの胸は痛いほどに締め付けられて、今まで感じたことの無い感情が体中に溢れ出す。その感情に操られるように、思わずソゾンが舞翔を抱き締めようとした、その時。
「私の方こそっ、ずっと友達でいてね、ソゾン!」
舞翔の口から放たれた痛烈な一撃。
ソゾンは柄にもなくその言葉に思い切りぽかんと間抜け面を曝してしまった。
舞翔はよく分かっていないように、小さく小首を傾げる。
すると突如、病室の外から豪快な笑い声が聞こえて来た。
その方向にソゾンは心底嫌そうな顔で視線を向ける。
「あっははははははは!」
豪快な笑い声と共に病室へと入って来たのは。
「よぉ、舞翔!」
「あっはっはっはっは!」
カランは爆笑しながら、武士はいつも通り快活な笑顔で、二人は病室へと入って来た。




