9. 聖女誕生
王城へ連れて行かれた二人は引き離され、ジョアンナは事情聴取を受けた。
長く黙秘を決め込んだ彼女は、やがてハリーの向かいの牢屋へ入れられる。
「あぁジョアンナ! 怪我はない!?」
ハリーは妻の無事を確認してまた泣いた。
すっかり死を覚悟した夫婦は、最後は正直な人間になろうと話し、最終的には聖女が家にやってきた経緯を洗いざらい説明することにした。
その後何度かの事情聴取を受け、死を待つ彼らの想像に反して数日後に釈放されることが決まった。
理子には一度も会えなかった。
*
「何が起こっているんですか……」
王都の小さな一軒家のリビングで、ハリーは上官を前にして小さく呟いた。
釈放されて家に帰ろうとしたら、馬車を出してくれると言うので二人は乗った。
そして着いた先は知らない一軒家だった。何でも、前の家は騎士が暴れたので中がめちゃくちゃだし、ご近所中で噂になっているという。そのほとぼりが冷めるまで、暮らす家を用意してくれていたのだ。気に入ったのなら住み続けていいとも。
出来すぎていて気味が悪いと思っていたところで、彼の上官のベラトーリ伯爵が代表として訪ねてきたのだ。ハリーと面識がある大臣は伯爵だけだったため、この役を買って出たのだと言う。
「さて、何から説明すべきかね」
ジョアンナが出した紅茶を優雅に飲んで、彼は足を組み直して話し始めた。
「まあ、まずは結果から話すとしよう。聖女は教会預かりに。君たち夫婦は王の臣下としてこれまで通り働いてもらう」
伯爵は余裕の態度を崩さず続ける。
「我々は歩み寄ることにしたのだよ。聖女は教会所属となるが、彼女の勤め先は王城内の聖堂となった。彼女の心身の自由は保証しよう。どうかね? いいバランスだろう?」
本当は聖女を独り占めしようとした教会と王家で一悶着あったのだが、力を解放した理子に双方ぶっ飛ばされ、心配してやってきた女神に色々とめちゃくちゃにされ、どうにかこうにか仕方なく手を取り合った末の決定なのだ。
ハリーがそれを知ることはこの先ないが。
「えぇ……あああの、それで、僕らの…」
「まぁ、安心したまえ。君たちの生活は聖女が来る前と何ら変わらん」
「はぁ」
どうにもふに落ちないハリーは、ぐるぐると思考を巡らせていた。
理子に危害が及ばないのならそれでいい。
だが、結果として聖女の存在を隠していた自分たちにお咎めなしとはどういうことだろう。ここで恩を売っておいて、後で利用する気だろうか。それが理子の不利益にならないだろうか。
自惚れでもなく、理子は自分たちを好いてくれているだろうし、もしかしたら彼らのために犠牲になろうとするかもしれない。ハリーはそれが心配だった。
それなら禍根を残す前に、いま罰を受けてしまいたい。
「今回の件に関しては対外的に、信仰厚い君たちは女神の神託を聞き、言葉も知らぬ聖女に教育を施していたことになっておる」
「……隠蔽の意図はなかったと?」
「そうだ。それがたまたま勘違いをした騎士たちが、先走ってしまっただけのことだ」
「だから罰はないと仰るんですか?」
「隠蔽するつもりがなかったのだ。罰する理由もない」
「…………」
「聖女の願いでもある。手荒な真似をしてしまったが、我々は本当に、心を入れ替えたのだよ」
伯爵はハリーの心を読むようにそう告げた。
いまだ不安げなハリーを手で制し、伯爵は口を開く。
「今日はもう一人客人を連れてきた。馬車で待たせているのだが、連れてきてもかまんかね? 奥方も呼ぶといい」
すでに決定事項らしいそれをハリーは反対することなく従った。伯爵が満足げに頷き、従者に合図する。
そしてジョアンナと共にリビングで待っていると、従者に付き添われやってきたのは理子だった。
「リコちゃん!!!」
思わず立ち上がったジョアンナに理子も駆け寄り、二人はしっかりと抱き合う。
理子は司教のような、白く長いワンピースを着ていた。
