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20 張られた罠(後)

 

 両手を後ろに締め上げられたトマスの弛んだ胸元から銃が落ちる。それをステラ達がいる小屋の隅の方に蹴飛ばして、赤毛の男は満足そうに唇の片端を吊り上げた。


「はあ、ようやく口を割ってくれた。トマス・ランダル、お前のような奴の側にいるのは慣れてるとはいえ苦痛だったよ、本当に」

「な、お前っ。離さないか、この裏切り者!」

「裏切り者は自分だろう」


 目の前でのやり取りに目を見開いていると、銃を戻したケリーが数歩前に出てアランに向かって噛み付く。


「ちょっと! 乱暴だし偉そうだし遅いしで話が全然違うのですけど!?」

「ごめんねえ、これでも頑張ったんだ。雑なくせに妙に狡猾でね、なかなか尻尾が掴めなくて」

「え、ケリー……もしかして知っていたの?」


 もしかしなくともそうなのだろう。ステラは体調の悪さも一瞬忘れる程度には驚いたし、安堵もした。

 詰めていた息を吐くと、ようやく自分のうるさい鼓動に気付く始末。荒事には慣れていないといえ、何も出来なかった自分が歯痒い。


「申し訳ございません、ステラ様。御身の安全の為にも口外できなくて……」

「ケリーを責めている訳じゃないわ。私が一番役立たずだったわね」

「役にだなんて! ステラ様を囮になんて、そもそもがおかしいのです!」

「ああ、うん、本当にごめんね。あとでたくさん叱られるから」


 視線を感じて顔を上げると、ネイサンがこちらに向いていた。ケリーの手助けに首を振って、ステラは壁に手を当ててゆっくり立ち上がると、また戻った頭痛を隠して微笑む。フードで目元は見えないが少しだけ緩んだ口元に、心配してくれていた、とじんわり胸が熱くなった。

 トマスを拘束したまま、赤毛の男がネイサンに話しかける。


「ネイト、憲兵達は外に?」

「少し先で待機させてある。ここいら一帯は包囲済みだ。ああ、ウォーレスに侵入してきた小悪党どもはとっくに引き取ってもらった。今頃は辺境軍のお守り付きで輸送用の格子の嵌った馬車の中だろう」

「だ、そうだ。トマス・ランダル……今日はどこに隠した? 寝室の暖炉の上の隠し穴か、書斎の床下か?」


 赤毛の男の言葉にトマスの忿怒の顔が赤黒く変わる。


「っ、なぜそれを……!」

「王都の屋敷も海側の別邸も押さえさせてもらった。逃げようなんて思うなよ、お前の言う『助け』は期待できない。とんだ泥舟だったな――ミック、縄」

「はいっ」


 少年従者も仲間だったようだ。赤毛の男に指示されて慌てて細いロープを取り出す。ネイサンが少し離れた所にいた少年ミックの方に近づいて行き、受け取ろうとその場を離れた。


「こんな……こんなことで……っ、あ、あの御方をならず者呼ばわりとは、この、痴れ者がっ!」

「な、っぐ……!」


 赤毛の男が捕縛のために向きを変え、ほんの少しだけ拘束が動いたその瞬間を狙って、トマスが背後の男目掛けて爪先で蹴り上げた。とはいえ身長差もあり、トマスの脂の乗った体は見るからに愚鈍そうで、子どもが蹴ったのと変わらないくらいの威力しかなかっただろう。

 大したダメージはなかったはずなのに、赤毛の男は体勢を崩した。その隙を逃さず拘束を振り解くと、そのままの勢いで蹴飛ばされた銃を拾い上げ、一番近くにいたステラの髪を乱暴にひっ掴む。


「っは、形勢逆転だな」

「ステラさまっ!?」


 ケリーの悲鳴のような呼び声が響く。引きずられるように髪を鷲掴みにされた上に、ゴリ、と頭に銃口を突きつけられる。重くひんやりとした感触が、耳のすぐ上で金属を主張していた。

 髪を引かれぎりぎりと押し当てられる痛みに、どうにか薄く開けたステラの瞳の端に見えたのは、血のついた切っ先が飛び出たトマスの靴の爪先。


「……仕込み刀とはね。そこは気付かなかったな」

「ウ、ウィル様っ!」


 慌てて駆け寄る少年従者を制して、ウィルと呼ばれた赤毛の男は脚を押さえて眉を顰めながらもトマスを睨みつけている。

 表情の見えないネイサンは床に置いてあった灯を持ち上げると、アランに渡した。


「……もう一度だけ言う。妻を返してもらおう」

「黙れ! お前らのような下賤な奴らに邪魔をされるとは、なんたる……!」


 怒りなのか恐怖なのか、トマスの手の震えが銃口を通して伝わってくる。ステラ達から少し離れて真正面に立つと、ネイサンはフードをぱさりと落とした。

 現れたのは、まるで感情の全てが抜け落ちたような無表情。

 ステラは後ろ手に隠し持ったままの護身用のナイフをぐっと握りしめて、仮面の奥のネイサンに笑いかける。


「大、丈夫ですよ、旦那様」

「ステラ……」


 がちがちと震える指がトリガーにかかろうとした、その時。唯一の光源だった明かりが突然消え、小屋の中は一瞬にして暗闇に変わった。

 突然のことに動揺したトマスが金切り声で喚き立てる。ステラは手にしたナイフをくるりと持ち替え、柄の部分で銃を叩き落とすとトマスが鷲掴みにしている自分の髪の毛を勢いに任せて切り落とした。

