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シルファーマが地上界にやってきて一週間。
アルバイトのひとつもしたことのなかった魔王女様だが、メイド服姿での道具屋店員生活にも、段々と馴染みつつあった。
「ありがとうございました~」
代金を受け取り、商品を渡して、営業スマイルで一声。全てカウンター越しにやってるのだが、今のシルファーマでは身長が足りないから踏み台に乗って、である。
これから遺跡でも探検するのか、それとも隊商の護衛かといった風情の、戦士やら魔術師やらの冒険者一行をお見送りして、一息つく。溜息を。
「……はあ。ほんと、馴染みつつある……馴染んでしまいつつあるわね。この生活に」
大して広くもない、道具屋の店内。薬草や松明、ロープやナイフや革袋や地図などといった、標準的な商品がズラリと並んでいる。
だがその一角には、標準的ではない、少々専門的な魔術関連の品物も置かれている。その大半は冒険者が売りに来たものだが、一流の魔術師として名を馳せている、ソモロンの祖父が入手してきたものも混じっているそうだ。
ソモロンの祖父は、冒険に疲れたといってこの街に住み着き、この店を開いた。が、退屈になったといってまた冒険に出発。店は息子夫婦に譲って、以来音沙汰無し。息子夫婦、つまりソモロンの両親は両親で、こんな物騒な界隈の仕事はやりたくないと主張し、ソモロンに店を任せて、この街を出ていった。
「で、アレがやりたい放題やってるわけか」
カウンターに肘をついて、シルファーマはグチる。
つまり魔術の勉強が好きで、冒険者たち相手の商売・生活にも抵抗のないソモロンにとっては、理想の環境なのだ。この店の地下室には、祖父が残していった、魔術の専門書が大量にあるという。ソモロンはそれで勉強しながら、道具屋の経営で生活費を稼ぎ、そうこうしている内に地下室の奥から魔王との契約書を発見し、シルファーマとの契約に至ったらしい。
「でも結局何も変わらない、平和な道具屋生活を送っている、と」
「前にも説明したけど」
測ったようなタイミングで、店の奥からソモロンが出てきた。
また、地下室で黙々と魔術書を読んでいたのだろう。店のことはシルファーマに押し付けて。
いいご身分ね、とシルファーマは思う。
「僕は、じーちゃんの手ほどきを受けてるからね。知識だけでなく、実力もなかなかのものと自負してるよ。教科書では学べない、実戦でしか得られないものもあるのは事実だけど、逆に、希少な文献や優れた教師からしか学べないものだって、たくさんある」
「それはそうだけど……」
「しかも僕は、専業冒険者でこそないけど、実戦だって素人ではない。これも言ったろ? たまに冒険者パーティーから、魔術師が欠けたから臨時に助っ人を頼む、なんて依頼も来るって。その時には遺跡にも行くし、魔物とも戦う」
「次からは、そういう仕事の時にわたしも参加させてくれる、って話だったわね」
「そうだよ。んじゃ、そろそろ店番替わろうか。奥で休んでていいよ。それとも散歩がてら、昨日美味しいって食べてたアップルパイを買いに行く? あれ、実は冒険者の酒場で出されてるもんでね。肉体労働だから、意外と甘いものが喜ばれるんだ、あそこの人たちには」
「……その、冒険者たちが、」
シルファーマが、
「依頼に来るのはいつの話よっ!」
ドン、とカウンターを殴りつけた。
これにしても、本来ならこんな、魔術もかかっていない木製のカウンターなど、一撃で粉々にできるはずなのだ。本来のシルファーマなら。もちろん踏み台になんか乗らずに。
だが、幼女の姿になっている今では、手が痛いだけ。
そんなシルファーマの嘆きにも悲しみにも、ソモロンは涼しい顔で応える。
「そう言われても。押し売りできるもんではないし、向こうから注文が来ないことにはどうにも。まあ、そうガッつかずに。もっと平和にいこう」
「ガッつきたいのよ、わたしは! 平和なんかいらないってのっっ!」
シルファーマは踏み台から降り、ソモロンの襟首を掴んで、引き寄せて吠えた。
身長差のせいで、ソモロンの背骨が折れ曲がる。
「ぐえ」
「大体、あんたは! ハーレムなんて野望があり、しかも自分で天才魔術師とか言ってたくせに! なんでこんな生活してるのよ! 一攫千金狙ってお宝を探すとか! 禁断の秘術の完成を目指して、怪しげな実験を繰り返すとか! しなさいよ!」
「野望があろうと天才だろうと、根が安定志向なもんでね。冒険はしない……というか、だから冒険の機会はあるんだってば」
しれっと言うソモロン。
