87 雪の壁に隔てられても
そこは、この世界の裏の中心。
システムが稼働する閉鎖された空間。
『何故、何故繋がらないのですか。システム自体に異常は無いというのに……』
その場にて、先程からSは珍しく物凄く焦っていた。
『マスターの映像も、マスターへの通信も、そもそも、あの空間自体に干渉不能。むしろ、それだけが何故……』
原因は、レイとの通信不調。
先程から、正確には、レイが氷の隠し部屋への階段を登り始めた直後から、それだけが不調を起こしていた。
『マスターの現在のステータスは見えていますが、正直、不安の方が大きいですね……。マスターは無事なのでしょうか』
『さあて、どうだろうねえ』
突然響く、聞くだけで不安になるような、なのに謎の安心感を植え付けられるような、正体の見えない声。
その声に、Sは戦慄し、絶望した。
この空間には、自らと、自らのマスターであるレイ以外、干渉することも、立ち入ることも出来ない。
例外にルルディーがいるが、彼女がこちらに干渉することはほとんど無い。
Sの分身体を使って会いに行く以外では、滅多に顔を合わせない。
この声の主は、その誰にも該当しない。
この存在は、入ることを許されていない存在なのだ。
Sに向かって話しかけることすら、出来ないはずなのだ。
なのに、今ここに干渉し、Sに平然と話しかけた。
紛れもなく、異常事態であった。
『……何故、貴方が、ここに干渉できるのですか』
しかも最悪なことに、本当に不幸なことに。
その声の主は、Sがよく知っている存在であり、その中でも一番、Sが警戒している存在であった。
『エシム……さん』
『あっはは。嫌々僕をさん呼びするの、なんか面白いなあ。あー愉快愉快』
笑っているのに、声音に微塵も嘲笑を感じられない、不気味で空っぽの声。
エシムと呼ばれた、姿を見せないそれは、Sの感情が見えているかのようにせせら笑う。
『まあ君って、基本的にレイ以外に興味無いもんね。他人の名前なんて、ほぼ呼ぶ機会もないだろうし。別に、僕のことは呼び捨てでもなんでもいーいよ。どちらにしろ面白いからさ』
『……っ』
『それと、どうして干渉出来るかだって? そんなの結果だけで十分じゃない? 君に、君というシステムを知っていて、僕は干渉出来る。それだけのことさ』
『それだけ、なんて……』
正直、Sにとって、御託はどうでもよかった。
干渉されてるのも大問題だが、それは二の次である。
早く、早くマスターの安否を知りたい。
ただそれだけであった。
『ああ、安心しなよ。レイは死んじゃいないさ。まあ気絶はしてるけどね』
そんなSの焦りを弄ぶように嘲笑いながら伝えるエシム。
気絶しているだけと聞いて、Sはひとまず安心するが、状況が見えていないが故に、その言葉を完全に信じ切ることが出来なかった。
『一体、何処まで貴方の掌の上なのですか。今回の出来事に、何時から手を出していたのですか。大体、何故こんなことを……』
『あーあーあーあー。酷くつまらない質問を一度に連続でしないでくれる? そもそも、それを聞いた所で、僕がレイに悪意を持って手を出していた場合、君は僕を絶対に許さないんでしょ? それらは果たして聞く価値のある話かい?』
失望するように声越しにため息を聞かせてくるエシム。
Sは、正直他人の感情などほぼ共感出来ない。
元々感情なんて乏しい機械のような存在なのだ、理解できるだけ素晴らしいと言えるだろう。
だからこそ、レイやその周りの人間、また世界の様々な光景を見ることで、その読み取り方は多少は学んでいた。
勿論、声だけでも相手を知るのに立派な材料になるということも。
だが、今この声だけの存在からは、何も読み取れそうに無かった。
その嘲笑からも、ため息からも、優しい人間のような口調からも、そのどれからも感情を読み取れない。
まるで、底のない泥沼を覗いている気分になるのだ。
正直、吐き気に似た何かを感じられる。
『……ええ、そうですね。今もし、貴方が、マスターを害するような状況を作り上げている場合、当機は貴方を許しはしないでしょう』
