第109話 『登場! マカレナ・ファントム』
前世の記憶。
独り暮らしの狭いワンルーム、孤独な部屋で、いつも一人アニメを観ていた。
大好きだった『烈風飛電バトルドローン』。
舞翔はいつも、テレビの中のその世界を見ていた。
遠い世界、決して手の届かない世界。それでも舞翔にとっては大好きで人生の全てと言っても過言では無かった、世界。
けれど。
(私はそれを観ていたただのファン、この世界でも、ただのモブ。元に戻っただけ。これが、現実)
夜、暗くなったのに電気もつけずに舞翔は勉強机に座っていた。
外からの明かりだけで目の前に置かれた“エレキスト”を見る。
(あそこに居たことも、ソゾンとのことも、何もかもぜんぶ、ぜんぶが夢だったんだ。夢みたいな時間だったんだ)
立ち上がり、クローゼットの中のBOXを取り出す。
鍵のついたそのBOXをエレキストの横に置き、舞翔は再び座ってエレキストを真っ直ぐに見つめた。
「現実に戻らなきゃ。私は……モブなんだから」
舞翔は呟いてエレキストを手に取った。
そして丁寧に、隣に置いたBOXの中へとエレキストをしまう。
それだけではない。改良やメンテナンスに使う工具やパーツ、ドローンに関するありとあらゆる物全てをBOXの中に詰め込んだ。
「これからアニメ二部が始まる、もう絶対に同じ轍は踏まない。全て終わるまで、ごめんねエレキスト」
カチャリと小さな鍵を閉める音。
それからBOXはクローゼットの奥へしまい込む。
「よし、とりあえず……宿題しよう!」
言いながら、舞翔はランドセルへと手を掛けた。
※・※・※・※
夏休みも終わったというのに厳しい残暑の中、今日は新学期の始業式。学校へと舞翔は歩いていた。
「よぉ、空宮! 大会見たぜ!」
「お前なんで決勝いなかったんだ?」
クラスメイトに矢継ぎ早に話しかけられる。
しかし聞いているのか怪しい放心状態のまま、舞翔は教室へと辿り着いていた。
「武士、おめでとう!」
「すっげーなぁ、お前!」
教室の喧騒に舞翔はハっとしてその騒ぎの元を見やる。
クラス中の、それどころか他のクラスや他学年の生徒まで集まって来ている。
そしてその中心に居たのは。
「あ、舞翔!」
武士である。
教室に入った途端、武士と目が合い名を呼ばれ、舞翔は反射的に脱兎のごとくその場から逃げ出していた。
「っ舞翔!」
それを武士は追いかけようとした、のだが。
どんどんと集まって来る学校中の生徒たちが邪魔をして、全く前に進めない。
「頼む、みんなどいてくれ! おーい! 舞翔ぁ!」
背後から聞こえる武士の声も無視をして、舞翔は走った。
何事かとざわめく生徒たち。
それら全てから逃げるように、気付けば舞翔は保健室へと辿り着いていた。
保健室の滝川先生は突然駆け込んできた舞翔に驚いた顔をしていたが、舞翔の真っ青な顔色を見て快く保健室へと迎え入れてくれた。
「どうしましたか、空宮さん」
「あ、あの」
ランドセルも荷物も全て持ったまま来てしまったことに気付き、舞翔は呆然とする。
けれども教室には戻りたくなかった。
だから「お腹が痛いです」と咄嗟に嘘を吐いてしまった。
「あら、じゃあ今日はもう始業式だけだし、無理せず帰りなさい」
そんな舞翔に滝川先生はやはり嫌な顔ひとつせずそう言うと、学校へ置いて行く荷物は預かって、身軽な状態で舞翔を帰してくれたのだった。
舞翔はそれはもうとぼとぼと、登校時間が過ぎてすっかり静かになった通学路を家へ向かって歩く。
けれどもとても家に帰る気にもなれず、河川敷まで来たところで思わず芝の敷かれた土手に座り込んでしまった。
「駄目だなぁ」
立てた膝に顔を埋め、舞翔は大きな溜息をひとつ吐く。
「おめでとうって、言わなきゃいけないのに」
武士の顔を見た途端、どうしようもなく胸が詰まって、気付けば勝手に足が逃げ出していた。
そんな自分の小ささが嫌になる。
あの時、自分を見てどこか申し訳なさそうにしていた武士の顔を思い出し、舞翔の眉間に皺が寄る。
