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神は好きに生きるそうです。  作者: 空の宙
3章 雪と氷のお城で遊ぶそうです。
99/115

89 湯気の向こうの氷叩く音

S²「……前回の温泉回さ、スーちんの眼帯に一切触れてなくないです?」

あ。

S²「あれ無視するとか、神経イカレてやがるです?」

マジさーせんした。

疲れてたんです許して。


修正したら(編集済み)とか書いておきます。

S²「よーうつべー」

やめて!?

 


「やめろ! 離せ! お前はあの変態じゃないだろう!」


「いや、流石に洗ってから入って欲しい。洗う気がないのなら、某が勝手に洗わせてもらう」


「嫌だ! 酷く屈辱だから嫌だ!」


「だが自分の体を洗う方法すら知らんのだろう」


「魔力で汚れ弾き飛ばしてっからセーケツなんだよ俺様は!」


「そうなのか……? だとしても、これはマナーだ。じっとしていろ」


「うぐううううううっ」


 椅子に座らされ、オボロにお湯をかけられるレグ。

 凄く嫌そうな顔をしているが、これ以上訴えても無駄だと分かったのか、大人しく震えている。


「ねー兄さん、たまには僕の髪も洗ってよー」


「はあ? お前そういう歳じゃないだろ。なんでそんなことする必要があるんだ?」


「まあまあ。たまには可愛い弟のお願いを聞いてよ」


「ったく、しょうがねえなあ」


「えへへっ」


 一方こちらでは、ウレクがアレンにおねだりをして、髪を洗ってもらっている。

 ウレクはとても楽しそうだし、アレンも呆れ顔ながらしっかりと洗ってやっている。

 いい兄弟だ。

 さて、余った僕はどうしたもんか。


「おい猫悪魔、俺様の憂さ晴らしにこっち来いや」


 両者の間でフラフラ、ぴちゃぴちゃと水周りをウロウロしていると、レグに手招きされた。


『いやそんなこと言われたら普通行きたくなくなるよねえ……? ボクに何するつもりだい?』


「俺様が洗われてる間、腹いせにオメーを洗ってやる」


『それ八つ当たりだよねえ……。やだよー、乱雑そう』


「うるせー! いいからこっちこいや! じっとしてんのも落ち着かねーんだよ!」


「おいレグ、じっとしていろ」


「ぐうううううっ!」


 あ、なんか涙目になりそう。

 えー、でもなー、レグに洗われるってどうなんだろう。

 まあ仕方ないから行ってあげるかー。


 ボクはテクテクと歩いていき、レグの前にあった桶にちょこんと入った。

 レグはその桶に半分程お湯を入れて、自分の膝の上に乗っける。

 そして桶の中でボクの猫の身体を洗い始めた。


 ……お?