「てなわけで話を戻そう。休憩用の茶菓子を買ってくる? あのアップルパイ」
「そこに戻るのっ?」
「いらない?」
少し、間が空いた。
怒りに息を切らせていたシルファーマが、ちょっとずつ落ち着いて。
ソモロンを睨みつけていたシルファーマが、そっぽを向いて。言った。
「……いる。美味しかったもん」
そんなシルファーマに、ソモロンは笑顔と共に小銭を送る。
「ん。じゃあこれ代金。いってらっしゃ~い」
夕闇迫る中、シルファーマはソモロンに見送られ、小銭を握りしめて店を出た。
ここ、ヨサイシの街は代表的な交易路とは離れているため、商人の行き来が多いわけではなく、ずばり田舎である。が、周囲には未踏破の(つまり価値の高いものが眠っている可能性が高い)遺跡が多く、雑多な魔物が巣くう険しい山脈もある。そのため、学者や骨董品販売業者などにとっては魅力も危険も多い。だからこの街では、探索・戦闘などの専門家である冒険者の需要が高く、人数が多い。街中のいたるところで見ることができる。
そんなヨサイシの、冒険者の酒場はいつも、いろいろな夢を抱いた者たちで賑わっている。一攫千金、とまではいかないまでも、そこそこの成功を得て祝杯をあげていたり。新たに組まれたパーティーが、景気づけで乾杯していたり。
もちろん、そういう明るく楽しい光景の陰には、多くの敗北者、挫折者、そして死者もいるだろう。それでもここにいる彼ら彼女らは、精一杯に自分の道を歩いている。たとえ勝てずとも、人から称えられずとも、長く生きられずとも、そこには春の花のような一時の、あるいは夏の花火のような一瞬の、確かな輝きがある。
しかしシルファーマには、何もない。ただ、店員に「お持ち帰りで……」とボソボソ注文し、アップルパイの包みを受け取って帰るだけだ。ソモロンの店へと。
酒場を出ていくシルファーマの耳に、またどこかのテーブルから、景気のいい乾杯の声が聞こえてきた。
「……何やってんだろ、わたし」
街路を歩きながら、シルファーマはぼやいた。
魔界で戦えない以上、武名を上げたいなら地上界に、ここにいるしかない。そしてここにいる為には、ソモロンの厄介になるしかない。だがソモロンの厄介になっていて、武名を上げるチャンスなんてあるのだろうか? こんな、平和なゆるゆる道具屋生活をしていて。
『とはいえソモロンが、わたしとの契約という【当たりクジ】を引けたのは、落ち着いて道具屋生活をしてたおかげだぞ、と。店を捨てて冒険の旅なんかしてたら、契約はできなかったぞ、と。そう言われたら、その通りなわけで……うう~』
アップルパイの包みを手に、シルファーマが路上で悶えていると。
後ろから歩いてきた人物が、陽気に声をかけてきた。
「あら、シルファーマちゃん! 今日も可愛いわねえ♡」
見事な体躯と爽やかな笑顔、耳に心地よい低音ボイスと美しいドレス姿の青年、シャレオだ。何やら荷車をガラゴロと引いている。
荷台に積み上げられているのは、畳まれた衣類。軽く四十人分ぐらいはあるだろうか。
「ああ、これ? ウチの商品よ。近くのダンスパブチェーン店の、専属ダンスチームの衣装。シルファーマちゃんがウチに来た時に着てたみたいな、ちょっと色っぽい衣装でね。注文されてたのが完成したから、届けるところなの」
「届ける、って。シャレオさんは店長じゃないの?」
「店長よ。だからこそ、こういう大口注文の場合には、お客さんに直接届けて、商品を見てもらって、その場でいろいろとお話しをしとかないとダメなの。次の仕事に繋がるか、これっきりになるかの分かれ目だからね」
「へえ。大変なのね」
「そりゃ仕事だから。でも、お客さんの声を聞くのは大切だし、これはこれで楽しいのよ」
向かう方向が同じだったので、二人はしばらく並んで歩いた。
まだ宵の口の繁華街なので、多くの人たちとすれ違う。ここに来た当初は注目を集めたシルファーマだったが、もう一週間経ったので、街の人たちには既に馴染んでいる。改めて注目されてはいない。
そしてそれは、シャレオもまた同じ。精悍な顔と体格と、豪奢なドレスという組み合わせのシャレオが、特に注目を浴びていない。町の人たちは平気な顔をしている。
『そっか。慣れてるから注目されないんだ。こんな人がこんなカッコしてても』
ちら、とシャレオを見る。何度見ても、顔は凛々しい。ドレスは綺麗。だが……
「ふふ」
まるで、いつかのソモロンのように。
シャレオは前を向いたまま、シルファーマの方を見ずに言った。
「やっぱり珍しい? そうよね、ワタシのこの格好は。そうすぐには慣れないわよね」