7 奥方様の仕事
伯爵家へ来てから半月。ステラは忙しい毎日を過ごしていた。
午前中は屋敷東翼二階の一室、青の間にいること多い。その名の通り「青」でまとめられた部屋で、絨毯は深い海のような濃紺色。ソファーや置かれたクッションは鮮やかな青の地に金糸を惜しみなく織り交ぜた金華山、壁は落ち着いた青灰色。
この部屋は、今は不在のレディ・ベアトリクス・カーライルの執務室である。
現在は彼女が担っている領地の内政に関わる仕事を、新しくこの伯爵家の女主人となったステラが受け継いでいくようにとの伝言があった。青の間はそんなステラの学習室として使われていて、大奥様の秘書のセバスチャン・ノックスが先生役をしてくれている。
領主だった祖父からも内政について多少の手ほどきを受けていたステラの飲み込みはよく、勉強の進捗も上々で教師は満足そうだ。
ほかの時間には家政婦から屋敷内の説明と相談を受けたり、調理場に行ってコックと話したりなど、やることはたくさんあった。
そして大事なお役目が、もうひとつ――旦那様に手紙を書くのだ。
半月が過ぎても、『旦那様』であるはずのネイサン・カーライルには一度も会っていない。その代わり、手紙を書いている。
毎日一通だから伯爵の手元にはそれなりの枚数が届いているだろうが、返事が来たことは、まだ一度もない。
それでも毎日、自室に戻るなりいそいそと華奢な書き物机に向かうステラを、ケリーは複雑な表情で見守る。
『青の間』で勉強のついでに書けば面倒がないのにと言うケリーに、旦那様へのお手紙を書くのは自室がいい、とステラは答えた。旦那様にお手紙を書くのは仕事ではないのだから、と。
「……なあに、ケリー?」
「いえ。そんなに丁寧に書かなくても、と思っただけです」
視線を感じて尋ねてみれば、予想通りの答えにステラは頬を緩める。
「お返事は頂けないけれど、読んでくださってはいるみたいだし……そうね、お手紙を書くのは楽しいわ」
「楽しいですか」
「アランから聞いたけれど元々、伯爵様ってあまりお喋りはなさらないのですって。それならお会いしても、きっと話すのは私ばっかりでしょう? お手紙でもそうなんだと思ったら」
「――お返事がないのも気にならない、と」
肩をすくめる侍女に、ふふ、と柔らかく笑うステラは僅かに寂しそうではあるが、無理をしている様子はない。書くのを楽しんでいるのは確かなようだった。
「もう自己紹介は済んでしまったから、今はお屋敷や皆のことを書いているの。今日やったこととかも」
「私のことはお書きにならなくて結構ですよ」
「あら、一番最初に書いてしまったわ。嫌だった? ごめんなさいね」
眉を下げて謝られてしまえば、ケリーは苦笑する以外にない。軽く溜息をついて、あんな非礼な人にまでお優しすぎる、と独り言ちた。
しかし実のところ、ステラは自分が『優しい』とは思っていない。本当に優しいのだったら、とっくにここから姿を消して、伯爵にとっても不本意に違いないこの婚姻から彼を解放しただろう。結局、他に行く宛のないステラはそこまで思い切れなかったのだ。
初日は、長旅で疲れているステラを気遣って休ませてくれたのかと思った。
二日目、仕事が忙しいと聞いて、それならばと思った。
三日目、体調は大丈夫だろうかと心配した。
四日目には気を揉みつつも女主人としての勉強が開始された。人前にはほとんど姿を現さないと噂でも聞いていたし、到着の翌日には執事たちからも聞いてはいた。
だがしかし、いくら何でも挨拶くらいはできると思っていたのだ。
ステラの到着は伝わっているだろうに、こうまで頑なに会うことすら叶わぬのはやはり避けられているとしか考えられず、それならば歓迎されていないのだろうと思うのは自然のこと。
以前は自室でとることが時々あったと聞く食事だって今はアランがどこかへと運んでいるようだ。
たまに執務室にいると聞いた時も、決してその扉が開くことはなく……それがステラが到着した日を境に、というのだから尚更だ。
そういったことから、もしや自分と同じように、知らぬ間に決められてしまった婚姻なのだろうかとの考えにまで至る。