 意外と手つき優しいな。

 むしろ丁度良く、気持ちいいくらいでもある。

 ルルディーの手によって無駄に再現度高く作られた体毛に、指をくい込ませて洗ってくれるし。

 なんていうか、普段の言動挙動に似合わないな。


『ふわあぁ。なんか、優しいんだね』


「んあ? なんだよ、屈辱じゃないのかよ」


『いや、思ったより手つきが優しいから、気持ちいいくらいだよ』


「んだよ、悔しがれっての」


 素直な感想を言ってやったら、むしろレグが悔しそうだ。

 可愛らしいような、子供っぽいような。


「レグ、その猫の言葉が分かるのか? 某にはさっぱりなのだが」


「あー、まあ一応な。色々あんだよ」


「両方悪魔だから、とかじゃないのかい?」


 隣からウレクが質問してくる。

 残念ながら、悪魔同士のシンパシーはないんだなぁ。

 悪魔ってその他大勢だし。


「うんにゃ。なんかこいつ呪いがかかってるらしくてな、一部のやつにしか言葉が通じないらしい。なあ? クソ女神にも伝えたいこと満足に伝えられない間抜け悪魔?」


 むむむむむ。

 馬鹿にしてくるなあ。

 その通りだから言い返せないけども。


「え? マスターにも通じてなかったのか? てっきりマスターとはいつも会話出来てるもんだと」


 アレンもウレクの頭を洗ってやりながら、首を傾げた。

 その疑問をレグは鼻で笑った。


「はっ。何となくだろ。向こうにはにゃーにゃーとしか聞こえてねーよ。勿論俺様が通訳してやる義理ねーけどな」


『はいはい。期待してないから別にいいよ。通訳されちゃったら罰にならないしね』


 はあ、手つきは優しいけど、やっぱり性格は優しくない。

 でも、優しくはなくても、根っこはいい子なのかもしれない。

 手つき以外からも、そう思った。


「というか、オボロさんは、ユウキさんにどこまで教えて貰ったんですか? マスターが、オボロはもう大丈夫、と仰ってたんですが」


 ウレクは心配そうに、少し警戒するようにオボロを見た。

 そう、この中で部外者は明らかにオボロだ。

 他の人達は、レイと何らかの関係がある。

 レグの場合は、因縁って感じだけど。


 ボクらはユウキに無理矢理誘われて、この面子で温泉に入ることになった。

 その時ユウキとレイはコソコソと話し合い、一度オボロを引っ張ってどこかの部屋に行った。

 そして戻ってきた時、レイはアレン達に「こいつの前ではもう大丈夫。気にせず羽を伸ばしてこい」と言って、そのまま女風呂に行ってしまった。

 ユウキもオボロに対して「まあ深く詮索しない限りはだいじょーぶ。おみゃーの分も払ってあるから行ってこい」と肩を叩いて楽しそうにレイの元へ行ってしまった。

 ボクらは訳が分からないままだったが、とりあえず温泉に入る事にしたのだった。


 ちなみに、ボクのことはユウキが温泉の人に話をつけてくれて、特例で入って良しとなったらしい。

 相当ここの人達と関係があるっぽいな。


 とにかく、ボクらは、彼がどこまで話されたのか良く分からない。

 だから、どこまで気を緩めていいのか分からないのだ。


「そうだな……とりあえず、あの赤髪の童女が実は神であり、そしてお前達はそれに仕える影の組織の存在である、と。某達忍びと似たようなものだと聞いた」


「うーん、同じにされると色々と複雑な気持ちなのですが。まあ大体そうですね」


「あんたは、マスターが神であってもあんまり驚かないんだな」


 アレンがウレクに優しくお湯をかけてやりながら、オボロにそう投げかける。

 その質問に対して、オボロはふっと笑みを零した。


「某達のところのビャクヤ様と、似たようなものだ。神という人々から超越した存在でありながら、妙に人里好きで、分け隔てなく絡んでくる。某にとって、神族とはそういう近しい存在であるイメージの方が強いからな。むしろ不思議な違和感が晴れて納得出来た」


「あー、確かにあの神もアホだったな。うぐっ」


 レグがそういうと、オボロがレグの髪に触れていた手の力を強めた。


「ビャクヤ様は阿呆などではない。ただちょっと……いや、かなりお茶目なだけだ」


「おめーも似たようなこと思ってんじゃねーか」


「ああ、そういえばそうなんでしたっけ。だったら、理解も早かったでしょうね」


「成程な。俺達はあの神についてはあまり知らないが、マスターとは仲がよく、馬も合うらしいからな。確かに、似たようなものかもな」


「だが勿論、あのレイという神も、お忍びであろうことは理解している。他言無用と言われたし、契約魔法の紙にも名と血判を押すように言われた。だから他に話したりはしない。勿論忍びの同胞達にもな」


「それは安心ですね。兄さん、次は僕が洗ってあげよっか?」


「いいって。気恥しい。先に入ってろよ」


「はあい」


 ウレクの髪が洗い終わり、お返しをしようとするが、アレンはその提案を跳ね除ける。

 少しだけしょんぼりした顔で、ウレクは先に温泉に浸かる。

 ボクの体も、レグにお湯で流されて、普段から清潔にはしてるけど、さらにピカピカになった。


「ほらよ。おめーも出来たぞ」


『ん。ありがと』


「レグもちょうど終わったから、先に入っていてはどうだ?」


「ふん、ようやく屈辱的な時間が終わったか。……まあ、ありがとよ」


 むず痒そうに顔を逸らしながらお礼を言うレグ。

 なんというか、やっぱりひねくれてるだけなのかもしれない。


 ボクはレグに連れられて、温泉の縁にまでくる。

 さて、どうやって入ろっか。


「おめーは桶の中に入ってりゃいいんじゃねーの? ほら、こうやってよ」


 近くにあった桶を手に取り、レグはそこに温泉を掬って入れた。

 簡単なプチ温泉だ。

 これなら全身浸からずに済むね。


『ありがと、レグ』


 ボクはご好意に甘えて桶の中のプチ温泉に入った。

 すると、桶はレグに持ち上げられた。

 ん? 何するつもり?


「よいしょ」


『え』


 レグはそのままボクの入った桶を温泉の上に浮かべた。

 桶はどんぶらこどんぶらこ、と不安定に揺れている。

 うわわわわ。

 ひっくり返らないかなあ。

 そして続いてレグも入り、桶に指をかけると、


「おらっ!」


『わああっ!?』


 そのままクルクルと水面で桶を回転させた。

 あああああ、目があぁぁぁあ。


「あーあー、何してるんだい君達」


『にゃーあー』


 先に入っていたウレクが桶を止めてくれた。

 うう、無いもの吐くとこだった。

 そして悪ガキレグは胸張って威張っていた。


「まあ桶に乗っけたならやるべきかと思ってな」


 うう、前言撤回。

 主人に似て物凄く粗雑だよ。


「黒猫くん、大丈夫かい?」


『だ、大丈夫ー』


 ウレクには聞こえないだろうけど、手を挙げて無事を伝える。

 ふと、ウレクがボクと目を合わせてマジマジと見てくる。


「……あれ、ところで、君って男の子なの? 女の子なの? マスターは自然とこっちに入れてたから、男の子? あれ、でも人型の時、女の子の服を着てたから、女の子?」


「悪魔に性別なんてねーぞ。俺様も男じゃねーしな」


「え?」


 ウレクがコテンと可愛らしく首をかしげた後、レグの体の下の方をじっと見た。

 見られたレグは、はあっ、とため息をついた。


「どいつもこいつも、性別の話っつったらまずそこなんだな。ついてもねーし開いてもねーぞ」


「……本当だ。じゃあこの猫もそうなんだ。あれ、じゃあ別に女風呂でも良かったんじゃないのかい?」


「おいお前何言ってんだ。あっちに入りたいと思うか? クソ女神とゴリラ女がいるんだぞ?」


 レグに言われて一瞬想像したらしいウレクは、思わず苦笑いする。


「クソ女神っていうのは撤回して欲しいけど、うん、そうだね。どちらでもいいにしろ、向こうは少し騒がしそうだ。それに、恋人がいるのに男の姿である君が入ってるのを想像すると、ちょっと妬けちゃうし」


