84 スノードロップを引き止めて⑦
時と場面を変えて、赤い雨が降る数十分前。
「……あら?」
レイを追いかけて飛行していたルルディーが、何かに気がつく。
空中で停止し、辺りを見回す。
「……へぇ」
そして手を伸ばし、何も無いところを触るように指で撫でた。
刹那、魔力の閃光が散る。
どうやら、不可視の壁があるらしい。
一体、いつのまに、どうやって作ったのか。
分からない、分からないが、ルルディーを捕らえるためのものということは理解出来る。
「……っ!?」
散った閃光が消えた瞬間、不可視の壁より光の鎖が全方位から飛び出し、ルルディーを雁字搦めにする。
急いで抜け出そうとするも、力を入れる度締め付けが強くなってゆく。
状況を察し、抵抗する力を緩めた、その瞬間であった。
────ルルディーは雁字搦めのまま、不思議な空間に繋がれていた。
「……私を縛るなんて、意外と力があるのかしら?」
縛られた状態で、ルルディーは少しだけ感心するような、しかし見下すような、余裕のある言葉を発する。
そんなルルディーの目の前には、顔を布で覆い隠した複数人の人物が、それぞれの魔力の円盤の上に立っていた。
縛られたルルディー、取り囲む覆面達。
その光景はさながら、法廷のようだ。
「ふむ、随分と余裕らしい。我々の神域に囚われているという自覚はあるのかね?」
「囚われている? こんなもので? 少し傲慢が過ぎるんじゃないかしら」
代表格らしい男、いや、この星の男神の問いに対して、ルルディーは嘲笑で返した。
この状況ではルルディーが正しく、この程度の拘束は、ルルディーにとっては切れやすい糸も同然である。
比較的大人しく囚われたのは、手っ取り早くこの星の神と対話が出来るからと思ったからでしかない。
一つの星に、少なくとも一つはある、神々の領域、通称神域。
それは神にとっての拠点であり、その星のエネルギー管理の中心地。
一人の力で乗っ取ることが出来ないように、常に複数人で維持しており、権限を持つものは自由に空間を操れる。
確かに、それだけ見ると、ルルディーは袋のネズミである。
だが、魔術への干渉力が高い存在の前では、いくら高度なセキュリティ一であれど、簡単にハッキング出来る壁の中身がスケスケの小屋だ。
「……むっ」
「ほら、簡単」
その証拠に、ルルディーは自らを縛り付けていた光の鎖を粉々に砕いて見せた。
形勢逆転、という程ではないが、ハンデはほぼ無くなった。
「それで、態々余所者の私を招いてくれるなんて、一体どんな素敵なお茶会を開いてくれるのかしら」
「ふん、罪人に出す茶があると思うか? この大罪人め」
吐き捨てるように言う覆面の男神。
その声音からは読み取れないが、内心、天地がひっくり返っても格上であるルルディーに、どう対処しようか決めかねていた。
相手も愚か過ぎるわけではない。
分かった上で、連れ込む度胸があっただけだ。
一方、その対象であるルルディーは、その男の言葉に陰りを見せる。
「なあに、そんなつまらないことを言うためだけに、私を足止めしたって言うの?」
どこか呆れたような、達観したような、光のない目で問うルルディー。
その言葉はまるで、そんなことは分かりきっているとでも言いたげだ。
しかし、男神はルルディーのそんな心を汲み取ろうとはしなかった。
「そんなこと、だと……?」
その証拠に、男神の声は少しだけ震えていた。
怒気が、漏れていた。
「今この瞬間にも、宇宙を危機に追いやっている、その罪人を糾弾することは、くだらん事か?」
その言葉に、ルルディーは答えない。
その沈黙は、果たして是なのか。
「ある日突然、世界からエネルギーを奪いさり、あまつさえ、その奪ったエネルギーで一人の神を創った、世界最悪の大罪人を、ここで抹消しようとする我々は、果たして悪かね?」
その言葉と同時に、無数の刃がルルディーを取り囲む。
転移しようにも、神域でのその行為は容易でない。
