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13 告白

 

 頬を押さえていた両の手はそのままに、ステラはネイサンを仰ぎ見た。

 目に映る彼は貼り付けたような無表情で、整った顔立ちが余計冷たく感じる。聞き違いかと思ったが、そうではないようだった。


「噂で聞かなかったか? 『伯爵家の地下牢には、殺された婚約者が』……」


 息を呑んで黙り込むステラに、ネイサンは話し続ける。

 まるで他人事のように、腕と脚を組んで世間話をするみたいに。


「ここに地下牢は無いし、私がこの手で殺してもいない。だが、私のかつての婚約者は、実際に命を落とした」

「……それ、は」

「詳しくは言えない。知ってしまったら逃れられないから……ウォーレスには関わらないほうがいい。命が惜しければな」


 どうしてそんな事を言うのだろう。分かるのは、目の前の男が、婚約者を亡くして哀しんでいるというよりは、苛立ち、怒りを感じていること。

 それと同時に、何かを諦めているようだとステラは思った。

 でもそれが何に対してなのか分からない――もしかしたら、全てに対してなのかもしれない。


「今まで会わずにいたのは……私が危なくならないように?」

「まあ、そうだ。実際に忙しくてそれどころでなかったのもあるが」

「……嫌われていたのではなかったのですね」

「嫌うも何も」

「でも私、図々しかったですし。こちらの皆さんが親切にしてくださるのをいいことに、居座っておりましたから」


 苦笑しながらそう言うステラは、少し寂しそうな顔をしていた。


「戻る先も行くあてもなくて。そう言い訳をしておりましたけれど……そういうことでしたら。私、分かりました」

「ああ、用意を急がせよう」


 行き先を。陽の下が似合うこの人にふさわしい場所に――そう考えて、ネイサンは胸を掠める何かには目を瞑った。

 毎日届く手紙。コックと相談したという最近の食事、時折の小さな菓子や花……短い間になんと深くまで入り込まれたものだ。

 組んでいた腕をくい、と引かれて右の手が何かに包まれる。


「なおのこと。こちらに置いてくださいませ、旦那様」

「……は?」


 にっこりと微笑むステラの顔と、その白い両の指に包まれた自分の片手を忙しく見比べた。


「顔も合わせたくないほど嫌われているのならば離縁もやむ無し、と覚悟しておりましたが。そうでないのならばどうぞこのまま」

「……何を言っているのか、分かっているのか?」

「ええ、もちろん。旦那様、あのですね」

「なんだ」

「人は、死にます。だから大丈夫です」


 ぱちくり、と今度はネイサンが忙しく瞬きをする番だった。


「いつか死にます。ええ、それはもう必ず。永遠に生き続ける人などおりません」

「それは、そうだが」

「早い遅いの違いだけです。幸いなことに、私には彼の地で待ってくれている人がたくさんいます」

「だから構わないと? それは違うだろう」


 小さな頃に流行病で両親と祖母を、そして唯一の祖父も先ごろ亡くしたステラ。ネイサンも似たような境遇だ。

 しかし、それとこれとは話が違う。


「ええ、そうではありません。必ずいつかはなくなる命です。終わりの時を決めるのは人では……旦那様ではありません。ですからその間、私は私の思うように生きたい。我儘で強欲でしょうが、そう思います」

「それは、我儘とは言わないだろう」

「そう思って下さるのでしたら、このままでいさせてくださいませ。お祖父様の心を、私は知りたいのです」


 ぎゅ、と握られた手に力が加わる。女の手に大した拘束力などないが、振り払うことはできない何かが込められていた。

 まっすぐに、真剣に見つめるステラの瞳から先に逸らしたのはネイサンだった。


「その身が危ないと言われてもか」

「ええ」

「……後悔した時には、遅い」

「あら、とっくに夫婦ですわ」


 ぱっと笑ってみせるステラは、とどめのようにネイサンに告げる。


「もし、心配してくださるのならば、お側に」

「……どの道、今更ならば手の中で守れと」

「お決めになるのは旦那様ですが。そうしていただけたなら、嬉しいです……旦那様?」

「なんだ」


 もう一度、手に力がこもる。温かい手だった。


「……そうやって、笑ってくださったらもっと嬉しいです」


 自覚のなかった微かな笑顔を驚愕に変えて。至らない身ですがどうぞよろしくお願いいたします、そう言って取った手に寄せられる唇を、ネイサンは穴が開くほど見つめていた。





 ***



 使用人室の開いた扉に肩で寄りかかってアランは腕を組みながら、ずらりと並ぶシルバーを手際よく磨くケリーをしげしげと眺めていた。


「どうだと思う?」

「そこ、開いてると寒いし音が響きます。入るなら入ってください」


 それじゃあお邪魔しまーす、と軽く手を上げて使用人室の中へ入ったアランを、手を休めずにケリーは目の端で認める。

 向かいに座って楽しげに頬づえをついてケリーを見ていたアランだったが、暇ならどうぞと渡されて一緒にシルバーを磨いている。時々かちゃり、と置く音が小さく響く他は無音の空間だったが。


