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「まずは右手で、その服の左肩部分を掴んで、思いっきり引っ張り上げろ!」
「うんっ! ……え? ええっ?!」
最初の「うんっ!」は、気分がノッてたから、反射的に言われた通りに動いてしまって。
次の「え?」は、ついやってしまったけど、これに何の意味があるのか? という疑問。
最後の「ええっ?!」は、メイド服がまるで一枚のマントのように、バサリと払われて体から抜けて、きれいさっぱり脱ぎ捨てられてしまったことへの驚き。上着もスカートもエプロンも、どういう仕組みなのかヘッドドレスまで、全てが一瞬で脱衣完了している。
今のシルファーマは、魔界から来た時の、あの黒く薄い武闘着姿だ。
「な、何? 今の何? 何で何がどうなって?」
「何で、って。今から制限解除して、君が主張するところの、本来の、ムチムチなナイスバディになるんだぞ。その時、今のお子様用メイド服を着たままだと、服が破れてしまうからだよ。もったいないだろ」
何を当たり前のことを、そうか魔王女様は贅沢だからそんなこと気にしないのか、ふーん、お金持ちはこれだからなあ、という目つきでソモロンはシルファーマを見ている。
シルファーマはその目に負けず、押し返す。
「い、いや、服がもったいないってのは、あんたの言う通りだけど! でも、いつの間にこんな仕掛けを? あんた、シャレオさんの店に行った時、こんな仕掛けの注文はしてなかったわよね? してたとしても、こんな仕掛けを作る暇なんてなかったはずよ!」
「あの人が作るこの手の服には、いつもこういう仕掛けがしてあるんだよ。ステージ上でのダンスとかの時に映えるから」
そういえば、そんな服の請負もしていた。ダンスパブの……
「って、いやいや! せいぜい十歳児用のサイズよね、わたしのメイド服は?!」
「十歳児が、お遊戯会とか劇の発表会とか、しちゃ悪いのか。今みたいに、バサリとかっこよく脱ぐシーンがあったらいけないのか」
「本格的すぎるわ! どんな演芸専門学校に通ってるのよ、その十歳児は!」
「と、無駄な議論はここまで! ほらいくぞ!」
ソモロンは両手で複雑な印を切り、高らかに呪文を唱えた。
「制限解除! あちょおおおおぉぉ!」
その声と共に、ソモロンの手から放たれた一筋の光が、シルファーマを撃った。その光はシルファーマの中の中、奥の奥へと突き刺さり、厳重に閉じられた扉を開錠する。
それにより、シルファーマの深層に閉じ込められていた、シルファーマの本来の力が解放された。魔王女としての魔力が蘇り、魔王女としての肉体が復活していく。
腕が伸び、脚が伸び、ぷにぷにと柔らかかった肌は新鮮な果実のようにツヤとハリを備え、ちんまりだった肉体は牝豹のようにしなやかさと力強さとを兼ね備え、眩しいほどに明るいピンク色の髪はふわりと広がりながら長く伸び、丸く量感のあるヒップに届いた。
『っ……力が、戻ってくる……!』
顔立ちの愛らしさはそのままに、鋭さが加わった目つきには妖しい色香を宿すようになり、ソモロンと同じか、あるいは一つぐらい年上ではないか、と思えるほど大人びている。
たっぷり大きくてずっしり重そうで、しかしその重さにしっかり抗してむしろ上を向いて、且つ前方に突き出されている、豊かなバストを誇らしげに揺らし、敢然と立つその姿は、妖艶にして威風堂々。
魔王女シルファーマの真の姿が、今、初めて地上に示された。
自分が呪文を唱えて起こしたことながら、シルファーマのあまりの変貌っぷりに、ソモロンは目を見張った。シルファーマの真の姿を見るのはソモロンもこれが初めてなわけだが、その美しさが、想像を遥かに超えていたからである。
その驚きの大きさは、サイコロ巨人の異様さを見た時とは比較にならない。それほどまでに、今のシルファーマは、何よりも何よりも美しいと、ソモロンは心から思った。
そんなソモロンの視線を浴びながら、
「ぃよおおぉぉっし! 魔力充実!」
シルファーマが、拳と掌を打ち合わせた。その動作だけで、周囲を圧する突風が起こった気がして、思わずソモロンは一歩下がってしまう。
成長、いや、元の姿に戻ったシルファーマは、その伸びやかな肢体に漲る力を持て余すように、溢れ出させているかのように、風よりも速く駆け、矢のように鋭く跳んだ。
シルファーマのことなど忘れて背中を向けて暴れている、サイコロ巨人に向かって。
「ほら、こっち向きなさいっ! まずはあいさつ代わりよ!」
