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第4話 英雄

 盗賊に抱きかかえられて、彼女は山の中を移動する。着いたのは、少し大きな木の家だった。


「ここでしばらくジッとしておきな。ヒヒっ、用があったらまた遊びに来るからよォ」


 彼女は持っていた拳銃を取り上げられると、木の家の一室に押し込まれた。そこは酒とタバコの臭いが充満する部屋だった。もとからロクな使い方をしてなかったんだろうな、と彼女は感じた。しかし幸いにもベッドがあったので、彼女はそこに腰をかけた。少し埃っぽいので、横にはならずにそのまま目を瞑る。


 一体、何が起きたのだろうか。山道を歩いているとき、急にジョッシュが足を止めた。そしてアンナという女性と戦ったかと思うと、突然彼女の背後に盗賊が現れた。アンナは盗賊だったのだろうか。しかしそれにしては『研究』と言っていたし、盗賊な感じはしない。それにジョッシュも知り合いのようだった。


 色々と思考を巡らせるも、答えは分からない。結局考えるのは無駄だと思い、彼女はそのまま両膝を腕で抱えて座り込んだ。


 ――これから、どうなっちゃうんだろう。随分と遠くまで来たみたいだけど、ジョッシュは助けてくれるのかな。でも、そんな義理はないよね。


 突然、悲しみが押し寄せてくる。ふと気付くと、膝に涙がこぼれ落ちていた。必死に涙を拭いて、自分の気持ちを誤魔化す。そんな風にして時間を潰していると、突然ドアが開いた。部屋の外には、彼女を誘拐した盗賊が立っている。


「元気にしてるかなぁ? 君にはこれからいっぱい働いてもらうんだから、ちゃんと食べるんだよォ」

 そう言って、盗賊はドアの前にトレーを置いた。その上にはパンとスープ、飲み物が載っている。どうやら食事の時間のようだ。この部屋には時計がないから、時間が分からない。


「……私を誘拐して、いったい何をするつもりなんですか?」


 少し休んで元気を取り戻した彼女は、盗賊を睨みつける。もちろんそれは強がりに過ぎなかった。こんな状況で、拳銃も持っていない彼女に盗賊を倒す術はない。


「そりゃあ決まってる。君を誘拐して、あの英雄からお金をふんだくるんだよ。飼い主だか用心棒だか知らないが、君が誘拐されたらあの英雄も黙ってないだろ? いま仲間が交渉しに行ってるから、少し我慢してくれやァ」


 ヒヒヒ、と盗賊が気味の悪い笑い声をあげる。どうしてこう、盗賊はみんな一様に気持ちの悪い笑い方をするのか。彼女はずっと不思議だった。そしてそれ以上に、不思議なことがある。


「その……英雄ってどういうことですか?」


 彼女の質問に、盗賊は目を丸くした。そして驚いたような表情をしながら「知らねぇのか?」と彼女に問いかける。


「知りません。あの人とは、偶然出会っただけですから。一体どういうことなんですか?」


 その彼女の言葉に、盗賊はあからさまに落胆した。そしてため息をついてから、床に置いたトレーを蹴り上げる。


「チッ……なんだよ。偶然一緒にいただけの関係かよ。あーあ、それじゃあ身代金を要求しても応じてくれねぇよなぁ。ったく、せっかく軍にチクって拉致ったのに、とんだ無駄足だ」


 しかし次の瞬間には、盗賊の顔は笑顔に変わっていた。ニチャニチャと、気味の悪い音が聞こえてくるようだった。


「でもこんだけ可愛くって、しかもオッドアイだ。高値でも買う物好きはいるだろうよォ。……でもその前に商品は"検品"しねぇとなァ……」


 盗賊は床に散らかったトレーを踏みつけながら、彼女に近づく。そして上半身のシャツを勢いよく脱いだ。汗臭いにおいが部屋に充満して、彼女は顔をしかめる。


「騒いでくれてもいいぜ? 俺は気の強い女が好きだからなァ!」


 盗賊が彼女に飛び掛かる。彼女は抵抗しようとするも、大人の力には敵わない。唯一の防御魔法も、今すぐには使えない。彼女を絶望が襲った。


「へへっ。元気があって良いなぁ――っと?」


 突然、盗賊が動きを止める。そしてベッドに落ちた何かを見つめていた。彼女もそちらに視線を向ける。ベッドに落ちたそれは、彼女がいつも首につけているペンダントだった。セレーナと二人で撮った写真が入っている、大事な大事なペンダント。