それでも、Sは踏み出そうとする。
『ですが、それはそれ、これはこれです。当機は貴方を許したくて、理解したくて理由を聞きたいのではありません。二度目を引き起こさないために、確信犯の意図を理解しておきたいのです』
全ては、レイの安全のために。
『ははっ。ま、そりゃそうだよね。その通りだ』
少しだけ機嫌を直したかのように、エシムの声はまた笑い混じりになる。
『でもそうだなあ、もったいぶっておいてなんだけど、敢えて語ることは特にないんだよね』
だが、掌の中身の正解を見せるふりをして、その中身を欺く答えを吐いた。
『だって、この方が面白そうだから、やっただけだもの』
どうしようもなく、悪意を持った返答を。
声だけでも、醜悪な笑みが見えてしまいそうな冷たい声音を。
果たして、それに対してSは冷静を保てたか。
『今の君は、あの空間に一切の干渉が出来ない。僕が邪魔してるからね。それは君の介入を無くして、レイだけの力でやらせるため。正直、邪魔だから押し退けたって感じかなー。だってほら、今の弱いレイが、一人足掻く姿は中々様になりそうでしょ? 死んじゃったら、それはそれで周りの反応も面白そうだし』
『……貴方のその悪意は、一体どこから身に付けたものなのでしょうね。当機は昔から不思議でなりませんよ』
Sは質問やら罵倒やらを色々と飲み込んで、理解不能とため息をついた。
ため息に対して、やはり嘲笑で返すエシム。
『さーねー。でも、人間の本質なんて、九割方育った環境だよねー。あと、一番影響を与えた人物が原因の一つだったりとか、ね』
『……そうですか』
Sは、敢えて肯定も否定もしなかった。
どうせ、この人間にはどんな言葉も通じやしないのだろうと、そろそろ学んできたからだ。
きっと、届きやしないのだ。
『それじゃ、君に無意味なちょっかいかけるのもここまでにして置くよ。ああ、安心して。全て終わったあとに、ちゃーんと元通りにしてあげるから。でもそれまでは、黙って無い指咥えていておくれ。結果は終わった後に見てみるんだね』
『……一つ、教えてください』
向こう側の声が止まる。
だが、まだこちらには干渉しているようであった。
一応待ってくれているらしい。
Sはそれを確認すると、言葉を続けた。
『エシム……さんは、マスターの敵なのですか?』
Sにとって、ハッキリさせておきたい大事なこと。
信頼はとりあえず置いておくとして、自らの大事な存在にとっての敵か、味方か。
『……つまらない質問だね』
その内容に対して、エシムは最早嘲笑すらその声音に感じさせなかった。
ただ冷たくて、目の前にいたのなら、相手を殺してしまいそうな冷たい目をしていたのだろうと。
そう思えるような声音で、笑うように答える。
『僕は全てにとっての悪人さ。どうしようもなく、悪人以外になりようがない。悪意に染まりきっている、ただの悪人だよ』
失望しているような、諦めているような、でもどれでもない無感情のような声が、小さく響いた。
だが、その次の瞬間には、そんな雰囲気など微塵もなかったかのように、何時もの詐欺師のような笑った声で、エシムはSをからかった。
『だから精々、悪人であるこの僕を存分に警戒しなよ。レイの隠れナイトさん』
その言葉を最後に、電波が途切れるような音がした。
通信をやめたのだろう。
だが、レイの状況はまだ把握出来ないままなので、干渉は続いている。
『……言われずとも、です』
いつもの誰もいない空間で、Sは一人返答した。
そうして、誰に向けるでもなく、無限の空間にS自身の魔力を漂わせ、ただ祈った。
『大丈夫です。マスターのことですから。だから、大丈夫です……』
ただ、今は信じるしか出来ないから、ただ信じる。
そうして、時が刻々と過ぎていくのは、その現場でも同じことであった……。
*****
人肌を切り裂く程の、極寒の辻風。
その凶器の如き風に対して、生身で突っ込んで行くのは、この場で一番狂気に染まった人間、ユウキであった。
「はっ!」
手に持ったレグが変化した大剣を上手いこと扱って、飛んできた巨大な氷塊を弾き返す。
