第六話 願いの行くへ
今日も素晴らしい夕食を堪能したアキレアとカボックは、昨日と同じく食後のお茶をブラシカ卿とともに楽しんでいた。
ブラシカ卿は元来穏やかな性格なのか、気取る事もなく、アキレアたちの旅の話を熱心に聞いていた。
話の隙間。ふと、何かを思いついたように、アキレアがブラシカ卿に尋ねる。
「そう言えば、ブラシカ卿。こちらに、アネモーネ公爵夫人がいらしたことがあると伺いましたよ。旅に出る前に婦人にお会いする機会がありましてね。こちらに伺うことがあったら、よろしく伝えてくれと」
ブラシカ卿は一瞬驚いた顔をした後、微笑んで頷いた。
「ええ、覚えていますよ。こちらに来られた頃は、まだ、アネモーネ公爵夫人ではありませんでしたけどね。とてもお綺麗な方でしたから、忘れろったって忘れられません」
その言葉に、アキレアも頷く。カボックも公爵夫人とは何度か会っているので、大いに頷いた。
「ところで、今日はどうでした? 案内人は役に立ちましたか」
不意に、ブラシカ卿が言った。話を向けられたカボックは、慌てて口に含んだばかりのお茶を飲み下して、カップを置いた。
「はい、王都では見られない珍しい花々をたくさん見ることができました。ブラシカ卿には感謝しております」
感謝の意を伝えると、お役に立てたのならよかったとブラシカ卿は微笑む。
「そう言えば、ブラシカ卿。この屋敷には薬草園があるとか。ぜひ一度拝見したいのですが」
アキレアが言うと、ブラシカ卿は一度、眉を顰めた。だが、すぐにいつものやわらかな表情が戻ってくる。
「ええ、ありますが。誰に聞いたのですか」
「街で少し小耳にはさみまして」
アキレアは笑顔を返す。
「そうですか。薬草園といっても、たいしたものはないのですよ。フラワーマスターにお見せするような代物ではありませんが、それでよければ。どうぞ、ご覧になって下さい。場所は使用人に聞けばわかりますから。では、私はこれで。貴重なお話をありがとうございました」
そう言って、ブラシカ卿は席を立った。それに合わせてアキレアたちも席を立つ。
部屋に戻ると、カボックはアキレアに問いかけた。
「マスター。いつの間にアネモーネ公爵夫人にお会いになってたんです? どうせ行くなら、私も連れて行ってくださったらよかったのに」
アネモーネ公爵夫人の美しさは万人が認めるところだ。彼女はカボックの憧れの女性なのである。
「まあ、ちょっとあってな。お前がいないときに呼ばれたんだ。仕方ないだろう」
まあ、そうですけど。と、カボックは拗ねたような声を出した。
「カボック。これを」
アキレアは服の隠しから何かを取り出して、カボックに放った。カボックはそれを慌てて受け止める。小さな、紙に包まれたものであった。それを開くと、中には白い粉末が入っている。それを指につけて舐めたカボックは、変な顔をした。
「これ、クラシギルじゃないですか。どうしたんです? これ」
「カボック、お前井戸の水飲んでないか?」
「飲んでないとは思いますけど」
山に行く時に用意された飲み水が、井戸水かどうかは分からない。
「とりあえず。保険だ。それ、飲んでおけ」
「どういう意味です? 何か分かったんですか」
カボックは表情を改めて、師匠を見た。
アキレアは、頷くと、椅子に腰かける。カボックにも椅子をすすめ、カボックが席に着いたのを見計らって、口を開いた。
「今街で、腕や足に赤い発疹ができる奇病が流行っているらしい」
カボックは、アキレアの言葉に考えるような顔をした。
「カボック。ケンム草の一般的な呼び名と、その特徴は?」
尋ねられて、カボックは眉間に皺をよせた。その割にはさほど間をおかずに、口を開く。
「カワリミ草です。西の地方にはどこでも咲いているような花ですよね。自然に咲いているときは害のない花ですが、一度光の極端に少ない場所に移すと毒素を作り出します。花弁や茎を口に含むと幻覚作用が起こり、根を触ると……」
そこまで言って、カボックは目を見開き、あっと声を上げた。
アキレアはよくやったと言わんばかりの笑顔で頷く。
「そうだ。根には炎症を引き起こす刺激物質がある。町での奇病と引っかかるところがないか?」
「同じように、腕や足に炎症を起こしている患者が増えているってことですよね。それは、ケンム草が関係している可能性が高いってことなんでしょうか」
カボックの問いかけに、アキレアは頷いた。顎に手をやってつまむような動作を二、三繰り返し、ようやく口を開く。
「山や森にもケンム草が毒素を持つような条件下の地はなかった。なら、日差しをあてず、なおかつ、他人に見られずに栽培する場所は地下にしかない。地下に植えられたケンム草の根から、炎症を引き起こす刺激物質が地下水に漏れ出している可能性が考えられる」
アキレアの言葉に、カボックは感銘したように頷いた。
「さすが、マスターです。刺激物質を含んだ地下水を飲んで、街の人たちは炎症を起こしてしまったってことなんですね。いままで回ってきた街や山や森では、そう言ったケンム草に関係しそうな事案はなかったですものね。これは可能性大ですよ、マスター」
喜びの声を上げたカボックの前で、アキレアは腕を組んだ。
「さて、カボック。そろそろその薬、飲みなさい」
カボックの表情が固まる。カボックはさりげなく、机の端に置いていた薬を見た。
「あの、本当に、飲まないといけませんか」
恐る恐るといった風に、カボックが尋ねる。
「いけません」
完結なアキレアの答えにカボックは項垂れた。クラシギルは主に毒消しとして用いられる薬である。炎症を抑えることもできる薬で、飲んでいて損はない。損はないが……。
「ですが、マスター。この薬苦いんですよ。この上なく苦いんです」
「知ってるよ」
さっき俺も飲んだしなと、アキレアは言う。カボックはさらに項垂れた。
「薬は、飲むより研究する方が好きなんですが」
薬に手を伸ばしたものの、往生際悪く薬を手で弄びながらそう呟いたカボックの耳に、アキレアの声が届いた。
「カボック、くどいぞ?」
ああ、怒ってらっしゃる。
カボックは悟って、顔をひきつらせた。そっとアキレアを見ると、笑顔なのに黒い双眸が据わっている。
カボックは、白湯を貰ってきますと言い残し、一目散に部屋から逃げ出した。