武士に、主人公にあんな顔をさせてしまった。
いいや、何よりも友達に、ひどいことをしてしまった。
「あぁもうっ、どうして私はいつもこうなの!」
「ハーイ! スミマセン、ちょっとおたずねしたいのですが?」
舞翔が叫びながら顔を上げた瞬間だった。
視界に突然見慣れぬ顔がカットインし、舞翔は飛び上がるほどに驚愕する。
「アラ、おどろかせちゃった?」
いつの間にそこに居たのか、目の前には自分と同じ年頃であろう少年が、にっこりと笑って立っていた。
その人物に、舞翔は更に動揺し瞬きも忘れその顔を凝視する。
シトロングリーンの髪をおかっぱに切り揃え、血のように赤い色の瞳は普通よりも少し瞳孔が大きく見える。それはまるで爬虫類の目のようで、見つめられているだけで全てを見透かされたような変な気持ちになる。
柳のような眉、整った輪郭、すっきりとした鼻梁、誰がどう見ても美少年の顔立ち。
舞翔はこの人物を知っている。
いいや、知らない訳が無い。
彼の名は“マカレナ・ファントム”。
そう、彼こそが第二幕のボスにして、あのファントム社の御曹司なのである!
(なっ、なんでマカレナがこんなところに!?)
舞翔は思わず全身を硬直させると何も言えず口を噤んだ。
今すぐに逃げ出したい。
しかし運の悪いことに舞翔が座っていたのはちょうど斜面である。
そんな場所で見下ろすように立たれているため、半ば閉じ込められるような状態になっていて、逃げるに逃げれない。
(この人、日本語ベラベラの癖になんでちょっと外国人風に片言で話しかけて来てるの!? 意味が分からなくて怖すぎる!)
知らず警戒の視線を向けてしまっていたのだろう。
マカレナは少しだけ小首を傾げたかと思うと、舞翔から一歩下がってみせた。
「オー、ごめんね。ちょっと道を聞きたかっただけなんだ」
マカレナは人の良さそうな笑顔を浮かべた。
少し距離が出来たことで安心したのか、舞翔も少し余裕が出来て「道ですか」とようやく声が出る。
とは言えあまり顔を見たくないし見られたくはないという意識が働いて、巧妙に視線を外しながら「どこへ行きたいんですか?」と舞翔はにっこりと作り笑顔で応対した。
(そう、私はモブ! モブとしての役目を果たすのよ!)
そう、求められているのはいかにも善良な市民のような立ち振る舞い。
しかし「ここへ行きたいのですが」と先程の片言よりもいささか流暢な言葉で差し出されたスマートフォンに映し出された地図に舞翔は目を見開く。
(エフォート日本支部!? これ、うちの近所じゃん!?)
舞翔は地図とマカレナを交互に見やると、だらだらと冷や汗をかきながらそれでも体裁を整えて「えっと、この道を真っ直ぐ行って左です」と簡潔に指を差して説明した。
(お願いだから早くいなくなって! 私はもう関わらないって決めたんだから!)
祈るような気持ちだった。
するとマカレナはスマートフォンをポケットにしまうと割とあっさり「分かりました、ありがとう!」と去って行ったのである。
舞翔はそのことに心底ほっとして、その場にへなへなと倒れ込んでしまった。
「ていうか、暑い。帰ろうかな」
そして立ち上がり、気が抜けてしまったのかふらふらと少し覚束ない足取りで、マカレナとは反対の道を舞翔は歩き出した。
その背中を、マカレナがじっと見つめている事には気付かずに。
「あれが空宮舞翔か」
マカレナは少しだけ不満げに唇を尖らせると意味ありげに目を眇めた。
「こんなにイケメンの僕と全く目を合わせようとしなかったなぁ、イケメンすぎて眩しかったとか、とか?」
ふんとマカレナは鼻を上げると右肘を左手の甲に添え、鼻持ちならない仕草でふぁさりと髪をかきあげる。
「普通の子じゃんじゃん、何がそんなにいいんだか」
そしてそれだけ吐き捨てると、鼻歌交じりに舞翔に背を向けて、教えられたのとは違う道を歩き出した。
「道だってこっちの方が近いでしょ、不親切~」
ラスボス、現る。