 ばらり、と散る感触とともにきつい拘束が解け、よろめきながら二歩離れるのと、ネイサンが踏み込んでくるのは殆ど同時だった。

 ステラはそこまでが精一杯で、そのまま崩れるように倒れ込んでしまう。小屋の中に響くトマスの罵声が悲鳴とも言えないような押し潰された呻き声に変わるのに、時間はかからなかった。


「……あーっと、ネイト? 念のために聞くけど、そいつ生きてるよね?」

「当然だ」


 トマスの声がしなくなり、ドサリと重たいものが投げ出される音が響くと、アランの軽い声と同時に明かりが再び灯される。

 吐き捨てるように返事をしたネイサンは、ステラが顔を上げる前にその体を抱き上げ、自分の外套の中に短くなった髪を隠した。


「す、ステラ様っ」

「ああ、ケリーはこっち。ウィルフレッド様の方、手伝って?」

「はあっ!? ちょっと、アランっ、」

「いいからいいから、俺はあっちに縄かけてくるから。ほら、この子だけじゃ可哀想でしょ? 止血手伝ってあげてよ」


 ステラの元に駆けつけようとしたケリーはアランに腕を取られ、座り込んでいる赤毛の男の手当てを押し付けられる。

 不服そうにしていたが、ステラがしっかりと保護されたのを確認し、青い顔で傷口に布を押し当てている少年を見ると、小さく溜息をついてテキパキと手を動かし始めた。


 抱かれたまま小屋の外に出たのだろう。ステラはふと外気を感じ、無意識に小さく震えた。

 そんなステラをもう一度しっかりとネイサンは抱え直す。


「旦那、さま……?」

「なんだ」

「迎えに、きてくださって……ありがとうございます」


 ぐ、とステラを抱く腕に力が入った。

 外套にすっぽり包まれて何も見えない。先ほどまで銃が突きつけられていたこめかみをネイサンの胸元にくっつけると、冷えた体に温もりが伝わってくる。

 覚えのある、紙とインクの匂い――それらに言いようもなく安心する。

 何か言おうとして、言いかけて、やめた。そんなしばしの間の後に、ネイサンの呟くような囁きが落ちる。


「……帰るぞ」

「はい」


 異変に気付いて走り寄ってきた憲兵達の靴音を聞きながら、そっと目を閉じたのだった。




 馬車の中でもネイサンはステラを腕に囲ったままだった。膝の上で横抱きにされながら、具合の悪そうなステラを気遣って揺れないようにゆっくりと馬車を進めさせている。


 遅くなって悪かった、とか。

 針子のおかみさんから不審者の話を聞いた時から警戒していた、とか。

 本当は今まで通り内々に処理してステラ達には関わらせないはずだった、とか。


 ぽつぽつと話してくれる内容は聞こえているし頭にも入ってくるが、どうにも理解が追いつかない。

 時折撫でてくれる手が、髪の短さに戸惑っているのが申し訳なく思う。他に何か上手いやり方が思いつけばよかったのだけど、とっさにこれしか浮かばなかった。


「旦那様にお怪我は……?」

「ない」

「それならよかったです」


 本当に。強引に居ついた上に足枷となって、怪我でも負わせていたらと思うと心苦しくて。

 そう言うと苦虫を噛み潰したような声が頭上から降ってきた。


「それを言うのは私の方だろう。勝手に娶って勝手に囮にした。こんな目に遭わせて……どうして責めない」

「責める?」


 おかしな旦那様。危ない目に遭わせたくなくて遠ざけようとしたり、分からないようにそれとなく護衛もつけてくれていた。身を守れるように護身具も用意してくれた。

 働かない頭でつらつらと考えて、はた、と気が付く。


「ああ、分かりました。『旦那様がご無事でよかった』のではなくって、『好きな人に怪我がなくて、ほっとした』なんです」

「は?」

「私。いつの間にか、旦那様のこと大好きになっていたんですね」

「……ステラ」


 呼び慣れなくて、でも大事なもののように一音一音を発してくれるその声が。

 自分とは違う、骨っぽい指が髪に、頬に触れていくのが。

 目が合うと少し細めてくれる薄い青の瞳が、好き。

 手先は器用なのに、自分の気持ちには不器用なところ。

 まっすぐな責任感と矜持も、分かりにくい優しさも。

 ネイサンに付随する全てが愛しくて仕方がない。


 見たこともない結婚相手が、この人でよかった。

 せっかく自分の気持ちに納得したのに、もう一度、名を呼ばれて返事をする間も無く唇を塞がれる。しっかりとその腕に囲われ包まれて感じる体温が、甘く切なく、どこまでも心地好い。


 繰り返す口づけはいつからか深さを増していく。

 息が止まりそう、と思ったのか本当に止まったのか。空気を求めて一度薄く離した時に、ようやく見えたネイサンの瞳に写る自分が笑っているのがやけに嬉しくて――くたりと身体を預けると、なんとなく焦った彼の声が聞こえた気がした。

 けれど既に体は限界で、ステラは今度こそ、もう目を開けていられなかった。




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アマゾナイトノベルズ/イラスト:堀越有紗先生

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