第130話 『舞翔の涙』
「なあに? どうして君が邪魔するわけ?」
ソゾンの怒りもどこ吹く風、マカレナはため息混じりに憮然と言ってのけた。
ソゾンは何も答えない。
変わらずマカレナを睨みつけるだけである。
それを良い事に、マカレナはにやりと笑って言葉を続ける。
「君、この子と決着つけに来たんだっけ? でもせっかくのチャンスをあっちの王子様で潰しちゃったじゃん。それってこの子との決着が君にとってそれほど重要でも無かったってことじゃない?」
「っ黙れ!」
「それにその子は別に君のじゃないんでしょ? だったら邪魔する権利、君になくない?」
ソゾンは苦虫を噛むようにして言葉を呑んだ。
しかしこれには舞翔の方が頭に血が上り、思わず口を挟む。
「邪魔する権利も何も! 私は貴方が嫌いだから! 気持ち悪いから! 近寄らないで!」
舞翔は有りっ丈の怒りを込めて怒鳴ったつもりだった。
けれどもそれが逆効果だった。
マカレナはあろうことか舞翔の罵倒にその赤い目を爛々と輝かせたのだ。
「あぁ、いいね、それっ。もっと言ってよ舞翔!」
「ひぃっ!」
再び迫って来たマカレナに、舞翔は反射的にソゾンの背に身を隠す。
ソゾンは何か哀れな者でも見る様にマカレナを見やりながら、当然のように舞翔を庇う。
それがマカレナの気に障った。
「何だよ、お前みたいな凡人が僕と舞翔の間に入れるとでも思ってるの?」
マカレナはつんと鼻を尖らせると、ソゾンの後ろに居る舞翔の腕を掴もうとした。
しかしそれは呆気なくソゾンによって阻まれてしまう。
こうなったらマカレナも意地である。
「あのさ、どうしてそんなに舞翔にこだわるの?」
「舞翔とはまだ決着がついていない」
ソゾンはきっぱりと言い切った。
しかしその言葉を待ってましたと謂わんばかりに、マカレナは目を見開いた。
「それってさぁ、最初に舞翔が勝ったのが“ファントム”のお陰だったとしてもそう言える訳?」
「っマカレナ!」
マカレナの口元が三日月を描く。
舞翔はマカレナの口からファントムの言葉が出た瞬間、ほぼ条件反射でマカレナの口を塞ごうと飛び出していた。
けれどもその手はマカレナに呆気なく絡み取られ、くるりと向きを回転させられる。
気付けば後ろから抱き締められる形で、舞翔はマカレナに囚われていた。
「っは、離して!」
「見なよ舞翔、あいつの顔」
ぼそりと、マカレナは舞翔にだけ聞こえるように耳元で囁いた。
舞翔の瞳が揺れる。
ソゾンの表情は、強張っていた。
まるで信じられないものを見るように、眉間にはこれでもかと皺が寄っている。
ソゾンのその表情を見た瞬間、舞翔は心臓を強く握り締められたような痛みに襲われた。
「っあ、あの、私」
ソゾンの鋭い瞳に失望の色が揺らめいて見える。
シアン色の瞳の中、収縮した瞳孔が舞翔をハッキリと捉え、その視線に射抜かれた途端、舞翔はそれ以上何も言えなくなってしまった。
(あぁ、終わった)
恐れていたことが、今まさに目の前で起きてしまった。
思わず縋るように見詰めた舞翔の視線から、ソゾンは逃げるように目を逸らす。
その行為にすら舞翔の胸は強く痛んで、泣きそうになるのを拳をこれでもかと握り込んで堪えた。
そんな舞翔の顎を、これ幸いとマカレナの手が擦っている。
「ほら、所詮はその程度の関係性さ。これで分かったよね、舞翔? 君と僕は特別で、君の隣に立てるのも、ありのままの君を受け入れられるのも、僕だけだよ」
「まぁこの際、浦風武士は置いておいてさ」とマカレナは勝ち誇ったように微笑んだ。
けれども舞翔はそんな言葉まるで頭に入って来ていない。
とにかく胸がズキズキと痛んで、痛くて痛くて仕方が無くて、その痛みに耐える事で舞翔は精一杯だったのだから。
目の前が真っ暗になるとはこういうことを言うのだろう、と舞翔は思う。
いつかは言わなければいけないことだと思っていた。
けれどもそれは、“自分自身で伝えたかった”。
最後にもう一度バトルをして、もしも勝てたなら、正真正銘一対一の引き分けになる。
そうしたらファントムのことを告白しようと。
(そんな甘いことを考えて、私はまた逃げたから。きっとこれは、罰なんだ)
もうソゾンの顔が見れなくて、舞翔は俯いた。
けれども急に、その俯けた顔を無理矢理に押し上げられる。
「っ!?」
「あぁ、落ち込む君も可愛いけどさ。僕は強気な君が好きなんだよねぇ」
マカレナの腕の中で体を反転させられ、マカレナの方を向かされた。気付けば舞翔の顎にはマカレナの手が添えられている。
気付いた時にはもう腰を押さえられ、逃げる事も身動きする事も出来なくなっていた。
「な、なにするのっ?」
恐怖と動揺で声が上擦る。
それすらも愉しそうに、マカレナは目を細めていた。
「舞翔っ!」
背後でソゾンの声が響く。
けれども、その時にはもう――
「っっ!!」
マカレナの唇が、舞翔の唇を奪っていた。
「あぁ舞翔、可愛いね」
マカレナは呆然としている舞翔の顔を楽しそうな笑顔で見下ろしている。
自分が何をされたのか、何が起こったのか、舞翔は一瞬理解することが出来なかった。けれども唇に残る感触が、嫌でも舞翔にキスをされた事実を突きつける。
直後舞翔は弾かれたように唇を拳でこれでもかと乱暴にゴシゴシと拭い出した。
(なんでっ、なんでなんでなんでなんで!?)