弾き返した次の瞬間には、無数の小さな霰が迫っており、ユウキはレグに意志を伝え、大剣を扱いやすい剣に変える。
その剣と自分自身に電撃を走らせ、その場から姿を消す。
かと思いきや、次の瞬間には霰が全て木っ端微塵となり、地面に大小の破片が落ちた。
迫ってきた全ての霰を、剣と雷電の魔法で打ち砕いたのだ。
多少、後方にいるレイの方へと破片が加減を出来ずに飛んで行ったが、レイの側に控えていたアヴィーラウラが全て影のドームで防いでみせる。
正直、今の技は紙一重であった。
アヴィーラウラは、霰が見えた瞬間には影のドームを作ろうとしていたのだ。
しかし、刹那のうちに霰は更に小さな破片となり、一部がこちらへ向かって飛んできた。
。
アヴィーラウラの知覚と反応が置いていかれるほどには、ユウキの動きを捉えられなかったのだ。
成程、自分よりも強いらしいというのはどうやら本当のようだと、その一瞬で、こんな状況で、勝負無しでの敗北を認めていた。
これで全力でないとするならば、一体何処まで可能性があるのだろうと、力の片鱗を見ただけで戦慄する。
『次、どうするよ』
そんなユウキの相棒である武器のレグが、ユウキやアヴィーラウラにだけ聞こえる〈念話〉で、武器の形態の指示を仰ぐ。
ユウキは途切れることなく飛んでくる氷塊を全て叩き落としながら思考し、腰に魔力の網ごとぶら下げていたゆきんこ達に目を向けた。
「試しにこいつらをぶん投げてみる」
『うっわ』
「「「……みー?」」」
「ゆー」
ゆきんこ達は網の中から、自分達が投げられるのかと自分達を指差した。
ユウキは頷いてゆきんこ達を指差す。
「今からぶん投げるからさ、あの狐ちゃんに引っ付いて、呼びかけるなりなんなりしてみてよ」
「すでにツララがいるよー?」
「ツララ?」
「ツララはツララ!」
「かーさまとおひるねしてた!」
「いまもかーさまといっしょ!」
「え、なんかいる?」
ユウキは腕を動かしつつ、吹雪の中で目を凝らして見る。
すると確かに、アイシャの尻尾の方に、何かが必死に張り付いているのが見えた。
『あー……なんかいるな』
「なんかいんな。今にも吹き飛ばされそうななんかが。あれ呼びかける余裕ないっしょ」
「そもそもツララしゃべんない!」
「むくち!」
「くちなし!」
「コミュ障キャラだって話す時は話せると思うんだがね。でもあれは辛いもんあるな。じゃあやっぱりゆきんこ達ぶん投げようそうしよう」
「「「やっぱりニンゲンひどい!」」」
ぶーぶーと喚くゆきんこ達を、ユウキはナハハと笑った。
剣を構えて、ただ前を、今助けるべき、名前も知らない誰かを見据えた。
「あたしは誰かを助けたい時に遠慮しないタイプだかんなあ。なんとでも言うんだね。……レグ、一点集中だ」
『あいよ』
当たる雪に構わず、静かに気を溜めるユウキ。
剣に炎が宿り、静かに高熱が宿っていく。
レグにとっても熱いが、割と慣れたものなので、魔力で自身を強化しつつ、一時を耐えた。
「……はっ!」
炎の剣が振り下ろされ、熱の衝撃によって雪が水となり、一つの道が出来上がる。
「からの……行ってこーい!」
「「「わー!」」」
そしてアイシャが見えたその道一直線に、ゆきんこ達の入った網を全力投球した。
ゆきんこ達は頭がグルグルしながらも、アイシャに張り付く直前で魔力の網が消えたのを見て、体を回転させながらその体に張り付いた。
「うきゃ!」
「むぎゃ!」
「わきゃ!」
ゆきんこ達がアイシャに到着した瞬間、辺りの吹雪が一瞬だけ止まった気がした。
ユウキは警戒したまま、ゆきんこ達の働きに期待する。
「かーさま!」
「だーじょぶー?」
「あそぶー?」
張り付いたゆきんこ達は、アイシャの胸元で首を傾げて話しかける。
アイシャはゆきんこ達に気が付き、胸元を見る。
背中にも、何かがよじ登ってるのを感じられた。
ツララという名前のゆきんこが、アイシャの顔に近付こうとしているのだ。
『ゆき……こ……』
掠れた声で、ゆきんこ達を呼ぶアイシャ。