逃げ場のない、絶体絶命の状況である。
それでも、そんな状況下にあっても、ルルディーは、一人静かであった。
「……そうね。きっと、世界から見れば貴方達が正義かもしれない」
敵の述べた罪状を、肯定もせず、否定もせず。
静かに、淡々と、至って冷静に。
「でもね、悪とか正義とか、そんなものどうでもいいのよ」
冷たい深海のように渦巻く、その感情を、抑え込むように。
「だって、私にとっての生きる理由である、あの子がいるから。だから、私は生きたいのよ」
ルルディーは、小バエを払うように、手を払った。
その瞬間、ルルディーを取り囲んでいた全ての刃が、先程の光の鎖のように、粉々に砕け散った。
「くっ……!」
「だからごめんなさい。貴方達の正義の鉄槌は受け止められないわ」
代表格の男に背を向けたルルディーは、手刀で切り裂くように、腕を上げた。
その瞬間、頑強な神域に、外の景色が見える切れ目が出来上がった。
「もう二度と会わないことを願っているわ。お互いのために、ね」
「貴様っ! 待てっ!」
「では、ごきげんよう」
ルルディーは敵の静止を振り切って、外へと飛び出た。
飛び出した直後、神域に出来た切れ目は修復され、完全に閉ざされる。
その間にもルルディーは自らの通った痕跡を消して、異空間から追跡が出来ないようにする。
飛び出した外はまだ、快晴である。
「さて、無駄な時間をとってしまったわ。早く行かないと」
ルルディーは先を急ぐ。
そうして、自分ではなく、レイに神々の鉄槌が下ろうとしている瞬間の目撃まで、あと数分。
血の雨が降るまで、遅くはなかった。
そして時は、数分後の現在に戻る。
赤い雨、聞こえない悲鳴、白髪の死神。
『ひっ……』
雪狐には、何が起こったのかよく分からなかった。
ただ突然、目の前にいた神族達が、完成しようとしたその魔術が、内側から破裂した。
そしてその肉片と、魔力を、その場に散らす。
その結果が、赤い雨の正体。
今起きた現象について言えるのは、それだけであった。
『レ、レイ……』
咄嗟にレイの顔を横から見上げる。
だが、レイの耳に、その声は届いていなかった。
「ルル……」
その頬を、雫が静かに濡らす。
色の薄れた、赤い瞳。
レイの瞳からは、とめどなく涙が流れていた。
雪狐は初め、レイが赤い雨に怯えて泣いたのかと思った。
しかしすぐに、レイの目には、そんなものは映っていないと分かった。
悲しそうなレイの瞳が捉えていたのは、一層悲しそうな色をした、ルルディーの瞳。
レイは、悲しそうな顔をするルルディーを見て、泣いているのだと、気が付いた。
「……やっぱり、やっぱり私達は……どこまでいっても、私達自身の他に、居場所なんてないのね」
ポツリと零れた、ルルディーの感情。
それは紛れもなく本心で、嘆きで、乾いて諦め切った意志であった。
ルルディーはゆっくりと降下して、レイを優しく抱き締める。
「……ごめんね。また、怖がらせたわよね。感情的になると、つい加減を忘れてしまうわ」
レイは腕の中で、小さく震えた。
勿論、ルルディーが怖かったからではない。
レイの心を占めていたのは、情けなさだった。
弱くて、なのに我儘で、その上情けないくらいに幼くて、こんな風に大切な人を悲しませる、そんな自分が嫌で仕方なかった。
「……ううん、いいの。ルルだから、いいの」
そっと抱き締め返すレイ。
素直に、ありがとう、とも言えなかった。
勝手に厄介事に首を突っ込んで、最後は庇われて、自分の代わりに悲しい顔をしているのに、どうしてありがとうと言えるのか。
むしろ、こちらが謝りたいくらいである。
だが、謝れば余計に悲しい顔をする。
それを嫌がって、臆病なレイは言葉を卑怯に隠した。
レイを離したルルディーは、レイと雪狐の頭を撫でて困った顔をする。
「とりあえず、二人とも無事で良かったわ。……でも、私達はすぐに出なきゃね。きっと、また巻き込んでしまうもの」
「……そうだね」
