愛している人を捕まえる。
別名、ミハエルセクハラ回。
メルディは別な事に気をとられ、あまり気にしてませんが、かなりのセクハラじゃないかと。
あと、サヤが付いてきたのは、こんがらがってすれ違った状態を、ぶった斬るためです。
メルディが、ミハエル呼びなのは、無意識です。
ぶん殴ったルシフェンが喚きながら連れていかれても、俺はその場から動けなかった。
騎士か誰かが、俺を屋敷の外まで無理矢理引き摺り出す。
叶うなら、メルディを焼いた炎に、俺も一緒に焼かれたかった。
そうすれば、あの世ではメルディとずっと一緒にいられたかもしれないのに。
アイツやオーガスト様、それにオネエサマやサヤ。
メルディの愛している人がいない世界なら、俺がメルディを独り占めだ。
そんな現実逃避をしていた俺は、気付いた時には泣いていた。いや、最初から泣いていたのかもしれない。
どれだけ泣いても、メルディは帰ってこないのに……。
背後が騒がしい気もしたが、炎を見つめる俺にはどうでも良かった。
ただただ、メルディの待つ場所へ逝きたかった。
どれだけの時が経ったのか、不意に幻聴が聞こえる。
メルディの優しい声が聞こえた気がし、俺は反射的に勢い良く振り返る。
期待してはいけないと言う自分を無視して。
そこには、困ったように俺を見つめるメルディの幻があって、俺は逃がしてなるものかと、手を伸ばして抱き締める。
一瞬驚いたようなメルディの幻は、それでも大人しく俺の腕の中に収まってくれる。
それにしても、幻にしては、柔らかくて、いい匂いがして、温かい……って、本物!?
メルディが何か言ったけど、聞こえないぐらいに嬉しくて、何度も何度も何度も唇を重ねる。
メルディの吐息を確かめたくて、何度も。
夢中になっていたら、後頭部に衝撃を受け、気付いた時には天国にいた。
「ミハエル? 気が付いたの?」
天使の声……ではなく、メルディの心配そうな声に目を開けると、メルディが心配そうに寝ている俺を見下ろしている。
一定の震動が伝わってくる事から、馬車の中かと推察し、辺りを目だけで見回す。
確かにここは馬車の中のようで、俺は座席に寝かされているらしい。
やけに後頭部に痛みと、幸せを感じる柔らかな感触が……。
何だろうと、後ろ手であちこち触っていると、ゴホンゴホンと咳払いが聞こえ、馬車が軋む。
「……あまり、人の妹にベタベタ触るんじゃない」
声のした方を見ると、魔王なオニイサマであるオーガスト様が、俺を睨んでいる。
って事は、俺がベタベタ触ってたのは、メルディの太もも……つまりは、膝枕?
「っ!?」
思わず跳ね起きた結果、目眩に襲われて、再びメルディの太ももの上へ逆戻りだ。
「……ごめんね、嫌だろうけど、我慢して。ミハエル、正気じゃなかったから、お兄様がちょっと手荒な事しちゃって」
「いや、俺の方こそ、色々と……」
謝ろうとした俺は、そこで気付いてしまった。
メルディの浮かべる笑顔が、あの五年間で良く見た、何かを諦めたような遠くを見ている笑顔に変わってしまっている事に。
どうしてだ?
俺と暮らすようになってから、いつも楽しそうに笑っていてくれた筈なのに。
やっぱり、アイツの事が……っ。
嫉妬混じりで、ジリ、と焼ける胸の内を抱え、メルディを見つめていたら、誰かに深々とため息を吐かれた。
視線をチラと向けると、サヤが無表情で心底呆れた様子だとわかる、ある意味器用な表情をした
「メルディ様、その顔は誤解されます。恥ずかしくて逃げたら、素っ気なくなった上に、あの煩い小娘と一緒にいるのを見て、ちょっと、ヤキモチを妬いただけなんですよね」
「サヤ!? もう、何で言っちゃうの!? べ、べつに、ミハエルが、本命のリンカさんの所に行きやすいように、とか考えた訳じゃないし!」
俺が反応する前に、メルディがわたわたと反応し、何故か膝枕をした俺の頭に覆い被さるようにして、抱え込んでくる。
一瞬見えた顔は、真っ赤になっていたし、メルディが照れてる? それを俺に見られたくなかった?
どういう事だ?