ゆきんこ達は目が合って、それを喜ぶ。
ツララも、背中でよじよじと、必死に登る。
アイシャは、こんな暴走してる時でも、自分と共にいてくれるゆきんこ達に、涙を流した。
その涙が零れ、三体のゆきんこに降り注いだ時────
────ゆきんこ達の身体は、氷のキューブに包まれた。
『……ぇ』
ゴトンと、嫌な音が響く。
一時的に、吹雪が止む。
それと同時に、アイシャの感情も止まっていた。
目の前に転がる、笑顔のまま氷漬けとなったゆきんこ達を見て。
アイシャの心も、固まったように、止まっていた。
それを肩から見ていた、震えるツララの事すら、頭から押し出して。
更なる地獄が、顕現した。
「っ!?」
その一部始終を見守ていたユウキは、突然消えたように後方へ飛んで、レイとアヴィーラウラの元へ戻っていた。
辺りの雪と花弁を散らして、突然戻ってきたユウキを、アヴィーラウラは見上げた。
その時、また悲鳴が響いた。
『────っ!』
言葉にならない、冷たい悲鳴が。
それと共に、新たな地獄の門が。
「っ! やばい!」
ユウキはレグを地面に突き立て、強固な魔力のドームを、四人を包んで創成した。
風呂場でレイを拘束したようなちゃちなものではない。
外部からの全てを拒み、内から出ることも不可能に近い、壁のようなもの。
本物の、全力の堅固なドームであった。
そのドームが出来た途端、その側面に炎と氷がぶつかった。
『……はあ?』
その現象を前に、レグの口から思わず間抜けた声が零れる。
意味不明、それしか理解出来なかった。
「なんてこった……」
だが、現実をその眼でしっかりと捉えていたユウキは、震える腕を抑えて、現状を理解した。
その右目に炎を映し、その左目に吹雪を映して、理解してしまった。
「灼熱と極寒の地獄が、同時に出来やがった……」
『はああっ!?』
ユウキの言葉は、比喩にあらず。
確かにその場には、のたうち回る炎や熱湯、荒れ狂う吹雪の地獄があった。
レグもようやくそれを理解し、目の前に広がる現実に首を振った。
『いーやいやいやいや! なんで炎と氷と熱湯が同時に存在するんだよ! てか暴れ回る熱湯ってなんだ!』
「いやあれはどう見ても温度の地獄っしょ。これはちょっーちしんどいわー」
『ちょっとってレベルじゃねえ! 殺す気かあの狐!』
「もう完全暴走ってことっしょ。ゆきんこでダメだったんだから、あたしみたいな部外者じゃ更にダメそうだなー。突っ込んでも死なない自信が流石に持てないぞー。まあ死ぬつもりないけど」
『呑気か! 呑気に言ってる場合か!』
剣のままガタガタ震えるレグ。
確かにユウキは死なないかもしれないと、心の隅では期待していたが、同時に現状を変えられそうにないのならば意味が無いと焦った。
その間も、ドームには無数の熱湯やら炎やら氷やらが、混沌のようにぶつかってくる。
最早、その中心は荒れすぎて見えない。
アヴィーラウラも、目に映る地獄を前に震え、無意識にレイの方へと後ずさった。
『……にゃあ?』
そして、後ろ足にレイがぶつからないことに気がついた。
気が付いて、振り返り、だが見上げた。
「……すー……はー」
そこには、いつの間にか起き上がって、深呼吸をする、赤髪のレイが。
「……んえ? あれ? レ、レイレイ?」
それに気が付き、ユウキも振り返った。
確かに、ユウキの目にも、深呼吸して腕を振るレイが見えた。
『んあれ、クソ女神、お前いつの間に……』
刀身のレグも気が付いたが、やはりレイは大きく深呼吸をしている。
この地獄の中、マイペースに。
「すー……はー……すー……はぁぁぁ」
そして最後に腕を伸ばして腰を曲げて、大きく息を吐き出して。
「のびーーん!」
突然、着ていたうさみみパーカーの耳を、両手で掴んで思いっきり伸ばした。
「『『…………。』』」
言葉にならなかった沈黙。
三人、口の形は違えど、全員間抜けに開いていたのだろう。
ただただ、黙ることしか出来なかった。
「ぐーぱーぐーぱー」
そんな反応を全く気にすることなく、両手を開いて閉じてを繰り返すレイ。
