初夜からの出来事
「離婚してくれないか」夫はわたくしにそう言った。
結婚したその夜のことでした。
「どうしてでしょうか?」わたくし、ヒラヒラのスケスケの薄い夜着姿なんですが、今する話でしょうか。
「想う人がいるのだ」
「それはご結婚前に仰るべきでは?」
「悪いとは思ってる。親に逆らえなかったのだ」
「あなたの不甲斐なさをわたくしに押し付けられても…」
とりあえずこの夜着、着替えてもよろしいですか?無駄にスケスケで居た堪れませんの。
その夜は二人とも各個室で休むことになりました。
朝食の後、チャールズ様の書斎で二人向き合うこととなりました。
「それで、わたくしとは離縁なさるおつもりですか?」
「そうしてもらえると有り難い」
「わたくしが離縁になるということは、今後わたくしがどのような扱いを受けても仕方ない、ということですが、あなたはそれをわたくしに強いられるというのですね?」
「そんな、そんなつもりは」
「結婚して翌日に出戻る女などが、どのように言われるかお分かりではないですか。それでわたくしを犠牲にする、あなたの想い人というのはどなたですの?」
「犠牲など…幼馴染のフォクシー男爵家のマリーだ」
「フォクシー男爵家、確か数年前に貴族籍の返還をされたのでは?」
「そうだ。今は元の領地で平民として暮らしている」
「それはご家族も反対されるでしょうね」
フォクシー男爵家は、数代前に陞爵した商家で代替わりの度に少しずつ落ちぶれていき、とうとう貴族の体面を取り繕うことも出来なくなり、貴族籍の返還をしたのだった。
「それでどういった馴れ初めですの?」
「子どもの頃から領地に行くと、マリーが近くに住んでいたので良く遊んだ」
「それだけ?いつから恋に?」
「フォクシー家が貴族籍を返す時に、マリーが泣いてもう私に会えなくなると言って、あまりに泣くものだから、ずっとそばにいるから…と」
「それで泣き止まれましたの?」
「そうだ、約束したから守らねばならない」
「それっておいくつの時でしたの?」
「3年前だから、私が15才でマリーが14才だ」
「結婚前にお話はされましたの?」
「ああ、迎えに来てと、待っているからと言われた」
「…それは、あまりにも幼すぎませんか?もうものの道理の分かる年ごろでしょうに」
「…」
この誠実といえば聞こえが良いが、考えの足りない男にわたくしが嫁がされたのは、言ってみれば手綱を握る人が必要だったんだろう。
夫となったこの人は、チャールズ・サウストン、サウストン侯爵家の嫡男だ。侯爵夫妻の一人息子で、姉君は昨年、王弟殿下に嫁がれている。王と王妃にはお世継ぎがいらっしゃらないので、王と二十ほど年下の王弟殿下がそのまま次代の王となられるだろう。
次代の王家と姻戚となるので、社交の場にも多々顔を出すことになるだろう。そこに貴賤結婚で教養と常識のない妻(偏見による想像と彼女の言動からの推察)を、連れ出すというのだろうか?
ただでさえ現在の王が王太子時代に、当時の婚約者である侯爵令嬢と婚約を解消し、子爵令嬢だった王妃と結婚したせいで陛下夫妻は、あまり好意的に見られていない。
外交でも王妃は相手国の言葉を話せず、相手国の習慣を付け焼き刃にでも学ばないせいで、外交の場に出せないと評価されている。だからといって国内の社交は大丈夫かというと、お付きの女官たちの助けが有ってさえ、時折問題は起きた。
サウストン侯爵家は、今現在も王家を「手助け」する存在となる必要があるというのに。
わたくしは少々没落気味ではあるものの、伯爵家の長女として育った。兄が実家を継ぐこととなっているが、侯爵家の援助と引き換えに嫁ぐことになったので、そう簡単に実家には帰ることが出来ない。言い方は悪いが侯爵家に金で買われた花嫁だ。そんな中での「離婚してほしい」発言なのだ。
困った。どうしたら良いだろう。マリーさんの言動から考えると、愛人として入ってもらってもきっと納得しないだろうし、万が一子どもが出来てもわたくしが育てるのを、彼女は良としないだろう。
「チャールズ様、マリーさんにはそばにいる、とだけ仰ったんですね?」
「そうだ」話している内容とは乖離した重々しい口調に、頭が痛くなりそうですわ。
「では、マリーさんをチャールズ様付きの侍女として家に迎えましょう」
「侍女?」「ええ、一旦侍女として雇います。チャールズ様がお出かけの際に連れて歩いてください。それならそばにいる、も迎えに行く、も言葉通りですわ」
「そんな、彼女では侍女など務まらないだろう」
「あら、そこがお分かりになるのなら、妻など到底無理だと分かっていらっしゃるんでしょう?」
「…」チャールズ様は拳を握って、目を伏せておられます。
「ご本人にも理解してもらう為に、あちこちで恥をかいていただいたらよろしいのではなくて?それも無理と仰るなら、チャールズ様が言い含めて下さいませ。愛人として引き取られるなら、反対は致しませんが、お子を生すのは諦めて下さいましね。揉め事の種にしかなりませんから」
「考えさせてくれ」チャールズ様はそう言って、目を閉じた。
わたくしはそのまま部屋に戻り、今の状況について手紙を書いた。
チャールズ様が結論のでない問題を考える間もなく、わたくしとチャールズ様の結婚はそのまま続くこととなった。
マリーさんが生家の借金のかたとして、娼館に送られてしまったのだ。チャールズ様もそうなってしまっては、もうどうしようもなく、わたくしとやっていくしか選択肢が失くなってしまった。
チャールズ様とわたくしの間には、男の子が二人、女の子が二人生まれ、愛情に満ちて、とは言わないまでも、それなりに平穏に暮らしました。チャールズ様は結婚当初のゴタゴタが嘘のように、誠実な夫となり、王弟殿下と姉君、後には国王陛下と王妃殿下の良き後ろ盾を務めました。
嫡男は、そのまま王宮で宰相府で働き、次男は騎士団に入りました。娘は二人とも、良い嫁ぎ先へ縁付きました。
時折、マリーさんのことを思い出します。あの方が「妻」などと欲張らずにいて下さったら、今頃一緒に過ごしていたかもしれないと…生家の犠牲となり親の好き勝手に、人生を決められた同志として。
わたくしが当時したことは、フォクシー元男爵の使っていた金融業者にお金を取り戻せる伝が消えた、と手紙を書いただけ。実際、チャールズ様とわたくしの結婚は既に披露されていましたので、嘘ではございません。
わたくしの家も伯爵家と言えど、落ちぶれた貴族生活でしたもの、どこの業者かを調べるように実家に頼めばすぐに分かりましたわ。
チャールズ様との結婚話がなければ、わたくしがどこかの金持ちの後妻か娼館に行くことになったでしょうね。
立ち位置が違っても、立場が同じだったマリーさん。あなたはもう一人のわたくしでしたわ。