『……え。もう……いく、の……?』
雪狐は、突然去ろうとする二人を、潤んだ瞳で見上げる。
だがレイはそれに申し訳なさそうな顔で返す。
「うん。もう行かなきゃ。この一件で、私達はこの星のお尋ね者。きっと君も、私達といればこれ以上酷い目に合うかもしれないもん」
「ここの痕跡は完全に消して、なんらかの不慮の事故とでも思わせておくわ。そうすれば、貴方もしばらくは安全でしょう?」
ルルディーが辺りを撫でるように手を振ると、そこらにあった死体やら魔術の痕跡、荒れた土地が全て元に戻った。
この数刻のことなど完全に無かったことになり、完全に元通りである。
「これなら、しばらく離れておけばバレないね。ごめんね、君の住処を荒らされる原因を作っちゃって。でも、これからは、今まで通り平穏に暮らしてね。……私達のことも、忘れてさ。だから、今度こそさようなら」
そう言って、レイとルルディーは歩き始める。
雪狐は、分からなかった。
レイの言っていることは、完全に理解することは出来なかった。
でも、行かないで欲しいという、自身の感情は理解していた。
「雪狐……?」
無意識のうちに、雪狐はレイの服の裾を咥えて引き止めていた。
レイは雪狐から距離を取ろうと、一歩進む。
すると雪狐の力がますます入り、汚れた服に穴が開きそうになる。
だが、そんなこと気にならないくらいに、今ここでこの人達を行かせなくないと思っていた。
『やだ……』
加えた口から、微かに漏れた魔力の声。
『いっしょ、いくのが、いい』
意思を伝えるために咥えた服を離し、まだまだ拙い言葉を操る。
『いっしょ、いきてたい……!』
ボロボロと、零れる涙。
ほんの七日、されど、二度とない七日。
この七日間一緒に遊んだだけで、雪狐は、寂しさなんてものが、大きくなっていた。
きっと、無意識に腹が立っていたのだろう。
こんな感情を思い出させておきながら、無責任に離れていく二人に、雪狐は苛立っていたのだ。
『どこまでも、いっしょ、いく。だから、つれていって!』
もう一人が嫌だから。
もう寒いのが嫌だから。
だから、雪狐はその温もりを引き止めた。
「……いいの?」
だが、驚愕を示したのはレイのほうであった。
雪狐はその言葉の理由が分からず、首をかしげた。
そんな雪狐に、レイは屈んで、自分達の現実を伝える。
「私達と来れば、今までの平穏な暮らしなんて、きっと出来ないよ。逃げて、隠れて、怯えて、戦って。沢山辛い思いをすることになる。傷つくこともある。……最悪、死んじゃうかもしれない。酷い死に方をするかもしれない。今回みたいなことが、きっと沢山ある。それに、君の家には、君のこの森には、もう戻ってこれなくなるよ。それなのに、いいの?」
どこまでも厳しく、どこまでも理不尽で、二人だから温かいが、それでも寒く、平穏なんてない二人の旅。
そんな厳しい旅に、保証なんて出来ない旅に誘うなど出来なかったレイは、黙って雪狐の返事を待つ。
ルルディーも、背後で口を噤んで返答を待った。
『じゃあ、まもって』
そして、雪狐の口から出た答えは、ついさっきまで逃げ回っていたものとは思えない言葉であった。
「まも、る……?」
『いっしょ、レイ、まもる。レイ、ゆききつね、まもる。だから、つれていって』
お互いに、守りあって、支えあって、共に生きると。
そんなこと考えたこともなかった雪狐の口から、そんな必死に引き止める言葉が出た。
必死で、我儘で、逃げ回るくらいには弱くて。
それでも、一緒にいたいから。
「……そっ、か」
レイは、ようやく気が付いた。
「同じなんだね、私達」
自分達は、同じ思いなのだと。
「私はルルディーを守りたいし、ルルディーも私を守りたい。それと一緒で、私は君を守りたいと思ってここに来たし、これから私を守りたいと思って、今、君は私達を引き止めた。……うん、みんな、一緒だ。一緒なんだね」
一人頷き、レイは雪狐に手を差し伸べる。