なんて卑怯な男だろう、なんて最低な奴なんだろう!
自分勝手に、相手の同意もなしにこんなことを!
侮蔑と憎しみを込めてマカレナを睨む。
けれどもマカレナは、それを見て再び恍惚とした笑みを浮かべた。
その事に、舞翔は全身が震え上がる。
その感情が怒りなのか、恐怖なのかも分からないほどに。
(泣くもんかっ、こんなの、こんなの犬に噛まれたのと同じなんだから! 例えこれが私のファーストキスだって、前世から通しても初めてだからって、こんなの、こんなの!)
それなのに唇に触れた感触が消えず、舞翔は一心不乱に唇を拭い続ける。
(あぁ、よりによって、ソゾンの目の前で!)
忘れよう、なんて事はない、こんな事で傷付くものか。
思えば思うほど、強がれば強がるほど、それとは真逆の思いが胸の奥から溢れ出し、止まらない。
気付けば舞翔の頬を涙が伝い出していた。
唇を拭う拳までも濡らすほど、それは次から次へと溢れ出していく。
奥歯を噛み締め、溢すものかと堪えるほど、涙は次から次へと零れ落ちる。
あぁ、なんて情けないんだろう。
※・※・※・※
「っ!!」
その光景を見た瞬間、ソゾンの呼吸が詰まるように止まった。
舞翔が、泣いている。
その両の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙を溢して。
それはソゾンが初めて見た、舞翔の涙だった。
今まで彼女はどんな状況でも、一度だってあんな風に取り乱して泣くことは無かった。
ロシアの森の中、たった一人で怯えていた時も。
ルーマニアのブラン城で、ベンに襲われそうになった時も。
どんな時も、彼女は涙を流さなかった。
その舞翔が、泣いている。
信じられない光景に、ソゾンはしばし呆然と舞翔を見つめていた。
けれどもソゾンと目が合った瞬間、まるで弾かれたように舞翔は駆け出した。
「っっ舞翔!!」
ソゾンは叫び、舞翔を追おうとした。
しかしその前にマカレナが立ち塞がる。
「貴様っ!!」
その顔を見た途端、ソゾンの怒りは沸騰した。
マカレナの首根を勢いに任せ掴み上げ、激昂した瞳で睨み上げる。
「何怒ってるの? 大丈夫、僕がキスした女の子で僕を好きにならなかった子はいないんだから」
微塵も反省していないその様子に、ソゾンの怒りは頂点に達した。
しかし今はこの男に構っている暇などない、ソゾンは断腸の思いでマカレナから手を離すと病室の扉に手を掛ける。
無視をされたことに、マカレナはむっと眉間に皺を寄せた。
「舞翔に失望した癖に! 彼女を最初に傷つけたのはお前だろ! だろ!?」
自分に背を向けたソゾンにマカレナは言い放つ。
その言葉を受けてドアノブを握ったソゾンの手が止まった。
マカレナはそれを見てここぞとばかりに口角を吊り上げる。
「舞翔は僕のものだ! 誰にも渡さない」
マカレナは勝ち誇った。
ずっと黙って扉を向いていたソゾンだったが、不意に緩慢な動作でマカレナを振り返る。
その視線に、マカレナは全身が否応なく総毛立ち、体が勝手に身震いを起こした。
ソゾンは氷よりも冷たく、燃え盛る炎よりも激しく、マカレナを睨みつけていたから。
「舞翔は物ではない」
そしてそのたったの一言を残して、ソゾンは医務室から出て行った。
残されたマカレナは少しだけぽかんと呆けていたが、すぐに弾かれたように笑い出した。
「あはは、面白い! 僕は欲しいものは必ず手に入れる、今までだってずっとそうして来た。今回だって、絶対手に入れてやる」
誰にも聞かれることの無かった呟きと共に、マカレナもまた、不気味な笑顔を浮かべ医務室を後にした。
舞翔の本気泣きは、このシーンまで頑張って温存しておりました……舞翔は感動で涙ぐむことはあっても、悲しくて泣くことは我慢してしまう……大人になればなるほど、悲しくて悔しくて泣く、てあまりないですよね…という…。
次回!!!
ついに!!!!
ソゾンが!!!!!