「まあ見た目的にも違和感しかねーだろ。つーか、くっついてたんだな」


「ちなみに小さい女の子の方は兄さんの恋人だよ」


「クソ女神よりほんのちょっと大きい程度のあの小さいのか? なんだ、ロリコンか?」


「失礼な! 大きくなったとしてもスーは美人だ! 俺はどんなスーでも大好きだ!」


 レグの偏見に対して、髪を洗い流していたアレンは即座に振り返って愛を語った。

 お熱いねえ、若いっていいねえ、人間っていいねえ。


「兄さんそれ本人の前で言ってあげなよ」


「い、言えたらな……」


「はー、あっついなー。俺様にはよくわからん。性欲も恋愛欲もないんでな。猫悪魔、おめーはわかんのか?」


 レグは突然ボクにまで話を振ってきた。

 恋、恋かあ……。


『ボクは、よく分からないや』


「なんだ、おめーあの女神が好きなんじゃねーのか?」


『え? レイ? まさか。ボクがレイに抱く感情は色恋のそれじゃないよ。ただただ感謝の情があるだけだ。それに、素直に可愛らしくて愛おしいだろう?』


「わっかんね。ユウキもお前も、人間共も、なんでそこまであのクソ女神に尽くせんのか、俺様にはわかんねーよ」


「むっ。マスターには沢山いい所があるんだよ」


「そーだそーだ。お前ももうちょいマスターのいい所理解してみろよ。お前から見てもいいなって思うところあるだろ」


 ウレクが抗議し、それに乗るように、こちらにやってきたアレンが追撃する。

 レグは二人に言われて、腕を組み首を捻って、努力してみようとする。

 だが、やはりよく分からないのか、唸って首を傾げ続ける。


「いや、俺様が即座に思いつくあいつの特徴っつったら、底無しの愚か者で、影ばっか深くて、意気地無しのヘタレってことしか思いつかねーんだが。どこがいいってんだ?」


「ねえちょっと、流石に殺意が湧かなくもないんだけど」


「お前しばかれてえのか。やっぱ無礼が過ぎるだろ」


「はっ。テメーらが俺様に勝てんのかよ。やれるならやってみやがれってんだ」


 ああああ、折角の温泉で一触即発な雰囲気に。

 これは明らかレグが悪いでしょ。

 なんで態々怒らせるようなこと言うかなあ。

 ちょっとこれどうしよう。


「知り合いの温泉で流血沙汰を起こすのはよしてくれないか。他所でやってくれ」


 焦ったボクの救世主になってくれたのはオボロであった。

 オボロは若干の威圧を見せつけ、静かに温泉に入っていく。

 オボロが間に入ったことにより、レグは顔を逸らし、アレンとウレクも殺気を抑える。


「はあ、こき使われた疲れがようやく癒える」


 温泉に浸かったオボロは、そういって息を吐いた。

 どうやら、ユウキに頼まれて予約を入れたのはいいが、そのついでとして、知り合いの交もあり、色々と雑用を頼まれ散々だったそうな。

 ご愁傷さまである。


「まあ、相容れないのは仕方ないだろう。それぞれ抱えてるものが違うんだろうからな。自分自身の持つものを相手に無理矢理理解させようとするのは良くないことだ。だがレグ、お前もこうなると分かってるならやめてやれ」


 一息ついたオボロはそう咎め、レグはそれに対しても反抗的な態度を見せた。


「はん。正直な意見を述べただけさ。別に間違っちゃいねーだろ」


『ちょっとレグ、よそうよ』


 ボクは影を使って桶をレグに寄せて近付く。

 レグはツーンとして突っぱねた態度をとるばかりだ。


「……そんなのは、僕らだって分かってるんだ」


 ボソッと吐き出したのは、ウレクだった。


「でも、僕らじゃマスターを救えない。僕らは、弱いから。マスターが望んでいるのは、僕らじゃないから」


「だからこそ、俺達は俺達に出来るだけのことをマスターにしてやるんだ。幼少の頃の恩だけじゃねえ。純粋に、マスターのことがみんな大好きだから。優しいあの人が大好きなんだ」


 続いてアレンも辛そうな顔でそう言い、少しだけ重たい雰囲気になった。

 それに対して、レグは意外にも、少しだけ興味を示した。


「幼少の頃の恩ってなんだ? 助けられでもしたのか?」


「助けられた? そんなものじゃないよ。僕らは救ってもらった。命も、居場所のなさも、何もかも。マスターは僕らを全てから救い、多くを与えてくれた」


「みんなそうだ。マスターに命を、心を救われただけじゃない。沢山のものを貰ったんだ。生きる場所を、寝れる場所を、学べる場所を、強くなれる場所を。全部全部、マスターに貰ったんだ。一生懸けたって、命を懸けたって、返せるもんじゃねえんだ。その恩だけでも大きいのに、マスター自身も優しすぎる。みんながマスターを大好きになっちまうのも、仕方ねえんだよ」


 全部、って、最早人生丸ごと変えられたようなものじゃないか。

 何も無かった彼らに、全てを与えたんだとしたら、それを沢山の子供達にしてるんだとしたら、一体レイはどれだけのことを成してきたんだ?

 でも、それを、一体どんな気持ちでやっていたんだろう?

