第101話 『カランの後悔』
カランと共に駆けつけてくれていたらしい士騎が、サイモンを抱き上げることで舞翔は無事解放された。
士騎はそのままサイモンを医務室へ連れて行くと言って、会場を後にする。
その後ろ姿に手を振ってから、舞翔は改めてカランに向き直った。
「もう! 遅いよカラン!」
まずは目くじらを立ててカランを睨む。
しかしカランは先程から険しい顔つきのまま、表情を変える事無くじっと舞翔を見返してきた。
その視線に舞翔はうっと喉を詰まらせる。
「私、勝ったよ! 武士とカランがいなくても、頑張ったんだからね!」
遅れて来たのはカランの方で、舞翔が責められるいわれなど露ほどもない。
けれども武士とカランがいない間、無茶をしたせいで色々と危険な目にも遭ってしまった。
その負い目から、舞翔はついムキになって声を荒げてしまう。
そもそもカランは舞翔を一言も責めていない。
ただじっと、真剣な眼差しで見つめてきているだけで。
(な、なんで何も言わないの!?)
その視線に舞翔が動揺を隠しきれなくなってきた、その時だった。
「カ、カラン!?」
舞翔は気付けばカランに抱き締められていた。
それは祝福の抱擁というよりはどこか縋るようで、けれどもカランは舞翔の肩に顔を埋めてしまったため、表情を窺う事が出来ない。
舞翔は戸惑った。
直後、至近距離でよくよく見たカランの体に舞翔は目を瞠る。
マハラジャとしての矜持なのか、服だけは綺麗に仕立てた物を着ていたが、中身の方はいたるところに傷跡が出来ている。
「カラン、どうしたの?」
思わず情けない声が出た。
少し居なくなっている間にいったい何があったのか、辛いことでもあったのだろうか。
舞翔は置き所のない手をおろおろと宙に彷徨わせる。
その手を考えあぐねた挙句、そっとカランの背に置こうとしたその時。
「すまなかった、舞翔」
本当に辛そうな、自嘲が詰まったような声が聞こえて、驚いた舞翔は手を背に置き損ねてしまった。
何故か万歳のように手を上げた状態で、舞翔はカランを覗き込む。
「も、もう怒ってないよ! というか、本気では怒ってないし」
カランはようやく顔を上げ、同時に体が離れる。
舞翔がそのことにほっとしたのも束の間、再び垣間見えたカランの表情に舞翔は息を呑んだ。
カランは、怒っている。
そしてその視線の先に、ベンが居た。
僅かに眉間に皴がより、真一文字に結ばれた唇、収縮した瞳孔。
カランはその瞳にベンを捉えていた。
その視線に気づいているように、ベンは挑発的に口角を上げ、ひらひらと手を振ってみせる。
「次は俺の番だな」
カランはベンの視線から舞翔を守るように立つと、変わらずベンを睨み付けたまま呟いた。
「奴だけは、絶対に許さん」
※・※・※・※
少し前、舞翔とサイモンのバトルの真っ只中、カランはようやくスタジアムに到着し会場へと急いでいた。
修行に付き合ってもらっていたルイとユウロンと別れ、通路を急ぎ足で歩く。
そしてスタジアムの入り口が見えたところで、ラズベリーレッドが視界に揺れた。
「! お前は」
「待っていたぞ、カラン・シン」
入り口を塞ぐように立っていたのはソゾンである。
逆光で陰ったソゾンの表情は、相変わらず不愛想な無表情で、カランは瞬時に警戒を滲ませ身構える。
そんなカランを静かに見据えると、ソゾンはあくまで不遜な態度で口を開いた。
「貴様、どこへ行っていた」
「お前に言う筋合いはない」
カランは間髪入れずに突っぱねる。
こちらも負けず劣らず不遜な態度で、ソゾンを睨み返した。
二人の間には瞬時に緊張が走り、まさに一触即発と言ったピリついた空気が漂う。
が、しかし。
「お前が居ない間に、アフリカチームのベンに舞翔が襲われた」
「!?」
ソゾンが告げたその言葉に、カランの心臓がドクリと大きく脈打った。
嫌な汗が掌に滲み、目を見開いたまま無意識で呼吸が早くなる。
ソゾンはあくまで冷静だった。
明らかに動揺して立ち竦むカランをじとりと睨み付けてから、ゆっくりと歩き出す。
「精々気を付けろ、王子様」
カランの横を通り過ぎる瞬間、彼の耳元にそう忠告だけを残し、ソゾンは歩き去った。
残されたカランは直後、今までにない強さで両の拳を握り締める。
その腕には血管が浮き上がり、瞳は瞬きも忘れて瞳孔まで開き切っている。
カランの中で渦巻いていたのは、ベンへの怒りだけではない。
自分への激しい怒りで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
直後スタジアムからは割れんばかりの歓声が轟き、舞翔の勝利を告げるDJの声が響く。
弾かれたように、カランは走り出した。
恐らくベンの件は、ソゾンが舞翔を守ったのだろう。
それをここで教えることは、まさに敵に塩を送るのと同義だ。
けれどもソゾンは、そうまでしても舞翔の安全を優先させたということになる。
完敗だと思った。
大事な時に、いつも舞翔を守るのはソゾンだ。
守っているつもりで、カランはいつも舞翔を困らせてばかり。
光の溢れるスタジアムへ飛び込み、展望台に、サイモンに潰された舞翔の姿を見とめる。
同じく展望台へ向かっていた士騎の背中を追い越して、カランは夢中で舞翔のもとへと階段を駆け上がった。
駆け寄って、半ば無意識でその名を口にして、覗き込んだ、その瞬間。
「カラン、おかえりなさい」
そう言って安心し切った顔で柔らかく微笑んだ舞翔に、カランの胸は強く強く締め付けられた。
彼女が大切だ。
誰にも渡したくない、手放したくない。
沸き上がった自分の気持ちに、絶望する。
誰よりも自由に飛ぶ彼女に惹かれておきながら、自分が抱く想いは彼女を束縛するものばかり。
こんな気持ちを、カランは知らなかった。
カランのターン!




