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キュンってしたい姉の横暴が弟を襲う話

作者: 環 エン

「ねえ、キュンってしたい」


母親がキッチンで夕飯を支度しているのを待っている間リビングで適当にテレビを流していると、俺が背もたれにしていたソファの上で寝転びながらスマホをいじっている姉ちゃんが言い出した。


今年大学に上がった姉ちゃんは高校の時のジャージを部屋着として着込み、家事の手伝いもせずにダラダラとしている。夕飯の支度を手伝っていないのは俺もだが、さっき風呂の掃除をしたからまだマシだろう。


姉ちゃんに家事全般の能力があるかは知らない。少なくとも弟の俺の目の前で発揮されたことはないが、姉ちゃん曰くいつもは能ある鷹のごとく爪を隠しており、いざという時に発動するらしい。いつを想定しているのはわからないが俺は本物を見る目を養いたいと姉ちゃんを見るたびに思う。


「ねえねえ、シュウくん。私キュンってしたいんだけど」


姉ちゃんの人として女としてアカン部分を確認している俺が話を聞いていなかったと思ったのか、リビングには二人しかいないのに姉ちゃんが名指しで話しかけてくる。ちなみに俺の名前は秀治だが姉ちゃんはずっとシュウくんと呼ぶ。


仕方なく、俺は首を動かしてテレビから姉ちゃんを見た。姉ちゃんはスマホの画面を見たままだった。何となくムカついたので舌打ちが出るが、弟の行動など一切怖くないと日頃から尊大な姉ちゃんは気にすることもなく、寧ろ話を聞く体勢になった俺に満足げな表情を浮かべるとやっとこちらを見やる。


「ねえ、キュンってしたい」

「それはさっき聞いた」

「何度も言わせてんのに、ちっとも私をキュンとさせないシュウくんが悪い」


腹いせなのか、スマホを自分の顔の横に置いた姉ちゃんは体をずらしてくるとソファに乗せている俺の髪をわしゃわしゃと弄ってきた。若干天パである俺の髪を弄る仕草は完璧に犬にするそれだった。嫌がると面白がって追撃がくることは身をもってわかっているので俺はされるがままになるしかない。2つしか変わらない年齢差も姉弟の間では、はっきりと関係を決める要因になるのだ。


姉ちゃんからのよくわからない話だって慣れたものではあるが、今回は中々に理解ができない。キュンというのは、おそらく恋愛的なときめきのことだろう。よく姉ちゃんがスマホを弄りながらテンションを上げているのを見たことがある。しかし、俺にそれを求めてどうするんだろうか。この残念な生き物である姉ちゃんにときめいた事など一度もないので土台無理な話である。


「意味わからん。そもそも弟にキュンとか求めんじゃねぇよ、キモいわ」

「え、別にシュウくんにキュンなんか求めてないから。その発想がキモいんですけど」

「チッ」


盛大な舌打ちをした俺は何も悪くない。じゃあ話を振るんじゃねぇと言いたいが、それを言ってしまうと応酬が怖い。姉ちゃんは弟の俺に対する遠慮が存在しない。本気で嫌がる寸前まで構い倒すのが姉ちゃんで、それを本気で嫌がれないのが弟の俺。俺たちはそういう姉弟だ。であるならば適当に姉ちゃんの話に付き合うのが一番楽なので今回もそうするしかない。


「勝手にキュンでも何でもしてろよ」

「それがね、最近お気に入りのタグがあったんだけど大体読み終えちゃったわけ。でもまだまだ読み足りなくて圧倒的キュン不足なんだよね。あー、ギブミーキュン」

「残念でしたー。俺は姉ちゃんの嵌ってるタグ知らないから手助けは出来ませーん」

「じゃあ、特別に教えてあげるー」


ようやく俺の髪を弄るのをやめた姉ちゃんは、体を起こすとソファから滑り降りて俺の横に並んで座ってくる。そして自分のスマホを弄って目的のページを開くと俺に向けて画面を見るように目線で指示を出すので、仕方なくといった態度で俺も姉ちゃんのスマホを覗き込んだ。


画面には小説のタイトルらしい文字がずらりと並んでおり、少し小さめのフォントで同じ単語が書かれていた。どうやらそれが姉ちゃんのハマっているタグらしい。至極どうでもいいが、適当に姉ちゃんが指でスワイプしながら、これは泣いたとかこれはときめいたなど解説するのを一緒に眺めておく。


「私このタグが大好きで最近全部目を通したんだ」

「へぇーよかったね」

「読んでる時はめっちゃキュンキュンしたんだけど、もう新作が無くて飢えてる」

「へぇー残念だね」

「だからねシュウくん。私キュンってしたい」

「うん、意味わかんねえ」


勝手に飢えてろと言いたいが、口に出したら面倒なことになることを経験から知っている俺は声にしない。そんな俺に不満なのか姉ちゃんが鬱憤を発散するように俺の肩に自分の頭をぐりぐりと押し付けてくるのが地味に痛い。


「うぜー。んで、姉ちゃんは俺にどうして欲しいんだよ」

「それを聞いてくる時点でお姉ちゃんのこと全然理解してない。女の子にモテないよ?」

「チッ。ほんとにうぜーな」


姉ちゃんを女だと思ったことはないから安心して欲しい。こちとら姉ちゃん以外には紳士な対応を心がけている男子高校生だし。まあ、彼女どころか女友達もいないけど。クラスメイトとは稀に話すからセーフだろ。姉ちゃんのような人間が身近にいれば女子に警戒するってものである。