その声に振り向いたサイコロ巨人の顔面へ、シルファーマは回し蹴りを叩き込んだ。
二階の屋根までも易々と届いてしまうシルファーマの瞬発力、その脚の力に、全身を捻った力も加えた回し蹴りだ。しかも先程ソモロンに食らわせた足の甲ビンタとは違う。足の指を逸らせた状態での足の裏の先端部分、いわゆる前足底を、まるで登山に使うピッケルのように、顔面(と言っても巨大なサイコロだが)に叩き込んだのである。
うわエゲツない、と目撃者の誰もが思うその一撃を食らい、サイコロ巨人はさすがにグラついた。だが倒れはせず、数歩後退するに留まる。
ほんの数瞬、俯いたサイコロ巨人だったが、すぐに立ち直って前を向いた。そして迎撃態勢を、と思ったがその視界にシルファーマはいない。右か左かそれとも頭上に跳んだのか、とサイコロ巨人はキョロキョロするが、シルファーマはそのいずれにもいなかった。
下だ。後退したサイコロ巨人を追いかけ、その足元で右足首に抱き着いていた。そして持ち上げる、が、こんなことをしてもサイコロ巨人の右足の裏が僅かに浮くだけだ。
普通の人間同士のように、体格に大差がなければ、片足を高く持ち上げるだけで相手を倒せる。だがシルファーマとサイコロ巨人でそれは不可能だ。シルファーマの体そのものが、サイコロ巨人と比べて絶望的に小さい以上、どれほどの怪力でも「足が持ち上がる」以上のことはできない。シルファーマの、力の強弱の問題ではなく、物理的に不可能だ。
と、ソモロンは思った。だが違った。いや、確かに倒せはしなかったのだが、
「つおりゃあああああぁぁっ!」
シルファーマは強引に「振り回した」。そりゃあ、切れ目なく繋がった一本の長い棒は、その一端を持つだけで、全体を振り回すことができる。腕力や握力が充分にあれば、どれほど長く太く重い棒であろうとも、振り回すことは可能だ。
シルファーマは、身長なら余裕で二倍以上、体重なら何十倍あるかも判らないサイコロ巨人を、正に一端、片足首だけに抱き着いた状態で、大きな旗のように、あるいは投げ縄のようにブンブンと、いや、ゴォゴォと風の唸りを上げて、振り回しているのである。
あまりといえばあまりにも非常識な光景に、ソモロンが唖然茫然としていると、シルファーマはサイコロ巨人を豪快に投げ飛ばす、かと思いきやそうはせず、盛大にブン回して勢いをつけにつけた後、その回転力をそのままで、地面に叩きつけた。巨大なハンマーで、杭を地面に打ち込むかのように。
「あ、よいしょおおぉぉ!」
耳を破らんばかりの、至近距離の落雷のような轟音。地割れを連想させるほど、大地を揺らす激震。竜巻襲来のような、膨大な砂埃。それらが一斉に起こり、そして治まった時、その大惨事の中心に立っているのは、黒く妖しく煽情的な装束を纏った美少女、シルファーマだけであった。シルファーマによって振り回されて叩きつけられて、サイコロ巨人は倒れている。
が、ゆっくりと起き上がってきた。
「へえ。まだやるの? もちろんいいわよ。こんなあっさり終わったんじゃ、つまらないもんね。わたしの魔力は、まだまだこんなもんじゃないっ!」
どの辺がどう魔力なのか、ソモロンにはよくわからない。だが確かに、今のシルファーマの体に強い魔力が宿っていることは感じ取れる。おそらく魔界人の肉体にとっては、魔力がそのまま体力というか、身体能力の強さにも繋がるのだろう。
「うぅ~む……」
多くの冒険者たちが手も足も出なかったサイコロ巨人を相手取って、余裕たっぷりに戦っているシルファーマの強さに、ソモロンは何も言えず、ただ驚いていた。
ソモロンは、先祖が作った契約書の記述と、契約した時の様々な記録から、シルファーマの一族の強さは知っていた。が、流石にこれほどとは思わなかった。更に、その強さに負けないほど、見る者の目を強く惹き付ける美しさをも備えている。
これが魔王女か。ソモロンは初めて、ちょっと真面目に、ある種の感動と畏怖を覚えた。
が、いくら資料が手元にあったとはいえ、歴史の彼方の遺産である【魔王との契約】を成し遂げたソモロンもまた、魔術師としては非凡なものを持っている。その非凡さゆえソモロンは、シルファーマの強さと美しさに心を奪われるだけではなく、別のことにも気づきつつあった。
それを確かめるべく、ソモロンは手を翳して、指と指の間から、サイコロ巨人を見た。そうすることで、巨人の内部を血のように循環している魔力の、強さとリズム、そして魔力そのものの色や形を見る。ソモロン自身の魔力を通じて、読み取っていく。
「……やっぱり!」
ソモロンが「それ」を確信した時、サイコロ巨人が動いた。