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16 塔(後)

 

 話の間に、ネイサンは手紙を書き終えていた。蝋で封をすると近くにいる助手アランに渡す。


「急ぎだ」

「え、今? まだ途中なんだけど……仕方ないなあ、じゃあ、奥方様そういうわけで御前失礼します」


 訴えたところで無駄と分かっているのだろう。アランはさっと受け取ると、今しがた降りてきた階段とは反対側にある扉から出て行った。

 その後ろ姿を見送っていると、ぎしりと椅子の沈む音がする。


「……後悔しているだろう」

「いいえ、驚きはしましたけど。秘密の理由も納得しました」


 小さく息を吐いて背もたれに寄りかかるネイサンは、やはり疲れているようだ。

 ステラは少しでも近くに行こうと長椅子の端に寄り、肘掛に手を置いて彼の方へ体を捻る。


「用紙や顔料インクの研究を始めたのは、旦那様が?」

「そうだ。色々と偶然が重なって――いや、偶然とは言えないか」

「旦那様の目の具合が悪くていらっしゃるのと関係あります?」


 突然の問いかけにネイサンは言葉を失くした。表情はあまり変わらないが、驚いていることは分かる。


「旦那様は、お疲れが目に出るようですし……その、時折されているご様子が、祖父と似ていまして。祖父も晩年は目を病んでいましたから」


 食事時などに顔を合わせるようになって、気になったことがあった。

 ケリーは気付いていないようだったが、ネイサンはいつも陰を好むようだった。

 晩餐のときも、明かりが直接目に入らない角度で座り、たまに陽があるうちに見かけるときは窓を背にしていることが多い。


「……なるほど」

「詮索して申し訳ありません」

「いや、いい。他言は無用だがその通りだ。なんだ、見たいのか?」


 あっさりと肯定されて今度はステラが驚いた。自分で言い出しておいて何だが、弱点とも取れることを簡単に認めるとは思わなかったのだ。

 そのことに、少しは信頼されているのだと思えてしまう。

 もう少し近づきたくて立ち上がろうとしたら、それと知ったネイサンが長椅子の隣に移ってきた。目にかかる前髪をそっと横に流して見えた瞳は薄い青。

 普通に接している時には気が付かないが、こうして間近で見ると、滲むような虹彩がなんとなく痛ましい気がしてしまう。


「……昼の光は眩しいですか?」

「そうだな、太陽の光は強すぎる。室内灯程度なら問題ないが」

「っ、すみません、先ほど、窓辺に寄らせてしまいました」

「そんなことを気にしていたのか」


 ネイサンのこめかみの辺りに指先を置いたまま瞳を見つめ続けるステラに、少し呆れたような声がかかる。


「短時間ならば、すぐにどうこうはない」

「……ずっと、なのですか」

「いや。十五年ほど前からだ。両親が亡くなった時だな」


 ネイサンの両親は、ステラの親達の翌年に同じ流行病で亡くなったと、伯爵家に来てから習っていた。ネイサンも病床にいたと聞いたが、その病の後遺症のようなものだったのだろうか。酷く熱が出る症状だったから、成人前の体なら、どこか元から弱かったところに悪影響を与えてもおかしくはないだろう。

 ところがネイサンの答えは全く違うものだった。


「両親は、表向き流行病で亡くなったことにしているだけだ。この伯爵家の秘密を探る奴らに、出先で馬車ごと襲われた」


 殺してしまっては意味もないのに愚かなことだ、と淡々とネイサンは言葉を続ける。


「私も一緒に乗っていたが、倒れた馬車から投げ出されて茂みに転がったおかげで、暴漢たちからは見過ごされた。その時に強く頭を打ったようで、しばらく目が覚めなかった。それで、起きてみたら見えるもの全てが眩しくて仕方がない、という訳だ」

「……そんなことが」

「王宮の医師にも診てもらったが、治しようがないと言われた。見えぬ訳ではないから、陽の光さえ避ければ良い。ただ、それまで見えなかったものまで見えるようになった」


 その変わってしまった眼の特性ために、日中に外に出ることが困難になった。たまの外出は陽の光の弱い雨の日か、夜。それが噂の一端を担っていることも承知しているという。噂を否定しないのは、その方が都合が良かったからだ。近寄る者が減れば、秘密が漏れる心配も少なくなる。

 ステラは黙って話を促す。もう片方の手は、自然とネイサンの手の甲に重ねられていた。


「視力が上がった、というのとは違う。そういうことではなくて、今まで気付かなかったほんの少しの色の違いだとか、ごく細かいところなどが見えるようになっていた。アランもかなり目はいいが、あいつにもわからないくらいの差が歴然と見える」

「まあ、それは……」


 普通、何かを見るときはその見ようとする何かに焦点が合って、そのほかは少し印象がぼやけるものだと思う。ところがネイサンは、目に映るもの端から端まで全てがくっきりと、しかも細部まで極彩色に見えるのだという。