「……ステラ様は、ああ見えてご自身を曲げませんので」

「おーう、ネイトもだね。どっちが勝つかな」

「勝ち負けではないでしょう」

「ま、そうなんだけど。ネイトが折れるといいなあとは思ってるのは、ケリーも一緒でしょ」


 無言で片眉を上げるケリーだが、その言葉を否定はしない。


「さて。ケリー・スマイス……いや、ケリー・ハーヴェイと言った方がいいかな。君はどうする? 今なら逃がしてあげられるよ」

「捨てた名で呼ばれても。私はどこまでもステラ様につきます」

「……さすがに驚いてくれると思ったんだけど」


 拍子抜けしたアランをつまらなさそうに上目で見ると、ケリーは軽く息を吐いて手にしたシルバーを下に置いた。


「身上調査など基本でしょう。私は別に隠してもいませんし、この程度が分からないようではかえってステラ様をお預けするのに不安です」

「成る程ね……いいね、その気概」

「どうも。気に入りは不要です」


 はは、と楽しげに笑うアランをちらりと眺めて、ケリーは次のシルバーを手にした。握り部分に細かい模様がついたディナーフォークの鋭い先を指で確かめる。


「……不穏な空気が」

「刺したりしませんよ」


 軽く頬をひきつらせるアランにしれっと返事をしたケリーはそのまま磨き始めると、彼の話に耳を傾けた。


「そうは言っても、調査結果は芳しくなかった。ケリーがハーヴェイ準男爵家の長女だってことと、父親は亡くなっていて、母親と歳の離れた弟とは縁を切っているってくらいかな」

「間違っていませんね」

「父親が亡くなったのに特に事件性は見当たらなかったけど、ケリーだけが縁続きでもないクレイトン家に来た理由が分からない。うちの情報網はちょっとしたものだって自負があったんだけど……ミセス・フロストの件といい、クレイトン卿の周りはどうもガードが固くて自信なくすなあ。さすがって言えばいいの?」

「ご当主様は立派なお方でしたから」


 初めて見るようなケリーの満足気な笑顔に、アランは一瞬目を奪われた。その笑顔がすぐにまた、いつもの生真面目な無表情に戻ってしまうのを少し残念に思ってしまう。

 この良く出来た侍女が感情を露わにするのは、ステラとクレイトン家に関する時ばかりだ。


「……私の父が、賭け事にはまっていたことはご存知でしょう」

「ああ、まあ。そこまではね。割とよくある話じゃない?」

「返す当てのない借金のカタに、十三歳の私をどこぞの貴族に売りました」

「ええっ、ちょ、ケリー」


 突然の告白に慌てたのはアランだ。ケリーは淡々とシルバーを磨きながら、なんのことはないように言葉をつなぐ。まるで明日の予定を確認するかのような自然さで。


「酒を飲んでは賭場にばかり出かける、碌でもない父親でした。母親は泣いてるだけで役に立ちませんし、弟は幼かったですし」

「う、うん」

「準男爵なんて末端もいいところ。親戚からもすっかり見放されて、収入は無く毎日来るのは借金取りばかり。売れるものは全部売りました。一日中酔っ払っている父親と、すぐに倒れる母親に代わって私が行くんですけど、子どもですから足元を見られて買い叩かれるのがオチで」


 中にはそんな子どもに色目を使って来るような輩もいますし、とケリーは呆れ顔で付け加える。そんな時に、ステラとクレイトン卿に偶然店の前で会ったのだと。

 母親に連れられて一度だけ出席した社交の場、某男爵家の子どもの誕生祝の会。そこで、やはりその時ばかり顔を出していたステラとケリーは短い時間を一緒に過ごした。

 それを覚えていたステラから声を掛けられ、クレイトン卿はケリーの話を聞いてくれた。のみならず、店に同行してくれて、それからは正規の金額で買い取って貰えるようになった。何かと助言を受けたりしていたが、その後幾ばくも無くしてケリーは売られることになる。

 事情を説明し、せめてお礼をと最後の挨拶に訪れた時、クレイトン卿からうちに来ないかと持ちかけられたのだった。


「こう言っちゃ何だけど、クレイトン男爵家も裕福ではないだろう。どうやってケリーを買い戻したの。いや、人身売買は犯罪だよ、しかも未成年の、でも」

「ええ、きっちり正規の養子縁組の形を取られたらどうしようもありません。それに、傍流とはいえ高位貴族に引き取られる形でしたから、文句のつけようもありませんし。幼女趣味の変態のところで好き勝手にされて、飽きたら捨てられるか売られるか。まあ、これもよくある話です」


 心底どうでもいい表情で、まるで他人事のように言ってのけるケリーをアランは声もなく見つめる。休みなくシルバーを磨いていたケリーの手がふと止まった。


「……ステラ様が。お祖母様の形見の宝石を手放してくださいました。ほとんど行きずりの、ただの顔見知りでしかない私の為に」


 ステラの祖母が嫁入りの時に持ってきた宝石は隣国産の珍しい石で、国内にはそれ一つしかなく、以前より公爵夫人から譲って欲しいと打診があったという。

 それでもずっと大事に持っていた、ただひとつ孫娘に遺された祖母の形見――それを、初めての社交で心細い時にそばにいてくれた、それだけの理由で。


 諦めていた宝石が手に入ることになった公爵夫人は、当初の申し出よりも高く買い取ってくれた。

 そうして手に入れた金でケリーにつけられた借金を返済し、ハーヴェイ家とは縁を切った。既に酒に侵されていた父親は間もなく亡くなり、枷が取れた母と弟はようやく親戚を頼って田舎へと戻ることになる。

 売られる寸前だった事実を消し、どこかちゃんとした家にと養子先を探してくれたクレイトン卿に、ステラ付きの侍女にしてくれと頼み込んだのはケリーの方だった。


「ケリー……俺に話してよかったのか?」

「この先もここに住むでしょうから、お伝えしておいたほうが後々面倒がないと」

「あ、ネイトが折れるのは決定なんだ」

「当然でしょう。相手はステラ様ですよ」

「そっか……うん、そうだね」


 自信に満ちたケリーの瞳をアランは眩しく感じる。そして二人の予想が間違っていなかったと知るのはすぐ後だった。



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