ステラとて、突然聞いた結婚話を噛み砕く余裕もないまま伯爵家へ来てどうにか心を決めたというのに、肝心の旦那様に拒絶されてしまっては、なんともしようがない。
政略結婚の相手と一目で恋に落ちる、などというおとぎ話を信じてはいない。
しかし、せっかく一緒になるのなら嫌い合うより、少しでも仲良くなりたいと思う。
でも一度も会うことすら出来ないのだったら、好きも嫌いも育ちようがない。
ステラが生粋の貴族令嬢としての結婚感覚を持っていたら、現在のこの状態を特に違和感なく受け入れ、むしろ歓迎さえしたかもしれないが、あいにくそうではなかった。
彼女が今まで目にし、身近に感じてきた領民たちや、話に聞く祖父母、両親たちの睦じい様子がステラの思う『家族』だった。
それゆえ、明日で一週間という六日目に、お役に立てないようだし出て行った方が良いと思う、と初めて口に出した。
我ながら堪え性がないと思う。伯爵家を出たところで行く宛などない。それは分かっているが、当の夫にここまで拒否されている状態は、ステラには不毛に思えた。
一度クレイトン家に戻り、叔父に事情を話して出戻ることを許してもらえればいいが、それが無理なら修道院か。しかし、ついて行くと言って聞かないだろうケリーを思うと、どうにか自活の道を探そうか、などと考えていた。
結果、執事と家政婦と秘書の三人に縋り付かんばかりにして引き止められた。
実際に、ケリーは家政婦のミセス・マイヤーに別室に連れていかれて文字通り縋り付かれて『貴女からもお止めして!』と涙目で懇願されてしまった。
そこでケリーは、伯爵のステラに対する態度への憤りをミセス・マイヤーに忌憚なくぶちまけた。ケリーにとって伯爵は、大事な自分の主人を蔑ろにする到底許せない人物、との評価ですっかり固定されていたのだ。
伯爵は長年仕えた家の主人ではあるが、同じ女性であるミセス・マイヤーにとってもこの度の結婚と現状には言いたいことがあったらしい。
ケリーが思いの丈を出し尽くした頃には大いに賛同を得て、侍女と家政婦はまるで戦友のように固い握手を交わしていた。
旦那様はどうあれ、使用人たちとその背後にいるレディ・ベアトリクスは、ステラに伯爵家にとどまっていて欲しいと強く思っているのは明らかだった。
その日の夕方には執事から話を聞いたらしいアランまでがやって来て、どうかもう少し待って欲しいと頭を下げる。
そんなにまでされてしまえば、ステラは頷くしかないのだ。
「……この結婚はお望みでなかったご様子。それなのに私がここにいることは、ご迷惑ではないですか」
率直なステラの言葉にアランは一瞬視線をさ迷わせて言い淀む。
答えられない質問をしてしまって悪いことをした。直接に言葉を交わしたことは多くないが、それなりの期間を一緒に過ごし親近感を感じていた人の困り顔は見たくない。
自分の背後でケリーがアランのことを睨んでいるようだったが、それは気にしないことにした。
「ああ、ごめんなさい。困らせるつもりでは……ただ、こうしてここに、伯爵家に置いてもらって本当にいいのかと。なんのお役にも立っていませんし」
「いや、あの、確かに奥方様と同じく、ネイトも突然聞かされたお話だったことは否定しません。なので、迷惑とか嫌っているとかではなく、ひたすら困惑しているというか……今はちょうど仕事の区切りも悪くてですね、あー、と――そうだ、奥方様。手紙を書かれては?」
「え、手紙?」
名案を思いついた、とばかりにアランの顔が明るくなる。
曰く、何か重要なお仕事中で、旦那様はとにかく忙しい上に昼夜逆転の生活になってしまっているらしい。夜通し働いては明け方に長椅子で仮眠をとるような毎日で、ステラと時間も合わなければ、顔を合わせる余裕もないのだと。
特に今は根を詰めていて、身体的にも無茶をしている状態で、補佐をするアランとしても少しは休憩なりとって欲しいと思っている。
そんな時に『奥方様からのお手紙』という口実があれば、というのだ。
「無理にとは言えません。返事だってお約束できません。でも、奥方様さえよろしければ、ぜひ」
ステラの返事は「喜んで」――こうしてそれ以降のステラの毎日に、手紙を書く、という行為が加わった。