最終章 加賀の旅立ち
短いですが、終わりです。
第一節
「もう堪らん。加賀を手放すぞ」
げんなりとした顔で、先生が言います。
あの後、先生は村中を駈けずり回る破目になりました。
これは今に始まったことではありまえん。
加賀が家畜を殺すたびに、先生は飼い主に謝りに行っていたのです。もちろん、家畜を殺したお詫びとして、先生はお金を払っています。
そうして何日か経った頃、ようやく先生は一件の家を見つけます。
果たして、その家では包帯でグルグル巻きになった犬を飼っていました。加賀にコテンパンにされた、あのボス犬です。幸いにも、ボス犬は一命を取り留めていたのです。
どうやって先生がボス犬を突き止めたかと言いますと、加賀の持ってきた耳がピタリと一致したおかげです。
先生は必死に謝って、飼い主に許してもらいました。当然ですが、ボス犬の治療費は先生が払うことになります。
どちらかと言うと、先生の家はお金持ちです。ですが、今まで殺して家畜の数を考えると、ものすごい金額になっていました。
村人に対する面子もありますが、お金が無いのもまた、加賀を手放す理由です。
「でも――」
「駄目だ」
加賀を庇おうとした少年ですが、先生が拒絶します。
「酷くなったら人に譲ると、前に約束しただろう」
先生が言います。
先生から見て、加賀の行いは悪化しています。今まで家畜にしか手を出さなかった加賀が、遂に同じ犬を傷つけたのです。このまま加賀が人間に出したとしても、何ら不思議はありません。
「あっ! でもでも」
少年が何かを思いつきます。
「そんな危ない犬を人にあげるって、失礼じゃないの?」
少年の疑問はもっともです。
「大丈夫だ」
先生が言います。
「いい人を見つけてある。加賀の悪い癖も、ちゃんとご存じだ」
「……そう」
先生の太鼓判に、少年の逃げ道はなくなってしまいます。
こうして、加賀は余所の家に行くことが決まりました。
第二節
何日かして、先生の家に一台の自動車がやってきました。
この時代では、自動車はとても高価で珍しい物です。現代でこそ、自動車は日本で沢山作られています。でも、昔は全て外車だったのです。どれくらい高価かと言いますと、一般の人はおろか、先生ですら買えないくらいの代物なのです。
自動車の扉が開いて、帽子を被った一人の紳士が降りてきました。
「よくおいで下さいました」
先生が紳士を出迎えます。
「ああ、これはご丁寧にどうも」
帽子を取って、紳士が挨拶を返します。
「早速ですが、例の犬を見せていただきますか?」
紳士が本題を切り出します。
…――…――…――…
この紳士の正体は、町で会社をいくつも経営する社長さんです。
社長さんは、先生とは比べ物にならないくらいの大金持ちです。
何故二人が知り合いかと言いますと、加賀の評判に理由がありました。
凄い猛犬がいるという噂は、村を離れて社長さんの町まで広がっていたのです。
飼い主である先生が、加賀の貰い手を探していると聞いて、社長さんの方から連絡を獲って来たのです。
…――…――…――…
「少々お待ち下さい。おーい!」
紳士こと社長さんに応えて、先生が少年を呼びます。
少年が加賀を連れて、社長さんの前にやって来ます。
「おお!」
加賀を見た瞬間、社長さんが声を上げました。
「これは、いい猟犬になるぞ」
社長さんは猟犬を探していたのです。
社長さんの趣味は狩猟でした。それは決して、空気銃での鳥撃ちなんかではありません。物凄い威力の猟銃を使う、本格的な猟を社長さんは嗜んでいるのです。
「では社長、よろしくお願いします」
先生が、加賀を社長さんに渡します。
「こちらこそ、ありがとうございます」
社長さんが礼を言って、加賀を自動車に乗せようとします。
驚くことに、加賀は自分から自動車に乗ってしまいます。
――何か面白いことが起きそうだ。
猟犬としての本能に、加賀は逆らえません。
加賀の態度に大満足して、社長さんは町へ帰って行きました。
走っていく自動車を、少年はいつまでも見送っていました。
第三節
(ひょっとしたら、戻って来るかも)
一度は犬攫いから逃げてきた加賀です。加賀が自力で帰って来ることを、少年は少し期待していました。
ですが結局、加賀は帰って来ませんでした。
それから年月は流れます。
すっかり大きくなった少年は、町に住んでいました。
今の少年は、町にある医学校の学生です。
ちなみに医学校とは、現代で言う大学の医学部みたいなところで、お医者さんになるための学校のことです。
時代も変わっていて、今は昭和です。世の中は戦争に突き進んでいて、何とも重苦しい雰囲気に包まれていました。
少年にしても、本来なら兵隊に行っている年齢です。
ですが、専門的なことを学ぶ学生は、少年のようにこうして猶予が与えられているのです。
(はてさて、どうしたものか)
授業そっちのけで、少年は考えます。
少年は、将来について悩んでいました。
それというのも、お医者さんになったからと言って、就職先は決まっています。当然ですが、そこは軍隊です。
お医者さんになれば、みんな軍医として軍隊に入らなければなりません。
戦争に行けば、死ぬこともあります。
そうなれば最後、二度と故郷に帰ることは出来ません。
少年が、懐かしい野山の風景を思い浮かべた時です。
予鈴が鳴って、授業が終わりました。
学生たちが、次々と教室を出て行きます。
少年が立ち上がろうとした時、前の席から話声がしました。
「――でさ、父さんが貰って来た犬が、これまた傑作だったんだ」
「どういう風に傑作なんだい?」
学生が二人、世間話をしています。
内容が気になったので、少年は聞き耳を立てることにしました。
「凄い猟犬だったけど、変な癖があってさ」
「どんな癖なの?」
「獲物を持ってくる時、足を引き千切ってしまって――」
「おい君! その話、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
二人の会話に、少年が割って入りました。
後日、少年は学生から一枚の写真を貰います。
白黒の写真には、少年の記憶のままの加賀が、得意気な顔で映っていました。
了
お付き合いいただき、ありがとうございました。




