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第117話 『地の果てまで!? ソゾンの覚悟』





 まだ日が高い為、見上げたソゾンの姿は逆光で暗かった。

 それでも分かるラズベリーレッドの髪の毛に、不機嫌そうに細められたシアン色の瞳。

 そして無言のまま、ソゾンは急に舞翔の腕を掴むと、強引に引いて歩き出した。


「な、ちょ、へ?」


 舞翔の脳みそはその状況にまるで追いついていない。

 だから手を引かれるがままに歩き、気付けば人気の無い河川敷の橋の下まで連れて来られていた。

 そのことに舞翔が戸惑っている内に、ソゾンは手を放すと改めて舞翔を振り返った。

 ラズベリーレッドの髪が靡き、鋭い吊り目の中のシアン色の瞳が舞翔に向けられる。筋の通った鼻梁、整った輪郭。真っ直ぐ伸びた背筋に、堂々とした立ち姿。


(あぁ、ソゾンだ)


 紛うことなき、舞翔の前世からの推し、ソゾン・アルべスクその人が、今目の前に立っている。

 ただ、それだけだ。

 けれどもただそれだけのことが、舞翔にとってはまるで奇跡で、どうしようもなく胸が締め付けられる。


(あぁぁもう、恋が盲目過ぎる)


 苦しいのか、嬉しいのか、切ないのか、恥ずかしいのか。

 とにかくその存在が眩し過ぎて、直視出来ずに舞翔は俯いてしまう。

 その行動が、まずかった。

 ソゾンの眉がぴくりと動き、瞳が更に鋭く細められる。

 そもそも先ほど舞翔の口からキリルの名が出た時点で、ソゾンは無性に苛立っていた。

 そこに更に、舞翔に目を逸らされたことが追い打ちとなり、ソゾンの不満は頂点に達する。

 気付けば舞翔は橋脚の壁際に追い詰められ、次の瞬間、ソゾンの片手が舞翔の顔のすぐ横の壁を叩きつけたのを、舞翔は目をまんまるくして目撃した。


「おい」

「ひゃい!?」


 何が起こっているのか分からない、分からないが、舞翔は心の中で叫ぶ。


(ソゾンの顔が近過ぎる!)


 それもそのはず、ソゾンは壁に肘まで付ける勢いで舞翔に迫っていたのである。

 更に鼻腔を擽る彼の清涼な香りが舞翔の記憶の箱をこじ開けた。

 ブラン城でソゾンに抱き締められた出来事が蘇り、舞翔の頭は完全に沸騰する。

 ソゾンの顔が見るからに不機嫌で凶悪であること、その所為で壁ドンというよりははたから見ればカツアゲに見えることなど今の舞翔にはどうでもいい事である。

 というより、そう客観視できるほど舞翔に余裕があるはずもなかった。


(ちっっっっっっ近い近い近い近い近いかっこいいいいいいいいい!)


 この瞬間、舞翔の知能は底辺にまで落ちていたに違いない。

 見たこともないほど顔は真っ赤に茹だち、死ぬのではと思うほど心臓は早鐘を打ち、舞翔は完全に混乱してしまった。

 しかしそれに気付かれまいと必死に俯き顔を背けていた所為で、肝心のソゾンには舞翔の真意が一片たりとも伝わっていない。

 それどころか避けられていると受け取ったソゾンは、更にもう片方の手も壁に突き、舞翔の逃げ場を完全に塞いでしまった。


(なんで!?)


 退路を断たれ、更に密着した状態になった舞翔は心の中で渾身の悲鳴を上げる。

 心臓の音がもはや爆音となって舞翔の中で暴れ回り、よもやソゾンにも聞こえているのではと思うほどである。

 いよいよもって舞翔は顔を上げられなくなり、ひたすらにソゾンの胸元に視線を向ける。

 しかしそれすらもソゾンとの距離の近さを思い知らされ、どうしようもなく鼓動が速くなる。


(も、もう無理、限界! お願い離れてっ)


 思わず舞翔が天に祈り目を強く瞑った、直後。

 不意に舞翔の頬に柔らかい何かが触れた。

 ソゾンの髪だ。

 それに気付いた瞬間、舞翔の耳元であの独特な高い声が囁いた。


「何故逃げた、空宮舞翔」

「っ!」


 ハッキリと舞翔の鼓膜を揺らした、その言葉。

 どこか詰まったような声だった。

 その切実な響きに、舞翔の体から急速に熱が引いていく。

 同時に胸が強く強く締め付けられた。


(違う、私は逃げたんじゃない)


 いいや、何も違わない。

 それに気付き、舞翔は愕然と立ち尽くす。


(そうか、私は()()逃げたんだ。ソゾンからも、武士からも)


 何故今まで気付かなかったのか。

 いいや、気付いていたのに気付かないふりをしていたのかもしれない。

 ふいにソゾンが動き、舞翔はソゾンの腕の中から呆気なく解放された。

 体が離れ、二人の間に距離が出来る。

 そのことに、何故だかズキリと胸が痛んだ。


(私、最低だ)


 自分勝手で、臆病者で、いつだって本当に大切なモノから逃げてばかりで。

 前世から何も変わらない。


(だから結局、この手には何も残らない)