「それじゃあ、付いて来るんじゃなくて、一緒に、行こう。私が、ちゃんと護ってあげる。だから、一緒に生きよっか。……いいかな、ルルディー」
そして、その顔を雪狐から逸らし、ルルディーへと向ける。
「……なんだか仲間外れみたい」
「え?」
首を傾げるレイ。
ルルディーはそっとしゃがみこみ、レイと雪狐をいっぺんに抱き締める。
「私も、ちゃんと二人を護ってあげる。一緒に、生きてみせる。だから二人とも、ずっと私の手を離さないでね」
ルルディーは、自身で少し自嘲していた。
ほんの少し、嘘をついたことに。
ずっとなんて、本当は思っていないことに。
それでも、今はこの温もりを掴んでいたくて、酷く優しく、嘘をついた。
勿論、悟られないように。
「うんっ!」
『わかった!』
無邪気に、無垢に、抱き締め返すレイと雪狐。
その時、ふと温かい風に気がつく。
この雪の森の真ん中で、ふわりと温かい風が香った。
「あれ……?」
レイは顔を上げて、真っ先にその変化に気が付いた。
地面に、小さな水たまりが出来ていた。
「雪が、溶けてきてる?」
『え?』
慌てて、雪狐も辺りを見回す。
ふと耳をすませば、雪どけ水の流れる音が。
ふと目をやれば、顕になった地面が。
ふと匂いを嗅げば、花の香りが。
「雪狐の能力の影響が、無くなっているの?」
ルルディーも、その顔に驚愕を浮かべる。
その目には、見たことの無い、だが見覚えのある森が広がっている。
少しずつ、少しずつ、色のない白が消えていく。
────雪狐を中心に、世界が溶けていく。
「わあっ……!」
その日、永遠の冬の森に、突然当然の春が訪れた。
レイが感嘆の声を上げた先には、木の根元に生えた沢山の花が。
雪狐の雪が溶けて、森の本来の姿が顕になったのだ。
その森は一瞬で春の緑に覆われ、地面には色が生え、空には温かさに釣られて小鳥がやってきていた。
刹那の光景に息を止めていた二人と一匹は、思ったままの言葉しか零さない。
「すっごく、綺麗……」
「さっきまで雪があったのに、今はもうこんなに温かいなんて、不思議なものね」
『ここ、あのもり……?』
どこから現れたのか、その場に蝶が舞う。
そうして地面から生えた花にとまり、蜜を吸う。
「……そっか! 分かった!」
そんな中、突然声を上げるレイ。
その声に驚くことなく、蜜を気ままに吸い続ける蝶。
「何が分かったの?」
「雪狐の能力だよ!」
レイはその場でくるりと回り、森の中で両手を広げる。
「雪狐、君の能力は、『周りから温度を奪う能力』なんかじゃない。もし奪うだけなら、突然雪が溶けたりしないはずだもの」
『そう、なの?』
雪狐は首を傾げるが、ルルディーはレイの言葉に頷く。
「確かにそうね。能力で奪うのが止まったところで、温度が急に上がるんじゃなくて、周りの本来の気候に合わせて、徐々に元の環境に戻るはずね。突然、こんなふうに変貌することはないわ。特に貴方の場合は、周囲の村にまで多少影響を及ぼす程度には範囲が広い。元に戻るにも、時間がかかるはず」
ルルディーは近くの木の幹に手を着いて、その鼓動を感じる。
雪の寒さにも負けず、ずっと生きていたことが感じられる。
「それで、レイはなんだと思ったの? 雪狐の本当の能力を」
レイに手を差し伸べ、答えを促す。
その言葉を待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべたレイは、胸に手を当てる。
「多分ね、雪狐の能力は『温度を操る能力』なんだよ」
『おんど、を……?』
雪狐は、イマイチピンと来ない。
自らの神の魂によって、温度という単語は自然に理解している。
だが、それを操るとはどういうことかは、分かっていなかった。
一人納得したルルディーだけは頷いた。
「なるほど。だからこそ、感情に左右されやすかったのかもしれないわね」
