第四話 小さな友達
翌日。昨夜の約束通り、ブラシカ卿から案内人を紹介された。その案内人に連れられ、カボックとともに屋敷を出たアキレアは、森の入り口で二人と別れ街へ向かった。
できるだけ簡素な服を身につけてきたものの、アキレアは目立った。かなりの長身に加え、黒髪黒眼の容姿はこの地方では珍しいのである。
しばらく街中を、一人歩く。
大通り沿いに目的の店を見つけ、アキレアはその店に入った。
ここは薬術師の店。
つまり、薬屋である。狭く少し暗い店内は、当たり前だが薬品臭い。だが、アキレアにとっては、馴染み深い匂いである。
「いらっしゃい」
頭に白いものが混じった中年の男が、無愛想な顔を向けた。その男は、痩身を白い衣服で包んでいる。
この街には医師がいないため、薬術師がその変わりを務めているといっても過言ではない。
アキレアはその男に近づいた。
「やあ、あんたがこの店の店主か?」
「ああ。そうだが。あなたは、領主様のお客人じゃあないかね?」
始めは訝しい顔をしていた店主は、不意に思い出したように声を上げた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどね」
アキレアは店主の問いには答えなかった。店主は腹を立てることもなく、肩をすくめた。
「話せることなら、話しますよ」
その答えに、アキレアは満足の笑みを浮かべる。
「最近、妙な患者はいなかったか? おかしなことを言い出したり、夢遊病の患者が増えたり……」
店主は変な顔をした。おかしな質問だと思ったのだろう。店主は首を横に振った。
「いや、そんな患者はいなかったですよ。ただ、ここ最近、街で腕や足がかぶれたように、発疹を起こす患者が増えてますがね。ほれ、こんな風に」
店主は袖を持ち上げて、細い腕を見せた。その腕は確かに赤い発疹ができている。
「ちょっと失礼」
アキレアは店主の腕をとって、発疹を色々な角度から眺めた。
「痛てててて」
店主が声を上げたのは、アキレアが店主の腕をひねったからだ。
かなり痛かったのだろう。店主は少し涙目になっている。アキレアは謝って、店主の腕を離した。
店主が恨みがましい視線をおくってくる。アキレアはもう一度謝った。
「悪かった。で、店主。ここに、クラシギルの粉末はあるか?」
唐突な話の転換に、店主は一瞬呆気にとられた顔をした。
「はあ、ありますが」
アキレアは、その答えに満足の笑みを見せる。
「なら、それを貰おう。あと、生水は飲まないほうがいいだろう。必ず一度沸騰させてから飲むことだ。そうすれば、その発疹が出る患者は次第に少なくなるはずだ」
アキレアの言葉に、半信半疑な顔をした店主は頷いて見せ、クラシギルの粉末を取りに、店の奥へと入っていった。
アキレアはクラシギルの粉末を買い、薬屋を後にする。
しばらく、大通りを進む。
時折あちらこちらから、食欲をそそるよい匂いが漂ってくる。空を見上げると、日は中天に差し掛かろうとしていた。
昼食の時間だ。
一度屋敷に戻ろうか。そんなことを思っていると、近くの店の中から威勢のいい声が聞こえてきた。
「なんで、パン一個が二十ルクもするんだよ。この間まで、五ルクで買えたじゃないか」
そっと、店を覗いてみる。全体的に薄汚れた小さな子どもが、女主人に食ってかかっているところだった。
子どもの年の頃は、十を過ぎるかどうかといったところか。
「おだまりっ。値上げしたんだってさっきから何度も言ってるだろう。最近は小麦の値が上がってるんだ。五ルクじゃ、こっちは商売あがったりなんだよ。文句があるなら余所の店に行くんだね」
「そんな、この街じゃパン屋はここしかないじゃないか。オレに飢え死にしろっていうのかよ。せっかく給金入って、やっとまともな食い物にありつけると思ったのに」
なおも噛みつくように言った子どもに、恰幅の良い女主人は腰に手をあてて言い返した。
「うるさいよっ。そんなこと知ったこっちゃないね。さあ、さっさと出てお行き。あんたみたいな汚い子どもにいられちゃ迷惑なんだよ」
言葉の途中で、女主人は子どもの服の後ろ襟を掴んで、店の外へ放り出した。
アキレアの見ている前で、子どもは勢いよく道に尻もちをついた。女店主は手を叩いて、鼻を鳴らすと店内に戻っていく。
その背を見つめていた子どもが、不意に立ち上がった。アキレアがどうするのかと見ている前で、子どもは大きく息を吸うと、女店主に向かって大声で罵詈雑言をまくしたてた。そして、女主人が怒って店を出てくる前に走りだす。その逃げ足の速いことといったらない。
つい、一部始終を見てしまったアキレアは、手に箒を持って店から出てきた女店主と目が合った。怒りの形相をしている女店主に、アキレアはとりあえず意味もなく笑って見せた。
