81 スノーロドップを引き止めて④
「どうやら、追いかけっこは終わったようね」
突然、一人と一匹の上空から声がかかる。
まるで天使のように、その場にふわりと降り立ったのは、レイの保護者、ルルディーである。
雪の森の白さに負けないほどの美貌で、辺りに静かな威圧感が漂う。
「ルルっ!」
レイは雪狐から手を離し、ルルディーに抱き着く。
小さな身体が離れ、雪狐はなんだかモヤッとした感情が湧き出た。
だが、やはりその感情は理解出来ず、首を傾げるだけに留まる。
「ルル〜、私勝ったよー。追いついたー」
「やったじゃない。よく出来ました」
「えへへ〜」
ルルディーに頭を撫でられたレイは心底嬉しそうに破顔する。
こうして見ると、色々デタラメなことをする幼子とは思えない。
ただの子供同然である。
ルルディーはレイを褒め終わると、雪狐と目を合わせた。
雪狐は、不思議と震えた。
色々とおかしいレイに対して抱いた恐怖とは別のものだ。
恐怖、というより、畏怖に近い怯え。
その威圧感に押されないように、雪狐はその場で気を強く持った。
そんな雪狐の一瞬の葛藤など手に取るように理解していたのか、ルルディーはふっと笑う。
レイから手を離して、雪狐に向き合った。
「初めまして。私はルルディー。レイと遊んでくれてありがとう。この世界の獣神、いえ厳寒の能力獣さん?」
ルルディーは言葉が通じていると確信した様子で、雪狐に話しかけた。
そしてその通り、雪狐はその言葉を理解し、己の中で反芻していた。
『のうりょく、じゅう?』
そして不意に、その反芻した言葉が口をついてでる。
雪狐にとっても、無自覚の出来事であった。
「わっ、喋った!?」
レイは驚いて、雪狐の口周りをぺたぺたと触った。
だがどう見ても雑食らしい獣の口で、人間のような声を出せるとは思えない。
「ルル、なんで言葉が通じるの? 口の形も、音の出し方も、そもそも生まれ育った場所も全然違うよ?」
「あら、気がついてなかったの? 神族同士はどこの出だろうと言語が通じるのよ?」
「ふぇ?」
『げんご?』
二人は揃って首を傾げる。
その様子がおかしくって可愛らしくてたまらなかったのか、ルルディーは両方の頭を撫でる。
「神々は何処にでも生まれる。生命の中でか、宇宙の何処かでか、はたまた死んだ星でか。生まれる場所は決まっていない。でもみんな同じなのは、その魂のあり方。神の奇跡、術式が使えるということ。その術式のための基礎や魔法式の言語は、皆同じなの。そしてそれは音ではなく魔力で言葉を作り、話しているから、獣だろうと人型だろうと、肉体がなかろうと出せるのよ。私とレイが二人きりの時に使ってるのも、実はそれなの。そしてこの雪狐の知る言語も、神としての言語だけ。だから言葉が通じるのよ」
「じゃあ、私達は何処の誰とでも話すことが出来るんだね」
「そうね」
「……そっかあ」
レイは寂しそうに、雪狐の頭を撫で回す。
雪狐は嬉しそうに、喉を鳴らした。
「……言語が通じるのに、意思は通じ合えないって、なんだか悲しいね。私とこの子は、言葉なんてなくても、意思は通じたのに」
ぎゅむっと雪狐を抱き締めるレイ。
雪狐はレイが落ち込んだのを感じ、その頭をそっと擦り寄せる。
雪狐に気を遣われていると分かったレイは、寂しそうに笑ってその頭を撫でてやる。
後ろにいたルルディーも、少し寂しそうな顔をした。
「……みんな、目的もその意思も違うもの。やりたいことが違う。生きる意味が違う。守りたいものが違う。だから、完全に理解することが出来ず、拒絶し合う。所詮、他人と自分なんてそんなものよ」
その顔は何処までも諦観しており、赤い瞳に影が差す。
雪狐はまだ心は幼いために、二人の複雑な感情が理解出来ず、右往左往する。
そしてふと、自分も言葉が話せるならと質問をすることにした。
『こ、この、つめたい、もの、なに?』