 舞翔の瞳から光が消える。


「おい」


 その時、急にソゾンの声がして、反射的に顔を上げれば何かが舞翔に向かって飛んで来た。


「へっ!?」


 慌ててそれに手を伸ばし、何度か手の中で弾ませながらも何とか落とさずにキャッチすることが出来た。

 何だろうと手のひらを広げ、舞翔は驚愕した。


「こ、これっ! 私の鍵!」


 思わず視線を上げた舞翔は、ソゾンと目が合いビクリと肩を揺らす。


「三日後、エフォート日本支部でBDFとエフォートの試合が開催される。BDFは正式にバトルを受け入れた」


 ソゾンは凍て付くような眼光で舞翔を捉えていた。

 舞翔は目を逸らせずに、背筋に冷たいものが伝う。


「招待メンバーには空宮舞翔、貴様も入っている」


 そしてソゾンの口から告げられた事実に、舞翔は雷に打たれたような衝撃を受け、声も出ないほどに動揺した。

 瞳孔が収縮し、視界が揺らぐ。

 舞翔にとって、それはまさに青天の霹靂だった。


「な、なん、で? どうして私が?」


 気付けば舞翔は縋るような目でソゾンを見ていた。


「っ、黙れ!!」


 そんな舞翔の情けない姿にソゾンは奥歯を噛み締めると、腹の底から湧き上がる怒りと共に吼えるように叫んだ。

 それに反応し舞翔はびくりと全身を揺らすと、本当に情けの無い、今にも泣きそうな顔でソゾンを見やる。


「一度目は貴様が勝った、二度目は俺が。今度こそ決着をつける、必ず来い」


 ソゾンは舞翔の腑抜けた顔に苛立ちが収まらない。

 同時に酷く胸が痛んで、その不快さにソゾンの表情は苦しげに歪んだ。

 そんなソゾンに舞翔は眉尻を下げ困惑する。


「む、無理だよ! だって、私はもう」

「黙れと言っている」


 有無も言わさず言葉を遮られ、反射的に舞翔は押し黙った。

 ソゾンに向けられた視線に息を呑む。

 シアン色の瞳は見開かれ、収縮した瞳孔は舞翔を捕える。


「例え貴様がどこへ逃げようと地の果てまで追いかける」


 まるで呪いか言霊のように、それは響いた。


「“絶対に逃がさない”」

「っっ!?」


 それだけを言い捨てて、ソゾンは去って行った。

 後ろ姿が消えてから、舞翔はへなへなと全身から力が抜けたようにその場にしゃがみ込む。


「っうぅ」


 鍵を握り締めたまま、舞翔は思わず両手で自分の顔を塞いだ。

 自分でも自分の感情が分からない。

 舞翔の顔は耳まで真っ赤に染まっている。

 眉間にはこれでもかと皺が寄り、目は痛いほどに瞑って。

 けれども勝手に、口元が緩む。

 そんな表情を抑えつけるように舞翔は両手で顔を挟んだ。


(逃がさないって、逃がさないって!)


 心臓が胸の中で馬鹿みたいに暴れている。

 心音が高鳴り過ぎてもはや動悸である。


「こんなの、ずるいよぉ」


 もう何もかも、諦めようと決めていたのに。

 無くなるどころか膨らむばかりのソゾンへの想いに、舞翔は思わず項垂れた。

 例えソゾンが求めるものが、自分ではなく自分との“バトルの決着”だとしても。


「あぁぁぁぁぁぁぁ、もう!」


 舞翔は立ち上がった。

 その瞳の奥底に、ゆらり揺らめく炎を秘めて。




※・※・※・※




 ソゾンは土手の上で舞翔の叫びを聞いていた。

 そして彼女の見えない位置から舞翔が立ち上がったのを確認すると、小さく息を吐き背を向ける。


「!」


 そこに、マカレナが然も愉快そうな顔で立っていた。

 ソゾンは僅かに眉間に皺を寄せるが、直ぐに無表情になると無言のままマカレナの横を通り過ぎようとした。

 けれど。


「逃がさないなら鍵を返さなければ絶対に来るのに、どうして返しちゃうのさ、のさ」


 通り過ぎる瞬間、マカレナにそう囁かれソゾンは目を見開く。


「おぉ、怖い顔」


 ソゾンは無意識でマカレナを睨んでいた。

 しかしマカレナは怯える様子も無く、益々小馬鹿にしたように目を細め、笑う。


「自分の意志で来てくれないと意味ないってやつやつ? なんかいいなぁ、そう言う熱い感じ!」


 声を弾ませるマカレナに、ソゾンは再び無表情に戻ると、今度こそ背を向け振り返る事なく歩き出した。

 その遠くなる背中を見つめながら、マカレナはぼそりと呟く。


「そういうの、憧れちゃうなぁ」


 舞翔の獰猛な瞳を思い出し、突如マカレナはぞくぞくと体を震わせ恍惚とした表情を浮かべた。


「でも、あの子は君には勿体ないよ。この僕が、もらってあげる」





犯罪者面で絶対に逃さないって言われたい。

推しの顔は凶悪であるほど刺さる。

そんな人生でした。

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