たくさんのパンが入った袋を手に、アキレアは歩いていた。屋敷の方向から少しそれた森の中である。
アキレアは途中、たまに足を止めては草や木に手をやり、頷くとまた歩きだす。
しばらく道なき道を進むと、開けた場所に出た。その少し先に小川が見える。その小川の近くに、先ほどパン屋にいた子どもの背が見えた。膝を抱えて座っているようだ。
アキレアはその子どもに向かって、声をかけた。
「やあ、一緒にパン食べないか?」
その声に驚いたのか、子どもは素早い動作でこちらを振り向いた。胡散臭いものを見る目つきである。
「あんた、さっきパン屋の前にいた奴だな」
アキレアは頷いた。子どもは、ふんっと鼻を鳴らし、視線を小川の方へ戻した。
アキレアはゆっくりと、子どもに近づき、その隣に腰を下ろす。
子どもは少し身動きし、アキレアから距離を取るように体をずらした。アキレアはその分距離を詰める。その動作を互いにしばらく繰り返した後。子どもが業を煮やしたように声を荒げた。
「もう、何なんだよ」
アキレアは顰め面の子どもに、笑顔を向けた。
「おい、どうだ? 食わないか」
先ほど買ったパンを袋から取り出し、まだ温かいそれを子どもの前に差し出した。子どもは一度視線をパンへと落とし、振り切るように頭を振って、アキレアを睨んだ。
「同情なんていらねぇよ。あんたが買ったんだろ。あんたが食えよ」
顔を背けた子どもの腹から、大きな音が鳴った。体は正直だ。
「べ、別に腹減ってるわけじゃないからな」
慌てたように言った言葉に被さるように、また腹の虫が音を立てる。アキレアのパンを持つ手が震えた。笑いだしたいのを我慢した為である。そんなアキレアの様子に気づいたのだろう。子どもは、深い緑色の大きな瞳を細めた。
「何、笑ってんだよ」
恥ずかしさが、声に滲みでてしまっている。アキレアはとうとう笑いだした。しばらくして、子どもに睨まれていることに気付き、なんとか笑いをおさめる。
アキレアは取り繕うように、咳払いして、笑顔をつくった。
「わるかった。でも、よかったら一緒に食べてくれないか? 俺は一人で食べるのが好きじゃないんだ」
子どもは、何かを図るようにアキレアをしばらく見つめた。そして、アキレアの差し出したパンを無言で掴み取り、口へ運んだ。
「悔しいけど、美味いや」
「そうだな。味は悪くない」
アキレアは早々に食べ終えた子どもに、二つ目のパンを差し出した。今度は素直に受取って、子どもは熱心にパンを口へ運ぶ。余程腹が空いていたらしい。二つ目のパンもすぐに食べ終え、アキレアは三つ目のパンを差し出した。
なんだか、小鳥に餌付けしているような気分だ。そう思って、頬が緩む。
「何、ニヤついてるんだよ。気持ち悪いおっさんだな」
「おっさんはないだろう。せめてお兄さんと呼んでくれないか」
「お兄さんってな柄じゃないくせに……あんたパッと見、どっかのゴロツキみたいな顔してるもんな。でも、あんた、領主さまの客人だろ? 町のみんなが噂してたぜ。なんとかマスターって言うんだってな。偉い人なんだろ?」
知っていたのか。そう思って、アキレアは子どもを見つめる。先ほど、薄汚れた子どもだと思ったが、薄汚れたではなく、かなり汚れた子どもと言った方が正しいだろう。身につけている服は泥まみれで、ところどころに穴があいているし、その服に負けず劣らず、小麦色の肌や茶色い髪にも土汚れがついている。
「なあ、聞いてんのかよ」
焦れたような子どもの声に、アキレアは我に返った。
「ああ、聞いてるよ。俺はなんとかマスターではなくて、フラワーマスターだ」
「ふーん」
子どもは、分かったような分からないような顔で頷いた。
「お前も、仕事をしているんだろう? パン屋で給金をもらったとかなんとか言ってたよな」
「まあね。領主さまのご厚意で働かせてもらってんだ。あそこのお屋敷にある薬草園で薬草の世話をしてる」
「そうか。そのせいもあって、このあたりの草木はお前を好意的に思ってるんだな」
「は?」
子どもの不思議そうな様子に構わず、アキレアは言葉を続けた。
「それから、お前の汚れている訳もそのせいか」
「うっ」
子どもは小さく呻くと、ばつの悪そうな顔をする。
「さて、せっかく友達になったことだし、お前をお茶に誘うことにしよう」
「いつ、友達になったんだよ!」
驚いた顔をする子どもに、アキレアは片目をつぶって見せる。
「おいしいお菓子も用意する」
「え? 本当か?」
お菓子という言葉に、嬉しそうな声を上げた子どもに、立ち上がって手を差し出す。
「もちろんだ。もう少し話も聴きたいしな」
そう言って、アキレアは微笑んだ。子どもは、差し出されたアキレアの手に、その小さな手を重ねた。