まだ話し方に慣れておらず、たどたどしく、ハッキリと言葉に出来ない。
それでもそんな稚拙な言葉をルルディーは優しく汲み取り、理解し、そして答えをくれた。
「それは貴方が自覚している通り、この森に雪を降らせている原因。そして昔、貴方が人間の子供を殺してしまった原因。その冷たい冷気は、貴方の能力によるものよ」
『のう、りょく?』
同じ言葉なら繰り返せるため、オウム返しして首を傾げる。
ルルディーはゆっくりと説明する。
「一から説明しましょうか。まず、術式とは、神族だけが操れる権利を持つ、魔力を使った特殊な力。例えば、こう」
そう言って、ルルディーが手を握り、掌を開いて見せると、その中に小さな炎が生まれていた。
いつも料理をするときに使っている、火を発生させる魔術だ。
地味だが、人間には出来やしない。
雪狐は生まれて初めて見る、確かに熱を発する火に見とれて顔を近づけるが、ルルディーが危ないからと火を消した。
「そして能力とは、ある分野の魔術の完全体。把握も構築も必要無く、魔力もほとんどの場合必要ない。ただ所有者の意のままに操れる、所有者専用の特別な術式。それが能力というものよ」
「能力って、そんなに凄いものなんだ。じゃあ雪狐は凄い子なんだねー」
『すご、い……?』
雪狐は首を傾げて、レイに抱き着かれるがままになる。
少しくらいしか理解出来ていないらしい。
ルルディーは申し訳なさそうに俯いた。
「……ごめんなさい、式だけを教えたり、実践するならまだしも、教えるのは苦手だわ。無自覚に理解しているものを言語化するのは大変ね」
少し悲しそうな顔をさせてしまい、雪狐はオロオロする。
そんな二人に、レイが無自覚に助け舟を出す。
「要はあれかな、他の人達はちゃんと料理の手順を踏んで料理しないとだけど、能力を持ってる人は何も無いところで手を叩くだけで料理が出来るって感じ? 獣さん風に言えば、走らなくても兎や魚とかの獲物が捕まえられるって感じ、かな?」
レイの例えに、ルルディーと雪狐は目を白黒させる。
雪狐も獣ではあるが、ルルディーの言う通り、獣神の一種としてその頭脳はかなり進化しているので、今の説明でなんとなく理解していた。
ルルディーもレイの説明には素直に驚いていた。
「レイ、貴方って実は人に教えるのとか得意なのかしら。今までそういうことが全くなかったから知らなかっただけで」
「ほえ? 別にルルディーの言うことはいつも理解出来てるけど、なるべくちゃんと理解するために自分の中で噛み砕いてるだけだよ? だってルルディーの教えてくれたことだもん。全部そのまま理解したいじゃん」
単にレイは、ルルディーから与えられた知識は全て完璧に理解したい。
それだけで噛み砕いた説明が出来るようになっていたのであった。
ルルディーは驚愕と感動が入り交じり、思わずレイの頭をぎゅっと抱き包み込んだ。
「わふっ」
「偉いわね。今までのもちゃんと理解していたなんて」
「えへへー」
目の前で和やかな空気を出され、雪狐はレイの背中を口先でつつく。
さっきまでの怯えた様子とは大違いだ。
「ああ、話が逸れたわね。能力の話はしたわよね。それで、貴方が何らかの能力を持った獣であることも」
雪狐は頷く。
早く自分の正体を知りたいらしい。
そしてその答えの中に、この呪い、能力を操るヒントが欲しいと。
「多分、貴方自身自覚しているでしょうけど、その能力を貴方は制御、管理出来ていない。ちゃんと管理出来ていない能力は、感情に左右されやすい。よって感情が暴走すると、能力も暴走し、時には一つの森にさえ影響を及ぼす。そうしてその事に対して、また貴方はそれに動揺し、能力を暴走させ、制御不能となる。そうした悪循環から抜け出さない限り、この森やその周辺は雪に染まったままだし、能力も一生暴走したまま。だからまずは、自分自身を怖がらない所から初めてみるべきじゃないかしら」
『じぶんを、こわがらない……』