ドームの中は、まだそれほど寒くなく、ユウキも守ってくれていたので霜焼けもない。
「……うっし」
最後に片手を握りしめ、レイはようやくユウキ達と顔を合わせる。
「……どしたん? そんな間抜け面して」
「『いやしたくもなるわ』」
『……にゃー?』
ハモるユウキとレグを放っておき、アヴィーラウラはレイへと近付いた。
大丈夫? と心配するように見上げて、前足を伸ばす。
レイは元気そうな笑みを浮かべて、しゃがんで指先でアヴィーラウラの顎を撫でてやった。
「大丈夫大丈夫。ちょっとお昼寝してただけ」
「いや気絶してたっすよねえ」
「誤差の範囲だと思うな」
『誤差なのかおい……』
突然起きてきて、割といつも通りのレイ。
だが、その瞳は少しだけ、いつもの様には見えなかった。
レイは立ち上がって、ドームの外の地獄を見た。
「いやー、少し寝てただけなのに酷いことになってんなー。アイシャってばこんな隠し技持ってたんだねえ。私知らなかったよ」
「レイレイの知り合いっすか?」
「んー? まあ、友達的な?」
いっちにーさんしー、と準備体操をするレイ。
地面に寝っ転がっていたせいで、節々痛いのだ。
レイの軽い返答に、ユウキは少しだけ面食らった。
「ちょっとした、昔からの仲間だよ。アイシャは、可愛い私の友達だ」
レイは恥ずかしがるでも、誤魔化すわけでもなく、淡々と事実を告げた。
自分自身で、もう一度、その事実を飲みこむように。
「だから、悪いけど美味しいとこは全部持ってくね」
準備体操が終わったレイは、ドームに触れて、抜けるのは簡単ではないと察したのか、すり抜けるのではなく外へと転移した。
髪飾りは、いつの間にかアヴィーラウラの頭の上に置かれていた。
ユウキは突然外に出ていったレイに驚愕する。
「ちょっ! レイレイ!」
「だいじょーぶ。アヴィー、髪飾り、持っててね」
「にゃ……」
『お、おいっ!』
レイは三人に背を向けて、荒れ狂う地獄へと踏み出した。
炎が迫る、氷塊が迫る、熱湯が迫る。
だが、一歩一歩、確実に近付こうとする足をレイは止めない、止まらない。
やがて全てに飲み込まれ、レイの姿が見えなくなり、三人は、息を飲んだ。
だがその目には、その中を平然と歩くレイが、確かに映っていた。
僅かに輝く、その体も、その髪も。
レイは、無傷であった。
「なっ……」
『おいおい、なんて魔力だよ……』
「にゃ……」
レグの言葉の通り、封印を解いた今のレイは、凄まじい威圧感を抱いていた。
グラドの時とはまた違う、烈火のような魔力の溢れ方ではなく、静かに降りしきる雨のような撒き散らし方であった。
それを自分自身に纏い、身を守り、辺りに聖域のようなものを作り出す。
その魔力がレイを地獄から守っているようにも、地獄がレイを避けているようにも見えた。
「……アイシャ」
小さく、名前を呼ぶ。
「アーイシャ」
気軽に、隣にいるように、いつものように。
「アーイーシャ」
明るく、朗らかに、楽しそうに。
一人の少女が、地獄を掻き分ける。
「……まるでさ、初めて会った時みたいじゃない?」
周りの状況なんて、なんてことないように、平然と昔話をする。
「私は無理矢理アイシャに近付こうとして、アイシャは私から逃げて、近付けまいとして、怖がってたよね」
その間も、アイシャは泣き叫ぶ。
ごめんなさい、ごめんなさいと。
まだ、声は届かない。
「本当はね、あの時内心迷ってたんだ。私は、私達は、関わりを持たない方がいいんじゃないかって。私が関わることで、奪ってしまう幸せがあるんじゃないかって。後悔するんじゃないかなって」
唄う様に、読み聞かせをする様に、あの時吐き出せなかった思いを吐き出す。
「でもね、一度知ってしまったら無理だった。一度目の前で、泣きそうな顔を見てしまったら、背を向けることが出来なくなった。……甘っちょろいよねえ、私」
熱と寒が混じり合う地獄を乗り越えて、ようやく、最も凍てついた中心地へ辿り着く。
「……でも、結局後悔はしてないよ」
凍え切った、アイシャの元へと。