姉ちゃんを理解したいという感情など1ミリも湧いてこない俺は面倒だという感想以外ないのだが、悲しいかな生まれた時からの付き合いなのだ。二人だけの姉弟なのだから知りたくなくても知ってしまう事だってあるんだ。


そう、女は化ける生き物なのだと俺は物心つく前から知っている。そんでもって、こんなダル絡みする姉ちゃんという生き物はとてつもなく面倒くさい存在なのだとも。姉ちゃんは俺の肩にぐりぐりするのをやめると、今度はスマホの画面から目を離すことなく制裁という名で人の脇腹にチョップを入れ続けている。脇腹が弱点の俺的にはマジでくすぐったいからやめてほしいんだが。


「いい加減脇にチョップはやめてください」

「なら、私にキュンをください」

「大変申し訳ないのですが、当店にはお客様に差し上げられるキュンはございません」

「そこをなんとか!!圧倒的キュン不足なんだよぉ。シュウくんはお姉ちゃんの死因がキュン不足でもいいの?」


ファミレスのバイトで培った接客敬語で乗り切りたかったが、悪質なお客サマは態度を改めてくれないどころか暴徒化するまである。店頭のメニューに無いものは用意できるはずないだろうが。他店の限定メニューは他店に行って頼めや。いろんな意味で顔を覚えられる客はあだ名が付いてるんだからな。もはや姉ちゃんとは違う何かに対する思い出しストレスには呪詛しか出ない。なんだかんだ姉ちゃんは俺の身内だから赤の他人突きつけられる理不尽よりは許せてしまうんだろうか、現在起こっている姉ちゃんの理不尽よりも記憶にあるお客サマの無茶振りのがよっぽど腹立たしかった。


なんとか心を落ち着かせようと軽く深呼吸をする。よし、今なら優しく姉ちゃんに接することができる気がしてきた。ただし姉ちゃんの望むようなことはできないしやりたくもないが。十中八九、姉ちゃんは話を聞いてほしいだけなんだろうし、今の俺ならそれができる気がしてきた。ありがとう深呼吸。ありがとう理不尽なお客サマ、俺強くなれそうです。


「うん。タグの作品以外じゃ嫌なんだろうし、俺が姉ちゃんにしてやれることは何もないな」

「えぇー。じゃあタグに新作が出るように祈って欲しい」


おっと、俺が優しく話を終えようとしていたのに姉ちゃんの謎の要求が再びである。まあ狂ったようにキュンを要求されるよりはだいぶマシな部類だ。俺が祈ったところでどうにかなるものではないだろうに万策尽きた感じがいっそ哀れに見えて本当に優しくできるかもしれない。


「祈ってやらんこともないけどさ、姉ちゃんが祈ればいいじゃん」

「私だけじゃ祈祷力が足りないの」

「精進してください。つか自分で書けばいいじゃん自家発電だっけ。それしなよ」


話している時に思い出したが、姉ちゃんがそんな用語を口にしたことがあった。読みたいものを待つのではなく自分で作り出すことだとドヤ顔で語った後、ノートに書き綴ってはテンションを上げていた様はちょっとしたホラーだった。今回もそれをすればキュン不足とやらは解消されるのではないか。中々にいい提案をしたと俺がニヤリとしていると、姉ちゃんはこれ見よがしに欧米人の如く肩を上げ、やれやれとポーズをとってから俺を見て力強く訴えかけてきたのだった。


「今は自分で生み出すというよりは浴びるように読んで貪り尽くしたいの。不特定多数のキュンに埋まりたいの。この話はこう来たかーとか、あの話はここが尊いとかにひたすらに浸りたいの。せっかく投稿する人が多いタグなのになんで新作が出ないんだよぉ」


非常に良い心の叫びではあったが、真横で聞かされるには喧しかったので姉ちゃんの肩を叩いて落ち着かせる。うんうんと同意するような反応をする俺を見て、姉ちゃんはわかってもらえたと嬉しそうな顔をしている。それを見た俺はもう一度ニヤリと笑う。さっきとは違う、散々やられた意趣返しから出た表情だ。


「狩りってのは大体の時間は獲物を待つ時らしいぜ?だからまあ頑張ってね、お姉ちゃん」

「おかぁさぁあああん!シュウくんがいじめるぅうううう!!」

「またアンタがわがまま言ったんでしょうが!ほら、暇ならご飯運ぶの手伝って。お父さんそろそろ帰ってくるよ」


姉ちゃんの訴えに一蹴する母親は強かった。流石、俺たち姉弟を育て一番近くで見てきただけあって話は聞こえていなくても何があったかわかったのだろう、簡単には姉の味方にはならずにあっさり手伝いを命じた。


姉ちゃんに一矢報いることが出来た俺がゲラゲラと笑っていると、玄関のドアの開く音が聞こえる。姉ちゃんは俺を怖くもない顔で睨みつけると、バーカバーカと言って俺に体当たりをしてから立ち上がりキッチンへ母親の手伝いをしに消えていった。姉ちゃんが当たってきた勢いのまま横になった俺だったが、しばらくすると再度母親から声をかけられたので観念して起き上がりキッチンへと向かう事にした。


その後、帰ってきた父親も混ぜて家族四人で食卓を囲んでいると、行儀悪くスマホをいじっていた姉ちゃんが待ちに待った新作が上げられていることに気づき大声をあげ、母親から叱責されていた。そんなことにめげない姉ちゃんは今度は俺のお祈りのおかげだと崇め出したので、俺は祈ってやらんこともないとは言ったが実際にはこれっぽっちも願っていなかったのだとは言えずに、よかったねと答えるに留めたのだった。


これは、そんな姉弟の話である。


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