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メイド服姿で、ソモロンと並んで街路を歩くシルファーマ。日は暮れているが、まだ真夜中というには早いので、人通りはそこそこある。
そんな中を歩き、多くの人とすれ違っていると、主に男性が、そして少なくはない数の女性も、結構な人数がシルファーマに振り向いている。
「……んっと……」
「可愛いからだよ」
少し前を歩くソモロンが、歩みを止めず、シルファーマの方を見もせずに言った。
「今、戸惑ってるだろ」
「そ、そうだけど、よく判ったわね」
「そりゃまあ。異世界に降り立つなり、武名がどうの戦いがどうのと激しく喚いた王女様だからね。今まで、されたことがない……いや、されていたとしても、意識してなくて耳に入ってなかった賞賛に対し、どう反応していいか困ってるってとこかなと」
図星だ。
「素直に喜べばいいさ。女の子が、可愛いって思われてるんだから。君は可愛いよ。魔王女様という肩書きにふさわしく、充分に気品があり、美しい。さっきシャレオさんもそう言ってたし、誰よりも先にこの僕が、初対面の瞬間から絶賛してただろ?」
それは確かに。ソモロンはシルファーマを見るなり、「ロリ悪魔っ子~♡」と大喜びしていた。シルファーマのことを美しくない、可愛くないと思っていれば、出てこない言葉であり、見せない態度であろう。
シルファーマとしては、ソモロンの誉め方? は手放しで喜べるものではないのだが、それでも誉め言葉であり好意であるというのは理解できる。
そこに考えが至ったシルファーマは、小声でぽつりと、「ありがと」と言いかけた。が。
「皆が君の可愛さを褒めれば褒めるほど、僕の野望の価値も上がる。それを実感できて、僕も嬉しいしね」
「……?」
シルファーマは足を止めた。
「ちょっと。それどういう意味? 野望の価値って? あんたの野望は、エロ女戦士だの清楚お姫様だののハーレムなんでしょ? その価値が上がるってどういうことよ」
「そりゃあ」
ソモロンはクルリと振り向いて、答えた。
「ハーレムの構成員が、世間から美しさを褒め称えられていれば、そのハーレムの王様としては鼻が高いに決まってるだろ?」
「あんたの、ハーレムの、構成員が、褒められ……」
ソモロンは無言で、シルファーマを指さした。
一拍置いて、
「ふざけるなああああああああぁぁぁぁっっ!」
跳び上がったシルファーマの拳が、ソモロンを地に叩き伏せた。
間髪入れず、ソモロンの背を、後頭部を、シルファーマの足が嵐のように踏みつける。
「誰が! 誰が! 誰が! 誰がっっ! あんたの、ハーレムの、構成員なんかにっ!」
「ああぁぁ~」
どかんどかん踏まれながら、ぐりぐりと踏みにじられながら、ソモロンは嬉しそうだ。
「ハーレムやりたきゃ、別に止めはしないから、勝手にやってなさい! でもわたしは関わらないからね! もっとこう威厳たっぷりの、天下統一を目指す大きな男の、その野望が成った暁の、王妃様とかならまだしも! 誰があんたみたいな、単なるゲスでMな奴なんかにっっ!」
「ん~もうちょっと下……うん、そこ……」
「悦び悶えるなああああぁぁぁぁ!」
絶叫してソモロンを踏みまくるシルファーマは、下(悦んでるソモロン)を見ているのが嫌になって、視線を上げた。
『あっ? これは……』
シルファーマが見たのは、満天の星空。今の今まで、それどころではなかったので、全く気づかなかった。
たった一つの月しかない魔界では、見ることのできない光景だ。シルファーマにも、魔界の伝承として地上界の知識があり、「夜空の星」も知ってはいた。だが、実物を見るのは初めてだ。
とてもとても数えきれないほど多くの、そして、何十日何百日歩けば到着できるのかも判らない遥か遠くの、宝石の海のような煌めき。
その、想像を絶する美しさに、シルファーマの意識は吸い込まれた。
シルファーマの瞳には、今、キラキラの星空だけが映っている。
もちろん、ソモロンをドガゴンドガゴンと踏むペースは緩めていない。
「なんて綺麗……彼方の、無数の……光……これが、星……」
この時、瞬く星々からの励ましの声を、シルファーマは聞いた気がした。
「……うん……何もかも、これからよね。未来は無限、可能性は必ずある。華々しく戦って、武名を上げるというわたしの夢、まだ絶たれたわけではない。わたし、頑張るっっ!」
星空に向かって、シルファーマは拳を突き上げ、誓いを立てた。
その足元では、ゲスでMな魔術師が踏まれて悶えていた。
嬉し涙を流しながら、舞い降りた地上界で。
悔し涙を拭いながら、拳を握って誓いを立てる。
武闘派魔王女シルファーマと、ゲスでMな魔術師ソモロンとの、これが出会いであった。
魔界でも地上界でも、伝説としてすらほぼ語られなくなった、悠久の彼方の謎の遺産である、「境界の壁を越えた契約」が結ばれていた、歴史的一幕の、同じ時。
シルファーマたちから少し離れた場所で、その契約を知り得た者がいた。
「むう……詳しい場所は特定できんが……これは、魔界と通じている? もしや、何者かが魔王との契約を結んだというのか?」
暗い場所。年季の入った机に向かっているのは、ソモロンと違って魔術師らしい魔術師だ。灰色のローブをすっぽりと被ったその出で立ちは、よく言えば質実剛健、悪く言えば地味でありきたりな、いかにもな魔術師スタイルである。
フードの下の人相は影となっており、正面から向かい合っても簡単には見えない。声の具合から、三十代ぐらいの男と推測するのが精いっぱいだ。
男の目の前には、これまた魔術師らしい水晶玉があり、その中には何色もの絵の具を水面に垂らしたような、文字とも絵とも見えない模様が映し出されている。その模様を見て、男はシルファーマとソモロンの契約を察したらしい。
「ふん。魔王と契約すれば世界を制するも容易い、とでも思ったのであろうが。この俺がいたことが、あまりにも残酷な不運だったな。お前の野望、砕かせてもらうぞ」
男は、顔も名も知らぬ、「魔王と契約した魔術師」に対して冷笑した。
「せいぜい今の内に、強大な魔王様を使役して暴れさせ、国のひとつぐらいを支配するがいい」
男が軽く手を振ると、水晶玉に映っていた模様は消えた。今はもう、真水のようにただ透き通っているだけだ。
「魔王だの神だのと、矮小な枠に囚われた者どもよ。地の底から空の上まで……どころではなく、それらを突き抜けて遥か彼方まで、この俺が握ることになる。楽しみにしているがいい」