第九話 お仕置きの時間
つい先ほど、収穫を終えたケンム草は、無残な姿をさらしていた。それを見て、男は一人ほくそ笑む。
王都に住む馬鹿な貴族たちは、この花に感興し、無様な姿をさらすことだろう。
花びらを、酒を満たしたグラスに浮かべ、それを飲む。甘い幻想を見ることができるとして、もてはやされているこの花。
甘い幻想が、どんな犠牲を生むかも知らずに。
これでまた、大金が手に入る。王都へ出るための金が確実に貯まっていく。
こんな西の辺境の地で終わるつもりはなかった。今の地位に満足などしていない。
男は、ゆっくりと足を入口の方へ向けた。
「もう、お帰りか? ブラシカ卿」
暗い地下室に、低い声が響き渡った。その声は男の背後から聞こえてきた。入口とは正反対の場所から。
先ほど、花を収穫に来た男たちは、全員この部屋から出て行ったはずだ。
ブラシカはゆっくりと振り返った。頭には、彼の名を呼んだ男の顔を思い浮かべながら。
灯りを掲げると、黒髪に黒眼の男が目に入ってきた。
「おや、マスターデュオン。こんな夜更けにどうされたのです?」
穏やかな声でそう問う。男は静にゆっくりと近づいてくる。
「驚かれないのですね。私がどうしてここにいるのか。不思議には思わなかったのですか」
フラワーマスターの問いに、ブラシカは微笑みを見せた。
「ええ、思いましたよ。マスターデュオン。どうやって、この部屋へ入ってこられたのですか? 入口はここなのに」
薬草園へと続く階段を見上げたブラシカに、フラワーマスターも笑顔を見せる。
「部屋の奥に、抜け道があるのですよ。あなたがこの花たちの世話役にと頼んだ子どもが教えてくれました。私には少々狭い抜け道で苦労しましたが」
苦笑交じりにそう言って、視線を花が摘み取られたケンム草へと向ける。
「この花が、どういうものか。知っておられるのでしょう? ブラシカ卿」
フラワーマスターの目に暗く冷たい光が宿る。ブラシカはゆっくりとした歩調で、ケンム草の植えられたところまで来ると、それを見下ろした。
横に並ぶように立ったフラワーマスターに、聞こえるように声を出す。
「ええ、もちろん。この花は今や、貴族の愉しみの一つとなっている。私はその愉しみに一役買っているという訳ですよ」
「その愉しみが、人を害すると分かっていても?」
「甘い夢を見られるのだから、それくらいの危険は覚悟の上でしょう」
「提供する側に罪はないとでも?」
フラワーマスターの言葉に、ブラシカは可笑しげに笑い声を上げた。
「ははは。ケンム草を育ててはいけないという決まりはない。私は何も罪を犯してはいないのですよ。マスターデュオン。私はただ、花を育てて売っただけだ。あなたは私を裁けはしない。あなたは、一介のフラワーマスターに過ぎぬのだから」
挑戦的な眼をむけたブラシカの顔に、もはや笑みはなかった。いつも穏やかな表情をたたえている顔に、狂気が満ちている。
フラワーマスターはその端正な顔に、嫌悪を表した。ゆっくりと、ブラシカの周囲を動き、ブラシカと対面する。
「一人、犠牲が出ている。すでに問題になっているのですよ。ブラシカ卿」
「それがどうしたのです。あなたさえ喋らなければ、誰も私を疑いはしない」
余裕の笑みを浮かべたブラシカを、フラワーマスターは冷たい眼で見やった。
「口を封じる。と、言うことですか」
淡々とした口調で問う。
ブラシカの、フラワーマスターに答える声は、あくまで余裕に満ちている。
「それは、あなた次第ですよ。マスターデュオン。大切なお仲間を亡くしたくはないでしょう? 今も見張らせているのですよ、私の一言で、彼らをいつでも殺すことができる。ああ、でも。私だって、無駄な犠牲は出したくない。あなたの弟子もあの子どもも、私には恨みなどないのだから」
フラワーマスターは、不意に俯いた。
「ふふふ。どうしたのです、マスターデュオン。降参、ということですか」
勝ち誇ったような声を出すブラシカの耳に、低い声が届く。
「ブラシカ卿。ケンム草の花言葉をご存じか」
「花言葉?」
訝しげな声を上げたブラシカに、フラワーマスターは一度顔を上げ、頷いて見せた。
「ええ、花言葉ですよ」
そう言った顔に、焦りも敗北感も見ることはできなかった。ただ、冷たく冴え切った双眸がブラシカを捉えた。
「ケンム草の花言葉は……」
フラワーマスターは、そこで一旦言葉を切って、口の端を吊り上げた。
「復讐」
不意に、ブラシカは腕に何かが巻きつく感覚に襲われた。持っていた灯りが、落ちる。灯りは地面に転がり、影が大きく揺れる。
「な、何だこれは」
驚きの声を上げたブラシカを淡々と見つめ、フラワーマスターは声を上げた。フラワーマスターの髪が風もないのに、なびく。
「さあ、復讐の始まりだ」
ブラシカの腕に巻きついたモノは、凄まじい力で、ブラシカの腕を下へと引っ張ってくる。ブラシカは、自由なはずのもう片方の手を動かそうとして、そちらの腕も動かないことに気づく。いつの間にか、何かがブラシカの自由を奪っていた。
腕だけではない。足にも何かがからみつき、締めつける。
「何だ、何が、どうなってる」
切迫した声を上げたブラシカの耳に、よく通るフラワーマスターの声が届く。
「よく見ろよ。その正体が何か分かるはずだ」
言われるまま、視線をおろしたブラシカの目に映ったモノ。花を刈られたケンム草がその茎や葉を長く伸ばし、ブラシカの体に巻きついている。後から後から、蠢くように伸びてくる茎や葉は、音を立てながら、腕や足。そして胴にも巻きついてくる。必死に抵抗しようとしても、体がいうことを聞かない。凄まじい力。
「た、助けてくれ」
首に巻きついてくる茎を、払い落とすことも出来ず、ブラシカは声を上げる。
「こんな、冷たく暗い場所へ移されて。さぞ悔しかったんだろう。俺はこいつらの復讐を止める気はないよ」
またしても強い力で、引きずられ、とうとうブラシカは体を横たえた。抗うように上げた腕も、すぐに引き戻される。顔をも覆ってくる茎の隙間から、どうにか首を巡らせて、フラワーマスターを捜す。
その眼に、フラワーマスターの姿が映る。彼は入口に向かって歩いていくところだった。
「わ、私を見捨てるのか」
その大声に答えるように、フラワーマスターが告げる。
「いいことを教えてやろう。ブラシカ卿。先ほどここを発った商人たちは、今頃西方軍に捕まっているはずだ。もうすでに、軍は動いていたんだよ」
「くそっ」
纏わりつく茎によって、視界の大半を覆われたブラシカの耳に、フラワーマスターの声が届く。
「悪いことをすれば、必ず報いが来るんだよ」
その言葉を最後に、フラワーマスターの声は聞こえなくなった。
残ったのは、茎や葉のこすれる音と、ブラシカの悲鳴だけだった。