「うん。きっと今までずっと、雪狐が寂しいとか、怖いとか。雪狐の心が冷たい感情ばっかりだったから、能力もそれに応じて冷たかったんだと思う。でも今、雪狐はそういうのが無くなって、これからの未来を楽しみにする感情を抱いた。そうでしょ?」
『う、ん……』
これが果たして、未来への期待なのか、なんなのか。
ハッキリとは分からないが、そうあって欲しいとは思った。
「だからこそ、今雪狐の心が温かさで満たされたから、能力も辺りを温かくした。そういうことなんじゃないかな」
どうだっ! という顔をするレイ。
だが、こういう時のルルディーの採点は甘くない。
なので、まだ残る疑問点を投げかけた。
「……でもそれだと、氷の壁を作ったり、氷柱の槍を作ったりなんてこと、出来なさそうじゃないかしら? ただ温度を操るだけで、物体の形状も変わるかしら?」
「んえ? えーと、それは、えーっと」
くすりと笑みを浮かべて、レイに考えさせるルルディー。
レイはルルディーの期待に応えようと、一生懸命に考える。
そして頭をフル回転させて、答えを絞り出した。
「そうだっ! きっと雪狐が温度を操った物質は、多少形状の操作が出来るんだよ! でもそれは生きてないものに限るんじゃないかな。生き物まで操るとなると、それはなんだか別のものな感じがするし。…………どうかな?」
答え合わせをするように、首を傾げルルディーの元に駆け寄るレイ。
ルルディーはそんなレイの頭を優しく撫でてやった。
「恐らく正解よ。まとめると、雪狐の能力は、自分の周囲の無生物の温度を操り、温度を操っている間は、多少形や動きも操れる。物質形状の支配者、と言い換えることも出来るわね。際限がないなら、それぞれの物質の沸点融点にまで、簡単に温度を操れそうね」
「えっとー、ふってー、ゆうてー……?」
「ふふ、そこはまた今度、お勉強し直しね」
「はーい」
とりあえず、結論が出たところで、レイは雪狐を振り返る。
「私達は勝手に納得しちゃったけど、雪狐は、納得出来たかな?」
『えっ、と……』
言葉に詰まり、地面を足踏みする雪狐。
ふと踏んだ地面は柔らかく、暖かく、その事に、なんだか嬉しくなる。
『レイたちの、はなし、あんまり、わかんなかった。それは、これから、わかる、したい。でも……』
一瞬、言葉に詰まる。
そっと、続きを待つ二人。
『でも、この、ちからが、だれかから、なにか、うばう、もの、ちがう、よかった』
ふっと表情が緩み、安心した笑みを浮かべる雪狐。
ずっと、怖かったのだ。
自分は、昔も、今も、これからの明るい未来でも、誰かから熱を奪って生きていくのではないか、と。
だが、違かった。
今違うと、目の前の光が証明してくれた。
自分の努力を、認めてくれた。
これは、ちゃんと制御出来、上手く扱えるようになるものだと。
『だから、わからない、だけど、よかった』
長年の鎖が、少しだけ解けたように、雪狐はその目を優しげなものにする。
今まで、した事の無い表情だ。
おかげで、レイ達まで嬉しくなる。
「うん、良かったね」
「良かったわね」
一緒に、喜びを分かち合える誰かがいる。
それがこんなにも、温かいものだと知らなかった雪狐は、ますます周囲を暖かくしていく。
眠っていた花が驚いて開き、そよ風は優しく、空はいつも通りに青かった。
「あっ! そうだ!」
突然声を上げて手を叩くレイ。
その動作に、ルルディーと雪狐は首を傾げる。
「どうかしたの?」
『なにか、ある?』
「名前!」
「名前? 誰の?」
「雪狐の!」
雪狐は自分のことを言われているが、よく分からず、首を傾げた。
『なまえ? ゆききつね?』
「ううん、それは人間達が君に付けた、あだ名で、君の名前じゃないよ」
「じゃあ、レイが雪狐に名前を付けて上げるの?」
「そうなるねー。うーん、呼びやすくて可愛い名前がいいなー」
レイが顎に手を当てて、唸りながら辺りをぐるぐる回り始める。
その間、ルルディーは雪狐の体をじっと見つめる。
かと思うと、突然屈んで目線を合わせ、そして目線を下にやった。