 ボクには、想像もつかない。


「はーん。つまりは自分たちの全部ってわけか。成程、わかんねーわけだ。俺様にとっちゃ、あいつは単に屈辱と不自由をくれやがったぶっ飛ばしたい相手で、それ以上でもそれ以下でもねーからな」


 レグはそう言って切り捨てた。

 理解し合えないと悟ったのだ。

 そりゃあそうだろう。

 出会いも何もかも違いすぎる。

 理解も共感も、し合えたもんじゃないだろう。


「君にとってのマスターがそれでも、僕らにとってのマスターは、優しいマスターだ。だから、マスターに危害を加えるなら、絶対許さない」


「そうだぜ。まあ、その流れで言ったら、そこの猫もまだ信用なんねーけどな。聞いたぜ? あの時の騒動って、お前が仕組んだことらしいってな」


 あー……うん。

 グラドの件ね。

 あれは本当に申し訳ないと思ってるよ。

 でも、ああでもしないとルルディーはレイのために顔を出してくれないと思ったし。

 まあ、あそこまで怒られるとは流石に予想してなかったけど。


「なんだ、オメーもやらかしてたのかよ。何やったんだ? ん?」


『そんな楽しそうな顔で聞いてこないでくれるかなあ。ボクがこの、話せない呪いをかけられるだけの怒りを買った、そういう出来事さ』


「だっはは。なんだそりゃ、愉快じゃねーか。ざまーねえなー」


『うるさいなあ、もう』


 ボクだって分かってるやい。

 改めて言われたくないったら。


「まあそれぞれあいつに抱く感情は違うってこったな。俺様はユウキと組んじゃいるが、未だにそこは分かり合えねえしな」


「逆に、そんなんでよくユウキさんに怒られないね?」


「あの人相当のマスター好きだったはずだが……」


「いや、なんつーかな、あいつは『違っていいじゃねえか、その方が面白い。それにお前の方が弱いんだし問題ないっしょ』って笑い飛ばす奴だからな」


「姐御らしい発言だな。自分は自分、他者は他者というわけだろう」


「まあ、それにしちゃあ、あのクソ女神抜きでも変態な……」


 レグは突然言葉を詰まらせる。

 まるで何かに気が付いたように。


『どうかした?』


「……いや、なんだろう。すげえ悪寒が」


 そう言ってレグは、温泉から出て、後ろの壁を見つめた。

 方向的には、レイ達のいる、女風呂のほうだ。

 そっちの方向に顔をやり、壁を見上げた。


「え? 何かある?」


「何も無くないか?」


 ウレクとアレンは首を傾げ続けるが、レグは壁を見据えたままだ。

 そして不意に、拳を構えると、壁に向かって大きく跳躍した。

 え? え?


「レッツ覗き……」


 そして突然、向こうで温泉に入っているはずのユウキの顔が僅かに見えた。


「ふんっ!」


「み゛っ!?」


 その瞬間、レグの全力パンチがユウキの顔面にめり込む。

 えええええええ。


「テメーの変態奇行なんざ読めてんだよバーカ! そこで寝て風邪でもひいてろ!」


 そのまま壁に手をかけたレグは、ぶら下がったまま向こうに向かってそう叫んだ。

 満足したらしいレグは、鼻を鳴らして再びこちらに戻ってくる。

 一連の流れを見ていたボク達は、唖然としていた。


「えーと、覗き?」


「ユウキさんの、覗き行為だな」


「姐御がこちらを覗きに来たな」


 え、覗き?

 こっちを?

 逆じゃない?


「あいつはああいう奴だ。なんかカメラ構えようとしてたし、覗きどころか盗撮でもしようとしてたんじゃねーのか?」


『待って待って、ちょっと意味わかんない。いや、大分意味わかんない』


「つまりド変態ってわけだ」


『ダメだ! 納得しかけちゃうけどなんかダメだ!』


「納得しとけ。でも理解はすんな。あれは意味不明だ」


 レグは諦めた顔でそう言った。

 な、慣れてるってことなのかなあ。

 そう、頭が僅かに混乱で染まっている、その時であった。


「……ふふっ、くすくす」


 突然、笑い声が聞こえた。

 堪えきれなくて、思わず声に出して笑ってしまったというような、笑い声が。

 しかも、この場にいる者の声ではない、知らない笑い声が。


「ふふっ、あはははっ。……ああ、面白い。面白いねえ、楽しいねえ。やっぱりユウキは、見ていて退屈しないよ」


 ボクらは、ハッキリと聞こえたその声の主に、一斉に顔を向けた。

 そこには、見知らぬ少年がいた。

 風に吹かれ、晴れた湯気の向こうに、その存在が顕になる。


「やあ。先にお邪魔させてもらってたよ」


 月に煌めき揺れる金髪に、暗い暗い、闇より黒い瞳。

 優しげな笑みなのに、とても冷たい、まるで本性が読めない、謎の少年。

 その少年は、平然とボクらと温泉を共にしており、楽しそうに手を振る。


 ……だ、誰?

 っていうか、何時から? 何処に? どうやって?


