第一話③
アルバイトを終え、自宅の最寄り駅に着く頃には、夜も深まり町に人影はほとんど無くなっていた。くたびれたスーツを着たサラリーマンがちらほらつまらなそうに歩いているだけ。
駅のロータリーにある、随分とスペースの狭くなった喫煙所に寄り、煙草に火をつける。
吸い始めてから一年。もうここへ来るのも習慣のようになっていた。
初めて吸ったときは、味なんて何もわからなかったが、慣れというのは怖いもので、今では1日に10本は吸っている。
いや、今でも特に味を感じているわけでもない。ただ、煙草を吸うことで気持ちが落ち着く。
おそらくそれはニコチンのせいだけではなく、煙草が自分の体を蝕んでくれているから。
緩やかな自殺。痛みのない自傷。
それが僕の心を落ち着かせた。
無駄に綺麗な夜空に向かって煙を吐く。
その白煙が消えるか消えないか、というくらいのところでロータリーの向こう側の人影が視界に入る。
並んで歩く二つのそれは、背の低めな女の子と少し恰幅の良い青年だ。
手を繋ぎ、仲睦まじそうに歩く二人。
その女の子、羽鳥萌子は僕の中学の同級生。
そして、僕の元彼女。
成績優秀で、図書委員長なんてやっていた彼女は、何の不思議か中学二年生から高校二年生まで、僕の彼女だった。
中学校からは毎日一緒に帰っていたし、バレンタインも毎年くれた。
高校生になってからは別々の学校だったが、帰りに待ち合わせてデートもしていた。
キスだってしたし、彼女に僕の童貞を捧げて、彼女の処女を貰った。
そして、高校二年生の冬、たしか珍しく僕らの住む街に大雪が降った日。
僕はフラれた。
何だか理由を色々言っていたような気がするけど、忘れてしまった。
涙は出なかった。三年以上付き合っていれば、何となく彼女の気持ちもわかっていたから。いや、本当にわかっていたらフラれてなんかいなかったのかもしれない。
そんな彼女は、煙草が大嫌いだった。
家でお父さんが吸うから、口も利いてやらない、みたいなことを言っていた。
もちろん僕も煙草なんて好きでも何でもなかったし、ヤンキーがカッコつけるために吸うような物だと思っていた。
彼女にフラれたときも、間違っても煙草なんて吸おうと考えなかったし、せいぜい一週間学校を休んだだけだ。
そして、1年前彼女が今の彼氏と歩いているのに出会した。
その日も今と同じように、彼女はその青年に笑顔を向けていた。どこかで見覚えのあったその青年は、僕と彼女の通っていた塾の先生だった。僕らが中学生の時から講師として働いていたから、おそらく年齢は10個近く上。みんなから「太郎さん」と呼ばれていて、お兄ちゃんのような、優しい、良い先生だった。
太郎さんは、僕らに向けていたのとは少し違う笑顔で彼女を。
彼女はいつだか僕に見せてくれていた笑顔をで太郎さんを見ていた。
詳しい経緯はもちろん知らないが、つまりはそういうことらしい。
その日、僕は初めて煙草を吸った。
味なんてわからなくて、火の付け方も見よう見まねで、咳き込みながら吸った。
煙のせいか、涙目にもなっていた。
それも誤魔化すように吸った。
そして、今日も僕は煙草を吸っている。
人気のない喫煙所で、思い出を煙で隠すように。