「やめ――」


 彼女がペンダントを拾おうとした瞬間、盗賊が横取りした。気色悪い笑みを浮かべているところを見ると、彼女の大事なものを蹂躙したいようだった。


「なんだ、ただのペンダントかよ。おっ、写真が入ってるな。――ソフィア・マーキュリー?」


 盗賊が自分の名前を呼んだので、彼女は思わずビクッと反応してしまった。ペンダントの蓋の裏側には、彼女の名前が刻み込まれている。それを盗賊が読み上げたのだ。


「おいおいおいおい――マジかよ」


 盗賊はペンダントに刻まれた名前を見つめたまま、大きく舌なめずりをした。いま襲おうとしている少女の名前を知れたことが、そんなに嬉しいのか。その薄気味悪さに、彼女の目つきはさらに鋭くなる。


「これはとんでもないサプライズだぜ。マーキュリーってことは、お前フェルトニアンだろぉ? フェルトに多い名前だもんなぁ」


 盗賊がペンダントの蓋を人差し指でつつきながら、彼女に言う。どうやらマーキュリーという名前だけで出身国が分かるのは、ジョッシュだけではないらしい。


「……そうですけど、それが何か?」


 彼女はまた強がって、盗賊を睨みつけた。マーキュリーは彼女にとって、大切な名前だった。ひとりになった今、唯一家族との繋がりを感じられるからだ。その名前をバカにされたようで、腹が立つ。


「いいかぁ? いいことを教えてやるよ。あの男はな、ジョシュア・ラーグレンっていう百年戦争の英雄なんだ」


 盗賊がニヤついたまま、話を続ける。彼女は嫌な予感がした。心臓の鼓動が早まるのを感じる。


「ジョシュアはなァ、百年戦争でフェルトニアンを虫のように殺したんだよ。アラパダイムの戦いが有名だ。あのときは三万人も死んだってなァ」


 彼女の頭に、鋭い何かが突き刺さる。頭の中が急激に冷たくなり、やがて今度は高熱のようにカーッと熱くなる。ジョシュア・ラーグレン。その名前を、彼女は知っていた。なにせアラパダイムで彼女の家族と親友を虐殺した魔法使いは、ジョシュアなのだ。


 ジョッシュ……。顔まで知らなかったから、名前では気付かなかった。あぁ、なんで気付かなかったんだろう、と彼女は後悔する。大切な人を奪った仇と、自分は一夜を共にしてしまったのだ。思わず涙が出る。


「へへへっ。その顔、いいねェ。もしかして、どこかでジョシュアに家族でも殺されたかァ?」


 それは図星だった。家族と親友……セレーナの最期を思い出して、涙が止まらない。目の前にいる盗賊から、逃げようという気すら起きない。


「俺はなァ、こうやって気の強い女が絶望しているところを見るのが、何よりも大好物なのよ――!」


 盗賊が彼女に抱き着く。幼く華奢な肢体が、強い力で締め付けられる。盗賊は彼女の額に鼻を近づけると、まるで香水の匂いでも嗅ぐかのように大きく息を吸った。それを払うことすらできず、彼女はジッと瞳を閉じた。でも不思議と、恐怖はなかった。今日これからこの男に、酷いことをされるかもしれない。人買いに飼われて、惨めに死んでいくのかもしれない。でも死んだら、またみんなに会えるのだ。アラパダイムで死んだ、大切なみんなに。