「エシム、さん?」


「エシムさんが、なんでここに……」


「テメー……なんでいやがんだ」


「なんだ、エシム、いたのか」


 その少年に対する反応は、それぞれ違った。

 ウレクとアレンは、単純な驚愕を。

 レグは、殺意の見える警戒を。

 オボロは、ただ平然とした対応を。

 それぞれが、それぞれの反応をとっている。

 ただ共通するのは、全員がその少年を知っているらしいということ。

 知らないのは、ボクだけだ。


『ま、待って。レグ、どういうこと? 彼は誰だい?』


 ボクは焦って、レグに解答を求めた。

 するとレグは、今まで見たことないくらい真剣で、重たく警戒に満ちた表情で、ゆっくりと口を開いた。


「……いいか、猫悪魔。アイツに関して俺様が言えることはただ一つ。絶対に信用するな。あれは、人間の言葉で言ってみれば、悪魔よりも悪魔らしい、ナニカだ」


『ナニカ、って……』


「やだなあレグ、ナニカなんて失礼じゃないか」


 レグの言葉に、少年はくすくすと笑う。

 くすくす、くすくすと、不気味に響く、笑い声。

 聞いているだけで、言葉に出来ない不安が込上げる。


「僕はエシム。ただのエシムさ。一応、神のような存在だよ」


 頬に手を添えて、ウインクをしながら彼は答える。

 その一挙動の一つ一つに、思わず警戒してしまう。

 読めない、何も読めないのだ。


 人というのは、その言動、挙動、表情等々、様々な部分でその人の本性というのが見え隠れする。

 だが、何故だろう。

 彼からは、底無しの闇しか感じない。

 底知れない、悪意しか感じられない。

 人らしい感情が、黒いものしか見えない。


「うん? エシム、お前神族だったのか?」


 だが、そんな彼に平然と質問をするのは、オボロであった。

 彼は、不安にならないのか?

 あの少年とまともに接して、おかしな気分にならないのか?


「ああ、君は知らなかったっけ。まあそうだね、一応ね。でも君の想像するものとは違うさ。単に、性質が神に近いってだけだ。どちらかと言うと、レイみたいな感じかな」


 肩を竦めて、少年は素直に説明する。

 その動きも、どこかわざとらしい。


「おい待て。クソ女神みたいなって、どういうことだ? あいつは普通の神となんか違うのか?」


 エシムの言葉に、レグも反応する。

 ボクは自分の体を見た。

 浸かっていたお湯が、揺れて、震えて、ボクに共鳴していた。


「ええー? 悪魔である君なら分かるでしょ? レイは明らかに普通とは違う。別種とすらいえる存在だってことはさ。ていうか、あんなのが普通で、世界にゴロゴロ居たら、とうの昔に世界の秩序は大崩壊だよ」


「むっ……そりゃあ、そんな気はしてたけどよ」


 やれやれと肩を竦めて呆れるエシムに、レグは少しむくれる。

 ……ああ、なんなんだろう。

 何者なんだろう、この少年は。


「てか、なんでお前がいるんだよ。貸切じゃなかったのか?」


「そんなの、ユウキに誘われたからに決まってるじゃないか」


 当然というように、少年は笑う。


「優しいよねー。突然温泉に入りたくないかーって言われてさ。折角だから来ちゃったんだ。勿論、君達の邪魔をしないために、気配は完全に消してね」


 邪魔をしないように?

 そうかもしれないが、半分は冗談だろう。

 きっと、ボクらを隣で観察していたかったからに違いない。

 ボクは、初対面ながらにそう思ってしまった。

 そう思わざるをえなかった。


「にしても、愉快な面子が集まってるもんだよ」


 エシムは立ち上がって、三日月を背にボクらを見下ろす。

 まるで、選別するように。


「ただ少し強いだけで、取るに足らない鬼人族。レイに幼少期を救われて、自らの全てを捧げてたというのに、何も出来ない永遠の子供。それに、他者に何かをしてやる気はないくせに、理解は出来るものだから、変にドギマギしているひねくれた悪魔。そして……」