「アイシャの平穏を奪って、悲しませて、危険な目にあわせたのに、後悔してないんだ。あの時の行動が間違ってた、なんて思ってないんだ。……だって、楽しかったから」
レイはアイシャのすぐ目の前で足を止め、凄まじい冷気を放つアイシャの瞳を見つめる。
「一緒にご飯食べたことも、一緒に眠ったことも、一緒に雪合戦したことも、……一緒に戦ったことも。全部、 全部楽しかった」
アイシャの目が、ゆっくりとこちらに合わせられた。
今の自分に触れないでと、余計に涙を零す。
それでも、レイはまた一歩踏み出す。
「楽しかった。守られて、守って、嬉しかった。一緒にいれて、幸せだった」
もう、触れられる距離にいる。
レイの服や髪に、一瞬霜が纏う。
だが、レイの内側からの魔力により、すぐに弾き飛ばされる。
「アイシャ、忘れちゃった? 私はアイシャのこと、怖がったりしないよ。アイシャのこと、ちゃんと知っていて、大好きだから」
全身から魔力を溢れさせ、そのままアイシャに向かって倒れ込むように抱きしめた。
アイシャの心臓が、止まりそうになる。
「アイシャ、知らないの?」
耳元で優しく囁きながら、レイは後ろに手を回す。
その手をじゃんけんのチョキの形に、ハサミの形にして。
「私、アイシャより強いんだよ? 昔よりも、強くなってるんだよ? アイシャが私に勝てたこと、あった?」
─────プツン。
レイはアイシャに繋がっていた何かを、チョキリと切った。
『……ぁ』
それと同時に、荒れていた地獄が弱まる。
レイがアイシャを優しく撫でてやる度、収まっていく。
元の、冷たいだけの氷の部屋に、戻っていく。
「かか……様っ!」
アイシャは人間の姿になり、レイを抱き締め返す。
その胸に飛び込んで、昔みたいに泣きじゃくった。
「……久しぶり、アイシャ」
そうしてレイは、元通りのその空間で、アイシャが泣き止むまで頭を撫で続けた。
いつの間にか、ゆきんこ達も解放され、ユウキ達もドームを解除して立ち上がり、二人を見守っていた。
少しだけ温かくなったその空間で、温かい瞳で見つめていた。
冷たい、冷たい、雪の向こう。
静かに、静かに、風が吹く。
暗い、暗い、森の奥。
孤独な、孤独な、一つの影。
────だけど今は、一人じゃない。
────小さな花は、もう閉じない。
*****
陰り始めた、町の一角。
時計塔のてっぺんの淵に、一つのケープの影が、風に揺らぐ。
「ふーん……。まあ、ある程度予想範囲以内、想定内だけど……やっぱり凄まじいな」
ケープの少年は、開いた手の中を見て、少しだけ感情を消す。
その手の中には、光る糸のようなものがあったが、ヒビ割れていた。
やがてヒビは大きくなり、パリンと粉々に砕け、風に乗って消えていく。
「流石レイ、全部気が付いちゃうか。ま、そうこなくっちゃね」
少年は立ち上がり、沈み始める太陽を、憎らしそうに睨む。
「まだまだ、お遊びはこれからだよ? ねえ、レイ? ふふっ、ふふふっ、あははははっ!」
少年は笑う。
笑って、嗤って、哂って。
笑いながら、身体を宙に投げ出し、重力に従うままに落ちていく。
だが途中でくるりと不自然に旋回し、ケープをはためかせて綺麗に着地する。
そして立ち上がり、なんてことないように、鼻歌を歌いながら路地裏を歩いていく。
「ふーん、ふんふふふーん、ふんふーん」
そのメロディーは、まるで誰かが歌っていたのと同じような、最近どこかで響いていたような。
だが、少しだけ悲しいメロディーであった。
それを響かせながら、影は闇に溶け込んでいく。
その日も平穏な、夜がくる。
いつも通り、いつも通り。
不気味なくらいに、いつも通り。
何が起ころうと、世界は変わらず日を沈める。
********
『今回は休憩』
【レイがアイシャを助けに行く時の皆さんの心情】
ユウキ(うさみみパーカーでシリアスイベントにとつりやがった……)
レグ(うさみみパーカー……)
アヴィー(うわぁ、うさみみ……)
正直、なんでうさみみパーカー着せたんだろう、って思いましたが、まあユウキがロリコンなせいですね、はい(適当)




