第13話 『真夜中の特訓と、激レア笑顔』
夜九時、舞翔は一度解散したにも関わらず、こっそりと家を抜け出しスタジアムの練習場へと舞い戻った。
周囲にはちらほらまだ練習している選手が残っており、舞翔もまだ練習がしたかったのだ。
「あれ?」
しかし、気付けば時計の針がニ本ともてっぺん近くを指しているではないか。
警備のおじさんに一度「早く帰るんだよ」と怒られたものの、監督が一緒にいると思い込まれていたようで、それ以降のおとがめが無かったものだから調子に乗ってしまった。
「この時間は、さすがにやばいかも……でも」
初戦までの一週間、手にはタコが出来て破れてまたそこに傷が出来てタコが出来るほど練習した。
「どうして出来ないの!?」
それでもどうしても、再現できない。
舞翔は、ゲイラードでソゾンとバトルした時の感覚を掴もうと、試みていた。
あの時、エレキストでカランとバトルした時には無かった感覚が確かにあった。
それはドローンとひとつになったような感覚。
あの感覚さえ再現できれば、“例の改造を使った大技"を成功させられるはずだ。
そうなれば、世界大会を決勝へと勝ち抜くのも夢では無いはず。
けれど。
「このままで、勝てるのかな」
額から流れる汗を、腕で乱暴に拭いながら、舞翔は零すように呟いた。
少女の背中に圧し掛かるのは、BD社の看板だけではない。
主人公の、重圧。
物語通りに勝たなければならない、絶対に決勝へ行かなければならない。
武士の代わりに、自分がそれをしなければならないという、重圧。
「っ」
汗が床に零れ落ちる。
焦れば焦る程、感覚が逃げていくように思えた。
舞翔は一度深呼吸をすると、気を取り直すべく自販機へと向かった。
(あれ)
その途中、もうひとつの練習場から灯りが漏れ、そこから確かに、ドローンのモーター音が聞こえて来た。
お気に入りの炭酸ジュースを買ってから、舞翔は何とはなしにその練習場を覗き込む。
直後、思わず呼吸を止めた。
そこではソゾンが、舞翔と同じように汗でドロドロになりながら、練習をしていたのだ。
何度も何度も、同じ技を繰り出しては何かをぶつぶつと呟いて、調整しているように見える。
その真剣な眼差しと、服の襟ぐりを引き上げ汗を乱暴に拭う姿に、舞翔は急に胸が熱くなり、思わず拳を握り締める。
(そうだよ、弱音を吐いている場合じゃない)
もう一度自分も練習場へ戻ろうと、踵を返したその時だった。
「誰だ?」
誰も居ないその場所で、鈴の音のようによく通る、少し高い声が響いた。
舞翔は思わずびくりと立ち止まる。
「空宮舞翔か」
名指しされてしまい、逃げ帰る訳にもいかず振り返ると、ソゾンは険しい表情で舞翔を睨んでいた。
「わ、私、ちがう! 偵察とか、そんなんじゃなくてっ!」
スパイとでも思われては大変と、顔の前で手を振りながら必死で訴える舞翔だったが。
「構わない」
「え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「貴様に動きを読まれた所為で負けたのならば、動きを読まれていても勝てるようにすればいい」
ソゾンは平然と言うと、本当に舞翔の事を気にする様子も無く練習を再開した。
ドローン以外何も見えていないような集中力。
彼の手ではテーピングがボロボロになっていて、どれほど練習していたのかが、それだけですぐに分かってしまった。
胸が苦しくて、舞翔は俯く。
(次勝負したら、勝てないと思ってしまった)
あの日自分がソゾンに勝ったのは、本当に偶然だったのだ。
誰でも無い、自分自身がそう感じてしまったことに、舞翔は苦笑する。
けれどもその所為で、舞翔は大切な物を見失っていたことに気が付いた。
「やっぱり、かっこいいなぁ」
※・※・※・※
舞翔の零すようなその呟きは、静謐な夜に波紋を描き、確かにソゾンの耳まで届いた。
しかし、思わずソゾンが振り返ったそこに、もう舞翔の姿はなく、眉を顰める。
「かっこいい、だと?」
浮ついた言葉に何故だか腹が立ち、思わず奥歯を噛み締めた、直後。
近付いてくる軽やかな足音に気付き、ソゾンは驚いて動きを止めた。
「ソゾン、これ!」
その言葉と共に、舞翔は何かを手に持って現れた。
それからソゾンへと駆け寄ると、持っていた何かを一つ差し出す。
「……何だこれは」
「差し入れ。好きだよね? どうぞ」
舞翔が手に持っていたのは、ミルクティーだった。
ソゾンは突如好きだと断定されたそれに意表を突かれ、苛立ちから跳ね除けようとしたのもすっかり忘れ、呆然としてしまった。
その珍しくソゾンが驚いている様子に、舞翔はハっとしたかと思うと、ソゾン以上に動揺した様子で「こっ、これは」と声を上ずらせる。
「ヨーロッパの人はみんなミルクティーが好きなのかと思って! ち、違ったかな? ごめん」
その狼狽っぷりに、ソゾンは心底呆れてしまった。
けれども一瞬、ほんの一瞬だけ、その口元が緩む。