 彼が近づき、その漆黒の瞳で、ボクを見下ろす。

 そして屈んで顔を近付け、ボクの全てを暴いてしまうような、覗けているような、怖い笑みを浮かべる。



「──自らの大罪に目を背けるために、博愛主義なんて嘘をついて、死ぬに死にきれず、レイ達に寄生しているだけの死にたがりの悪魔、とかね」



 心が、凍りついた。

 彼は、一体、どこまで、なにを。

 ボクの、なにを、どうして。


「ああ、愉快だ。実に、滑稽だよ」


 くすくす、くすくす、くすくすと、笑い声が湯気に溶ける。

 まるで、ボクらを包み込んで、逃がさないように、嫌な音が反響する。


「本当に、レイ周りの登場人物は、見ていて面白い」


 エシムは笑いながら、湯から上がる。

 そのまま脱衣場へ向かい、扉を開き、最後に振り返って、やっぱり笑う。


「ねえ、君達。一つ教えてあげるよ」


 道化師のような、中身の見えない笑顔を。


「この世の全てはね、悪意の上に立っているんだよ? だから誰も、それから逃れられない。君達も、レイも、そしてボクも」


 そうして彼は、向こうに消えていく。


「だから精々、生き足掻くんだね」


 嫌な悪意を、落としていって、扉の向こうへ姿を消した。


 しばらく、静寂が続く。

 月が水面に反射して、眩しく感じた。


「……ぶっはあ!」


 その中で、最初に息を吐き出したのは、レグであった。


「クソっ! あのクズ野郎、相変わらず気持ち悪いことばっかいいやがって! 誰が理解してるだ! 誰がドギマギしてるだ! んなの知ったごっちゃねーんだよバーカ!」


 んがー! とレグは唸る。

 怒り奮闘であり、荒れた魔力が漏れ出ている。


「……やっぱり、あの人は苦手だな」


「ああ、俺もだ。相変わらず不気味な人だ」


 ウレクとアレンも、不快感を露わにする。


「取るに足らないとは、失礼過ぎやしないか? 相変わらず、あの少年は」


 オボロは少々ショックを受けた顔で、まだ比較的マシな方であった。

 そして、ボクはというと。


『はあっ……はあっ……』


「おい、お前、大丈夫か?」


 息が、乱れる。

 視界が、ブレる。

 魂が、荒れる。

 ダメだ、真に受けるな、思い出すな。

 ボクは、ボクは……ボクは…………。


「おいコラ、無視すんな」


『いたっ』


 突然レグに優しめのデコピンをくらい、ボクは顔を上げた。


「お前、あいつの言葉如きに惑わされてんじゃねーぞ。あいつはクソッタレの詐欺師みてーなもんだからな。あんなのはただの言葉だと思っとけ。あんな言葉は、嘘だと思っとけ。武器を持ってたわけじゃねーんだからさ、傷付いた顔すんなよ」


 レグの言うことは、慰めに近い。

 それでも、自分の身を守るには、誤魔化しをするしかない。

 ぶつけられて傷付く本当から、嘘で身を包んで守らなきゃいけない。


『……うん、そうだね。そうする。ありがとう、レグ』


「ふんっ、ヘタレがさらにヘタレ度増したらキモいだけだ」


 レグは顔を背けた。

 やっぱり、少しだけいい子かもしれない。

 心底口は悪いけどね。


『それで、結局彼は何者なんだい?』


 ボクの質問に、レグは多少頭をかいて考えたあと、口を開いた。


「表向きは占い屋、裏ではかなり優秀な情報屋、らしい。金やら何らかの対価を払えば、ほぼ本当の情報が得られるとか。占いも、かなり正確で、一部の人間しか知らないが、結構人気なんだってよ。本当の未来が見える、とか言う噂もある。どれもこれも、俺様にはよく分からん。人間達の噂を、ユウキ経由で聞いただけだからな」


『情報屋……。一体どこまで握ってるんだろう』


 他人の奥底まで暴いてしまいそうな、あの目。

 こちらを揺さぶるような、あの言葉。

 あれは、本当にどこまで知ってて言ったんだ?

 ボクは、初対面のはずだ。

 なのに、なんであんなことが言える?


「さーな、よく分からん。分からんが、とりあえず分かるのは、関わらない方がいいってことだな。あんな悪意まみれのクズ、関わるだけ無駄だ。つーか、被害蒙りかねん」


『……意外だね。君がそこまで的確に嫌悪するなんて。レイに対して騒ぐのとは大違いじゃないか』


 ボクがそう言うと、レグはため息をつく。


「別にクソ女神のことは嫌いだし、一矢報いたいし、気に入らなねーけど。良い奴なんだろうなってことは理解してるさ。ただ、マジで性格が合わねえだけだ。……ぶちのめしたいけど、マジで死んで欲しいって程じゃねえよ」


