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第七話 薬草園

 翌日は少し雲のある空だった。雨が降らなくてよかったと、子どもは思う。水のたくさん入った桶を抱え、子どもは先を急いだ。

 領主の館の敷地内。背後の森に少し入ったところに彼の仕事場、薬草園がある。

 昨日出会ったフラワーマスターという男と、その弟子の青年に今日も会う約束をしている。そのため、一日に二回と決められている水やりを、少し早めにすることにしたのである。

 いつもの通り、薬草園に入ると、薬草園の真ん中にある大きな白鳥の像の前に立った。

 一度、持っていた桶を置いて、子供はその白鳥の像を押した。その押し方には少しコツがある。普通に押したのでは動かないそれを、いつもの手順で力を加え押していく。

 像は音を立てて、ゆっくりと動いた。ある程度動かすと、その下に黒い穴が姿を現す。穴をよく見ると、地下へと続く階段があることが分かるだろう。子どもは桶を再び抱えなおすと、その階段を下りて行った。

 桶を置くと、一度地上に戻り、灯りを手にもう一度地下へ下りる。地下へ下りると、開けた空間が待っていた。灯りをいつもの場所において、子どもは地下いっぱいに植えられた白い花を見る。

「おはよう。ごはんだよー」

 子どもは花に笑顔で声をかけると、水をまく作業に入った。

 けっこうな時間を有して、水まき作業を終える。子どもは一息つくと、しゃがんで花に手をやった。

「えへへー。昨日さ。変な大人二人に会ったんだー。なんか、オレに名前つけてくれるんだって。どんな、名前にしてくれると思う?」

 子どもは一度口を閉じて、じっと花を見つめる。物言わぬ花だが、花を眺めていると、心が温かくなるような気がするのだ。

 白く、少し大きめの花ビラを親指と人差し指で挟んでなでると、子どもは再度口を開いた。

「実はさー。前にも、同じように俺に優しくしてくれた人がいたんだー。その人もオレに名前つけてくれたんだけど、もう忘れちゃったんだよね。だから、次は絶対忘れないようにするんだ」

 そう言って、子どもは膝に手をついて立ち上がる。灯りと桶を持って地上へ続く入口へ向かった。

「じゃあ、また後でね」

 振り向いて、植えられた花々に手を振ると、子どもは今度こそ地上へ上がるべく、階段に足を乗せた。




 地上へ出る階段を登る途中で、子どもは異変に気付いた。いつもなら、そろそろ地上の明かりが見えるころだが、いつまでも明かりが見えてこない。子どもは階段を駆け上がった。しばらくして立ち止まる。立ち止まったのは、これ以上先に進めなかったからだ。子どもは灯りを掲げて、気づく。

 入口が閉まっている。誰かが白鳥の像を動かしたのだ。

入口をふさいでいる石像を叩いたり、押したりしてみるがびくともしない。とりあえず、誰かいないか呼びかけようと子どもは口を開いた。

 その時、外から思いがけず声が聞こえたような気がして、子どもは唇を閉ざし、耳を澄ました。

「特に、変わったところはありませんねぇ」

 子どもに耳に、微かな声が届く。やはり外に誰かがいる。その声には聴き覚えがあった。昨日出会った、舌の良く回るカボックだろう。

「ああ、手入れもそれなりにされているようだが……」

 答える声は、フラワーマスターのものに違いない。

「地下室があるような感じもしませんし。やはり、屋敷の下に密に地下室が造られているとか。ああ、でも昨夜もさんざん捜しましたものね」

 また、カボックが言った。

 彼らは地下室を捜しているのだろうか。今、ここに地下室があると知ったら、彼らは喜ぶだろうか。

 そう考えて、子どもは首を横に振った。この地下室のことは誰にも話してはいけないと言われている。

「いや、この下にあるはずだ」

「……勘、ですか?」

 カボックの問いかけに、フラワーマスターが答えた。

「いや、確信だよ」

 僅かな間をおいて、カボックの声が耳に届く。

「そうですか。マスターがそうおっしゃるならそうなんでしょうね。この下に王都を騒がせた魔性の花があるんですね」

 子どもは唾を飲み込んだ。

 魔性の花? どういう意味だろう。

 この下にある花は、人の役に立つ薬草ではなかったのか?

 胸の鼓動が速くなる。知らず桶を抱えている手に力を込める。

「麻薬の栽培に手をかけるなんて、あの温和なブラシカ卿が。信じられませんね……」

 カボックの声はまだ続く。

 子どもはそっと、足を後ろへ下ろした。踵を返し、音をたてないように降下する。ある程度の距離を下ると、駆けだした。走って地下へ辿り着くと、足を止める。耳障りな息遣いが地下室に響く。

 僅かな灯りの下、白い花がむせかえるような芳香とともに、子どもを出迎えた。


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