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「え、あ、その」
いきなりズバリと言われて、シルファーマは対応に窮する。
シャレオはというと動じず、むしろ楽しそうな顔で語りだした。
「あの時、言ったでしょう? 美の追求こそがワタシのテーマだって。その人を、一番美しく飾ってくれる衣装は何か? それを真剣に考えて出てきた答えよ。アナタのメイド服も、そしてワタシのドレスもね。ワタシが思う、一番の美」
見ればシャレオは、いつぞやのシルファーマと同じように、視線を高く上げていた。その先にあるのは、遥か遠く高い、煌めく星空だ。
「ワタシには、誰が何と言おうと譲れない、譲ることのできないものがある。だから【この】類の商品は常にお店に置いてあるし、いつかはソモロンにも、街中のみんなにも、【これ】を理解させたいと思ってる。男性用として作られた、可愛い、綺麗な服の良さをね」
「男性用って……」
「この体格のワタシが着て、破れてないんだから当然でしょ? この服は女物ではなく、こういうデザインの紳士服なの。よく誤解されるんだけど、ワタシ、「女の装い」をしてるつもりはサラサラないのよ。だからこの通り、お化粧なんかもしてないでしょ?」
「その言葉遣いは? あとついでに言うと、最初に見た時から気になってたんだけど、その髪。伸ばすなり、カツラを被るなりしないの?」
「それらは、ワタシが真剣にコダワってる美、つまり綺麗な服とは関係ないからね。髪については特にいじる気はない、言葉遣いはただの趣味、ってこと。女言葉で喋っていても、女装はしてないって人もたくさんいるわよ? 男側か女側かに統一してないのは、よくあることよ」
シルファーマは思った。この人もソモロンに劣らず、ややこしいコダワリしてるなぁと。
しかも街のみんなに理解させたい、と言ってる分、ソモロンよりも上というか重度だ。
「ソモロンも含めて、なかなか誰にも解ってもらえないけど。いつかは、ね」
「それは……その、かなり……かかりそうね。時間が」
シルファーマが遠慮がちに、でも正直に言ってみると、シャレオは当然のように頷いた。
「そうでしょうね。もちろん、それは解ってる。覚悟してるわよ。でも、それはそれとして。仕事は仕事、やるべきこと、だからね。そっちも手は抜かないわ」
ガロゴロガラゴロ、シャレオの引く荷車が、石畳で重そうな走行音を立てている。
それは荷台に積まれている、注文の品の重みだ。ごく普通の、女物の、可愛い衣装の山。
「シルファーマちゃんに、どんな事情があるのかは知らないけど。ソモロンの店のお仕事、しっかりね。何か辛いことがあったら、ワタシで良ければ相談に乗るわよ」
譲れないものがある。だが、それはそれとして仕事は仕事。手は抜かない。
シルファーマに、ちょっと刺さった。
「……ありがと」
「ふふ。ここで、「ソモロンには理解できない、女同士でないとダメな相談事もあるでしょう」とか言えたら、カッコいいんだけどね~。それを言えないのが残念なとこであり、且つ、それは言わないのがワタシのコダワリってね」
あはははは、と陽気に笑うシャレオの声と笑顔が、シルファーマに染みる。
「さてと。ワタシはこっちだから、ここでお別れね。この街の、こんな大通りなら心配ないとは思うけど、夜道の女の子の一人歩き、気をつけなさいよ」
「うん。シャレオさんも、お仕事頑張ってね」
手を振って、シルファーマはシャレオと別れた。
ヨサイシの街を見下ろす小高い丘の上に、男が立っていた。
周囲には他に誰もいないが、いたとしても暗い夜のことだ。地味なローブをすっぽりとかぶった男の姿は、目立たないことこの上ない。
男は懐から、掌にちょうど収まるぐらいの大きさの、白い立方体を取り出した。そしてその立方体で、街を照らそうとでもするかのように、高く掲げ持つ。
星々の明かりに照らされる男の口から、高らかに、朗々と、言葉が紡ぎ出された。