『へぇ〜?』


 レグの口から、本音らしい本音が出る。

 なんだ、素直にそういうことも言えるんじゃないか。


「お、おい。なんだよその反応は」


『別に? 君がそういう気持ちなら、それはそれでいいさ。でもさ……』


 ボクはしっぽで後方の存在をフリフリと示してやった。


『今のセリフ、ボク以外にも聞いている人いたけど、いいのかな?』


「!!!」


 今の会話の一部始終を聞いていたであろう後ろの御三方は、案の定楽しげな反応をしていた。


「なんだレグ、やけに素直な発言だな」


「へえー、マスターのこと、良い人だって認めてるんだー?」


「これは面白いことを聞いたなあ、弟よ?」


「ねー?」


 アレンとウレクの、今までクソ女神と言っていたことへの仕返しと言わんばかりの反応に、レグはわかりやすく狼狽える。


「お、おいお前ら! 今のアイツには、クソ女神には言うんじゃねえぞ!?」


「なんで? 本音は知られておいた方がいいんじゃない?」


「ああいうタイプは絶対弄ってくるって相場が決まってるからだよ! つーか、特にユウキには言うな! アイツとかマジでそういうタイp……」


「あいぼー! あの程度の攻撃であたしが諦めると思うなよ!」


「うるせー! 本人出てくんなー!」


 またも壁をよじ登ってきたユウキに向かって、レグはまたも同じように殴りかかりに行く。

 どうやら懲りていないみたいだ。


「おん? なんでぃなんでぃ? あたしの話でもしてたんかー?」


「うるせえ! 死ね! いっぺん死ね! いや、さんぺんぐらい死ね!」


「うぶぶぶぶ」


 登ってきたユウキの顔面を、ガッチリと掴んで押し返すレグ。

 仲良しだなあ。

 さっきの少年のことなんて、もう気にならなくなってしまった。

 ……なにか、微かに纏わるような不安はあるけれど。

 でも、今は温泉を楽しむとしよう。

 ボクはレグを遠い目で眺め、ぷかぷかと桶を揺らした。


「また温泉とか入りたいね。あ、今度は四人で入るとかどう? ダブルデートで、どこかの混浴風呂とかさ」


「こんっ!? まだ添い寝するのすら恥ずかしいってのにか!?」


「確か某の知り合いの鬼人に、混浴風呂もある温泉を経営してる奴がいたぞ。紹介しようか?」


「おっ。ちょうどお誘い貰えたよ? これは行くしかないんじゃないかなあ、ねえ兄さん?」


「う、うううっ……」


「四人で仲睦まじく温泉行こーよー。ねーえー、にぃさーん」


「…………け、検討しておく」


「うんうん、わかったわかった。検討ね、検討」


「なら、その場所のメモを後で渡そう」


「ありがとう、オボロさん」


「アリガトウゴザイマス」


 アレンとウレク、オボロは、それぞれの話に花を咲かせる。

 レグはまだユウキと攻防を続けている。

 ボクは少し冷めてきた桶の中から、月を見上げた。


 不気味な位の闇夜の三日月。

 嗤っているような、微笑んでいるような。

 言葉に意味という重みを持たせてしまうように、ただの風景の形にも、意味を感じてしまう。


 だとすれば、笑っているのは、自分自身なのだろう。

 自分自身を、自分で笑っているのだ。

 呆れるように、馬鹿にするように。


 ……いつか、三日月を、ただ綺麗だと思えるようになりたい。

 そうやって、強くありたい。


 ボクはそう願って、桶の中のお湯に、顔を少し浸して、少しだけ目を閉じた。

 屋外の温泉に、風が吹き込み、水面が揺れる。

 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆらと。

 ああ、酷く、不気味なくらいに、穏やかな夜だ……。







 *****



 街の中を、マントで身を隠した人物が、顔を隠して歩く。

 人目を避けるように、闇夜で怪しい路地裏に、足を踏み入れる。

 その行動は、故意なのか、無知なのか。


「……おいおい嬢ちゃん、どうしたんでぇ?」


 それによって招いた結果は、明らかに不運な方であった。


「いけないねぇ。こんな夜に、可愛い女の子が一人で、こんな道にさぁ」


 一見、それは心配からくる言葉に聞こえる。

 だが、酒臭く、顔全体が朱に染まっていたその男の態度は、明らかに悪意のあるものであった。


「マントで顔を隠してるってことは、なにか訳ありかい? 身を隠す場所でも探しているのかい?」


 酒の臭う息で、男はマントの女性に近づく。

 触れる距離に来て、肩に手を置く。


「だったら丁度いい場所がある。おじさん達に着いてきなよ?」


 その言葉と同時に、影から複数の男が現れる。

 女性を囲い、逃げ場を無くすように、一歩一歩近付いてくる。

 その現状に、肩に手を置かれた女性は、僅かに震えているように見える……その時であった。



「おい、そいつから手を離せ。そして近付くな」



 大通りに通じる、路地裏の先に、一人の人影が見えた。

 高めに結ばれた黒髪に、赤いマフラー。

 そして、この世界では鬼人の国でしか見ない、袴姿。


「さもなければ、全員ぶちのめすぞ?」


 異世界人、ユウキ。

 その存在の影響力は、路地裏にまで及んでいた。


「ま、まさか、『疾風迅雷』のユウキか!?」


「こっちに来てたって噂、本当だったのかよ!?」


「ヒッ、し、死にたくねえ!」


 怒気を発しながら一歩一歩近付いてくるユウキに、肩に手を乗せていた男は即座に女性から離れ、逃げ足の速い奴は即座に逃げていった。

 だが、あまりの恐怖に、動けなくなり、腰を抜かした哀れな子羊もいた。


「こ、ここ、殺さないでくれっ!」


「悪かった、悪かったから、関わらねえからっ!」


「おいおい、殺すぞ? なんて言ってないっしょ? ぶちのめすって言っただけじゃないか」


 皮肉げに、弱者を見下すように、ユウキは怖い笑みを浮かべる。

 そして、男達まで、あと数歩という所まで来た。

 まだ、意識を保てているだけ奇跡だが、ある意味不幸でもあった。

 それほどの威圧感を、ユウキは放っていた。


「ま、殴ったら、間違って死んじまうかもしれねーけどな?」


 その言葉を合図に、男達のプライドなど粉々になった。


「ひっ、ひいいいい!」


「死にたくねえっ、死にたくねえよう!」


「はあっ、ひいっ!」


 恐怖に耐えられなくなった男達は、脱兎のごとく逃げ出し、あっという間に姿を消した。

 まるで、嵐のように。

 こういったことからも、疾風迅雷などと呼ばれているのかもしれない。

 そして、路地裏には、マントの女性と、ユウキだけが残った。


「……おいこら」