それは、難しい話であった。
雪狐はあの日から、兄狐を殺したあの日から百年、ずっと自分に怯えて生きてきたのだ。
今さら自信を持てと言われても、すぐに出来るわけもない。
しかし、その中でふと気がつく。
『……なんで、つめたく、ならない?』
「うん?」
雪狐は首を傾げるレイに、そっと前足を伸ばして触れる。
触れた柔肌から、子供の体温が伝わってくる。
『ふれてる、でも、あったかい。なんで……?』
確かに、レイの体温は普通そのままであった。
雪狐が自らの能力を操れていないというのなら、今までのように冷たく死んでしまうはずなのだ。
これは一体どういう事なのか、と。
「ああ、どうしてレイに能力が効いていないのか、ってことね。それは簡単よ」
ルルディーはレイの頭に手を置いて、一瞬間を開けてから答えを言う。
「……レイはね、他人の能力を無効化出来るの。だから貴方の力でも、凍ることが無いのよ」
『むこう、か?』
「一時的に、貴方が呪いだと思っているそれを、ないものにする、という感じかしら」
「え? 私、そんなことしてないよ? というか、 そんなの初めて聞いたよ?」
レイは全くもって覚えのない話に首を傾げる。
だがルルディーは首を振った。
「今まで発動される機会が無かったから、分かっていないのも仕方の無い話だわ。それに正直、レイもこの雪狐と同じで、自分の能力を制御出来てないの。だから、無自覚の内に無効化しているのよ」
「じゃあ、その能力が無かったら、私もこの子に触れられなかった?」
「危ないから、私が許してないわね」
「そっか……そっかー」
レイは笑顔になって、雪狐の身体をもふもふと撫でていく。
「じゃあ、私の能力に感謝だね。それのお陰で、雪狐がまた苦しむようなことが無かったんだし」
『くるし、む……?』
「あれ、そうじゃないの? 君の心はずっと、私と追いかけっこする前からずーっと、傷付けたくないって苦しんでるように聞こえたけど。あんまりに悲しそうに泣くから、私も遊んでる途中でちょっと悲しくなっちゃったし」
『ここ、ろ……』
雪狐は心というものが何処にあるのか分からず、何処が苦しんでいたのか分からず、自分の身体をキョロキョロと眺める。
ルルディーはくすりと笑った。
「レイにはもう一つの能力、他人の心に共感する力があるの。こっちもまだまだ制御出来ていないから、無自覚ね」
「え? これも能力なの?」
「一応、ね」
ルルディーの答えに、レイは少し考え込む。
そして顔を上げると、少し泣きそうな顔をする。
「……あれ、ルル。もしかして私って凄い? というより、おかしい?」
ただでさえ、能力は珍しいのだ。
神々の中でも、あまりいない。
それを、一人で二つ。
おかしいと言われても、不思議ではない。
だが勿論、ルルディーがそんなことをいうはずがない。
「おかしくなんてないわ。むしろ素敵じゃない? その二つがあったお陰で、この雪狐と楽しく追いかけっこが出来たんだから」
ルルディーは笑って、レイの瞳を覗き込みながら言う。
レイも同じように、ルルディーの瞳をのぞき込む。
その色を見て、レイは一瞬何かを言いかけるが、口を噤んだ。
ふと、冷たい風が辺りを抜ける。
そろそろ日が紅に染まり始めていた。
「……もう夕方ね。レイ、そろそろ、」
「ルル、私、今日はこの子も一緒に食事したい」
ルルディーの言葉を遮り、お願いをするレイ。
「一緒にご飯を食べて、一緒に寝たい。今日だけでいいから」
レイの突然の提案に、ルルディーは面食らう。
普通に、今日も森を出ていこうと思っていたからだ。
いくらレイに雪狐の能力が効かないとはいえ、互いに制御出来ていないことに変わりないのだ。
危険性は残るのだ。
だからこの数日間も、雪狐から離して眠りについていた。
万が一がないように。
「……ダメ、かな?」
ルルディーの心配する故を分かっているからか、レイは申し訳なさそうに見つめてくる。