 ――そう思うと、死ぬことも怖くない。


 彼女がそう決意したとき、盗賊の手が胸元に触れた。服が勢いよく破かれ、彼女の純白の下着が露わになる。


 彼女が「いよいよか――」と息を止めた瞬間、部屋の窓ガラスが勢いよく割れた。


「――ヒッ!」


 彼女は思わず、目を閉じて悲鳴をあげる。何が起きたのか理解できなかった。事態を把握したのは、それから数秒後に目を開けたときだった。今さっきまで自分に抱き着いていた男が、目をひん剥いて口を大きく開けている。百年戦争中、軍医として戦場に行ったこともある彼女は、盗賊が死んでいることにすぐ気付いた。それに後頭部からは血も流れている。


「二日続けて、賊にさらわれるなんてな。相手が俺でよかったな。普通だったら、見捨てられてる」


 窓の外に目を向ける。そこにはジョッシュ――ジョシュアが立っていた。


「ジョシュアさん――!」


 彼女は思わず本名を叫んで喜んだ。しかしその直後、さっき盗賊から聞いたことを思い出す。


 ―― ジョシュアはなァ、百年戦争でフェルトニアンを虫のように殺したんだよ。


「こっ、来ないでくださいっ」


 彼女はすでに事切れている盗賊を押し倒すと、ベッドのシーツで身を包んで、部屋の隅へ寄った。シーツが盗賊の血で染まっていることなどお構いなしに、ジョシュアを睨みつけて威嚇する。そんな彼女の様子を、ジョシュアは不思議そうに見ていた。


「……どうしたんだ? ついさっきまで、俺と一緒に行動してたろ。忘れちゃったのか?」


 頭をポリポリと描きながら、ジョシュアが窓を超えて部屋に侵入してくる。彼女は必死に武器を探した。しかし拳銃を持っているであろう盗賊は、さっき押し倒してしまった。近くに武器はない。


「来ないでくださいっ!」


 結局彼女は、大声で叫ぶことしかできなかった。それが意味ないことだと、彼女自身も分かっている。しかし家族と親友の仇に対して、怒りをぶつけずにはいられなかった。


「あのっ。ジョシュア様、どうしたんですか? なんだか険悪なムードですけど?」


 窓から、ひょっこりとアンナが顔を出す。その姿を見て、彼女は一層驚いた。さっきまで戦っていた二人が、どうしてそんなに仲良さそうにしているのか。


「俺にもさっぱり分からない。もしかしたら、恐怖で気が動転しているのかもしれない。アンナは医学の知識もあったよな。ちょっと診てくれないか?」


 分かりました、とアンナが返事をしてから彼女に近づく。彼女はどうしていいか分からず、部屋の隅で震えていることしかできなかった。


「どうしたの? 大丈夫?」


 アンナが彼女に手を差し伸べる。彼女はアンナの細い指先を見つめながら、目の前にいる女性のことを考えた。この国にいるのだから、間違いなくこの女性はサルドピアンだろう。そして剣を扱っていたところを見ると軍人に違いない。であれば、こんなに優しそうな顔をしていても、フェルトニアンを――彼女の同族を、大勢殺しているはずだ。


 気付くと彼女は、拒絶するようにアンナの手を叩いていた。アンナの虚を突かれたような表情が、彼女に突き刺さる。


 彼女が視線を下に向けると、ジョシュアがゆっくりとした足取りで近づいてきた。


「……さっきまで賊に襲われていたんだから、怯える気持ちもわかる。だがアンナは良いやつなんだ。だから――」


 ジョシュアがそこまで言ったところで、彼女は顔を上げた。そしてジョシュアたちを力強く睨みつける。


「どうして……どうしてなんですか? そんなに優しいのに……どうして、私たちの家族と親友を殺したんですかっ」


 それは彼女の心からの叫びだった。もしジョシュアが盗賊のように粗悪な男だったら「やっぱりサルドピアンは野蛮だ」と割り切れていたかもしれない。しかし、目の前にいる彼女の仇……ジョシュアは違った。盗賊から襲われている彼女を助けて、今もこうやって献身的に接してくれている。


 こんなに優しい人が、どうして両親とセレーナを殺したのか――怒りと疑問が、一気に沸き起こった。

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