「リコちゃん大丈夫なの? 酷いことはされていないのかしら?」
ジョアンナは理子のあちこちを確かめながら早口に問う。
伯爵に促され、全員が席についてからもジョアンナは理子をじっと見つめていた。
「僕たちずっと心配で、力になれなくて、ごめんね……大丈夫だった?」
いまにも泣き出しそうに身を乗り出したハリーに、理子は嬉しそうに微笑んだ。
「大丈夫。わたしの光、みんなきれいになる。おーさまも、きょーかいも、みんなきれい」
自分の胸を指差しながら、理子が辿々しく話す内容にハリーたちは目を瞬かせる。
「みんなイヤな、人たちだった。いま、大丈夫。いま、みんなきれい。わたしの光、きれになる」
「へぇ……?」
二人はいまいち理解していないが、それこそが聖女の持つ聖なる光の力だった。
聖なる光は生き物の荒ぶりを鎮め、心を浄化する力を持っている。悪意や嫉妬、殺意などは無効化され、誰も彼も、聖なる光の前では悪巧みなどできない。
理子を利用しようと互いに睨み合っていた者たちは、輝く光の前に膝をつき、誰も彼女を害すことは出来なかった。
国王たちは本来の心を取り戻し、教会の者たちは敬愛を持って彼女を迎え入れることを決め、この国は浄化されたのだ。伯爵の言葉に嘘はない。
綺麗に浄化されたおかげて、国王と大司教はようやく女神の言葉を聞き取ることができた。
ちなみに気の高ぶりも鎮めてしまうので、聖なる光は戦いの前に不向きである。
「えーと、君は自前の光のお陰でとりあず無事ってことかな?」
「そう。無事、大丈夫!」
「そっか……よかった」
身を乗り出していたハリーは、その言葉を聞き、安心して体の力を抜く。
にこにこと笑う理子に、ジョアンナは嬉しくてもう言葉を紡ぐこともできず、とうとう本格的に泣き出してしまった。あの時、理子が連れて行かれてからずっと、彼女は不安で堪らなかったのだ。
「ああぁ……ジョアンナ、泣きすぎたよ」
「ゔ、ゔゔ~~~ご、ごめ゛、ゔ~~」
「……じょあんな、ありがとう」
ハリーが肩を抱き慰める中、理子は立ち上がりジョアンナの側へ寄った。ハンカチに顔を埋める彼女の膝に手を置き、そっと囁く。
「ありがとう。ふたり、きれい。光ない、でもきれい。ずっと、はじめから。ずっとありがとう」
「リコちゃん……僕たちがきれいってどういうこと?」
泣きじゃくり聞いていないジョアンナはさておき、理子の言葉を聞いていたはずのハリーは訳がわからずぽかんとしている。
理子は覚えた少ない言葉で必死に説明するが、ハリーには伝わらない。彼らに伝えられないもどかしさを感じながら、理子は諦めて首を振った。
伝えられなくても、ハリーたちの善良さは変わらない気がしたのだ。既に覚醒した理子には、二人の持つ気質がよく見えている。それは聖女の浄化がなくとも優しく、あたたかく、眩しいほどだった。本人たちに自覚はないが、何せ女神を降臨させることができるほどなのだ。
理子は気を取り直して、今日きた目的を告げた。
「ずっときれい。でも、わたしありがとうしたい」
「ええ!? お礼ってこと? そんないいよ、僕ら何も出来なかったんだよ」
「おねがい。ありがとうしたい。女神に会うした。ありがとうしたい」
国王たちを浄化したあとで女神と相見えた理子は、自分のことも、力の使い方も理解していた。
浄化だけではない、国や人々を豊かにする力。
「いちばん、はじめは。ふたりに」
ハリーが何か言う前に、聖女は使いこなせるようになった聖なる光に、ありったけの感謝と祈りを込める。
柔らかな光が三人を包み、優しい風が夫婦の頬を撫でた。
ハリーとジョアンナに呆けた顔で見つめられた理子は慈愛の微笑みをたたえ、二人の幸せを祈るため静かに目を閉じる。
この日──理子は、はじめて聖女としての祝福を捧げた。
訳も分からずただただ振り回される人が描きたかったんです…。
ありがとうございました。