しかしレイは知らない。
世の中の溺愛保護者は、大概チョロいということを。
「……分かったわ。二人とも私から離れないなら、今晩一緒にいましょう」
かくして、その例に漏れなかったルルディーは、一息吐いてからレイのお願いを飲み込んだ。
勿論、ルルディーが制御出来なくないレベルであったから、というのもあるが、やはりレイに甘い一面があるのも要因だろう。
「ありがとう、ルル」
心配させちゃうだろうけど、と言うようにレイは申し訳なさそうに笑う。
レイも分かってはいるのだ。
お互いの安全のためには、長時間いるべきではないと。
それでもレイは、この雪狐と一晩を共にすることを優先した。
ただ単純に、一緒にいたいと思えたから。
「……それに、もう二度と会わないでしょうし」
密かにルルディーが漏らした言葉は、レイにしか届かず、寂しそうな顔をするレイに雪狐は首を傾げる。
しかしレイはすぐに笑って、雪狐と向き合った。
「そんなわけで雪狐、今日は私と一緒に眠ってくれる?」
『いっしょ……?』
誰かと共に、という言葉がイマイチ理解出来ない雪狐は首を傾げる。
レイはそれに気が付き、言葉を変換しようとする。
「えーっとね、一緒にいるっていうのはー……そうだ、家族、家族みたいな感じ! こうやって、ずっとはいられないけど、しばらくの間寄り添ってることだよ」
そう言って、レイは優しく抱擁する。
優しく教えるように、包み込むように。
『かぞく……』
その言葉に、雪狐は胸が締め付けられた。
家族という言葉は理解出来る。
自分にもいた存在だから。
そして自分が殺してしまった存在だから。
押し込めていたはずの哀しみが込み上げ、雪狐はポロポロと涙を零し始めた。
「わっ、ど、どうしたの?」
レイは慰めようと頭を撫でて、その額に額を合わせ、無自覚に雪狐の心を感じ取ろうとする。
ルルディーはその様子を心配するような表情で見つめていた。
本当は、あまり能力を使っては欲しくないのだ。
この能力のせいで、レイは誰にでも寄り添おうとし過ぎる。
誰にでも優しくしてしまう。
誰の心にも共感を覚えてしまう。
そして寄り添った分、傷付いていく。
相手の傷も自分のもののように痛みを共感してしまうから。
ルルディーはその事が不安で不安でたまらなかった。
そのせいでいつかレイが疲れてしまうのではないか。
そのせいでいつかレイが壊れてしまうのではないか。
その不安はいつも拭えなかった。
「……大丈夫だよ。怯えなくても大丈夫。私は簡単に死んだりしないから。だから一晩だけでも、一緒にご飯を食べて、一緒に眠ろ?」
レイは優しく言っていながら、それが残酷なことだと理解していた。
ほんの一時だけ温もりを与え、すぐに離れる。
きっと嫌なものだろうと、分かっていた。
それでも、今目の前で泣いている存在を無視出来るほど、冷静にもなれなかった。
かくして雪狐は、同意するようにレイの胸に顔を埋めた。
雪狐も、一時だけの温もりが、きっと残酷なのだろうと予想はついていた。
それでも、今は自分の側から、自分に負けない存在に離れて欲しくなかった。
ほんの一時だけでも、優しい時間に浸りたいと思った。
だからその夜、彼女達は離れず、一緒にいた。
一緒に氷の家を建てて、一緒にご飯を食べて、隣で身を寄せあって眠った。
それはほんの一時だけ、ほんの一晩だけの温もり。
それでもいいと分かりあった上で、二人と一匹は寄り添い続けた。
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『今回は休憩』
S『やはりマスターは昔から聖女ですね』
S²「チョロい保護者がここにもいるねえー」
S『保護者ではありません!相棒です!』
S²「そこに謎のこだわりを見せる先輩も意外とかっこいいね!スキだぜ!」
鬼ごっこも終わったところで、過去編もあと半分。