 疲れそうだな、とステラは率直に思った。

 しかしおかげで、紙や顔料の違いが異様なほど識別できるようになった。それを見込まれて、今のような研究をするようになったのだ。


「偽造しにくい色合いや発色、劣化のしにくさ。持ち込まれた紙幣の正贋の判別、そんなところだ」

「大変なお仕事ですね……」

「この髪の毛の一本一本も、よく分かる。例えばこれは薄い金色だがこちらとは色味が違うし、ここは特に銀色がかっている」

「え、や、旦那様っ」


 この、やたらとよく見える目を持つネイサンに自分はどう見えているのだろうか。そんなことが頭を掠めた。掠めただけで、聞くつもりはなかったのだが。ほつれた髪をまた耳にかけてくれようとしながら、指先でくすぐるように触ってそんなことを言うものだから、ステラは耳の先まで赤くなる。

 そんな染まった耳先の肌が透けて見えると言われれば、もう両手で頬を押さえて顔を伏せるしかない。


「……すごく、恥ずかしいです」

「そうか」


 ふ、と笑われて揶揄われているのだと知る。先ほどから控えめながらもネイサンが表に感情を出してくれるようになって、その一つひとつにいちいちステラの鼓動は忙しなく反応する。


「旦那様、意地悪です」

「随分と驚かされたからな。許嫁の次は妻を殺したと噂されるところだった」


 寿命が確実に縮んだ、と言われれば反論のしようもなく、もう一度謝罪した。

 そしてステラには、あとひとつ聞いておきたいことがあった。


「あの、許嫁でいらしたメイベル様、のことですが」

「なんだ」

「メイベル様は、旦那様のことがお好きでしたのでしょう?」


 さも意外なことを言われたように、目を見開くネイサンにステラは不思議に思う。


「何をどう考えればそうなる? あれは指示されて伯爵家に入り込んだだけだ」

「だって」


 ネイサンは頑ななところはあるし愛想が良いとも言えないが、責任感が強く信頼できる人物だ。身分も、その整った容姿だって女性の目を引くだろう。

 きっかけはどうあれ、近くにいたら好意を抱くようになると思うのだ。

 そんなステラにネイサンは呆れたようにする。


「共犯者の一人と恋仲だった。その男に命じられて、私のところに縁付きに来たのだ」

「え」

「そんなことすら隠しきれない、浅い人間だったが。どうせ政略での縁組などそんなものだし、こちらに興味がないのは好都合だと思った私も大概だが。内通者だったのは予想外だったがな、とてもそんな器量ではない。まあ、それが狙いだったのだろうが」

「こちらにお住まいでいらっしゃいました?」


 婚約を交わした後は、婚家に入ることも多い。きっとそうなんだろうと思うと、ステラは少し胸が疼くのを感じた。


「いや。祖母が彼女を嫌ってね、許さなかった。その代わり頻繁にここを訪れてはいたが。ああ、使わせていたのは客間だ。あの部屋ではない」

「……何も言っていません」

「口では、そうだな」


 表情かおは違うようだ、と薄く笑って頬に指を当てられる。ほんの少しの表情の動きも見えてしまうのだから仕方がない、と言われても。

 それに、愛は育たなかったかもしれないが、婚約の期間長く一緒にいればそれなりに情も湧くだろう。その相手が、処罰されたのだ。


「……それでも、悲しかったのじゃありませんか」

「悲しい、というのは違うな。虚しい、が近いか」


 この家に関わる誰も彼もが居なくなる。そう呟く唇が、小さくステラを呼ぶ。まっすぐに目を合わせた意思の強い薄青の瞳は、奥に寂しい色を隠していた。


「関わらないでいたら、不安のない人生を送れたのに。何も知らない貴女を巻き込んで……祖母もクレイトン卿も、心無いことをする」

「それは違います。ここに来たのは祖父の遺志ですが、残ると決めたのは私です。それに、皆が皆いなくなるわけではありません。アランだってレディ・ベアトリクスだって、ずっとご一緒じゃないですか」

「あの二人は殺しても死ななそうだ」

「まあ」


 小さく笑ったネイサンに、ステラもほっとする。ずっと歳上の人のはずなのに、なんだか抱きしめたくて仕方がない。

 ふと、時計に目をやったネイサンがこんな時間かと話を打ち切った。

 ステラの腰に戻していたサッシュを長い指でするりと解かれる。


「え、あの、旦那様?」

「部屋まで連れて行く。ここが知られたのは仕方がないが、木を登る以外の道順はまだ教えられない」


 そう言って、ステラの目に柔らかい布をぐるぐると巻きつけていく。


「何も、見えません」

「それで良い」


 所在無く浮かせていた両手を宥めるように一度軽く握られたと思ったら、ネイサンにふわりと横抱きにされた。

「え、きゃ、」

「靴もないことだし。大人しくしていなさい」


 抱き上げられるのは、これで三度目。慣れない姿勢に自然と両手をその広い肩に回してしまう。

 そうすると満足そうに喉の奥で笑われて、サッシュに隠された下の肌が熱を持つのが自分で分かる……こんなふうには、祖父に抱きついていた時には感じなかった。

 心を落ち着けようとそっと深呼吸をすれば、ネイサンの仕事道具でもあるインクの匂いがして余計にいたたまれない気持ちになる。


「私の代で終わりにするつもりでいたが……」

「旦那様? 何か仰いましたか」

「――いや」


 ネイサンの足取りは確かで不安はない。先ほどアランが出て行っただろう扉を抜けたのは分かった。

 しかしその先は、どこをどう通って部屋まで戻ったのか、しっかりと抱き込まれて胸に顔を埋めていたステラには分かる由もなかった。




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