「一応女の子なのね。可愛いものは好き?」
『か、かわいい? よく、わかんない』
「それもそうね。獣の価値観だから、少し違うのかもね」
『……あ、でも』
ふと雪狐が、そばにあったとあるものに目を向ける。
後ろでぐるぐる回っていたレイも、ふと足を止め、とあるものに目を止めた。
『これ、すき』
それは、白く小さな花。
春になった森で、咲き始めた、外に三つ、内に三つの、六つの花弁。
とある世界では、待雪草や、スノードロップ等と呼ばれる春に咲く花と、どこか似た花。
その花を一輪、レイが摘んで戻ってくる。
「……雪狐も、この花が好き?」
白くて、小さくて、下向きだけど、綺麗に咲く花。
『うん、すき。それ、すき』
雪狐は嬉しそうに、尻尾をパタパタと振る。
余程その花が気に入ってるらしい。
『それ、なまえ、なに?』
「えーっと、たしかねえ」
レイはそっと、雪狐の耳にその花を飾ってみる。
呪いに染っていた白い狐に、雪に埋もれそうな白い花。
でもお互いしっかりとしており、負けていない。
「……アイシャ。うん、たしか人間はアイシャって呼んでた」
『あい、しゃ……。あいしゃ……』
雪狐が口の中で、初めて知ったその名前を反芻する。
レイはそれを見て、笑顔をこぼす。
ルルディーも、つられて笑っていた。
「……うん、決めた。君の名前、アイシャにしよっか」
だからレイは、名前を決めた。
『なまえ? ゆききつね? あいしゃ?』
雪狐は首を傾げる。
レイは雪狐に飾り付けた花に指先で触れて、小さく頷く。
「うん。この花と、同じ名前。君の、君のこれからの、君の名前。この花のように、可愛らしく、でも凛として、雪の中でも生きていたから。君は、アイシャだよ」
単純で、でも綺麗で、可愛らしい。
雪狐にピッタリの、名前。
『あいしゃ、ゆききつね……アイシャ!』
その贈り物を、雪狐、いいや、アイシャは喜んだ。
『アイシャ、アイシャ。レイ、くれた、なまえ、アイシャ!』
喜び、飛び跳ね、踊り回る。
辺りが暖かな空気に満ちて、森がその暖かさに喜ぶように葉を震わせる。
凍っていた世界に、熱が灯る。
「森から、雪が……」
「凄い、凄いよ。アイシャ、やっぱり君は凄いや」
そして気がつけば、百年ずっと変わることのなかった、厳寒の呪いにかかった森は────
────雪狐、アイシャの旅立ちと共に、あるべき姿へと戻ったのであった。
********
『以下の用語とその解説が追加されました』
「場所:魔術空間:神域」
一つの星に最低一つある、神々の空間。
詳細:その星にいる、空間魔術に長けた複数人で常に構成している。
中で構成を担当している者が空間を開けたり、中に転移で喚ばなければ入れない。
だが空間魔術に長けた存在なら侵入することも出来る。
空間の超越者なら尚更である。
そこを拠点とし、他のコミュニティと戦争をしたりもする。
エネルギーの管理も行っているが、あくまで把握程度で、奪ったりなどをする訳では無い。
補足:つまり中にクソ神族がいる間に神域丸ごとぶっ潰せば、全員死ぬ可能性は高いってわけですね。
「魔術:能力:熱形操作」
空間、物質の温度を操る能力。
詳細:例えば水であれば、即座に氷にしたり、熱湯、水蒸気へと瞬時に変えることが出来る。
また、その温度を操っている間は、その物体の形状も多少操れる。
一応対象条件は無生物らしい。
使用者の感情によって温度も変化する。
現在の保有者は獣神雪狐、アイシャである。
補足:操り方によっては、かなり強力な能力になりますね。
S²「一応言っておくと、今回出てきたスノードロップもどきは、あくまで別の星に咲いているもどきなんで、細かいお叱りコメは無しだぜ!」
S『まあ環境が違うでしょうからねえ。とりあえず花を持って笑うマスターは美しいです』
S²「パイセンそろそろ出番無さすぎて疲れてきたにゃー?惚気がやばあ」
S『気の所為です』
次回で過去編は終了です。