これは期待してもいいのか。
それより、今現在、俺は幸せと言うか、生殺し状態なんだが……。
俺はメルディに膝枕をされていた訳で、そこにメルディが上体で覆い被さってくると……。
成長途中とはいえ、確かな柔らかさを持つ二つの膨らみが、俺の顔に当たっている。
紳士として言うべきか、それとも婚約者なんだし、正当な権利として堪能すべきか……。
俺が悩んでいると、またサヤの呆れた声がする。
「メルディ様、ミハエル様が紳士か野獣か悩んでますが?」
「え、あ、ごめんね、息出来なかったよね?」
「……さすが、メルディ様。スルー力が素晴らしいです」
仲良し主従のやり取りの後、俺は幸せな暗闇から解放される。
「ミハエル、ごめんね。別に私は気にしないから、婚約解消してもらって構わないよ?」
すぐに別な真っ暗闇に突っ込んだみたいだけど。
「な、何で? どうして、そんな事を? やっぱり、まだアイツの事を……?」
自分でも駄々をこねる幼子のようだとは思うけど、メルディを離したくなくて、膝枕の状態から、メルディにしがみつく。
胸に顔を埋めるようになったのは、わざとじゃない。
「……あいつ? サヤ、ミハエル、打ち所悪かったのかな?」
「それが計算じゃない所が、メルディ様の素晴らしい所だと思います。が、この場合は察してください。まだ、と付いているからには、前の婚約者であるゴキブリのお仲間のようなロディアス様の事だと思います」
きょとんとし、心配そうに俺の頭を撫でるメルディに対し、サヤが無表情で滔々と説明してくれる。多分に毒を含ませ。
どれだけ嫌われてるんだ、アイツは。
「ロディアス様? 確かに、前髪がちょこんとしてる所は、虫っぽいかもしれないね。髪は黒だし」
そして、メルディは食いつく所が違うと思うんだ。
俺が言った事を聞いてないんだろうか。まさか、あえてなのか?
「ミハエルが言うあいつがロディアス様だとして、もう愛してはいないよ。まぁ、愛していた人だから、幸せになって欲しいとは思ってるけど」
良かった。二つの意味で良かった。
「そうか」
ギュッとしがみつくと、柔らかな膨らみを感じられ、さらにメルディの心音が聞こえて落ち着く。
「……えぇと、ミハエルこそ、リンカさんの所に行かなくて良いの? ルシフェン様が、リンカさんにも嫌がらせするんじゃない?」
何だ? 言われた事も理解出来ないが、さっきからメルディが話す度に違和感がある気が……。
「何でメルディがリンカの名前を出したか知らないけど、俺はリンカとは全く関係ないよ」
違和感を気にしつつ、俺はメルディの胸に顔を埋めたまま、キッパリと否定する。サヤの暴露が本当なら、メルディはリンカと歩いていた俺を見てしまい、勘違いしたのだから。
「そう、なの?」
明らかにホッとしたメルディの声音は、メルディがヤキモチを妬いた証拠で、何より愛おしい。
しかし、先程から背中に感じる冷気が異常で、目線だけで馬車内を見渡すと、あちこちに霜がおりている。
「お兄様、寒いです」
「オーガスト様、メルディ様が凍えてしまわれます」
驚く俺を他所に、メルディとサヤは慣れた様子で、ガタガタと貧乏揺すりをしているオーガストを見ている。
「だが、いくら婚約しているとはいえ、私のメルディに、ベタベタと……っ」
「お兄様がゴツンッてしたからでしょう?」
「そこは論点じゃないですが、オーガスト様、話が拗れますので、席を外していただけますか?」
俺だから素っ気ないのかと思ってたけど、サヤはメルディ以外はどうでも良いようで、無表情のまま、馬車の扉を示す。
と言うか、この馬車、走行中なんだけど、とか突っ込む間もなく、俺を一睨みしたオーガスト様は飛び降りて、外の闇へ消えていった。
「サヤ、メルディを頼んだぞ!」
という、叫び声が徐々に遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。
「え、あれ、大丈夫なの?」
「お兄様は、あれぐらいじゃ怪我一つしないよね?」
「そうですね。せいぜい擦り傷ぐらいでしょう」
俺の問いに、メルディとサヤは、顔を見合わせて笑う。
驚く俺がおかしいんだろうか。
オニイサマ、ヤバ過ぎたろう。
気付いたら、メルディに甘えるようにしがみついていたけど、決してわざとじゃない……と思う。
オーガスト様がいなくなり、冷気が消え始めると、サヤが無表情のまま、何の前置きもなく口を開く。
「メルディ様、訊きたい事があるんですよね?」
「え? ちが……っ」
「何? さっきの婚約解消したいのに関係すること?」
慌てて否定しようとするメルディを遮り、間近からその顔を覗き込む。
あ、ワタワタしていて可愛い。
「あの、その、ですね……。何で、ミハエルが、あんまり会いに来て、くれなくなったのかな、って」
やがて、おずおずと喋り出したメルディは、少しだけ寂しそうに笑って、そう内心を告げてくれた。
アイツの所にいた時にも良くしていた表情に思うのは、きっとメルディは、アイツにも問いたかったのかもしれない。
どうして自分を見てくれないか、と。
ひとまず、俺は自惚れても良いのかも知れない。
視界の端で、サヤが無表情でドヤ顔をしているし。
「そっか。そんな事を考えてたんだ。……ねぇ、先に一つだけ教えてくれる? メルディ、あの日、言ってたよね。『あの人を愛してる』って。
――それは、誰の事?」
ねぇ、教えて。
その答えを聞けば、きっと俺は、君の望む答えを返せるだろうから。
愛しい人。
サヤは、メルディを笑わせるため、全力で突っ走ってます。
オニイサマは、たぶん無傷です。
これで、やっと本当の意味での、二人の始まりになると思います。