「火炎よりも、流水よりも、疾風よりも、岩石よりも強い、されど肉体の牢獄に囚われ、力を振るうことのできぬ、精神の精霊よ。汝にふさわしき形を与え、解き放とう!」
すると、まるで男の呼び声に応えるかのように白い立方体が光を発し、脈動を思わせるリズムで明滅し始めた。
「天国・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間の六つの世界、六つの領域を、今、六面の光で貫き! 己が存在を、力を、存分に知らしめるがいい! サイコロイド、起動!」
男の手から立方体が飛び上がった。六面それぞれに一つから六つの穴が穿たれているそれは、まるで雪面を滑るように、そして意思があるかのように、街へ向かっていく。
明滅する立方体が狙うは強い意志。強い精神。
シャレオは荷車を引きながらあれこれ考え、ぶつぶつ呟いていた。
その頭に思い浮かぶのは、シルファーマのメイド服姿の可愛らしさ。可憐さ。そして色っぽさ。似合い過ぎである。我ながら、実に見事な見立てだったと思っている。
「シルファーマちゃんが、ソモロンとペアルックしてくれたらなぁ。いっそ、ソモロン用のメイド服を作って格安で……いや、無料で押し付ければどうかな。ソモロンの性格上、せっかくあるものを使わず無駄にするのは、きっと抵抗あるはず……いや、ダメね」
あのソモロンである。着るのは嫌だが捨てるのは勿体ないということで、メイド服を切り分けて雑巾にして、「うむ、布の有効活用。我ながら名案」とか。言いそうだ。
ではどうすればいいのか? と真剣に真剣に思い悩み考え込むシャレオの頭上に、丘の上の男が放った立方体が、音もなく飛来した。
今、たまたまシャレオの周囲には人通りが絶えているが、もしも誰かがこの光景を目撃したなら、間違いなくこう言うだろう。「ちょっと大きめのサイコロが飛んできた?」と。
そのサイコロを頂点として、円錐状の怪しい光が放射された。標的は真下にいるシャレオだ。そのがっしりした長身を完全に、怪光線が包み込む。
「え? な、なに?」
シャレオは驚き、真上を向いた。その時にはもう彼の意識は混濁し、薄らいでいた。
「っ……? ぅ……あ……シ、シル……マちゃん…………ペア……ック…………」
上を向いているシャレオの顔に生気はなく、その眼は何も見ていない。そんなシャレオの頭上で静止しているサイコロは、光の円錐を通じてシャレオから何かを吸い上げていく。
シャレオの全身から吸い上げられていくのは、光の中にあっても輝きを失わない、キラキラした光の粒子。それが、円錐の頂点、サイコロの中に吸い込まれていく。そしてサイコロは、その光の粒子を養分としているかのように、みるみる膨らんでいく。
やがてサイコロが、大人の両腕でも抱えきれないほどの大きさになった時、光の円錐は消えた。すると、吊り上げていたロープを切断したかのように、シャレオの体は地面に倒れ伏す。サイコロだけが、変わらず宙に浮いている。
そのサイコロから、男性でも女性でもない、神でも悪魔でもない、善も悪も感じられない、生物らしさのない声が響いた。
《サイコエネルギー充填完了》
サイコロの底面から、今度は光の円錐ではなく、揃えられた巨大な足が生えた。真っ白で、凹凸がなく、性別不肖だ。まるで手抜きして作られた石膏像のよう。次いで腰、胴と生えていき、肩があり腕があり……あっという間に、サイコロを頭部とした巨人が完成する。全長は、普通の成人男性の二倍ほどある。
首から下が生えきったところで、頭部のサイコロ以外はじわじわと色が付き、表面が波打って変形して、生物らしく、そしてきちんと衣類を纏った姿へと変わっていく。
その変形が完全に終わった時、再びあの声がした。
《サイコロイド、起動します》
サイコロ頭の巨人が、正面に向いている1の目を、まるで単眼のように光らせて、逞しい両足でしっかりと地面を踏みしめ、立つ。そして、地響きを立てて歩き出す。
太古の昔、世界中を大乱に、人々を恐怖に落とし入れた人型兵器が、ここに蘇った。