第十一話 再会
西方の地。ナスタチウムから王都へと帰ってきたその日。カボックと別れ、アキレアとシオンはある場所へ向かった。
二人の向かった場所。それは、王都の中でも広大な敷地として有名な、アネモーネ公爵邸である。
アキレアは、公爵に用があるからと、シオンに庭で待っているように言い置いて、屋敷の中へ入って行った。
シオンは言われたとおり、広い庭に下りた。庭というよりは庭園といった方がいいだろうか。
庭園に下りたシオンを、色とりどりの花が出迎えた。
誇り高く咲き誇る花々。花々の芳香が辺りに漂う。
心落ち着く空気を、深く吸い込んだときだった。
シオンはふと、庭園の中に、女性が佇んでいることに気付いた。
シオンはその女性の姿に目を奪われる。
シオンが今よりも小さい頃。ナスタチウムと呼ばれる西の地で、出会った妖精がそこに立っていたのだ。
アキレアの言葉が、耳に蘇る。
その妖精こそが、お前の母親だ。そう言ったアキレアの言葉が。
シオンは手にした一輪の花を見る。ここへ来る前に、初めて花売りから買った花だった。
もちろん、母へ贈るために。
女性はまだ、こちらに気づいていないようだ。
咲き誇る花々に目を奪われているらしい。
シオンは、女性との距離を少し縮めるために歩き、女性に呼びかけるために口を開いた。
「お母さま」
女性に呼びかけようとした、まさにその時。シオンの背後から、甲高い声が上がった。
女性がこちらを振り向き、驚いたように眼を瞠る。シオンは確かに女性と目があった。
それと前後して、駆けるような軽い足音がシオンの背後から迫ってくる。
その足音がシオンの横を通り過ぎようとした。そちらを見やったシオンの目に、シオンよりも小さな子どもの姿が映る。
シオンと同じ金色の髪。そして、シオンよりも小さな体。その体が、不意に傾いだ。
思わず、シオンは手を伸ばす。気づいた時には、躓いた子どもを抱きとめていた。
「ありがとう。お兄ちゃん」
屈託のない笑顔で言われ、シオンは笑顔を返す。
すぐに態勢を立て直すと、子どもは女性に向かって駆けて行く。
子どもは嬉しそうな顔をして、女性に抱きついた。
その子どもの背に、手を添えた女性。しかし、その眼はいまだシオンを見つめている。
シオンはうろたえ、視線を彷徨わせてしまった。
そんなシオンの耳に、柔らかな声が届く。
「あの、あなたは……」
女性の言葉を途中で遮るように、シオンは声を上げた。
「あ、あの。オレ……じゃなくて、ぼ、ボクは。あのっ。マスター。そう、マスターデュオンの弟子、弟子なんです。マスターデュオンに、ここで待っているように言われて」
とっさに、手に持っていた花を背後に隠し、シオンは言った。
声を上ずらせるシオンを笑うこともなく、女性は優しく問う。
「そう。名前は?」
「シ、シオン」
そっと窺うように、目を上げる。女性は目を細めて、シオンを見詰めている。
長い睫を伏せて、女性は抱きついている子どもの手を取った。子どもと一緒にシオンの前まで来ると、女性はシオンに声をかける。
「そう、シオン。シオンっていうの。とても良い名前ね」
女性の声が少し震えているような気がするのは、気のせいだろうか。
シオンはふと、背後に隠した花の存在を思い出した。
それを胸の前に出す。
「あの、これ。さっき買ったんです、よかったら」
目をつぶって、シオンは花を差し出した。
「これを、わたくしに?」
女性の声が届き、シオンは目を瞑ったまま何度も頷いた。
しばらくして、花が受け取られ気配を感じ、シオンはそっと目を見開き、女性を見上げた。
その瞳に、嬉しそうに目を細めた女性が映る。
「ありがとう。とても、綺麗だわ」
「あの、それじゃ、オレ、じゃなくて、ボクはこれで。お邪魔しました」
そう言って、踵を返し、逃げるようにして走り出す。
そんなシオンの背に、女性の呼びかける声が聞こえた。
だが、シオンは聞こえないふりをして、庭園を後にした。
残された女性は、貰った一輪の赤いバラを手にしたまま、ドレスが汚れるのも構わずに、地面に膝をついた。
女性は赤く美しいバラを見つめ、その花の花言葉を思い浮かべていた。
赤いバラの花言葉。
それは……
あなたを、愛しています。
「お母様? どうしたの? おなかイタイ?」
たどたどしい口調で、気遣う声をかけた息子を、女性は抱きよせた。
「何でもないの。何でもないのよ。ごめんね……」
ごめんなさい、シオン。
胸の中で、名を呼んで。
女性は、抱きしめてやることすらできなかった息子を思う。
そしてただ、ごめんなさいと、呟き続けた。