 突然、ユウキが女性に対して、傍から見れば随分と熱烈な壁ドンを、しかし、現実はただ逃げ場をなくすだけの脅迫を行った。

 壁に追い込まれた女性に、ユウキが顔を近づける。


「なにミクの姿で男に襲われそうなフリしてんだ、カイ」


 そういうと、ユウキは呆れたようなため息をついた。

 それに対して、女性の雰囲気が一気に変わる。


「ふふっ、ふふふっ。なあんだ、やっぱり気付いてた?」


 その言葉と同時に、女性に異変が起こる。

 発光するなにか、魔力に包まれ、マントの中の容姿が変わる。

 長い髪は、カツラを被っている訳でもないのに短くなり、柔らかな骨身は、少し角張った痩せ気味の体型へ。

 そして、綺麗な顔は、美しくしさはそのままに、瓜二つの別の顔となった。


「やあ、久しぶり、ユウキ」


 フードを下ろしたその下には、ほんの少し前に、温泉に姿を現し、即座に消えた、エシムの姿があった。

 エシムは、風呂場にいた時と同じ、中身の読めない笑顔を浮かべる。


「ああ、久しぶり。久しぶりだが、そんなに経って無くないか? まだ一ヶ月もたってないぞ?」


「ええー? それでも僕にとっては久しぶりな感覚だよー」


 エシムはそう言って、ユウキに顔を近付け、その頬にキスをした。

 やられたユウキは、呆れ顔の呆れ度をさらに濃くして、深いため息をつく。


「ったく。ちょっと気まぐれに温泉呼んで、でも顔合わせる気は無かったのに、なんでバレるような出ていきかたするんだよ。明らか誘ってるってバレバレだっつの」


「誘われてると分かってて、か弱い女性を助ける役をやってくれるあたり、ユウキてノリいいよねえ?」


「どこにか弱い女性がいるやら。お前もミクも、全然か弱くなんてないくせに」


「それでも本気で怒って、助けてくれてじゃん。ありがとう」


 エシムはユウキの胸元に顔をやり、甘えるようにスリスリと擦り寄る。

 壁ドンをしていたというのに、全くもってマイペースなエシムに、ユウキは片手で頭を抱えた。


「はぁー、もー、助けるんじゃなかった。乗ってやるんじゃなかった」


「でもユウキ、そんな薄情なこと、たとえ僕らであっても出来ないでしょ? 知ってるんだから」


 上目遣いながらに、うっすらと細めた目は、少しだけ濁りが薄れているように見えた。

 先程までの不気味な雰囲気とは、大違いである。


「そうだな。出来ないな。だから、それを分かってて、利用されんのは、普通に腹立つ」


 突然、ユウキはどこからか短刀を出し、左手でエシムの胸ぐらを掴んで壁に押さえつけ、右手で持った短刀を、エシムの首元に突きつけた。

 薄皮の下の血の通う場所に、僅かに刃が入り込み、つうっと赤い線が出来上がる。


「あたしの要件は、聞きたいことは、確かめたいことは、ただ一つ」


 その瞬間ユウキは、先程男達に向けていたものとは、段違いの殺意を膨れ上げさせた。


「アイちーを操って、レイレイの部下を閉じ込め、あの現状を作り上げたの、全部お前の策略なんだろ?」


 常人であれば、一瞬で失禁してしまいそうな怒気。

 武道を習っているものであっても、少しの間怯んでしまうほどの殺意。

 それを今、見た目は少しひ弱そうな、細身のエシムに対して、全てぶつけていた。


「……くすっ」


 だが、エシムは、その笑顔は。


「ああ、その通りだよ。大正解だ」


 より、楽しそうに、嬉しそうに、笑みを増すだけであった。


「あの狐は、さぞ苦しかったろうねえ。世界で最も大切なものを、その手にかけてしまう所だったのだから。あの四人も辛かったろう。不知の隔離の状態にされ、何も出来ない状況に陥れられたのだから」


 ナイフを向けられても、殺意を向けられても、彼は嘲笑を絶やさない。


「君も、焦ったろう? レイが気絶しちゃってさ。レグだって、困惑してたくらいだものねえ」


 笑って、嗤って、哂って。


「楽しかったかい? 今回のイベントは、さ」


 彼は、相手の水面が揺らぐのを楽しむ。

 ただただ、相手を掻き乱す。

 それでも、その悪意の前でも。


「……あたしはな」


 彼女は、異界の戦士は、揺さぶられない。


「あたしはな、お前のやることに下手に口出ししたりしねーさ。お前は、お前なりに、やりたいことがあるんだろう。でもな……」


 くい込ませた刃を、更に深く突き立てる。


「本気で誰かを陥れようものなら、あたしは全力で立ちはだかる。たとえ、お前であっても、ぶん殴ってやる」


 そう言ってユウキは強い意志を、その瞳に宿らせる。


「……そう」


 彼は、エシムは、少しだけ陰りを戻す。

 心の奥底を、感情を、隠してしまう。


「やっぱり、君のことは、嫌いだな」


 そう言って、普通に笑う。

 彼は、笑った。


「……あたしも、お前が嫌いだよ」


 ユウキは逸らし、短刀を離してやった。

 エシムから一歩下がり、そのまま背を向けてた。


「しばらくは、レイレイといるけど、お前、これ以上変なことやらかすなよ?」


「ほとんど保証は出来ないけど、まあ、善処するよ」


 壁に寄りかかったままのエシムと、街灯りに目を向けるユウキ。

 そのまま、彼らは互いの方向に歩いていく。

 エシムは、闇の奥深くへ。

 ユウキは、光の元へ。

 互いの道へ、歩を進める。


 ────ああ、やっぱり、君のことは嫌いだよ。

 ────ああ、やっぱり、お前のことは嫌いだよ。


 わずかな月明かりと街灯りによって、出来上がった影と光が、二人を分け隔てる。



 ────だって君は、あまりにも良い人過ぎるから。

 ────だってお前は、明らかに悪い奴過ぎるから。



 相容れず、しかし近しい二つは、静かに、自然と、夜の喧騒に揉まれて、互いの影が見えなくなる。

 影も、光も、互いを認識出来ても、混ざり合うことは無い。

 ただ二分したまま、進んでいく、止まらない、変わらない。


 その日、二人で出会っていたことを、その時の二人の感情を知る者は、当事者以外に誰もいない。

 少し温かい夜風が、路地裏を撫でて、ただの殺風景へと戻す。


 晴れ、時々、雨、時々、雷、時々、曇り。

 目まぐるしく変わる天気のように、それでも、空は空のままであるように、日々は当たり前に、流れていく…….。

 平穏はまだ、終わらない……。







 ********



『今回は休憩』



Q、エシムってエシムなの? カイなの? 名前どっち?

A、今後紹介するから待って。


間違いではないです。

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