その事に自分自身が気が付いて、すぐに表情を引き締めたため、舞翔には見られていなかったようだが。
ソゾンは自分自身の気が緩んだことに、内心愕然とする。
こんな事は、初めてだった。
「それはイギリス人だ」
「……っふふ、どっちも凄い偏見じゃん」
ソゾンの返事に、舞翔は破顔した。
それから半ば無理矢理ミルクティーをソゾンに押し付ける。
「もう遅いから早く帰ってね」
舞翔の頬は、少しだけ赤く染まっていた。
舞翔が去り、再び静けさの戻った練習場で、ソゾンは自分の手の中に収まったミルクティーの缶を、しばらくぼうっと眺める。
誰にも公言していない、恐らく自分だけしか知らなかったであろう好きな飲み物。
甘ったるいものが好きなどと、舐められるのが嫌でもう何年も飲んでいなかったものだ。
それを彼女は持って来た。
「偶然か? それとも……」
警戒すべきだ、頭ではそう理解しているのに、何故だか不快では無い。
手渡した彼女の手は傷だらけだった。
それだけで、彼女の努力は一目瞭然だ。
「早く帰るのは、お前の方だろう」
女が一人で、こんな時間まで練習をしている方がよほど危険だろうに、おかしな奴だと、ソゾンは思った。
「おーい、ソゾン」
ふいに声が響き見れば、パートナーであるペトラがいつも通り眠そうな顔で欠伸をしていた。
「ベルガ様がもう戻れってよ」
「あぁ、すぐ戻る」
ソゾンはアイブリードを収めたボックスと、舞翔に貰ったミルクティーの缶を持って、出入口へと向かう。
すると目敏くミルクティーに気が付いたペトラが、首を傾げた。
「お前、甘いの嫌いじゃなかったか?」
「押し間違えた」
「おいおい、しっかりしてくれよ。俺が代わりに飲んでやろうか?」
手を出され、けれどもソゾンはペトラの手から、ミルクティーをひょいと逃がす。
「なんだよ?」
それから器用に蓋を開けると、ごくごくと目の前で飲み始めた。
「うっわ、性格悪いやつ」
「……甘ったるいな」
※・※・※・※
舞翔は熱くなった頬を押さえながら、自身の練習場へと駆けていた。
「ソゾンがっ、笑った!」
見てはいけないものだった気がして、思わず見ていないふりをしたが、舞翔はばっちりしっかりと、その目に納めていた。
そこから早まり出した鼓動が止まらない。
ファンブックに載っていた情報通りに、ミルクティーを買って行ってしまった時は、ソゾンの驚いた顔に焦ったが、そのお陰で、あの超レアな推しの笑顔が見られたのだ。
「と、とにかく!」
だからといって、いつまでも浮かれてはいられない。
(ソゾンの言う通りだ、勝てるようにすればいい。あの感覚が掴めないなら、それでも勝てるようにすればいい)
心の中でそう決意して、よし、こうなったら朝まで練習だと、顔を上げた瞬間である。
「舞翔くん?」
ーーぼすりっ。
練習に踏み込んだ直後、何か柔らかいものにぶつかって、同時に頭上から聞こえた声に、舞翔の顔面からさっと血の気が引いた。
「何をやっているのかな?」
体中から汗という汗が噴き出す。
しかし舞翔は勇気を振り絞って、ゆっくりと顔を上げた。
見上げたそこに、満面の笑みを称えながら、般若のオーラを纏った士騎の顔があった。
どうやら警備員さんは、監督が居ると思い込んでいたのでは無く、事実、監督が居たらしい。
「ごっっっ、ごめんなさーーーーい!!」
「今日はたまたま俺が残っていたから良いものを! 何考えてるんだい君は!」
士騎は警備員に「こんな時間まで子供を練習させるものじゃない」と注意され、血相を変えて様子を見に来たのだった。
「まったく! どうしてこんなことを……!」
「うぅ、だ、だって」
舞翔は口ごもる。けれども突如ぽんと頭に乗せられた大きな手のひらに、弾かれたように士騎を見た。
「“例の改造"かい?」
「!」
「武士から聞いているよ。子供の君がたった一人でまさかあんな改造をしてのけるとは……正直信じられなかったが」
士騎の真剣な眼差しが舞翔を捉える。
「君なら出来る、いいや、例え失敗しても思い切り挑戦するんだ! 後のことは俺に任せなさい。必ず君たちを決勝へ導いてみせるよ」
胸をドンと叩いて、士騎は片目を瞑ってみせた。
その仕草に思わず舞翔はポカンと呆けてしまったが、直後、弾かれたように嬉しそうに、その表情が綻んだ。
「はい!」
その年相応の笑顔に士騎は安心したよう微笑んでから、今度はわざと厳しい顔付きを作る。
「ただし! 今後練習は絶対に夜の十時には終わりにすること、それと必ず俺に報告をすること! いくらだって付き合うんだから。いいね!」
「ふぁい」
さすがに眠くなってしまったのか、思わず欠伸まじりで返事をした舞翔に、士騎は小さくため息を吐く。
まだまだ子供だ。
(だからこそ、本当の問題に気付いていない)
士騎は心の中で呟くと、意味深に瞳を細め、舞翔を見つめた。
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